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万聖節(改訂新版・世界大百科事典)
キリスト教のすべての聖人を記念する祝日。カトリック教会では〈諸聖人の祝日〉と呼ぶ。また一般にハローマスHallowmas(hallowはアングロ・サクソン語で〈聖人〉の意)とも呼ばれる。西方教会では11月1日,東方教会では聖霊降臨祭後の最初の日曜日に祝う。この祝日は4世紀に東方教会で始まり,しだいに西欧に伝わったが
クリスマス(改訂新版・世界大百科事典)
イエス・キリストの降誕記念日。クリスマスは英語でキリストChristのミサmassの意味。〈Xmas〉と書く場合のXは,ギリシア語のキリスト(クリストス)ΧΡΙΣΤΟΣの第1字を用いた書き方である。フランスではノエルNoël,イタリアではナターレNatale,ドイツではワイナハテンWeihnachtenという。また,12月25日を
復活祭(改訂新版 世界大百科事典・日本大百科全書)
典礼暦年と移動祝祭日の中心をなすキリスト教の教会暦における最大の祭日。英語ではイースターといい,これは春の女神(元来は夜明けの女神)を意味するチュートン語に由来するといわれる。復活祭から聖霊降臨祭までの期間を復活節と呼ぶが,とくに復活徹夜祭をもって盛大に祝う。
聖霊降臨祭(改訂新版・世界大百科事典)
キリスト教の教会暦で復活祭に次ぐ祭日の一つ。聖霊降臨のできごとは,キリストの復活のできごとから50日目,旧約の五旬祭の日に起こったので,キリスト者にとってこのできごとを記念する日が聖霊降臨祭となった。《使徒行伝》の第2章にも書かれているように,この日使徒の説教によって,多くの人が洗礼を受け
ワイマール憲法(世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
第1次大戦後のドイツ革命によってドイツ帝政は崩壊し,それに代わっていわゆるワイマール共和国が成立した。1919年1月19日の総選挙によって選ばれた国民議会が,2月6日チューリンゲンの小都市ワイマールに新しい憲法の制定を主要任務として召集され,7月31日にドイツ共和国憲法Reichsverfassungを可決した。
違憲立法審査制度(改訂新版・世界大百科事典)
立法行為をはじめとする国家の諸機関の行為について,それが憲法に適合するか否かを審査し,違憲の場合にはその行為を無効と宣言する権限を裁判所に与える制度。司法審査制とか法令審査制ともいう。国家の最高法規である憲法が国家機関によって侵害されるのを防ぐために設けられる憲法保障の制度の一つであり
キューバ革命(改訂新版・世界大百科事典)
フィデル・カストロの指導のもとにキューバで行われた,ラテン・アメリカにおける最初の社会主義革命。反乱の開始〈すべてはモンカダから始まった〉といわれるように,キューバ革命は,1953年7月26日,カストロが率いる反乱グループが東部オリエンテ州のサンチアゴ・デ・クーバ郊外にあるモンカダ兵営を襲撃
Confucianism 【儒教】(Encyclopedia of Japan)
Tradition of Chinese origin said to have been known in Japan since the 5th century. Confucianism has religious aspects but is mainly a philosophical, ethical, and political teaching. In Japan it assumed particular importance during the 6th to 9th centuries and from the Edo period (1600−1868)
中京区(京都市)(日本歴史地名大系)
面積:一二三・三二平方キロ 京都市の中央部に位置し、北は丸太町通北及び二条城北側を回って千本通西側を境として上京区に接し、東は鴨川を境に東山区及び左京区に、南は四条通北及び大宮通以西では松原通を境に下京区に、西は北側が西小路通西、南側が西大路通東を境に右京区に接する。
大東町(静岡県小笠郡)(日本歴史地名大系)
面積:四五・九九平方キロ 小笠郡の西部にあり、南は遠州灘に面し、北は掛川市・袋井市、西は大須賀町、北東は菊川町、東は小笠町・浜岡町に接する。町の北西は小笠山丘陵、北東は牧之原台地丘陵部の一部から構成され、海岸部は天竜川の運んだ砂が堆積して砂丘地帯を形成している。
浜松市(静岡県)(日本歴史地名大系)
面積:二五六・七四平方キロ 県西部、遠州灘に面する。東は天竜川を挟み磐田郡竜洋町・豊田町、磐田市、北は浜北市、引佐郡引佐町・細江町、西は浜名郡雄踏町・舞阪町に接するほか、浜名湖に面する。市域西部から北部には洪積台地の三方原台地が広がる。南部は遠州灘に臨む海岸平野で
鳳来町(日本歴史地名大系)
面積:二六五・五五平方キロ 県の東部に位置し、北は北設楽郡設楽町・東栄町、東は静岡県磐田郡佐久間町・天竜市・引佐郡引佐町、南は引佐郡三ヶ日町、新城市、西は作手村に接する。町の東部、静岡県との境は、赤石山脈の支脈の弓張山脈で、西には木曾山脈の末端が連なる。町のほぼ中央の
鞍馬の火祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市左京区鞍馬寺の鎮守社由岐(ゆき)神社の祭礼であり、毎年10月22日の夜に行われる。鞍馬寺の参道の中央数か所にマツ・モミの根を束ねた大松明(たいまつ)を立て、各戸の前に大篝火(かがりび)を焚(た)き、青少年が向こう鉢巻の晴れ姿で、柴(しば)を束ねた1.5メートルほどの
神嘗祭(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
「しんじょうさい」「かんにえのまつり」ともいう。毎年10月15~17日に行われる、伊勢(いせ)神宮の年中行事きっての大祭。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天上の高天原(たかまがはら)において、新嘗を食したとの神話に由来し、その年に収穫した新穀を由貴(ゆき)
園韓神祭(改訂新版・世界大百科事典)
平安京宮内省内にまつられていた園神と韓神との祭り。園・韓神は平安京造営以前よりこの地にあり,帝王を守らんとの神託により他所に移さずにまつられた。《延喜式》神名帳には〈宮内省に坐(いま)す神三座〉として,〈園神社 韓神社二座〉とあり
春日祭(世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
〈かすがまつり〉ともいう。奈良市春日野町に鎮座する春日大社の例祭。賀茂祭(葵(あおい)祭),石清水(いわしみず)祭と並ぶ三大勅祭の一つ。起源については諸説あるが,850年(嘉祥3)を創始の時期とする説が有力である。古くは毎年旧暦の2月と11月の上申の日に行われ
御柱祭(世界大百科事典・国史大辞典)
長野県の諏訪大社において7年目ごと(申と寅年)の春に行われる式年大祭。地元では単に〈おんばしら〉といい,また〈みはしらさい〉とも呼ぶ。諏訪大社は上社の前宮と本宮,下社の春宮と秋宮のあわせて4宮からなり,それぞれの社殿四隅に山中から氏子が引き出してきた巨大な自然木
神御衣祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
伊勢(いせ)神宮で天照大御神(あまてらすおおみかみ)に絹(和妙(にぎたえ))と麻(あさ)(荒妙(あらたえ))を、毎年5月・10月の14日に奉る祭典で、皇大(こうたい)神宮(内宮(ないくう))と荒祭宮(あらまつりのみや)に限って行われる。
大忌祭(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
律令時代の宮廷の四時祭(しじさい)の一つで,大和国広瀬神社(奈良県北葛城郡河合町)でおこなわれた神事。広瀬大忌祭ともいう。神祇令の規定では,竜田大社の風神祭と並んで4月,7月の4日に小祀として営まれた。
海神祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
鹿児島県奄美(あまみ)諸島与論島、沖縄県国頭(くにがみ)郡一帯、島尻(しまじり)郡伊平屋(いへや)諸島などで行われる村の行事。地元では海神(うみがみ)(ウンガミ、ウンジャミなど)という。『琉球国(りゅうきゅうこく)由来記』(1713)には「海神折目(うみがみおりめ)」
牛祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市右京区太秦(うずまさ)の広隆寺境内にある大避(おおさけ)神社の奇祭。10月(もとは旧暦9月)12日夜、神灯、囃子方(はやしかた)、松明(たいまつ)を先頭に、特異な面をつけた摩多羅神(またらじん)(インド伝来の神)が牛に乗って四天王(白装束の赤鬼、青鬼)
稲荷祭(国史大辞典)
京都市伏見稲荷大社の祭礼。古くは四月上卯日(三卯あれば中卯日)を式日とした。この祭礼は、まず三月中午日の御輿迎の儀に始まる(これを渡御祭または御出という)。当日は神璽を神輿に遷し、旅所に渡御があり、駐ること二十日で、上述の四月上卯日に還幸があって祭典が行われる。
鎮魂祭(国史大辞典)
古代宮廷祭祀の一つ。鎮魂の和訓は「みたまふり」または「みたましずめ」。その意義については諸説あるが、一般に天皇の魂を体内に安鎮せしめ、健康を祈る呪法と考えられている。『日本書紀』の天武紀が初見であるが、神祇令にも規定され、律令時代には十一月下の寅(または中の寅)の日
大殿祭(国史大辞典・日本国語大辞典)
宮廷殿舎の災害を予防し平安を祈願する宮中祭儀。『延喜式』宮内省・四時祭上ならびに祝詞に詳しい。屋船久久遅・屋船豊宇気姫・大宮売の三神を祭る。恒例には神今食・新嘗祭・大嘗祭の前後に行われ、臨時には宮殿の新築・移居や斎宮・斎王の卜定ののち行われた
御田植祭(国史大辞典)
神社の御供田などを植えるとき行う祭儀。古来の大社にはこの神事を伝承する所が少なくない。三重県志摩郡磯部町の伊雑宮の御田植オミタは六月二十四日、これより早く五月末から伊勢内外両宮と猿田彦神社でも御田植祭が営まれる。大阪市の住吉大社で六月十四日、京都市の稲荷大社は同十六日
御頭祭(国史大辞典)
長野県諏訪大社上社の四月十五日(例祭)の神事。古くは年中七十二度の神事中最も重んじられ、正月の頭郷御占・御符渡・境注連などの神事を経て四月に至るものであった。頭郷といって諏訪郡内十六ヵ村が定められており、輪番で少年一人を出させこれを神使とし、例祭前三十日間潔斎させた。
往生要集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の仏教書。天台宗の僧源信(恵心僧都)の著。43歳の984年(永観2)11月から書き始め、翌年4月に完成したもので、3巻10章からなる。濁世末代の人にとって極楽に往生する道を示す教えこそもっともふさわしいものであるという信念から、そのために必要な念仏について経典や論疏
神在祭(国史大辞典)
出雲大社・佐太神社などで行われる神事。「じんざいさい」ともいう。元来十月はことに祭りの賑々しく執り行われる月で、「かみ(神)のつき(月)」といったが、のちに「かんな(し)づき(神無月)」と訓むようになると、この月には諸国の神々がその地を離れて出雲国につどい
賀茂祭(国史大辞典)
京都の賀茂別雷神社(上社)・賀茂御祖神社(下社)の例祭。葵祭。また石清水八幡宮の祭(南祭)に対して北祭ともいった。古代には単に祭といえばこの祭を指した。社伝によれば欽明朝、気候不順、天下凶作のため卜部伊吉若日子をして占わしめたところ、賀茂神の祟とわかったので神託により
賀茂臨時祭(国史大辞典)
京都の上・下賀茂社の祭。宇多天皇が即位前の元慶六年(八八二)狩猟の際、冬祭を行うべき託宣をうけ、寛平元年(八八九)十一月二十一日にはじめて藤原時平を勅使として臨時祭を行い、以後毎年十一月の下の酉の日に行われた。応仁の乱後中絶し、近世に入って文化十一年(一八一四)
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