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大伴家持(世界大百科事典)
奈良時代の政治家,歌人。安麻呂の孫,旅人の子。橘諸兄政権下に内舎人として出身し,745年(天平17)1月,正六位上から従五位下に叙される。この昇叙の記事が《続日本紀》に家持の名の見える最初である。746年3月宮内少輔,同年6月越中守に任ぜられ,751
一条天皇(国史大辞典)
九八〇-一〇一一。九八六―一〇一一在位。天元三年(九八〇)六月一日、円融天皇の第一皇子として誕生。母は藤原兼家の女の女御詮子(のちの東三条院)。諱は懐仁。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。
清少納言(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
清少納言せいしょうなごん966?‐1025?(康保3?‐万寿2?)平安中期の女流文学者。父は歌人の清原元輔で、元輔五九歳の子という。実名は不明。「清少納言」は女房名で、「清」は清原姓、「少納言」は近縁の誰かの官職名と思われる。
北村季吟(国史大辞典・世界大百科事典)
一六二四-一七〇五江戸時代前期の俳人、歌人、古典研究家。名は静厚、通称久助、慮庵・七松子・拾穂・湖月亭などの号がある。寛永元年(一六二四)十二月十一日生まれた。近江野洲郡北村(滋賀県野洲郡野洲町北)出身。祖父宗竜は医学を曲直瀬道三に、連歌を里村紹巴に
平曲(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『平家物語』の詞章を琵琶の伴奏で弾き語りする語物の一種。「平家琵琶」「平語」ともいう。室町時代まで盲人演奏家によって伝承され、江戸時代以降は晴眼者で演奏する者も現れた。 [シルヴァン・ギニアール]歴史と流派。13世紀初めに雅楽・声明・盲僧琵琶の三者を源流として成立。
慈円(国史大辞典・世界大百科事典)
一一五五-一二二五。鎌倉時代前期の天台宗の僧。初名道快、諡慈鎮、無動寺法印・吉水僧正とよばれた。久寿二年(一一五五)四月十五日生まれる。父は関白藤原忠通、母は藤原仲光の女加賀。同母兄に兼実・道円・兼房ら、異母兄に基実・基房・覚忠らがあった。二歳で母に、十歳で父に別れ、権中納言藤原経定の未亡人に養われた。
琵琶法師(改訂新版・世界大百科事典)
琵琶を伴奏にして叙事詩を語った盲目の法師形の芸能者。7世紀末ころに中国より伝来した琵琶は,管絃の合奏に用いられる一方,盲僧と結んで経文や語り物の伴奏楽器とされた。《今昔物語集》には琵琶にすぐれた宇多天皇の皇子敦実親王の雑色蟬丸が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅が3年間通って秘曲を伝授される話を
吉田兼好(国史大辞典)
生没年不詳。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての歌人・随筆家・遁世者。本名、卜部兼好。『尊卑分脈』によれば、卜部家は天児屋根命の子孫で、神祇官として代々朝廷に仕えたが、平安時代中期の兼延の時に、一条院から御名の懐仁の「懐」と通ずる「兼」の字を賜わってからは、それを系字として代々名乗るようになった。
随筆(世界大百科事典)
随筆ずいひつ文芸ジャンルの一つであるが,その内容や表現様式は多様である。心の赴くにまかせて,なにくれとなく筆録されたものであり,文章はおおむね断片的かつ短文で,全体の組織構成,順序次第にはとらわれず,自分の見聞や身辺雑事,感懐や
今川了俊(日本大百科全書(ニッポニカ))
南北朝時代の武将で、歌人としても著名。俗名は貞世、今川範国の子。冷泉為秀に和歌を学び、二条良基に連歌を学ぶ。官位は左京亮を経て伊予守、正五位下。1367年(正平22・貞治6)室町幕府の引付頭人となり、また侍所頭人として山城守護を兼ねた。
難太平記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
応永九年(一四〇二)二月、今川了俊(貞世)の著作。自筆本は知られない。『国書総目録』は十九部の諸本をあげており、承応改元のころの書写にかかる京都大学谷村文庫本が年記のある諸本中最古のもの。述作の根本精神は今川家の顕彰・保持にあり、そのために自分を含めた
本居宣長(世界大百科事典)
本居宣長もとおりのりなが1730-1801(享保15-享和1)江戸中期の国学者。伊勢国松坂に生まれる。旧姓は小津氏,のち先祖の姓に復し本居を称する。幼名を富之助というが,何度か改名している。生家は松坂木綿を手広くあきない,江戸にも出店を
天照大神(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神,大日孁貴,天照大日孁尊などとも呼ばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊との誓約生み,天の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。〈皇祖神〉アマテラス《古事記》によれば
太安麻呂(改訂新版・世界大百科事典)
奈良初期の官人。《古事記》の編纂者。姓は朝臣。安万侶とも記す。壬申の乱に天武天皇側で活躍した武将多品治の子という伝えもある。《続日本紀》によれば,704年(慶雲1)従五位下,711年(和銅4)正五位上,715年(霊亀1)従四位下に叙せられ,翌年氏長となった。没したときには民部卿であった。
国譲り神話(改訂新版・世界大百科事典)
大国主神が葦原中国を天照大神に献上した次第を語る神話。諸々の異伝があるが,《古事記》によると,葦原中津国平定のために高天原からは,はじめに天菩比神(天穂日命)が遣わされるが,オオクニヌシと親しみ3年たっても復命しない。次に天若日子(天稚彦)が遣わされるが,オオクニヌシの娘下照比売と結婚して
恋川春町(国史大辞典・世界大百科事典)
一七四四-八九。江戸時代中・後期の戯作者。駿河小島藩一万石松平家の臣。本名は倉橋格、通称寿平、狂歌名は酒上不埓、寿山人とも号す。筆名は藩邸のある小石川春日町にかけ、また浮世絵師勝川春章の名に似せたものである。延享元年(一七四四)生まれる。二十歳の時に伯父倉橋忠蔵の養嗣子となって
山東京伝(国史大辞典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
一七六一-一八一六 江戸時代後期の戯作者・浮世絵師。本名岩瀬醒、通称京屋伝蔵、別号醒斎・醒世老人・菊亭・菊軒など、画号北尾政演、狂号身軽折輔。宝暦十一年(一七六一)八月十五日江戸深川の質屋伊勢屋伝左衛門の長子として生まれる
宇治大納言物語(国史大辞典)
宇治大納言隆国が書いたと伝えられる散佚した物語。書名や内容の一部分が、中世の諸書に散見するので、そのころまでは伝存されていたのであろう。内容は説話的なもので、宮廷の和歌の話や、仏教説話などをふくんでいたらしい。現存の『今昔物語集』『打聞集』『古本説話集』『宇治拾遺物語』『小世継』などの
覚猷(国史大辞典・世界大百科事典)
一〇五三-一一四〇平安時代後期天台宗の高位の僧で画事にも詳しい。天喜元年(一〇五三)生まれる。父は源隆国で宇治大納言と称し、『宇治大納言物語』の作者。覚猷は宇治大僧正覚円(関白藤原頼通の子)の弟子で、鳥羽の証金剛院(鳥羽殿御堂)に住したため鳥羽僧正と
歌物語(改訂新版・世界大百科事典)
平安中期の物語の一様式をあらわす文学用語。語彙としては二義あり,一つは早く《栄華物語》(〈浅緑〉)にもみえ,歌にまつわる小話の意で,当時〈うたがたり〉と呼ばれた口承説話とほぼ同一内容のものと思われる。二つは近代に入ってからの新しい用法で,《竹取物語》《宇津保物語》などを〈作り物語〉と古くから呼んできたのに対して
紀貫之(改訂新版・世界大百科事典)
平安前期の歌人,文学者,官人。貫之5代の祖,贈右大臣船守は,桓武天皇の革新政策をたすけて平安遷都に力を尽くした偉材であったし,祖父本道の従弟有常は在原業平とともに文徳天皇第1皇子惟喬親王を擁して,北家藤原氏と皇位継承権を争ったほどの輝かしい歴史をもっていた紀氏であったが
大和物語(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典・日本古典文学全集)
平安時代中期の歌物語。作者不明。成立は951年(天暦5)ごろ現存本168段あたりまでほぼ成立、以後『拾遺集』成立(1005ころ~07ころ)ごろまでに169段から173段まで、および他にも部分的な加筆があるらしい。内容は173段にわたる歌語りの集成で
塙忠宝(国史大辞典)
一八〇七-六二。江戸時代末期の和学者。通称次郎、名は瑤、温故堂と号す。保己一の四男として文化四年(一八〇七)十二月八日江戸表六番町に生まれる。文政五年(一八二二)九月父のあとを継いで和学講談所御用掛となり、以後、不慮の死を遂げるまでの四十一年間にわたってその経営を統管し
塙保己一(国史大辞典)
一七四六-一八二一。江戸時代後期の国学者、平曲家。延享三年(一七四六)五月五日武蔵国児玉郡保木野村(埼玉県児玉郡児玉町)の農家荻野宇兵衛の長子として出生。荻野氏は参議小野篁七代の後孫武蔵守孝泰の末裔といい、母きよの生家は同国加美郡藤木戸村(同児玉郡上里町)名主斎藤氏。
在原業平(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
平安初期の歌人。六歌仙,三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。826年,阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに在原の姓が下された。業平は五男の在原であったので在五と呼ばれ,権中将となったため在五中将とも呼ばれた。
応神天皇(改訂新版・世界大百科事典)
第15代に数えられる天皇。仲哀天皇の皇子,母は息長足姫(神功皇后)。諱は誉田別という。ただ《古事記》には,大鞆和気ともあり,胎中天皇とも称された。《日本書紀》によると,仲哀天皇は西征のさなかに没し,皇后が三韓に遠征したさいにはすでに胎内にあり,遠征から帰ったのち,筑紫で生まれたという。
風土記(世界大百科事典・日本古典文学全集)
奈良の地に壮大な都城(平城京)が造営され,大化改新後の地方制度も整備された元明天皇時代に,諸国の国司・郡司を総動員して作成させた郷土誌的文書をいう。中国の制度文物の移植に熱心な時代だから,中国で多く作られた地誌類に範をとったものであろうが,とくに南北中国を統一した隋代に《諸郡物産土俗記》
常陸国風土記(国史大辞典・日本古典文学全集)
和銅六年(七一三)五月の詔制に応じて撰進されたとみられる常陸国の地誌。巻頭に「常陸国司解 申古老相伝旧聞事」とあって、常陸国司から「解」の形式で提出された文書であることが知られる。はじめに常陸国全般にかかる総括的な記事が置かれ、ついで新治・筑波・信太・茨城・行方
tanka【短歌】(Encyclopedia of Japan)
A 31-syllable poem consisting of five lines in the pattern 5−7−5−7−7; the dominant form in classical Japanese poetry (waka) from the 7th century to the present. In the oldest anthology of native poetry, the 8th-century
haiku 【俳句】(Encyclopedia of Japan)
A 17-syllable verse form consisting of three metrical units of 5, 7, and 5 syllables, respectively. One of the most important forms of traditional Japanese poetry, haiku remains popular in modern Japan, and in recent years its popularity has spread to other countries.
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