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  11. 談山神社

談山神社

ジャパンナレッジで閲覧できる『談山神社』の日本歴史地名大系・世界大百科事典のサンプルページ

日本歴史地名大系
談山神社
たんざんじんじや

[現]桜井市大字多武峰

多武峯とうのみね御破裂ごはれつ山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠たいしよつかん社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽みようらく寺と聖霊しようりよう院の対立を防ぐために、延長四年(九二六)に天神地祇・八百万神を奉斎し、鎌足神像を合祀した惣社が建立され、談峰権現の賜号を受けたことに始まり、後花園上皇の時には談山大明神の神号を得、正一位勲一等に叙せられたという。多武峯一山内では仏教的信仰と神道的信仰とが混在していたが、江戸時代には神道勢力が強まり、明治維新後の神仏分離に際して仏教色を除き、明治二年(一八六九)六月三〇日の大祓の日をもって談山神社となり、多武峯寺の諸堂宇のうち聖霊院を神社本殿、護国ごこく院を拝殿とし、十三重塔婆は神廟とよばれ、講堂がその拝所となった。また常行三昧堂をかり殿、護摩堂を祓殿、如法堂を摂社東殿とした。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔塔婆〕

国指定重要文化財。三間一三重の塔婆で檜皮葺。棟札によれば享禄五年(一五三二)の再建で、寛永一八年(一六四一)に大修理が行われた。二重の基壇に立つ塔の初重の屋根は他の層に比してかなり高さもあり、とくに大きく造られている。他の層は屋根を積重ねたように相接し、頂には青銅の七輪の相輪を載せる。木造十三重塔では唯一の遺品で、塔内には文殊菩薩像が安置されていた。現在は神廟とよばれている。

〔神〓拝所〕

旧多武峯寺講堂。国指定重要文化財。桁行五間・梁間四間、一重・入母屋造、背面下屋付属で檜皮葺。十三重塔婆の拝所。棟札によれば現在の建物は寛文八年(一六六八)の建立。内部には低い須弥壇があり、来迎壁を設け、格天井になっている。講堂に安置されていた釈迦三尊像は桜井市の安倍文殊あべもんじゆ院に現存。なお拝所の位置は定慧(開基)が創建して妙楽寺と号した三間四面の堂のあった所である。

〔本殿〕

旧多武峯寺聖霊院。三間社隅木入春日造で檜皮葺。付属の瑞垣一棟は折曲り延長二五間、門一所付。他に彩色雛形七枚、漆塗手板八枚があり、いずれも国指定重要文化財。外部は朱塗の上に飾金具を付け、極彩色の文様を施すが、内部は素木造。棟札によれば嘉永三年(一八五〇)に大改修が加えられた。中央に藤原鎌足木像(大織冠神像)、左に定慧、右に藤原不比等を祀る。

〔権殿〕

旧多武峯寺常行三昧堂。国指定重要文化財。桁行五間・梁間五間、一重・入母屋造・正面向拝付で檜皮葺。旧内陣の須弥壇にはかつて阿弥陀五尊が安置されていた。永正三年(一五〇六)の焼失後に再建されたもので、室町末期の様式をもつが、江戸時代に完成したもので、須弥壇の擬宝珠に元和五年(一六一九)の銘がある。現在は本殿修理の際に神像を奉安する仮本殿として使われる。

〔拝殿〕

旧多武峯寺護国院。国指定重要文化財。永正一七年に建てられ、寛文八年に再建。拝殿から本殿へ至る東透廊・西透廊のほか楼門・東宝庫・西宝庫があり、いずれも国指定重要文化財。

〔摂社東殿〕

旧多武峯寺如法堂(別名本願堂・定慧堂)。国指定重要文化財。三間社隅木入春日造で檜皮葺。かつては如意輪観音を安置し、定慧を祀っていた。嘉永三年に大修理が行われ、明治維新後に不比等を合祀。

〓伽井屋〕

国指定重要文化財。桁行一間・梁間一間、一重・入母屋造で柿葺。内部に石組みの井戸があり石敷。昭和五三年(一九七八)の解体修理で元和年間の造営時の姿に復原された。

〔末社惣社本殿・拝殿〕

本殿は三間社隅木入春日造で銅板葺。付属の瑞垣は折曲り延長一七間、門一所付。拝殿は桁行一間・梁間三間、一重・入母屋造・妻入、前後軒唐破風付で銅板葺。左右の突出部は各桁行二間、梁間二間、一重・両端入母屋造で銅板葺。以上いずれも国指定重要文化財。

〔末社比叡神社本殿〕

一間社流造、正面千鳥破風および軒唐破風付で檜皮葺。寛文八年の再興棟札一枚、嘉永三年の修理棟札三枚とともに国指定重要文化財。

〔町石・摩尼輪塔〕

多武峯寺への表参道にあたる東路は「多武峯略記」に「東椋橋五十二町、率都婆有五十二位名」とみえるが、石造一ノ鳥居(県指定文化財)のある上之宮うえのみやに「信心位初町」があり、五二基中の三一基が現存している。いずれも承応三年(一六五四)中之なかの坊の祐英法眼が造立したもので、多武峯町石として県指定文化財。五二町石は「妙覚位五十二町」と刻まれ、その傍らに国指定重要文化財の石造摩尼輪塔が立っている。花崗岩製で高さ三一五センチ。塔身は八角形で、乾元二年(一三〇三)五月造立の銘がある。また本殿への参道に高さ二五五センチの花崗岩製石灯籠があり、国指定重要文化財で、元徳三年(一三三一)二月の銘がある。東大門(県指定文化財)は享保三年(一七一八)の造立で、手前左手に「女人堂道」の石標があり、山内が女人禁制であったことが知られる。

〔その他の宝物〕

以上のほかにも数多くの宝物があり、絹本著色大威徳明王像、紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図、応安七年(一三七四)備州長船義景銘の脇差、来国俊銘の短刀、成縄銘の短刀、吉平銘の太刀、備中国住平忠(以下切)銘の短刀、一銘の薙刀、金沃懸地平文太刀、談山神社本殿造営図並所用具図(附朱漆机一基)は国指定重要文化財。また旧粟原おうばら(現桜井市)の三重塔伏鉢は和銅八年(七一五)四月の銘があり、国宝。増賀そうが堂の梵鐘(県指定文化財)は、銘文から元亨三年(一三二三)山城新熊野大聖いまくまのだいせい(現京都市東山区)の鐘として鋳造されたことが知られる。また室町時代から江戸時代に至る三千点近くにのぼる談山神社文書(県指定文化財)を所蔵する。



改訂新版・世界大百科事典
談山神社
たんざんじんじや

奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座。藤原鎌足をまつる。大織冠(たいしよくかん)社,多武峯社ともいった。669年(天智8)没した鎌足は摂津国阿(安)威山(現,大阪府茨木市)に葬られたが,入唐中の長男定慧(恵)が帰朝後,弟の不比等と相談して多武峰に改葬,十三重塔を建てた。ついで堂を建て妙楽寺と称したのを草創とし,701年(大宝1)近江の彫匠高男丸の造った鎌足の木像を安置する殿舎を建て,聖霊院と号し,両者を多武峯寺と総称した。以後藤原氏一門のみならず朝野の崇敬をうけたが,妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐため,926年(延長4)醍醐天皇より談峰権現の神号を,のち後花園天皇より談山明神の神号を賜った。当社の神威として,神像破裂,山上鳴動のことがある。すなわち,天下に事がおころうとするとき,鎌足の神像が破裂し,山上が鳴動,898年(昌泰1)より1607年(慶長12)までに37度それがあったとするが,そのつど,朝廷より勅使が遣わされて奉幣,祈謝し,それにより神像は復旧,事なきを得たと伝える。947年(天暦1)実性が多武峯座主となってより延暦寺との関係が深くなり,大きな勢力をもったため興福寺などと対立した。また兵火による全山焼失などのこともあったが,近世には3000石の朱印寺領を有し,多くの堂坊を擁して栄えた。1869年(明治2)神仏分離により衆徒は復餝還俗,堂舎のうち聖霊院を本殿,護国院を拝殿として談山神社となった。旧別格官幣社。11月17日の例祭のほか,10月11日嘉吉祭などがあり,建造物,宝物等に往時をしのばせる。
→多武峰
[鎌田 純一]

建造物

境内東部に南面して立つ本殿,その前方にたつ懸造(かけづくり)の拝殿,これらを囲む透廊(すきろう)や楼門,近くにたつ宝殿などを中心とした一郭がある。現在の姿は江戸時代初期の1619年(元和5)の造替によるものである。ただ,本殿はその後に数回造替され,現在のものは1850年(嘉永3)建立の三間社隅木入り春日造。これまでに造替された旧本殿のうち1619年,1668年(寛文8)のものが,移築されて摂社として境内に鎮座する。本殿を中心とした社殿の西に,檜皮葺き朱塗の木造十三重塔(神廟,1532),権殿(かりどの)(旧常行堂,室町後期),神廟拝所(旧講堂,1668),閼伽井屋(江戸前期)などがたつ。なおこの神社には,1566年(永禄9)の本殿の平面,断面や調度の図面が保存されており,この種の本格的な図面では最も古い。
[宮沢 智士]

[索引語]
大織冠(たいしよくかん)社 多武峯社 妙楽寺 多武峯寺
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41. おかざきむら【岡崎村】奈良県:大和高田市
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43. おばらでらふくばちめい【粟原寺伏鉢銘】 : 粟原寺
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44. かきつさい【嘉吉祭】
国史大辞典
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45. かさまのしょう【笠間庄】奈良県:宇陀郡/榛原町/笠間村
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46. かしはらし【橿原市】奈良県
日本歴史地名大系
竹内文平氏蔵文書 佐位庄 常盤町等 弘福寺 天理図書館蔵文書 忌部庄 忌部町 多武峯寺 談山神社文書 膳夫庄 膳夫町 同上 同上 小垣内庄 十市町か 興 ...
47. かしわででらあと【膳夫寺跡】奈良県:橿原市/鴨公・香久山地区/膳夫村
日本歴史地名大系
とみられ、白鳳の古瓦と柱座のある礎石が出土している。永正一二年(一五一五)八月の膳夫荘差図(談山神社蔵)には「膳夫寺」の文字がみえ、付近にカハラカマ、カウタウ、 ...
48. かしわでのしょう【膳夫庄】奈良県:橿原市/鴨公・香久山地区/膳夫村
日本歴史地名大系
多武峯寺領荘園である。護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)の永正一六年(一五一九)「己卯諸郷反銭納分」に五十貫六百卅二文上 膳夫庄、六十四貫八百卅二文之内一貫 ...
49. かしわでのしょう【膳夫荘】
国史大辞典
同氏は膳夫(膳部)を率いて供御を掌った。荘成立年代は不明であるが、中世は同国百済・忌部・箸喰の諸荘とともに談山神社領に属した。永正十二年(一五一五)の『膳夫庄差 ...
50. かしわでむら【膳夫村】奈良県:橿原市/鴨公・香久山地区
日本歴史地名大系
一に柏手とも書く(三箇院家抄)。「国民郷士記」に「十市郡膳夫正斎、孝元天皇々子大彦命ノ後(下略)」とある。談山神社所蔵の永正一二年(一五一五)膳夫庄差図によると ...
「談山神社」の情報だけではなく、「談山神社」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
厳島神社(改訂新版・世界大百科事典)
広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県廿日市市,旧宮島町)に鎮座。市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命をまつる。旧官幣中社。祭神〈伊都岐島神〉は,811年(弘仁2)名神に列し四時幣に預かり,神階は867年(貞観9)従四位上に昇叙。《延喜式》で名神大社に列し,のち安芸国の一宮となる。平安時代末
出雲大社(改訂新版・世界大百科事典)
島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。
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浜松城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
静岡県浜松市元城町にあった城。平山城。三方原洪積台地の最東南端に徳川家康が築城し、浜松城と称え、この地を引馬から浜松に改称した。引馬旧城主飯尾連竜は今川氏真に謀殺され、その留守を預かる老臣間の内紛を平定した家康が、元亀元年(一五七〇)、遠江経営と武田
鶴岡八幡宮(国史大辞典・日本歴史地名大系)
神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座。旧国幣中社。源氏の氏神であり、鎌倉の町の中心として存在してきた社で、明治の神仏分離までは鶴岡八幡新宮若宮(いまみやわかみや)・鶴岡八幡宮寺とも称した。大分県の宇佐、京都府の石清水(いわしみず)両宮とともに全国の八幡宮を代表
恭仁京(世界大百科事典・日本大百科全)
奈良時代中ごろの都城。現在の京都府南部の木津川市に営まれた。740年(天平12),九州で藤原広嗣の乱が起こったのを契機に平城京を離れた聖武天皇は,伊勢,美濃,近江をめぐった後,12月15日山背国南端の久仁郷の地に至り恭仁京の造営に着手した。翌年11月
遷宮(国史大辞典・世界大百科事典)
神社で、一定の年数を定めて、新殿を造営し、旧殿の御神体をここに遷すこと。そしてこの新殿の造営を式年造営といい、また仮殿遷宮と対称して正遷宮とも称せられる。伊勢神宮の例が著明である。伊勢神宮に式年遷宮の制が立てられた年次については
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
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