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  11. 浪花節

浪花節

ジャパンナレッジで閲覧できる『浪花節』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
浪花節
なにわぶし
大衆芸能の一種目。浪曲ともいう。一つの物語を旋律(フシ)と科白(せりふ、タンカ)で語る芸能。三味線を伴奏楽器とする。調子の高い関東節と低音に特色のある関西節に分けることができる。浪花節は江戸時代末期に流行した山伏や願人坊主の門付芸(祭文・ちょぼくれなど)にその起源が認められる。明治になってもその名称は一定せず、およそ東日本で「浪花節」、西日本で「浮かれ節」といわれていたが、明治末年に桃中軒雲右衛門が出て、「浪花節」という名称が定着するようになった。明治十三年(一八八〇)の東京には、浪花節二十三人、歌右衛門節三十八人がいたが、同二十一年には前者が百四十五人、後者が七百十人に増え、同三十三年には東京の寄席百二十軒のうち五十三軒までが浪花節をかけるようになった。同三十九年に関西節が「浪花節奨励会」、関東節が「浪花節研究会」を組織する。同じころ大阪・名古屋でも次第に流行するようになった。同四十年桃中軒雲右衛門(「義士伝」)が上京、本郷座を二十七日間超満員にする。翌四十一年二代目吉田奈良丸(「義士伝」)も上京して新富座に出演、京山小円(「義士伝」)も人気を博した。この三巨頭を慕って天中軒雲月(「義士伝」)、三代目鼈甲斎虎丸(「安中草三郎」)、京山若丸(「召集令」)らが出、さらに東家楽燕(「乃木将軍伝」)、木村重友(「河内山宗俊」)が活躍、続いて二代目広沢虎造(「次郎長伝」)、寿々木米若(「佐渡情話」)、二代目玉川勝太郎(「天保水滸伝」)、伊丹秀子(「九段の母」)、篠田実(「紺屋高尾」)、浪花亭綾太郎(「壺坂霊験記」)、梅中軒鶯童(「紀国屋文左衛門」)、東武蔵(「相馬大作」)らが出て人気を博した。それらの人気はレコードとラジオという新しいマス=メディアによるところが大きく、たとえば前記雲右衛門の「義士伝」は大正元年(一九一二)の発売だが、三円八十銭のレコードが七万二千枚プレスされたという。第二次世界大戦中は、戦争協力の手段に利用されたので、戦後は内容その他に批判が集中し、往時の勢力はなくなったが、それでも戦中から戦後にかけて三門博(「唄入り観音経」)、酒井雲(「恩讐の彼方に」)、相模太郎(「灰神楽の三太郎」)、二葉百合子(「岸壁の母」)らが出ている。
[参考文献]
三好貢『浪花節一代』、中川明徳『浪曲の歩み』、倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』(『岩波新書』黄一一四)、正岡容『日本浪曲史』
(竹内 道敬)


改訂新版・世界大百科事典
浪花節
なにわぶし

浪曲(ろうきよく)ともいう。江戸後期にほぼ形成され,明治時代に大発展した語り物。三味線の伴奏に合わせて独演し,義理人情を主題としたものが多い。関西では,明治40年代まで〈うかれ節〉と称した。起源の時期はあきらかでないが,《嬉遊笑覧(きゆうしようらん)》にも,〈ちょぼくれと云ふもの,已前(いぜん)の曲節とはかはりて,文句を歌ふことは少なく詞のみ多し。芝居咄をするが如し。これを難波(なにわ)ぶしと称するは彼地より初めたるにや〉とあり,江戸中期以前に関西地方に始まったと見られる。浪花節の文句は,主として史実,講釈,物語などからとり,節は,祭文(さいもん),説経節(せつきようぶし),琵琶などの影響を受け,これが総合されて一つの芸能として大成されたもので,ちょぼくれ,ちょんがれ,うかれ節などと呼ばれていたものを総称して,江戸で浪花節と呼ぶようになった。

大道芸から近代寄席芸へ

浪花節は初めは,大道芸,門付(かどづけ)芸で,祭文にしても,ちょんがれにしても,拍子木(ひようしぎ),扇子,口三味線などを合の手にして,うたったり,語ったりしていた。とくに祭文は,〈でろれん,でろれん〉と合の手をいれたので,〈でろれんさいもん〉ともいわれた。近世浪花節の祖ともいうべきは,享保(1716-36)ごろの浪花伊助で,彼は三味線をひき,弟にちょんがれを語らせ,浪花節の興隆に寄与した。その門人秀吉,さらに秀吉門下の竹川粂吉(くめきち),広沢岩助,吉田岩吉,都三光,吉川岩丸などは,いずれも浪花節発達史の初頭を飾る逸材だった。とりわけ特筆すべきは,幕末の竹川粂吉と広沢岩助で,粂吉の美声高音と岩助の微妙な三弦と節とは,祭文の臭みが抜けきれなかった伊助や秀吉の芸を改革し,純粋の浪花節にまで高めた。

明治以前の浪花節は,主として神社仏閣の境内で小屋掛け興行をしていたが,1874年(明治7),春日井(かすがい)松之助や八木亭清歌などが,麻布福井亭の高座へ出演したのをはじめとして,諸方の寄席にも出演するようになり,落語や講談などの先行演芸に追随して,しだいに芸界における人気を集めていった。以後,春日井松之助を頭取(とうどり)とした〈東京浪花節組合〉,井上晴夢を取締役とする関西うかれ節組合〈愛国社〉とが設立され,浪花節は隆盛の一途をたどったが,とくに日露戦争後は,忠君愛国をテーマとすることで国粋主義の時流に乗って大発展をとげた。この近代浪曲確立期の推進力となったのは,桃中軒雲右衛門(とうちゆうけんくもえもん),吉田奈良丸,京山小円(こえん)の三巨人だった。雲右衛門は,諸国放浪ののち,豪放雄健な節調を確立し,台本も整備し,《義士伝》をはじめとして演題も選択して,品位ある高座によって浪花節の社会的地位を向上させた。関西浪曲界の雄奈良丸は,平易,優美な節調と,美文調の歌詞とによって大衆を魅了した。彼の節が流行歌謡化され,俗に〈奈良丸くづし〉と呼ばれて流行したことも,その人気を裏書きしていた。小円の浪花節には,関西芸の半面を代表する暗さと重量感とがあり,それがまた一種の品位となっていた。そういう彼らの芸を全国に普及させた媒体として,明治末期からさかんになったレコードの存在を忘れてはなるまい。これから浪花節の黄金時代を現出し,一心亭辰雄(のち講談界に転じて服部伸(はつとりしん)となる),木村重松(しげまつ),港家大夢,東家三叟(あずまやさんそう),早川辰燕(たつえん),春日亭清吉,浪花亭峰吉,木村重勝,岡本鶴治,日吉川秋水などの俊秀が並び立ち,つづいて鼈甲斎虎丸(べつこうさいとらまる),2代東家楽遊(らくゆう),東家楽燕(らくえん),木村重友,木村友衛(ともえ),初代天中軒雲月(うんげつ)などが大正期の浪曲界に活躍した。

このように各派に名手が輩出して全国に流行した浪花節も,大正中期以後,落語,講談とともに映画の進出に圧倒されて衰退の傾向をたどっていたが,昭和時代にはいって,満州事変以後,太平洋戦争にかけて,国家主義的な時代風潮を背景にして,ふたたび隆盛の様相を呈した。この時期には,《壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)》の浪花亭綾太郎(1893-1960),《佐渡情話》の寿々木米若(すずきよねわか),《天保水滸伝(すいこでん)》の2代玉川勝太郎,《清水次郎長伝》の2代広沢虎造,《紀伊国屋(きのくにや)文左衛門》の梅中軒鶯童(ばいちゅうけんおうどう),《赤城の子守唄》の春日井梅鶯(ばいおう)(1908-74),《義士伝》の3代吉田奈良丸,《恩讐(おんしゆう)の彼方に》をはじめとする文芸浪曲の酒井雲(さかいくも)(1899-1973),《唄入り観音経》の三門博(みかどひろし)(1907-98),《野狐三次(のぎつねさんじ)》の東家浦太郎(1919-2004),《灰神楽(はいかぐら)三太郎》の相模(さがみ)太郎(1899-1972),七色の声を使い分けた女流浪曲の雄2代天中軒雲月(伊丹秀子(いたみひでこ))など多くの人気者があらわれ,レコード,ラジオの普及,〈浪曲映画〉による映画とのタイアップなどによって,それ以前にも見られなかったほどに浪花節が大衆のなかに浸透していった。

戦後の浪曲界

第2次大戦後は,軍事物や義士物など封建的演題への反動によって不振をきわめていたが,しだいに復活して,浅草国際劇場や明治座などの大劇場において浪曲大会を開催したこともあり,民間放送発足以来,大衆芸能の主要な種目としての座を獲得し,浪曲台本の専門作家も多く見られるようになり,一方,〈浪曲天狗道場〉のようなラジオ聴取者参加番組も製作された。また,文芸浪曲への挑戦,ギターやピアノを伴奏楽器に使っての歌謡浪曲の試みなどもあった。しかし,昭和初期における寿々木米若,2代広沢虎造などのような圧倒的人気者に匹敵する演者は生まれず,歌謡曲の分野に進出して成功した三波春夫(1923-2001),村田英雄(1929-2002)のほかに,傑出した個性をもつ人物は出ていない。現在,木村若衛,東家浦太郎,3代玉川勝太郎,二葉百合子などの努力によって失地回復のきざしは見えつつあるが,新時代にふさわしい題材の開拓,優秀な専門作家の出現,現代の広い層の聴衆に歓迎される節調の作曲など,現代浪曲への課題はきびしいものがある。
[興津 要]

[索引語]
うかれ節 ちょぼくれ ちょんがれ でろれんさいもん 浪花伊助 竹川粂吉 広沢岩助 春日井(かすがい)松之助 東京浪花節組合 愛国社 忠君愛国 桃中軒雲右衛門 吉田奈良丸 京山小円 奈良丸くづし 天中軒雲月 浪花亭綾太郎 梅中軒鶯童 春日井梅鶯 酒井雲 三門博 東家浦太郎 相模(さがみ)太郎 浪曲映画 三波春夫 村田英雄
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検索コンテンツ
1. 浪花節
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。この「東京浪花節組合」(頭取(とうどり)春日井(かすがい)松之助)の発足によって、芸人鑑札を受ける都合上からも浪花節に名のりを変える祭文語りが続々と現れた。ま ...
2. 浪花節
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くれ,ちょんがれ,うかれ節などと呼ばれていたものを総称して,江戸で浪花節と呼ぶようになった。 大道芸から近代寄席芸へ 浪花節は初めは,大道芸,門付(かどづけ)芸 ...
3. なにわ‐ぶし[なには‥]【浪花節・難波節】
日本国語大辞典
〕〈志賀直哉〉二・四「浪花節(ナニハブシ)が多かったが、義太夫もあった」*断腸亭日乗〈永井荷風〉昭和一五年〔1940〕二月二五日「阿部一族は活動写真となり山椒太 ...
4. なにわぶし【浪花節】
国史大辞典
、同三十三年には東京の寄席百二十軒のうち五十三軒までが浪花節をかけるようになった。同三十九年に関西節が「浪花節奨励会」、関東節が「浪花節研究会」を組織する。同じ ...
5. なにわぶし【浪花節】[標準語索引]
日本方言大辞典
ちょんがれぶし / もたれなにわぶし:浪花節の旧称うかるぶし / うかれぶし / おからぶし / おかりぶし / おかるぶし / おかれぶし / おんかれぶしな ...
6. なにわぶし‐かたり[なにはぶし‥]【浪花節語】
日本国語大辞典
〔名〕浪花節を口演する者。浪曲師。*微光〔1910〕〈正宗白鳥〉一〇「長屋から浪花節語りの単調な眠を促すやうな稽古声が」*余興〔1915〕〈森鴎外〉「畑は此時か ...
7. なにわぶし‐しばい[なにはぶししばゐ]【浪花節芝居】
日本国語大辞典
〔名〕浪花節の口演に合わせて演ずる演劇。ふし劇。*舗道雑記帖〔1933〕〈高田保〉浪花節芝居のために「節劇─即ち浪花節芝居となると、これはもう病気に近い方である ...
8. なにわぶし‐てき[なにはぶし‥]【浪花節的】
日本国語大辞典
〔形動〕浪花節で語られる世界のように、義理や人情を重んじるさま。*ある偽作家の生涯〔1951〕〈井上靖〉「かうなると浪花節(ナニハブシ)的な美談になっちまふが」 ...
9. 浪花節の芸風と用語
日本大百科全書
関西節(かんさいぶし) 浪花節を大別すると、関西節、関東節、合いの子節に分かれる。関西節がいちばん古く、明治30年代までは浮連(うかれ)節といった。関東節より三 ...
10. おもな浪花節の演目
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11. GNN[新語流行語]
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12. あいこう‐しゃ[アイカウ‥]【愛好者】
日本国語大辞典
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13. 仇討物
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)ともいう。中世の謡曲,幸若から古浄瑠璃を経て,近世の歌舞伎,人形浄瑠璃や読本,実録,講釈,浪花節など,さまざまの分野で扱われ,重要な一系統を形づくっている。そ ...
14. あだうちもの【仇討物】
歌舞伎事典
中世の謡曲、幸若から古浄瑠璃を経て、近世の歌舞伎、人形浄瑠璃や読本(よみほん)、実録、講釈、浪花節など、さまざまの分野で扱われ、重要な一系統を形造っている。それ ...
15. 阿呆陀羅経
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16. 阿呆陀羅経
世界大百科事典
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17. いきみ‐ごえ[‥ごゑ]【息声】
日本国語大辞典
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18. いまむら-じろう【今村次郎】
日本人名大辞典
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19. 色物
日本大百科全書
18)に講釈師が落語を色物とよんだこともあり、近代に及んで、講談、落語、義太夫(ぎだゆう)、浪花節(なにわぶし)など寄席の中心をなす演芸に対して、色どりとして加 ...
20. 色物
世界大百科事典
さして色物という。文化年間(1804-18)に講釈師が落語を色物と呼んだが,近代に及んで講談,落語,義太夫,浪花節など寄席の中心をなす演芸に対して色どりとして加 ...
21. うかれ‐ぶし【浮節】
日本国語大辞典
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22. 唄入観音経
世界大百科事典
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23. うら‐かど【裏角】
日本国語大辞典
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24. エスペラント
日本国語大辞典
いては大のオプチミストだ」*閑耳目〔1908〕〈渋川玄耳〉エスペラント、浪花節「本年の流行の両大関はエスペラントと浪花節、関脇以下は何であらう」*妻の座〔194 ...
25. 江戸繁昌記 3 179ページ
東洋文庫
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26. 絵本江戸風俗往来 254ページ
東洋文庫
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日本国語大辞典
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世界大百科事典
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32. おお‐かんばん[おほ‥]【大看板】
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とくに天田愚庵(あまだぐあん)の《東海遊俠伝》に取材した《清水次郎長》が評判となり,のちにこれは広沢虎造の浪花節に伝わり一世を風靡するところとなった。(4)5代 ...
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諧謔(かいぎゃく)をなし、卑俗な芸を演じたため民衆に親しまれた。門付(かどづけ)の祭文(さいもん)も語り、後の浪花節(なにわぶし)やかっぽれに影響を与え、歌舞伎 ...
48. 願人坊主
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(2)「ききそこなう(聞損)(2)」に同じ。*笹まくら〔1966〕〈丸谷才一〉二「昨夜、虎造の浪花節を聞きそこねて残念でたまらないよ」 ...
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世界大百科事典
つづいて軽音楽を聞かせる喫茶店ができてカフェーの客をうばった。それで,場末のカフェーなどのうち,歌謡曲や浪花節のレコードを聞かせて社交喫茶などと称する店ができた ...
「浪花節」の情報だけではなく、「浪花節」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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なにわ‐ぶし[なには]【浪花節・難波節】(日本国語大辞典)
江戸末期、大坂に起こった、三味線を伴奏とする大衆的な語り物。明治以降盛んになった。説経祭文から転化したもので、ちょんがれ節、うかれ節などとも呼ばれていた。語られる内容は多くは軍談・講釈・伝記など。最近では文芸作品も語られるが、義理人情を主とする。浪曲。
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大衆芸能の一種目。浪曲ともいう。一つの物語を旋律(フシ)と科白(せりふ、タンカ)で語る芸能。三味線を伴奏楽器とする。調子の高い関東節と低音に特色のある関西節に分けることができる。浪花節は江戸時代末期に流行した山伏や願人坊主の門付芸(祭文・ちょぼくれなど)に
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歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
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