NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 遺跡
  8. >
  9. 寺・神社・教会
  10. >
  11. 香取神宮

香取神宮

ジャパンナレッジで閲覧できる『香取神宮』の国史大辞典のサンプルページ

香取神宮
かとりじんぐう
千葉県佐原市香取に鎮座。旧官幣大社。下総国の一宮。祭神は経津主(ふつぬし)神。古代の地形では東国の東端、大河の河口に近く、湖と入江が多く、しかも大洋に臨む地にあって、鹿島とならんで大和朝廷が早くから深い関係を持った神社である。カトリの名義は、『日本書紀』神代天孫降臨章第二の一書に「此神今在〓乎東国〓(かとり)之地〓也」というように、カジトリのつまった語で、船の航行を掌るところにあったろう。祭神の名フツヌシとは、『古事記』神武天皇段の東征記事に出る布都御魂(ふつのみたま、紀には「〓霊」)と同じく、刀剣の鋭い霊威を示す語で、この神は、『日本書紀』において、大和朝廷の国土経略に大功のあった武神として説かれている。奈良時代に至り、中央の権力に座を占めた藤原氏は、皇基の確立に大功のあったこの神の霊威を以て氏の権威を説明すべく、氏神の社を平城京の一角に建立して鹿島・香取の神を勧請し、第一殿・第二殿に奉祀して国家的礼遇を以て奉ずるに至った。すなわち春日神社である。宝亀八年(七七七)藤原良継が病むに及んで、藤原氏の氏神たる香取神を正四位上に叙し(『続日本紀』)、承和三年(八三六)に伊波比主(いわいぬし)神(経津主神の別名)を正二位に叙したとあるのは(『続日本後紀』)、いずれも当社のことである。承和六年従一位に叙せられる(同)。『三代実録』元慶六年(八八二)十二月九日条に「正一位勲一等香取神社」とあるのは、さきに嘉祥三年(八五〇)春日の伊波比主神を正一位に陞せたとき、香取神も同時に陞階したとみなされたのであろう。当社は『延喜式』神名帳に「香取神宮(名神大、月次、新嘗)」と記され、鹿島神宮とならんで、二十年ごとに造営の行われる定めであった。香取郡を神郡としていたので封戸の収入も多く(『新抄格勅符抄』の大同元年(八〇六)牒に七十戸)、元慶六年の式年造営には神税五千八百五十五把余を雑舎の分に宛てた(『三代実録』)。収入が多いので神職たらんとする者に競望多く、承和三年には鹿島社の禰宜と同じく当社の禰宜も遷代相続して把笏することが定められた。藤原氏の支持は長い間続き、長暦元年(一〇三七)関白藤原頼通は中宮御祈のため封戸十五烟を寄せ(『行親記』)、これを含めて寛仁四年(一〇二〇)から治暦三年(一〇六七)までの間に計三十戸が寄せられている。宮司家は古く香取連であったというが、平安時代中期に大中臣氏から補するようになった。この任命は藤原氏氏長者としての摂関家から出され、これは神領の本家としての地位を兼ねていた。康治元年(一一四二)摂政藤原忠通は、この宮司に、鹿島大宮司中臣則良の弟助重を任命したので、従来宮司であった大中臣氏と対立するようになり、摂関家の内部対立がこれにからみ、長期にわたる神職団の内訌が続いた。ひいては宮司家対大禰宜家という争いにもなったが、室町時代初期における大禰宜大中臣長房の支配権確立により終熄した。天正十九年(一五九一)十一月徳川家康は社領千石の朱印を与え、ついで秀忠は慶長十二年(一六〇七)に大造営を行なった。今の社殿は元禄十三年(一七〇〇)のもので、本殿は重要文化財に指定されている。宝物に海獣葡萄鏡(国宝)その他がある。例祭は四月十四日、ほかに御田植祭(四月)、大饗祭(十一月)、式年神幸祭(軍神祭、十二年に一度)などが有名である。なお下総国内には当社の分祀ともいうべき多数の香取神社が分布する。
[参考文献]
香取神宮社務所編『香取群書集成』、丸山二郎「中臣氏と鹿島香取の神」(『日本古代史研究』所収)、萩原竜夫「香取大宮司系図」(『群書解題』三中所収)、同「香取大禰宜系図」(同所収)
(萩原 竜夫)

社領

社領の源流としては、『延喜式』式部省上に下総国香取郡(『和名類聚抄』によると六ヵ郷、ほぼ現在の千葉県佐原市・大栄町・神崎町・下総町の範囲)が神郡とみえ、また大同元年(八〇六)牒(『新抄格勅符抄』)に神封七十戸とあり、十一世紀の記録類に藤原氏からの神封寄進のことが数例みえる。十二世紀になると有力神官大禰宜・大宮司の指導による開墾が行われ、次第に「香取十二郷」といわれる村々が成立した。十三世紀末の『田数目録』『麦畠検注取帳』によると、その総田数は三百町に近く、検注対象となる麦畠も百町を超えている。このほか中世の社領としては、末社の大戸・神崎両社や散在神田があるほか、養和元年(一一八一)に源頼朝が下福田郷を、文和元年(一三五二)に足利尊氏が戸頭郷を寄進しており、また十四世紀の史料には戸崎・大堺・行徳・猿俣などの関務や、下総・常陸両国数十ヵ所の津の海夫役がみえている。しかし一方では千葉氏をはじめとする武士の侵害や神官の内部抗争もあり、神領の三分の二が地頭に押領されたという史料もみえる。またこれに対する社家の訴訟も活発に行われ、応安七年(一三七四)の鎌倉府への神輿動座はその典型的なものであった。これを終えた十四世紀末の大禰宜大中臣長房の時期が神宮領の最盛期といえよう(付表はこの長房の譲状を基礎としている)。江戸時代の神宮領としては、香取社九百石、大戸社百石、神宮寺金剛宝寺二十石などの朱印地が史料にみえている。
[参考文献]
色川三中編『香取文書纂』、『千葉県史料』中世篇香取文書、木村礎・高島緑雄編『耕地と集落の歴史―香取社領村落の中世と近世―』、西岡虎之助「坂東八カ国における武士領荘園の発達」(『荘園史の研究』下一所収)、福田豊彦「封建的領主制形成の一過程―下総国香取社の場合―」(安田元久編『日本封建制成立の諸前提』所収)
(福田 豊彦)
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


香取神宮の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 270
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 香取神宮
日本大百科全書
千葉県香取(かとり)市香取に鎮座。経津主大神(ふつぬしのおおかみ)(またの名、伊波比主命(いわいぬしのみこと))を祀(まつ)る。経津主大神は、天照大神(あまてら ...
2. 香取神宮[百科マルチメディア]
日本大百科全書
経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祭神とする下総国(しもうさのくに)一宮(いちのみや)。神武天皇(じんむてんのう)即位ののち、現在地に奉斎されたと伝える。写真の ...
3. 香取神宮
世界大百科事典
千葉県香取市に鎮座。経津主(ふつぬし)神(またの名,伊波比主(いわいぬし)命)を主祭神とし,比売(ひめ)神,武甕槌(たけみかづち)神,天児屋(あめのこやね)命を ...
4. かとり‐じんぐう【香取神宮】地図
デジタル大辞泉
千葉県香取市にある神社。旧官幣大社。祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)(別名、伊波比主命(いわいぬしのみこと))。古来、鹿島神宮とともに軍神として尊崇されてきた。 ...
5. かとり‐じんぐう【香取神宮】
日本国語大辞典
千葉県佐原市香取にある神社。旧官幣大社。祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)。神武天皇の時の創建と伝えられる。古くから鹿島神宮とともに武神としてあがめられた。藤原氏 ...
6. かとりじんぐう【香取神宮】
国史大辞典
正一位に陞せたとき、香取神も同時に陞階したとみなされたのであろう。当社は『延喜式』神名帳に「香取神宮(名神大、月次、新嘗)」と記され、鹿島神宮とならんで、二十年 ...
7. かとりじんぐう【香取神宮】千葉県:佐原市/香取村地図
日本歴史地名大系
および双竜鏡とともに国指定重要文化財。隋時代の作という海獣葡萄鏡は国宝。香取神宮古神宝類は県指定文化財。境内の香取神宮の森は県指定天然記念物。〔祭礼〕神事祭礼は ...
8. 香取神宮(かとりじんぐう)【篇】
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 512ページ ...
9. 香取神宮
デジタル大辞泉プラス
千葉県香取市にある神社。初代神武天皇の御代の創祀とされる。祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。香取神社の総本社。茨城県にある鹿島神宮、息栖神社とあわせて「東 ...
10. 香取神宮七橋 (見出し語:香取神宮【篇】)
古事類苑
地部 洋巻 第3巻 197ページ ...
11. 香取神宮氏人 (見出し語:香取神宮【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 681ページ ...
12. 香取神宮神宮寺 (見出し語:香取神宮【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 1725ページ ...
13. 香取神宮拝殿[百科マルチメディア]
日本大百科全書
古くから中臣(なかとみ)氏、藤原氏、源頼朝(よりとも)らが崇敬、江戸時代には武神として幕府の保護を得た。現在も家内安全、海上守護、心願成就、縁結び、安産の神とし ...
14. かとりじんぐうもんじょ【香取神宮文書】
国史大辞典
下総国香取神宮(千葉県佐原市)の神庫所蔵文書および大禰宜・大宮司・録司代をはじめ諸神官家、神宮寺所蔵の古文書類。江戸時代の貞享年中(一六八四―八八)に徳川光圀 ...
15. 香取神宮龜卜 (見出し語:龜卜【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 526ページ ...
16. 香取神宮遷宮 (見出し語:遷宮)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 516ページ ...
17. 香取神宮御田植神事 (見出し語:田植神事)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 528ページ ...
18. 香取神宮神幸神事 (見出し語:神幸)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 528ページ ...
19. 大御田祭(おおみたまつり)[香取神宮]
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 528ページ ...
20. 十三、四世紀の香取神宮領一覧[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
21. 配祀武甕槌命於香取神宮 (見出し語:武甕槌命)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 512ページ ...
22. 配祀姫大神於香取神宮 (見出し語:比賣大神)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 512ページ ...
23. 祀經津主神於香取神宮 (見出し語:經津主神)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 512ページ ...
24. 祀經津主神於香取神宮 (見出し語:經津主神)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 539ページ ...
25. あと【跡】
国史大辞典
何某跡たとえば大友豊前前司跡に課すという形式をとっているのはその例である。このほか建久四年(一一九三)の香取神宮の造営所役は、特定個人や地頭らに賦課しているが、 ...
26. 飯篠長威斎
日本大百科全書
ぼされるという事態となった。こうした時代の流れに絶望した家直は兵法者としてたつことを決意し、香取神宮にほど近い梅木山不断所に千日参籠(さんろう)して、ついに剣の ...
27. いいざさ-ちょういさい【飯篠長威斎】
日本人名大辞典
?−1488 室町時代の武術家。下総(しもうさ)香取郡飯篠村(千葉県多古町)の人。香取神宮や常陸(ひたち)(茨城県)の鹿島神宮につたわる武芸から,天真正伝新当( ...
28. いいづかむら【飯塚村】東京都:葛飾区地図
日本歴史地名大系
六町三段小」と記される。注文写には猿俣・小鮎・金町とともに香取社宝殿造営役所とされており、下総香取神宮遷宮の際には宝殿造営料を課されていた。北条氏所領役帳には会 ...
29. 息栖(いきす)神社
デジタル大辞泉プラス
祭神は岐神(ふなどのかみ)、天鳥船神(あめのとりふねかみ)、住吉三神。同県鹿島神宮、千葉県にある香取神宮とあわせて「東国三社」と呼ばれる。 2015年05月 ...
30. いくさ‐がみ【軍神】
日本国語大辞典
戦いに勝利をもたらす神。武甕槌神(たけみかずちのかみ=鹿島神宮の祭神)、経津主神(ふつぬしのかみ=香取神宮の祭神)の二神が古来もっとも尊崇されたが、鎌倉時代以後 ...
31. いくさがみ【軍神】
国史大辞典
戦勝と武人守護の神。古代から鹿島神宮の武甕槌(たけみかずち)神と香取神宮の経津主(ふつぬし)神は東北平定の神とされ、また武道の神となった。八幡神は源頼義・義家 ...
32. いぞうぐう【伊雑宮】三重県:志摩郡/磯部町/上之郷村
日本歴史地名大系
その御供田において旧暦五月一四、一五両日に行われ、現在六月二四日に行われる御田植祭は通称「おみた」といわれ、香取神宮(現千葉県)・住吉大社(現大阪府)とともに日 ...
33. いたこ【潮来】
国史大辞典
」とある。もと水駅の置かれた所であって、下総香取神宮から常陸鹿島神宮への巡拝の水路であった。しかし、弘仁六年(八一五)廃止されたので、『延喜式』には載せない ...
34. いちかわし【市川市】千葉県地図
日本歴史地名大系
。行徳は下河辺庄の飛地であったと考えられ、応安五年(一三七二)には行徳に置かれた川関の関務が香取神宮大禰宜家に認められている。中世の市川は真間や国府台を含んで、 ...
35. いのうひでのり【伊能穎則】
国史大辞典
『令義解』の御前講義をつとめた。ついで宣教中博士、帰郷して香取神宮少宮司兼権少教正となり、人心補導にあたった。また、蔵書をすべて香取神宮に寄付した。下総地方に歌 ...
36. いのこさす【豕叉首】
国史大辞典
(うだち)、叉首竿を「いのこ」あるいは「いのこさす」(豕差・猪子差)と呼んだ(伊勢神宮・厳島神社・香取神宮)。→〓(うだち) [参考文 ...
37. いわがさきむら【岩ヶ崎村】千葉県:佐原市地図
日本歴史地名大系
二四)には「大戸之庄岩崎之住人」清水則定らの刀匠が活躍し、彼らが製作したとの在銘をもつ薙刀が香取神宮および東庄町東大神に所蔵されている。慶長四年鳥居元忠による矢 ...
38. 印西[市]
世界大百科事典
3)には問屋場が設けられ,近世後期には年平均4000艘の船が出入りしたといわれる。また下流の香取神宮,鹿島神宮,息栖神社を回る三社参りの拠点でもあり,乗客船は茶 ...
39. いんざいのじょう【印西条】千葉県:印旛郡
日本歴史地名大系
印東庄が一二世紀半ばにみえることから印西の称もこの頃からと考えられる。建久年間(一一九〇―九九)の香取神宮遷宮用途注進状(香取文書)に印西条とみえ、国衙領として ...
40. いんとうのしょう【印東庄】千葉県:印旛郡
日本歴史地名大系
建久年間(一一九〇―九九)の香取神宮遷宮用途注進状(香取文書)に「対捍印東庄百五十斛」とあり、印東氏と考えられる在地領主は半分は納めたが残りは対捍している。寛元 ...
41. いんばぐん【印旛郡】千葉県
日本歴史地名大系
を称したが、宝治元年(一二四七)三浦氏に属して没落すると千葉惣領家の所領となったと考えられ、香取神宮の遷宮では千葉氏のもとで造営負担を行っている。印東庄内の貝塚 ...
42. 永喜
日本史年表
1527年〈大永7 丁亥〉 この年 関東・東北で私年号「 永喜 」用いられる(香取神宮文書)。  ...
43. えどがわ【江戸川】千葉県:総論地図
日本歴史地名大系
に布止井川とある。香取の海にも通じていたと想定されており、その沿岸の多数の浦津を支配していた香取神宮は、太日川の右岸側に置かれた彦名関(現埼玉県三郷市)など六ヵ ...
44. えどがわく【江戸川区】東京都地図
日本歴史地名大系
義経記」「東路の津登」などによって津の存在が知られる。また同じく江戸川河口近くの長島には下総香取神宮の灯油料所として関が設置され、対岸の行徳(現市川市)にも関が ...
45. 延徳
日本史年表
1462年〈寛正3 壬午〉 この頃 東国に「 延徳 」の私年号(香取神宮文書)。  ...
46. おいごむら【生子村】茨城県:猿島郡/猿島町
日本歴史地名大系
祈願したと伝える。村域北部、北生子坪の香取社は旧村社。社伝によると延喜年中(九〇一―九二三)下総一宮香取神宮の分霊を鎮斎、寛文二年(一六六二)関宿藩主板倉重郷に ...
47. おおがしわむら【大柏村】茨城県:北相馬郡/守谷町
日本歴史地名大系
相給。旧村社大柏神社は香取神社とも称し、祭神経津主命など。安政四年(一八五七)八月に下総一宮香取神宮の分霊を鎮斎。明治四三年(一九一〇)七月に村内の道祖神社・阿 ...
48. おおがたごう【大方郷】茨城県:下総国/岡田郡・豊田郡
日本歴史地名大系
、作料官米百石、大方郷本役也、仍地頭諏方三郎左衛門入道真性造進之」などとあり、当郷は下総一宮香取神宮の三の鳥居を造営することを義務付けられていた。 ...
49. おおくらごう【大倉郷】千葉県:下総国/海上郡
日本歴史地名大系
現佐原市大倉の一帯には古墳時代後期の集落跡側高遺跡や、奈良・平安時代にわたる大倉薬師堂遺跡などがあり、また香取神宮の第一摂社側高神社が鎮座している。 ...
50. おおくらむら【大倉村】千葉県:佐原市地図
日本歴史地名大系
三月に行われる香取社の神幸祭に際して正検非違使を奉行として一番目の船持役(永正一三年八月二一日書写「香取神宮神幸祭絵巻」本宮家蔵に描かれる船木を持つ役のことか) ...
「香取神宮」の情報だけではなく、「香取神宮」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

香取神宮と同じ寺・神社・教会カテゴリの記事
興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
厳島神社(改訂新版・世界大百科事典)
広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県廿日市市,旧宮島町)に鎮座。市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命をまつる。旧官幣中社。祭神〈伊都岐島神〉は,811年(弘仁2)名神に列し四時幣に預かり,神階は867年(貞観9)従四位上に昇叙。《延喜式》で名神大社に列し,のち安芸国の一宮となる。平安時代末
出雲大社(改訂新版・世界大百科事典)
島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。
寺・神社・教会と同じカテゴリの記事をもっと見る


「香取神宮」は寺・神社・城に関連のある記事です。
その他の寺・神社・城に関連する記事
浜松城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
静岡県浜松市元城町にあった城。平山城。三方原洪積台地の最東南端に徳川家康が築城し、浜松城と称え、この地を引馬から浜松に改称した。引馬旧城主飯尾連竜は今川氏真に謀殺され、その留守を預かる老臣間の内紛を平定した家康が、元亀元年(一五七〇)、遠江経営と武田
鶴岡八幡宮(国史大辞典・日本歴史地名大系)
神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座。旧国幣中社。源氏の氏神であり、鎌倉の町の中心として存在してきた社で、明治の神仏分離までは鶴岡八幡新宮若宮(いまみやわかみや)・鶴岡八幡宮寺とも称した。大分県の宇佐、京都府の石清水(いわしみず)両宮とともに全国の八幡宮を代表
恭仁京(世界大百科事典・日本大百科全)
奈良時代中ごろの都城。現在の京都府南部の木津川市に営まれた。740年(天平12),九州で藤原広嗣の乱が起こったのを契機に平城京を離れた聖武天皇は,伊勢,美濃,近江をめぐった後,12月15日山背国南端の久仁郷の地に至り恭仁京の造営に着手した。翌年11月
遷宮(国史大辞典・世界大百科事典)
神社で、一定の年数を定めて、新殿を造営し、旧殿の御神体をここに遷すこと。そしてこの新殿の造営を式年造営といい、また仮殿遷宮と対称して正遷宮とも称せられる。伊勢神宮の例が著明である。伊勢神宮に式年遷宮の制が立てられた年次については
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
寺・神社・城に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶