源氏物語に関連するサンプルページ一覧
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蓬生(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏謫居(たつきよ)の間、人々ひそかに嘆き悲しむ〔一〕 源氏の君が、須磨の浦で「藻塩(もしお)たれつつ」悲境に沈んでいらっしゃったころ、都でも、さまざまに嘆き悲しんでおられる人が多かったが、それにしても、ご自分の身に頼りどころのある方々は、ただ君を恋い慕うという点では堪えがたそうな有様であったが――二条院の紫の上などもお暮しにご不自由がないので
須磨(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏、須磨に退去を決意 人々との別れ〔一〕 世の中の形勢が、源氏の君にとってまことにわずらわしく、居心地のわるいことばかり多くなってゆくので、自分としては、しいて素知らぬ顔でやり過していても、あるいはこれ以上に恐ろしい事態になるかもしれない、という思いになられた。 あの須磨は、昔こそ人の住いなどもあったのだったが、今はまったく人里離れてもの寂しく
花散里(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏、五月雨の晴れ間に花散里を訪れる〔一〕 人に知られぬ、我から求めての御物思わしさは、いつと限らぬことのようであるけれど、このように世間一般の動きにつけてまで厄介で、お心を労されることばかり増してゆくので、源氏の君はなんとなく心細く、世の中のすべてを厭(いと)わしく思わずにはいらっしゃれなくなるが、いざそれではとなるとさすがに振り捨てかねる絆(きずな)も多いのである。
賢木(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕桐壺帝譲位後の源氏と藤壺の宮〔一〕 御代が改まってから後、源氏の君は、何かにつけてお気が進まず、それにご身分の尊さも加わったせいか、軽率なお忍び歩きもはばかられるので、こちらの女(ひと)もあちらの女(ひと)も君を待ち遠しく心もとない嘆きを重ねておられる、その報いであろうか、君ご自身としても、やはり自分につれないお方のお心をどこまでも恨めしくお嘆きになっていらっしゃる。
葵(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕桐壺帝譲位後の源氏と藤壺の宮〔一〕 御代が改まってから後、源氏の君は、何かにつけてお気が進まず、それにご身分の尊さも加わったせいか、軽率なお忍び歩きもはばかられるので、こちらの女(ひと)もあちらの女(ひと)も君を待ち遠しく心もとない嘆きを重ねておられる、その報いであろうか、君ご自身としても、やはり自分につれないお方のお心をどこまでも恨めしくお嘆きになっていらっしゃる。
花宴(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕花の宴に、源氏と頭中将、詩作し、舞う〔一〕 二月の二十日余りに、南殿(なでん)の桜の宴を催しあそばす。中宮と東宮の御座所を、玉座の左右にしつらえて、お二方それぞれがお上りになる。弘徽殿女御は、中宮がこうして時めいていらっしゃるのを、何か事あるごとに、快からぬお気持であるけれども、今日のように盛大な物見には、とてもじっとしてはいらっしゃれなくて、参上なさる。
紅葉賀(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕 朱雀院(すざくいん)への行幸(ぎようこう)は十月十日過ぎである。このたびは常のそれとちがって、さぞや感興も深かろうと思われるお催しだったので、女御(にようご)や更衣(こうい)など御方々は、ご見物になれぬことを残念に思っていらっしゃる。帝(みかど)も、藤壺の宮がごらんにならないのを物足りなくおぼしめすので、その試楽を清涼殿(せいりようでん)の前庭でお催させになる。 源氏の中将は、青海波をお舞いになるのだった。
末摘花(源氏物語)(日本古典文学全集・日本架空伝承人名事典)
〔一〕源氏、亡き夕顔の面影を追い求める〔一〕 いかほど思いを寄せても、なおどこまでも愛着のそそられたあの女(ひと)が、夕顔の露のようにはかなく消えてしまった、その折の悲しさを、源氏の君は年を経てもお忘れでなく、このお方もあのお方も、気のおける方々ばかりで、もったいぶってみたり心用意の深さを見せようとしたり、そうした面で張り合われるという有様だから
若紫(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏、瘧病(わらわやみ)をわずらい、北山の聖を訪れる〔一〕 源氏の君は、瘧病をおわずらいになって、あれこれと手を尽してまじないや加持などおさせになるけれども、効験がなくて、たびたび発作をお起しになったので、ある人が、「北山でございますが、何々寺という所に、すぐれた修行者がおります。
夕顔(源氏物語)(日本古典文学全集・日本架空伝承人名事典)
〔一〕源氏、乳母を見舞い、女から扇を贈られる〔一〕 六条のあたりにお忍びでお通いになるころ、宮中からお出ましになる途中のお立寄り所として、大弐(だいに)の乳(めの)母(と)がひどくわずらって尼になっていたのを見舞おうとして、五条にあるその家を訪ねておいでになる。
空蝉(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏、空蝉を断念せず、小君を責める〔一〕 お寝(やす)みになれぬままに、「わたしは、こうも人に憎まれたことはこれまでもなかったのに、今夜という今夜は、はじめて人の世がままならぬものと身にしみて分ったから、恥ずかしくて、もうこのまま生きてはおられそうもない気がする」などとおっしゃるので、小君は涙をさえこぼして横になっている。
帚木(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕 「光源氏」と、その名だけは仰山(ぎようさん)にもてはやされており、それでも、あげつらい申すにははばかられるような過(あやま)ちが多いということだのに、そのうえさらに、こうした色恋沙汰(ざた)の数々を後々の世にも聞き伝えて、軽薄なお方との浮名(うきな)を流すことになりはせぬかと、ご自分では秘密にしていらっしゃった裏話までも語り伝えたという人の
桐壺(源氏物語)(日本古典文学全集・日本国語大辞典)
〔一〕帝の桐壺更衣(きりつぼのこうい)への御おぼえまばゆし帝(みかど)はどなたの御代(みよ)であったか、女御(にようご)や更衣(こうい)が大勢お仕えしておられた中に、最高の身分とはいえぬお方で、格別に帝のご寵愛(ちようあい)をこうむっていらっしゃるお方があった。
源氏物語(世界大百科事典)
平安中期の物語。54巻。作者は紫式部。構成現代では全編を三部構成と見る説が有力である。第1部は,1桐壺(きりつぼ),2帚木(ははきぎ),3空蟬(うつせみ),4夕顔,5若紫,6末摘花(すえつむはな),7紅葉賀(もみじのが),8花宴(はなのえん)