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平家物語

ジャパンナレッジで閲覧できる『平家物語』の日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

新編 日本古典文学全集
平家物語
へいけものがたり
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平家物語 全体

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平家物語 拡大

【現代語訳】
祇園精舎
祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きをたてる。釈迦入滅の時に、白色に変じたという沙羅双樹の花の色は、盛者必衰の道理を表している。驕り高ぶった人も、末長く驕りにふける事はできない、ただ春の夜の夢のようにはかないものである。勇猛な者もついには滅びてしまう、全く風の前の塵と同じである。遠く外国の例を捜してみると、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の安禄山、これらの人々は皆、旧主先皇の政治にも従わず、楽しみを極め、人の諫言も心にとめて聞き入れる事もなく、天下の乱れる事も悟らないで、民衆の嘆き憂いを顧みなかったので、末長く栄華を続ける事なしに滅びてしまった者どもである。近くわが国にその例を捜してみると、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、これらの人々は驕り高ぶる心も、猛悪な事も、皆それぞれに甚だしかったが、やはり間もなく滅びてしまった者どもである。ごく最近では、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申した人の驕り高ぶり、横暴なありさまを伝聞すると、なんとも想像もできず十分言い表せないほどで

【目次】
目次
古典への招待
凡例

平家物語(扉)
巻第一(扉)
梗概
祇園精舎
殿上闇討

禿髪
吾身栄花
祇王
二代后
額打論
清水寺炎上
東宮立
殿下乗合
鹿谷
俊寛沙汰 鵜川軍
願立
御輿振
内裏炎上
巻第二(扉)
梗概
座主流
一行阿闍梨之沙汰
西光被斬
小教訓
少将乞請
教訓状
烽火之沙汰
大納言流罪
阿古屋之松
大納言死去
徳大寺厳島詣
山門滅亡 堂衆合戦
山門滅亡
善光寺炎上
康頼祝言
卒都婆流
蘇武
巻第三(扉)
梗概
赦文
足摺
御産
公卿揃
大塔建立
頼豪
少将都帰
有王
僧都死去
つじかぜ
医師問答
無文
灯炉之沙汰
金渡
法印問答
大臣流罪
行隆之沙汰
法皇被流
城南之離宮
巻第四(扉)
梗概
厳島御幸
還御
源氏揃
鼬之沙汰
信連

山門牒状
南都牒状
永僉議
大衆揃
橋合戦
宮御最期
若宮出家
通乗之沙汰
ぬえ
三井寺炎上
巻第五(扉)
梗概
都遷
月見
物怪之沙汰
早馬
朝敵揃
咸陽宮
文覚荒行
勧進帳
文覚被流
福原院宣
富士川
五節之沙汰
都帰
奈良炎上
巻第六(扉)
梗概
新院崩御
紅葉
葵前
小督
廻文
飛脚到来
入道死去
築島
慈心房
祇園女御
嗄声
横田河原合戦

解説
一 平家物語の成立
二 構成・内容
付録(扉)
皇室系図
藤原氏系図
平氏系図
源氏系図
平家物語年表
図録
平安京条坊図
平安京大内裏図
平安京内裏図
京都周辺地図
比叡山周辺地図
関東武士分布図
奥付
次巻



国史大辞典
平家物語
へいけものがたり
戦記文学。十二巻。作者未詳。十三世紀前半の成立か。『源平盛衰記』四十八巻は、数ある異本の一つ。『保元物語』『平治物語』『承久記』とともに「四部合戦状」といわれる(『蔗軒日録』など)。治承四年(一一八〇)―元暦元年(一一八四)に展開された源平合戦の描写を軸に、その前後の平家一門の興隆と滅亡とを、仏教的な無常観を背景に記している。書名のゆえんもここにある。異本が数多く派生したため、相互に本文転化の過程を追い系統づけられないほど、混淆を示している。したがって、外見上の特徴を把えて大きく分類する方法で整理されている。もと三巻といわれ、それが六巻、十二巻、四十八巻などと倍増されてきたとされるが、原本の形態を具体的に示すことは不可能に近い。作者として伝えられている人々や成立年代についての諸説が、必ずしも広範囲の賛同を得ていないのも、この本文の混淆に一因があるといえよう。

〔語り本系の諸本〕

どの分類に属する本が、原『平家物語』の姿を遺しているかはしばらく措くとして、諸本は、盲人の職能集団であった当道(とうどう)座の琵琶法師の語りのもとになった諸本と、それ以外、つまりはじめから読むために書き写された諸本とに分けられる。前者に属するものには、鎌倉時代中ごろにはすでに分派していたと推定される一方(いちがた)流と八坂流との二系統の本文がある。一方流のもとは、覚一検校(応安四年(一三七一)没)が応安四年に、後白河法皇の大原御幸の話を中心に据え、平清盛の娘で安徳天皇の生母であった建礼門院平徳子の晩年の話を前後に配して一巻となし、これを本篇十二巻の枠外に置き、灌頂巻と名づけ秘曲として伝えようとしたもので、最も流布している本文である(『日本古典文学大系』三二・三三、『日本古典文学全集』二九・三〇など)。一方流の語り手は、「―一」の名をもつ。これに対して、今までどおりの本文を語っていこうとしたのが八坂流で、京の八坂に住んでいた城玄(城元)検校の流れを汲むゆえに八坂流といわれ、また語り手が「城―」と名乗ったため城方流ともいわれた(『屋代本平家物語』、『校定百二十句本平家物語』、『平家物語中院本と研究』(『未刊国文資料』八・九・一一・一二)など)。当道座に属し『平家物語』を語った琵琶法師は、南北朝―室町時代前半には五、六百人もいたといわれ(『碧山日録』)、『平家物語』の本文に節をつけて琵琶法師が語る平曲は、中世を代表する文芸であった。

〔読み本系の諸本〕

これら当道座内に伝来した本文に対し、今日、略本系・広本系とよばれている本文がある。前者は、四部合戦状本(『四部合戦状本平家物語』)、源平闘諍録本(『源平闘諍録と研究』(『未刊国文資料』二期一四))、南都本(『南都本南都異本平家物語』(影印))などであり、相互に異同があるが、一括して分類されている。この略本系に較べ、後者は、より広範囲の記述を含んでいるゆえに広本系とよばれるが、延慶本(『応永書写延慶本平家物語』)、長門本(『平家物語長門本』、『岡山大学本平家物語』)や『新定源平盛衰記』(新人物往来社)がある。当道座系統の本文が、京都ないしは貴族社会から生まれたものと思われるのに対して、これらの略本系・広本系の本文は、源頼朝の挙兵以降の記述などに、その真偽の判定はしばらく措くとしても、東国すなわち武家社会から得たと思われる資料をもとにしている部分が多くみられる。しかも、これらには琵琶法師が語るには適さないような文体と思われる部分が多いので、読物として扱われてきたものとされている。なお広本系の三本は、同一の祖本から派生した近い関係にある本文である。

〔成立年代〕

これら諸本のうち、どの本が原『平家物語』に近いかについては、前後関係を推測する説は数多いが、本文系統が確立していないため、定かではない。このような状況であるから、内部徴証によって成立時代を決めようとしても、はたしてその部分が原『平家物語』の本文であるかどうか、簡単には決定しにくい。諸本のなかでは、延慶本が延慶三年(一三一〇)書写の本奥書を有していて、確実な最古の書写年代を示す本であるが、仁治元年(一二四〇)の園城寺僧頼舜の書状(東山御文庫本『兵範記』紙背文書)にみえる「治承物語六巻号平家」は、おそらく『平家物語』の存在を外部から示した最古の言及であろう(『治承物語』と書名扱いにするか、「治承年間の物語」と読むかは不明)。したがって、この仁治元年以前に成立年代を置き、以降、それぞれに増補されたと考えられているが、さらにさかのぼって承久年間(一二一九―二二)以前の成立として考えようとする人々もいる。

〔作者・素材〕

作者としては、信濃前司藤原行長が天台座主慈円の庇護下に琵琶法師生仏の協力を得て作ったとする説(『徒然草』)が、幾つかの状況証拠にも支えられて有力ではあるが、確証は得られない。作者はどのような材料を使って叙述したかという典拠論になるが、これも原『平家物語』の本文と増補部分の本文とが明確になっていないことが多いため、立場立場でそれぞれに考えるよりほか仕方がないが、このような場合には水戸藩が編輯した『参考源平盛衰記』(『(改定)史籍集覧』篇外三―五)が諸本の本文や平安時代末期・鎌倉時代初期の貴族の日記などを対比させているので便利である。近年、作者の座右に年代記が置かれていたに相違ないという考えから、その年代記がどのようなものであるかに関心が向けられているが、『愚管抄』における『簾中抄』帝王御次第などのように、最略の年代記を使ってでも、抄節という古来伝統的に受け継いできた技術を以てすれば、大部の書物を完成できるのではないか、との指摘もある。なお、諸本については、主な翻刻のみを掲げた。
[参考文献]
『平家物語』(『増補国語国文学研究史大成』九)、市古貞次編『平家物語研究事典』
(益田 宗)

天草本平家物語(あまくさぼんへいけものがたり)

外国人宣教師の日本語教科書。ローマ字日本文。文禄元年(一五九二)イエズス会天草学林刊。大英図書館蔵。原典本文を抄出、口語訳し対話体に改めたもの。四巻。所拠本は巻二初まで覚一本系統、以下百二十句本系統という。当時の貴重な口語資料。影印(吉川弘文館・勉誠社)、亀井高孝・阪田雪子翻字『(ハビヤン抄キリシタン版)平家物語』(吉川弘文館)、近藤政美他編『天草版平家物語総索引』(勉誠社)がある。
[参考文献]
清瀬良一『天草版平家物語の基礎的研究』、鈴木博「天草本平家物語小考」(『国語国文』四三ノ九)
(森田 武)


改訂新版・世界大百科事典
平家物語
へいけものがたり

平安末期から鎌倉初期にかけての源平争乱を描いた軍記物語。

成立

承久の乱(1221)以前に3巻本が成立したとする説があるが定かでない。現存史料によるかぎり,遅くとも1240年(仁治1)当時,《治承物語》とも称した6巻本が成立していたことは確かである。吉田兼好の《徒然草》226段によれば,九条家の出身で天台座主にも就任した慈円に扶持されていた遁世者信濃前司行長が,東国武士の生態にもくわしい盲人生仏(しようぶつ)の協力をえて《平家物語》を作り,彼に語らせ,以後,生仏の語り口を琵琶法師が伝えたという。信濃前司行長については実在が確認できないが,慈円の兄九条兼実の邸に,その家司として仕えた下野守行長がいたし,青〓院門跡に入った慈円が,保元の乱以来の戦没者の霊を弔うために大懺法(だいせんぽう)院をおこし,その仏事に奉仕させる,もろもろの芸ある者を召しかかえたことが確かなので,《徒然草》の伝える説には,単なる伝承としてしりぞけられないものがあるだろう。

作者と諸本

成立当時の物語がどのような形態の作品であったかは明らかでないが,遅くとも13世紀末には《保元物語》《平治物語》とともに,琵琶法師が琵琶に合わせて語っていた。その語りの曲節が天台の声明(しようみよう)の影響を受けている事実も,《徒然草》の伝える説の信憑性を証明している。ともあれ,成立後,琵琶法師や寺院の説経師たちの語りが,その原動力となって多様な複数の本文を生み出した。作者として多くの説が古くから行われたのもこのことと関連があろう。すなわち,下野守行長(藤原氏の一流,中山家)の従兄弟にあたる時長をあてる説があるほか,藤原高藤流の吉田資経(すけつね),鎌倉幕府の信任が厚く歌人としても知られ,《源氏物語》の校訂にも参加した清和源氏の光行,文章博士にもなった菅原為長,《太平記》や狂言の作者にも擬せられる天台の学僧玄慧(げんえ),さらには延暦寺の説経の家安居院(あぐい)の人々をあてる説など,いずれも琵琶法師らによって行われた説である。これらすべての人々が物語にかかわったといえるかどうかはわからないが,このようにさまざまな説が行われた背景には,物語がもともと複数の人々によって合作され,さらにそれらに筆を加えて改作が行われたという事情があるだろう。その間の消息を示すかのように,6巻の本文や,さらに2巻の補巻を加えた本のあったことを示す記録があり,現に6巻本の形態を残す延慶本(応永年間(1394-1428)転写)が存在するし,各種12巻本のほか,長門の赤間神宮ゆかりの長門本20巻,さらには48巻の《源平盛衰記》など種々の本文が伝わる。これら諸本の巻数がそのまま記事の量の大小を示すとはいえないが,各編者,伝承者が増補や整理を行ったものと思われる。現在伝わる諸本は,琵琶法師が平家琵琶興行のために寺社を拠点として結成した当道(とうどう)座が,その語りの本文として定めた当道系語り本と,それ以外の非当道系読み本とに大別される。後者の非当道系諸本は,さらに,記事の多い広本系と少ない略本系とに分かれる。当道座では,南北朝期に琵琶法師の巨匠覚一(かくいち)が登場するに及んで一方(いちかた)流と八坂(やさか)流(城方(じようかた)流とも)の分派が生じ,それぞれ異なる本文を持つに至った。一方流の本文は,巻十二の後に,高倉天皇の中宮建礼門院(平清盛の娘)の生涯を六道の体験に擬して語る,物語の総集編ともいうべき〈六道の沙汰〉を中心にすえ,この女院が安徳天皇をはじめ,滅んだ平家一門の亡魂を弔うという〈灌頂(かんぢよう)巻〉を別巻として立てる。八坂流の本文は,このような特別な巻を立てず古い構成を伝え,平家の嫡孫,六代御前(ろくだいごぜん)の処刑,平家断絶をもって物語を閉じる。非当道系の読み本は,東国の資料をとり入れ,伊豆にいた源頼朝の挙兵の経過をくわしく記している。たとえば《源平闘諍(とうじよう)録》は,東国で成立した一異本であるし,《源平盛衰記》ともども,平家の滅亡のみならず,源氏再興の経過をもくわしく記す。それにこれら非当道系諸本には,時衆を含む仏教集団がその成立や伝承に参加したようで,それらが関与する寺院関係の資料や地方の合戦談を大量にとり込んでいる。《平家物語》はこのようにさまざまな諸本の総和としてあるわけで,この点,日本文学の古典として他に例を見ない。

物語の流伝

当道系・非当道系諸本のいずれが成立当初の形態をもっとも濃く伝えるかは,説が分かれていてまだ定説を見るに至っていないが,この両系統が早くから存在し,相互に交流しつつ流伝を重ねたことは確かである。そしてこの物語は鎌倉期を通じて,貪婪(どんらん)に外に向かってもろもろの資料や伝承をとり込みつつ変化を重ね,南北朝期に覚一が当道座の組織を確立するとともに,物語としても定着を見るに至った。以後,特に当道系の物語は,一方流(語りの曲節・墨譜を付した江戸期の譜本を含む),八坂流とともに,物語の内部構成や表現を緻密(ちみつ)にする方向をたどった。しかしその後も《平家物語》によりながら,物語にゆかりのある土地ではさまざまな伝承を生み続けたようで,その断片的な抜書が現在も伝わるし,能や室町時代の物語などにも《平家物語》に見られない伝承や叙述がある。しかし現在では,これら種々の諸本や伝承のうち,覚一らが定めた語り本系,特に一方流の本文を《平家物語》と呼ぶのが一般である。以下,この通行の物語に即して述べる。

内容

物語の巻一は,四十数年にわたって,天皇と院,摂関家と院側近,延暦寺と南都の寺院など,諸勢力が対立葛藤する複雑な状況の中で,いかに平家が登場したかを描く。巻二から巻十一までは,平家のおごれるふるまいと,木曾義仲,源義経の登場による滅亡の経過を描く。巻十二と灌頂巻は,平家滅亡後の後日談で,建礼門院をはじめ生き残った一門の人々の結末を描く。物語はほぼ年代順に進行し,年代記的な記録の文が核となって,時代の変化を力強く描くが,これに説話や合戦談などがからみ合って展開する。それらが琵琶法師の語りとして語られることにより,説話文学に通う構想と文体(和漢混淆文)を獲得している。また,軍記物語にふさわしく,時代の変革を推し進めた源平両氏の武将,彼らをとりまく群小の英雄,延暦寺や三井寺,興福寺などの僧兵たちの行動を躍動的に語る一方,この変革の波に呑まれた人々の悲劇をもあわせ語り,物語に王朝物語を思わせる抒情性を加味している。

物語の枠組みは,序章〈祇園精舎(ぎおんしようじや)〉の段に,おごれる者の典型として登場する清盛,この清盛の亡き後平家を都から追い出す木曾義仲,この義仲や平家を滅ぼす源義経など,彼らがそれぞれ時代の転換を推し進める過程が軸になっている。しかもそのいずれもが急速に滅んでゆかねばならなかった。そこにある盛者必衰の無常感が物語を貫く大きな縦糸となっている。さらに清盛ら平家一門のおごれるふるまいの犠牲となって悲惨な最期をとげねばならなかった藤原成親(なりちか)や俊寛(しゆんかん)らの怨念が,平家を滅ぼしたとするのも,物語のいま一本の糸である。また平家一門の亡魂を弔うことも,物語を語る重要な契機となっている。この鎮魂の語りは,琵琶をもって霊界との媒介を行っていた琵琶法師にふさわしいものであった。《平家物語》が生仏という琵琶法師の参加をえて作られたとする説の行われたゆえんである。

後代への影響

この物語は南北朝期に一応完成をとげた後も,各ジャンルの文学に影響を与え続けた。たとえば,同じ軍記物語の《太平記》は,しばしば《平家物語》を念頭において,場面や人物像を構成している。《義経記(ぎけいき)》は,義経をめぐる《平家物語》の続編ともいうべき室町期の語り物であり,《曾我物語》は,その流動の過程で《平家物語》から構成上の影響を受けている。さらに能や狂言,幸若(こうわか)舞曲,室町期の物語,江戸期の各種小説,浄瑠璃,歌舞伎から近代の小説や劇に至るまで,直接もしくは間接的に《平家物語》の影響を受けている。その平家琵琶(平曲ともいう)としての音曲は,能,浄瑠璃,幸若舞曲などの中世芸能から,近世・近代の邦楽にも影響を与えた。
→語り物 →軍記 →平曲
[山下 宏明]

史料としての価値

《平家物語》は,1177年(治承1)~85年(文治1)の間は特に年代記的叙述が徹底しており,物語が一種の史書として書かれたことを示している。その年代記的性格が目立たないのは,収められた種々の説話がふくらんでいるからである。軍記物語の中でも《平家物語》はもっとも文学的で,このふくらみが著しい。したがって《平家物語》は史実を完全に忠実には記しておらず,虚構や誇張が少なくないから,史料としての取扱いには慎重でなければならない。しかし合戦の実状などの記述は,従軍者の談話に基づくと見られ,虚構を含むとはいえ,文書・記録類に比べて遥かに詳細で内容的にも優れている。また延慶本《平家物語》などには,他に見られない貴重な原史料が収められており(偽文書も含まれるが),史料的価値が高い。当時の思想や生活を知る史料として《平家物語》が重要なことはいうまでもない。厳密な史料批判を行った上で,もっと積極的に史料として活用されるべきものである。
[上横手 雅敬]

[索引語]
治承物語 慈円 信濃前司行長 生仏 琵琶法師 覚一検校 一方(いちかた)流 八坂(やさか)流 源平闘諍(とうじよう)録 太平記 義経記(ぎけいき) 曾我物語
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日本国語大辞典
*今鏡〔1170〕四・伏見の雪のあした「その御母は贈二位讚岐守俊遠とあひぐし給へりければ」*平家物語〔13C前〕四・若宮出家「この中納言は、女院の御めのと子、宰 ... ...
30. あい‐しゅう[:シフ]【愛執】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕夢浮橋「もとの御契りあやまち給はで、あいしふの罪をはるかし聞え給て」*平家物語〔13C前〕一〇・首渡「閻浮(ゑんぶ)愛執の綱つよけ ... ...
31. あい‐しら・う[あひしらふ]
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕末摘花「いと深からずとも、なだらかなるほどにあひしらはむ人もがな」*高野本平家物語〔13C前〕一・祇王「今更人に対面してあそびたは ... ...
32. あい‐・する【愛】
日本国語大辞典
「ちちのみやみ給て、まろをおきて若宮はあしくよみ給かなどあいし申給けるとぞ人のかたり侍し」*平家物語〔13C前〕九・二度之懸「是程の大勢の中へただ二人いったらば ... ...
33. あい‐ず[あひヅ]【合図・相図】
日本国語大辞典
〔名〕(1)何事かをしようとするための、あらかじめの取り決め。約束。*平家物語〔13C前〕八・鼓判官「残り六手(むて)は、各々が居たらむ条里小路より川原へ出でて ... ...
34. あい‐ずり[あゐ:]【藍摺】
日本国語大辞典
兵範記‐保元三年〔1158〕八月一七日「御厩舎人装束四具〈略〉山吹引倍木、藍摺帷、布下袴」*平家物語〔13C前〕九・樋口被討罰「藍摺の水干、立烏帽子でわたされけ ... ...
35. あいだ[あひだ]【間】
日本国語大辞典
〔965頃〕二五「やうやう、朱雀(すざか)のあひだに、この車につきて、なほ歌ひゆきければ」*平家物語〔13C前〕一一・勝浦「塩の干(ひ)て候時は、陸(くが)と島 ... ...
36. あい‐びき[あひ:]【相引・合引】 画像
日本国語大辞典
スル」(2)(─する)互いに弓を引き合うこと。敵が矢を射かけてくるのに応戦して弓を引くこと。*平家物語〔13C前〕四・橋合戦「馬には弱う、水には強うあたるべし。 ... ...
37. あいべつり‐く【愛別離苦】
日本国語大辞典
唯し願(ねがはく)は我が出家・学道を聴(ゆる)し給へ。一切衆生の愛別離苦を皆解脱(げだつ)せしめむや」*平家物語〔13C前〕一二・平大納言被流「昨日は西海の波の ... ...
38. あい‐もよお・す[あひもよほす]【相催】
日本国語大辞典
若君御方〓」*平家物語〔13C前〕一一・鶏合壇浦合戦「一門の物どもあひもよをし、都合其勢二千余人、二百余艘の舟にの ... ...
39. あい‐れん【哀憐】
日本国語大辞典
一二「国に返り住むと云ければ、守、『糸よき事也』と云て、物など取(とら)せて哀憐しければ」*平家物語〔13C前〕二・教訓状「民のためにはますます撫育の哀憐をいた ... ...
40. あ・う[あふ]【合・会・逢・遭】
日本国語大辞典
おぼろけの上達部なんどもあふべくもなかりけり」*平家物語〔13C前〕四・大衆揃「これらは力のつよさ、打物もっては鬼にも神にもあはうどいふ、一人当千のつはもの也」 ... ...
41. あえ ず
日本国語大辞典
び)に神籬(ひもろき)立てて斎(いは)へども人の心はまもり不敢(あへぬ)もの〈作者未詳〉」*平家物語〔13C前〕四・鼬之沙汰「此よし申されたりければ、ききもあへ ... ...
42. あえな‐さ[あへな:]【敢無─】
日本国語大辞典
その度合。*夜の寝覚〔1045〜68頃〕二「まち聞く心地のあへなさ、いふかぎりぞなきや」*延慶本平家物語〔1309〜10〕一本・義王義女之事「其義も無くて打捨て ... ...
43. あおいのまえ【葵の前】
日本人名大辞典
平安時代後期の女官。高倉天皇(在位1168-80)の中宮(ちゅうぐう)建礼門院につかえた。「平家物語」によると天皇の寵愛(ちょうあい)をうけたが,のちとおざけら ... ...
44. あおぎ‐ねがわく‐は[あふぎねがはく:]【仰願─】
日本国語大辞典
0〕六月一九日「仰ぎ願は、一代教主尺迦牟如来、平等大会、法花経御願、一々に哀愍内受し給て」*平家物語〔13C前〕五・富士川「仰願くは大明神、伏乞(ふしてこふ)ら ... ...
45. あお・ぐ[あふぐ]【仰】
日本国語大辞典
うしなふ上に神慮又はかりがたし。ただ聖断をあをぐべし。ふして神の告をまつとて、すなはち座をたたれにけり」*平家物語〔13C前〕五・富士川「孤嶋の幽祠に詣で、瑞籬 ... ...
46. 青侍
世界大百科事典
用例は《中右記》《明月記》をはじめとする院政期以降の古記録や,《今昔物語集》《古今著聞集》《平家物語》《宇治拾遺物語》等々の文学作品にみられる。女性に関しては青 ... ...
47. あおざむらい【青侍】
国史大辞典
し、青年および同じく官位の低い侍をいう。『中右記』『明月記』『古今著聞集』『宇治拾遺物語』『平家物語』などにみえ、井原西鶴の『好色一代男』には「はしたなくいやし ... ...
48. あお‐た[あを:]【青田】
日本国語大辞典
〔名〕(1)(「あおだ」とも)稲が茂って青々と見える田。通常、七月下旬、土用前後のころの田をいう。《季・夏》*平家物語〔13C前〕八・鼓判官「賀茂、八幡の御領と ... ...
49. あお‐だ[あを:]【〓輿】 画像
日本国語大辞典
り輿(ごし)。進物の釣り台のように、日覆いがない。編み板。あんだ。あんぽつ。おうた。*長門本平家物語〔13C前〕一三・北国所所合戦事「我等、今は生きても何かはせ ... ...
50. あお‐つづら[あを:]【青葛】
日本国語大辞典
*宇津保物語〔970〜999頃〕俊蔭「あおつづらを大なる籠にくみて、いかめしき栗、橡を入れて」*平家物語〔13C前〕灌頂・大原御幸「峯に木づたふ猿のこゑ、しづが ... ...
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