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今川義元(国史大辞典・世界大百科事典)
一五一九-六〇 戦国時代の武将。治部大輔。父は今川氏親、母は中御門宣胤の女。永正十六年(一五一九)に生まれ、幼時より出家させられ、承芳と称し、駿河国善徳寺にいたが、天文五年(一五三六)家督を相続した兄氏輝が早世すると、兄の玄広恵探と家督を争い、六月十日これを倒して家督を
湯屋(日本大百科全書(ニッポニカ))
もと寺院には浴堂というものがあり、そのほかに大衆用の潔斎浴場として別に設けた建物があって、これを大湯屋と称した。沐浴には、湯気で身体を蒸す蒸し風呂形式と、温湯に身体を浸す行水形式があった。寺院では僧尼の潔斎のため、釜湯を別の湯槽に入れて行水することも早くから行われたが
江戸っ子(改訂新版・世界大百科事典)
都市江戸で生まれ育った,きっすいの江戸の人の意。根生いの江戸住民であることを自負・強調する際に多く用いられた。それも武士ではなく,おもに町人の場合である。江戸っ子は,物事にこだわらず金ばなれがよく,意地と張りを本領とし正義感が強かったが,反面,けんかっ早くて軽率だといわれた。
小豆坂古戦場(日本歴史地名大系)
[現]岡崎市羽根町 小豆坂 羽根地籍東方の丘陵地。松の木立に覆われた起伏の多い一帯が今川義元と織田信秀の軍が激しく戦った小豆坂古戦場である。「信長記」などによると、天文一一年(一五四二)八月、今川義元は駿遠三の兵を率いて、当時織田信秀の支配下にあった安祥城(現安城市)を攻撃し
文禄・慶長の役(国史大辞典)
文禄元年(一五九二)から慶長三年(一五九八)にかけ、豊臣秀吉が明征服をめざして朝鮮に侵略した戦争。この戦争の呼称について、朝鮮では当時の干支をとって「壬辰・丁酉の倭乱」と呼び、明では日本が侵入した明の辺寨(朝鮮)をおさえるという意味で、「万暦朝鮮の役」と呼ぶ
桶狭間の戦(国史大辞典)
永禄三年(一五六〇)五月十九日、織田信長が今川義元を尾張田楽狭間に奇襲し、敗死させた戦い。駿河・遠江の守護大名今川氏は門地・実力および領国の地理的条件から、上洛して将軍を補佐し、実権を握る条件に恵まれていた。義元はまず三河を掌中に収め、ついで領国に分国法を定め、北条氏康と
徳政令(国史大辞典)
すでに締結されている売買・貸借・寄進などの契約について、無条件で、もしくは条件を付して、契約関係の継続、もしくは破棄を宣言する法令。一般には契約関係の破棄宣言のみを意味すると理解されやすいが、当代のさまざまな契約形態に対応して除外規定も少なくない。また、契約の破棄を
遠江国(改訂新版・世界大百科事典)
旧国名。遠州。現在の静岡県西部,大井川以西。東海道に属する上国(《延喜式》)。国名は〈琵琶湖=近ッ淡海〉(近江)に対する〈浜名湖=遠ッ淡海〉(遠江)に由来するとされている。7世紀の中葉,遠淡海,久努,素賀の3国造の支配領域を併せて成立したものと思われる。国郡制に先行する
奈良時代(世界大百科事典)
政権の所在地による日本史の時代区分法によって,710年(和銅3)に平城京へ遷都してから784年(延暦3)に長岡京に遷都するまで,元明,元正,聖武,孝謙,淳仁,称徳(孝謙重祚),光仁の7代の天皇の治世70余年間をいい,ほぼ8世紀の大半がこの時代に相当
飛鳥時代(世界大百科事典・国史大辞典)
政権の所在地による日本史の時代区分法によって,推古天皇が豊浦宮で即位した592年から,710年(和銅3)の平城京遷都までの100余年間をいう。この間,孝徳朝に難波宮,天智朝に近江大津宮へ短期間都が移った以外,推古朝の豊浦宮・小墾田宮(おはりだのみや)
古墳時代(国史大辞典)
弥生時代につづいた一時代について、その文化の代表的徴証である古墳の名を冠した時代区分の名称。古墳は三世紀終末あるいは四世紀の初頭に発達し、飛鳥時代はもとより奈良時代あるいは平安時代の一部にも存続したが、一応飛鳥時代などすでに確立されている時代区分と区別し
弥生時代(国史大辞典)
弥生時代は、一般的には、狩猟採集社会である縄文時代に次ぐ時代、つまり水稲農耕が始まり、金属器をもつようになってから、古墳を標識とする古墳時代に入るまでの間とされている。弥生時代は、前期・中期・後期、または第I~V期に区分されている。かつてこの前期・中期・後期という区分に
縄文時代(国史大辞典)
弥生時代以前の日本列島で土器が出現し使用された時代全体を縄文時代とする広義の見解と、その編年区分のうち最古の細隆線文土器・爪形文土器などが作られ使用された草創期は縄文土器文化以前の土器文化と考え、これを晩期旧石器時代・更新世最終末とする見解とがある。
潜伏キリシタン(国史大辞典)
江戸幕府がキリスト教禁止令を出した慶長十八年(一六一三)から信仰を表明して復活した慶応元年(一八六五)までの約二百五十年間にわたり禁圧・迫害のため潜伏を余儀なくされたキリスト教信徒。宣教師の国外追放後も日本に残留潜伏した一部パードレ、イルマン
沖ノ島祭祀遺跡(日本歴史地名大系)
[現]大島村沖之島 沖ノ島の南部に宗像大社三宮のうち沖津宮がある。沖津宮背後の谷部に山頂などから崩落してきた巨岩が多数あり、そこを中心に祭祀遺跡が形成されている。四世紀後半から九世紀代までの約四〇〇年にわたり国家的な祭祀が行われた。
井伊直政(改訂新版・世界大百科事典)
徳川家康の重臣。幼名万千代。兵部少輔。遠江の名族井伊氏の嫡子として井伊谷に生まれる。父直親の不慮の死のあと流浪し,1575年(天正3)15歳のとき浜松城下で家康の目に留まり取り立てられた。82年弱冠22歳で旗本一手役の長となった。この部署には三河譜代の本多忠勝,榊原康政がおり
井伊直親(日本人名大辞典)
戦国時代の武将。天文(てんぶん)5年生まれ。井伊直満の子。井伊直政の父。今川氏につかえ,桶狭間(おけはざま)の戦いで戦死した従兄(いとこ)井伊直盛の跡をつぎ,遠江(とおとうみ)(静岡県)井伊谷(いいのや)城主となる。謀反の風説がたったため,今川氏真(うじざね)に弁明におもむく途中
今川氏真(国史大辞典・日本人名大辞典・日本大百科全書)
一五三八-一六一四 戦国時代の武将。上総介。天文七年(一五三八)義元の子として生まれる。母は武田信虎の女。永禄元年(一五五八)すでに駿河にその発給文書がみられ、国務の一部を委ねられていたが、同三年父義元の討死により家督を相続した。しかし氏真にとって、桶狭間の敗戦の打撃は
国府・府中・城府・駿府(日本歴史地名大系)
古代に駿河国の国衙が置かれた地。静岡平野の中央、安倍川下流の左岸に位置する。現在の静岡市中心部とされる。古代の駿河国府の比定地については、現在の駿府城跡北方の長谷通の南側あるいは北側、駿府城跡の南東地区(城内中学校・青葉小学校などを含む一帯)、駿府城跡北東の横内・上足洗方面
日本二十六聖人(日本大百科全書(ニッポニカ))
1597年2月5日(慶長元年12月19日)に長崎で豊臣秀吉の命令によって処刑されたカトリックの司祭、修道士、信徒。秀吉は1587年(天正15)に宣教師の国外追放を命じたが、イエズス会員は秀吉の感情を害さぬように慎重に行動したので、事態は穏便に経過していた。
シャビエル(フランシスコ・ザビエル)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五〇六-五二。スペイン人イエズス会士。キリスト教(ローマ=カトリック)を日本に最初に伝えた。古記録には「しびえる」(寛永ころの日繰、祝日表)、「ジャヒエル」(『契利斯督(キリスト)記』)、「サベイリウス」(『西洋紀聞』)と表記され
イエズス会(世界大百科事典・国史大辞典・集英社世界文学大事典)
カトリック教会内の司祭修道会の一つ。16世紀イグナティウス・デ・ロヨラによって創立された。耶蘇会とも書かれ,同会士はジェスイットJesuitとも呼ばれる。イグナティウスはマンレサの神体験後,パリ大学で出会った6人の同志P.ファーブル,ザビエル,D.ライネス,N.ボバディリャ
バテレン 【伴天連・破天連・頗姪連】(日本国語大辞典)
キリスト教が日本に伝来した当時の宣教師・神父に対する呼称。パーテレ。日本に伝来したキリスト教の俗称。また、その宗徒。バテレン宗。*俳諧・信徳十百韻〔1675〕「百姓等国の悪党数千人 伴天連吟味ありぬへら也」*放浪記〔1928〜29〕
キリシタン(世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
ポルトガル語のChristãoの発音がそのまま日本語になり,キリスト教(カトリック)およびその信者を指した。初め幾利紫旦,貴理師端,のち吉利支丹,切支丹,鬼理至端の文字があてられた。伝来15~16世紀にかけ幕あけした大航海時代はイベリア半島の
縄文海進(世界大百科事典・岩波 生物学辞典)
関東平野では縄文時代の貝塚が台地周縁ぞいに,かなり内陸まで分布していることが注目されていて,そのような古海岸線を残した海進は縄文海進とよばれるようになった。ヨーロッパでも〈新石器時代汀線Neolithic beach〉とよばれる同じような海進がみられる。
帰化人(改訂新版・世界大百科事典)
古代に海外から渡来して日本に住みついた人々,およびその子孫。平安時代以降もたえず少数の来住者があり,また近代には外国人が日本の国籍を取得することを法律上やはり帰化といっているが,来住者の数が多く,しかもそれが社会・文化の発展のうえでとくに大きな意味をもったのは
三角縁神獣鏡(改訂新版・世界大百科事典)
神像と獣形とを組み合わせて内区の図文を構成する神獣鏡のうちで,鏡縁を厚く作ったために,縁の断面が三角形になっている鏡。ほとんどは直径23cm前後の大型鏡であって,同笵鏡が多いことも他の神獣鏡とは異なる。ほとんどは直径23cm前後の大型鏡であって
仿製鏡(改訂新版・世界大百科事典)
語意では模倣製作した鏡のことであるが,普通は中国鏡をその周辺地域において模倣製作した鏡をさす。この種の仿製鏡とされるものは,中央アジアやインドシナ,さらに朝鮮半島にもあるが,日本列島における製品が質量ともに顕著で,早くから研究対象となり,仿製鏡の名も
古墳文化(世界大百科事典・国史大辞典)
古墳時代は弥生時代に継続する時代である。弥生時代に始まった農耕生活は,比較的はやく,日本の大部分の地域にひろがっていったが,さらに鍬,鎌などの農具に鉄の刃先を使用するようになるまでには,若干の年月が経過した。やがて鉄器の普及などによって耕地の拡張がさかんになり
飛鳥文化(国史大辞典)
文化史上、七世紀前半の推古朝を中心とする時期の文化をいう。七世紀後半の白鳳文化に先行する。朝鮮を経由して南北朝文化の積極的受容の行われたところに、先行および後続する時期の文化と異なる最大の特色が見出されるので、大陸文化との関連からまず見て行くこととする。
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