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  11. 三島由紀夫

三島由紀夫

ジャパンナレッジで閲覧できる『三島由紀夫』の日本近代文学大事典のサンプルページ

日本近代文学大事典

人名
三島 由紀夫
みしま ゆきお
大正14・1・14~昭和45・11・25
1925~1970
本文:既存

小説家、劇作家。東京市四谷区永住町二番地に生れた。本名は平岡公威きみたけ。父梓と母倭文重しずえの長男。父は農林省官吏で、祖父の定太郎は樺太庁長官をつとめた。母は、前田藩儒者で東京開成中学校長をつとめたことのある橋健三の次女である。祖母の夏子(奈津)は、大審院判事永井岩之丞の長女。祖父母と両親とともに過ごした幼年期の家庭の雰囲気の一端は、『仮面の告白』(昭24)にも語られている。なお大正一四年生れということは、満年齢が昭和の年数と一致するという点で象徴的であり、また吉本隆明より一つ年下で井上光晴より一つ年上であることは、いわゆる「戦中派」思想の帰趨を考えるうえでも重要である。

 昭和六年、学習院初等科に入学。一九年九月に高等科を卒業するまで、学習院で学ぶ。初等科のころから詩歌、俳句の試作があったが、小説の処女作といえるものは短編『酸模』(「輔仁会雑誌」昭13・3)である。一六年、国文学の師である清水文雄の推薦で、『花ざかりの森』を「文芸文化」(昭16・9~12)に発表、「三島由紀夫」の筆名をはじめて用いた。このころから清水文雄を通じて「文芸文化」の同人と交渉をもち、さらに日本浪曼派の間接的影響をうけた。こうした影響もあって、日本の中世文学に関心をもったが、他面、ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』(堀口大学訳)やワイルドの『サロメ』などを愛読した。前者が日本の伝統につながるとすれば、後者は西欧的知性に通じる契機をもち、この二面性は三島文学の特性を大きく規定することになる。一九年一〇月、東大法学部に入学、中島飛行機小泉工場に勤労動員。同時に処女小説集『花ざかりの森』(昭19・10 七丈書院)を刊行。二〇年二月に召集をうけたが、軍医の誤診により即日帰郷となる。八月一五日、一家が移り住んでいた豪徳寺の親戚の家で、日本の敗戦を知る。

 三島にとって敗戦がなにを意味していたかを厳密にたどることは容易ではない。しかし作品に即して見るかぎり、戦時下の作品が終末観をふまえて卑俗な現実のかなたに純粋な夢想を求めていたのにたいして、戦後は「凶々まがまがしい挫折の時代」(『林房雄論』)であり、敗戦を境とした神話の崩壊をふまえて、生死の根拠たるべき神話を虚構のうちに逆説的に求める姿勢が、戦後の作品にはうかがわれる。二一年六月、川端康成の推薦で『煙草』を「人間」に発表して文壇に登場したが、最初の連作長編『盗賊』(昭23・11 真光社)が失恋と情死を描いている点は、ニヒリズムと死の主題をうかがわせるに十分である。学生作家として早熟の才をもって登場しただけでなく、悪や死の香気をもった作品を好んで書いた当時の三島は、前向きの社会建設に同調できなかった特攻隊帰りの青年や、ニヒリズムを心にもっていた同時代の青年層に、潜在的な支持者を獲得しつつあった。

 昭和二二年一一月、東大法学部を卒業、一二月高等文官試験に合格して大蔵省に就職したが、二三年九月に退職して作家生活に入る。二四年七月、『仮面の告白』(河出書房)を刊行、新進作家としての地位を確立した。この作品について花田清輝は『聖セバスチャンの顔』(「文芸」昭25・1)を書き、三島の堅固な知的仮面の新しさを称揚した。二五年六月、長編『愛の渇き』(新潮社)を刊行、つづいて、金融業光クラブの学生社長、山崎晃嗣をモデルにした『青の時代』(「新潮」昭25・7~12。昭25・12 新潮社)を書いた。三島のモデル小説は、金閣の放火犯人をモデルにした『金閣寺』などを含めて、一定の確信をもって反社会的行為におもむくいわゆる「確信犯罪」を扱ったものが多い。

『禁色』(「群像」昭26・1~10。昭26・11 新潮社)を書きながら、評論『新古典派』(「文学界」昭26・7)を発表した。『禁色』はのちにその第二部『秘楽』(「文学界」昭27・8~28・8)とあわせて完成されるが、『新古典派』が近代芸術の個性崇拝にたいして「様式」の重要性を説いている点は注目に値する。この確信は二七年におけるギリシア訪問において、古代ギリシア人が「内面」よりも「外面の均斉」を重んじたことへの共感を通じて、さらに補強されたといってよい。すなわち、芸術的には様式美の重視、生活的にはギリシア的健康への希求が生れたわけで、のちにボディー・ビルを行う伏線はこのへんにあると考えられる。この時期は三島の作品歴のうちでは古典主義の色彩の強い時期で、『真夏の死』(「新潮」昭27・10。昭28・2 創元社)など秀れた短編のほか、牧歌的な書下ろし長編『潮騒』(昭29・6 新潮社、第一回新潮社文学賞受賞)があり、この時期の頂点に位するのが『金閣寺』(「新潮」昭31・1~10)である。なお『金閣寺』については、「やっと私は、自分の気質を完全に利用して、それを思想に晶化させようとする試みに安心して立戻り、それは曲りなりにも成功し」たと、作者自身が書いている。なお戯曲の名作といわれる『鹿鳴館』(「文学界」昭32・3 東京創元社)の発表されたのは、『金閣寺』完成の年の一二月である。三三年六月、杉山寧の長女、瑤子と結婚し、季刊誌「声」の創刊に際して編集同人となり、九月同誌に『鏡子の家』の第一、二章のみを発表、三四年九月に二冊本として新潮社から同時刊行した。この作品は、戦後というニヒリスティックな時代そのものを、鏡子という女性の家に出入りする人々を通じて描いていて、戦後への挽歌という面をもった作品でもある。

 昭和三五年、『宴のあと』(「中央公論」昭35・1~10。昭35・11 新潮社)を連載。翌三六年三月、モデルにあたる代議士有田八郎に「プライバシー侵害」の理由で告訴された。いわゆる「プライバシー裁判」として話題になったが、三年後に結果は敗訴となり、のちに有田と和解が成立。三六年一月『憂国』(「小説中央公論」昭36・1 新潮社刊の『スタア』収録)を発表し、これが一九六〇年代の歩みの端緒としての意味をもつ。この作品は、二・二六事件の精神史的意味に触発されつつも、他方、「エロティシズムのニーチェ」というべきジョルジュ=バタイユの影響もあり、政治的殉教がエロスの燃焼としての至福にいたるという情念の構図を描いている。ここにおいて、日本的テロリズムの精神を通じて『葉隠』にいたる通路が開かれ、他方、エロティシズムを媒介とした「死」の美学が表面化された。この傾向は、評論『林房雄論』(「新潮」昭38・2。昭38・8 新潮社)において昭和史における日本的心情の発掘となってあらわれ、のちに『英霊の声』(「文芸」昭41・6。昭41・6 河出書房新社)にあっては、天皇を死の根拠とした英霊という虚構をかりて、戦後の「人間天皇制」を批判する軸となって提出された。また『葉隠』に通じる「無私」の思想は、戯曲『朱雀家の滅亡』(「文芸」昭42・10。昭42・10 河出書房新社)のうちにもうかがわれる。ほかに、こういう傾向とは異なる作品として『絹と明察』(「群像」昭39・1~10。昭39・10 講談社、毎日芸術賞受賞)や戯曲『サド侯爵夫人』(「文芸」昭40・11。昭40・11 河出書房新社)があったが、三島文学を解く最も重要なカギを提出しているものの一つは『太陽と鉄』(「批評」昭40・11~43・6。昭43・10 講談社)である。ここには、「不朽の花」を作る「文」と「花と散る」ことをめざす「武」との統合をめざす「文武両道」が、たんなる主義としてではなく、精神の深部から問われている。

『豊饒の海』の第一部『春の雪』は、昭和四〇年九月から「新潮」に連載されていたが、作家生活とは次元の異なる実践としては、四二年四月に久留米陸上自衛隊士官候補生学校、富士学校、習志野空挺隊に体験入隊した。この種の体験入隊は、四三年二月と七月にも行われた。体験入隊に同行した学生を中心に四三年九月楯の会を結成した。なお、天皇制と軍隊のあり方についての理論は『文化防衛論』(「中央公論」昭43・7。昭44・4 新潮社)に述べられている。この時期の作品としては、『豊饒の海』が『春の雪』の完結(「新潮」昭42・1)後に第二部『奔馬』(「新潮」昭42・2~43・8)、第三部『暁の寺』(「新潮」昭43・9~45・4)、第四部『天人五衰』(「新潮」昭45・7~46・1)と書きつがれていたし、戯曲では『わが友ヒットラー』(「文学界」昭43・12)『癩王のテラス』(「海」昭44・7。昭44・6 中央公論)がある。

 昭和四五年五月一二日、東大全共闘と討論、一一月一一日から東京池袋の東武百貨店で「三島由紀夫展」を開催、同二五日午前、『豊饒の海』最終回の原稿を新潮社に渡したのち、楯の会の学生森田必勝ほか三名とともに自衛隊市ケ谷駐屯地にいたり、自衛隊の決起をうながしたが果たさず、東部方面総監室で割腹自決をとげた。

 なおこの自決事件については諸種の見解があり、(1)憂国の至情による諫死と見るもの、(2)右翼的事件として弾劾すべきとするもの、(3)美学が文学的虚構をこえて生活までも支配したと見るもの、など枚挙のいとまがない。だが、自己を反時代的な仮面とさえ自覚していた三島は、自分の行為が外側の社会から見て愚行と見えることを知りぬいていたはずである。とすれば、このきわめて逆説的な自己完結の行為のうちに、精神の自律性の証明と、風化した戦後社会への批判の契機を読みとることは可能であると思われる。そのほか、『橋づくし』(昭33・2 文藝春秋新社)『近代能楽集』(昭31・4 新潮社)『私の遍歴時代』(昭39・4 講談社)などの作品がある。

 テクストには諸版があるが、新潮社『三島由紀夫全集』全三五巻補巻一(昭48・4~51・6)が信頼できる全集になる。

(磯田光一 1984記)

代表作

代表作:既存
仮面の告白
かめんのこくはく
長編小説。昭和二四・七、書下ろしで河出書房刊。主人公の「私」の性意識の展開が中心になっている。聖セバスチャンの殉教図で射精を体験した「私」は、やがて自己の男色的傾向を自覚する。想いを寄せていた園子は他の男と結婚してしまう。戦中から戦後にかけての「私」の精神史は、外界と和合できない孤独の象徴でもある。私小説的な抒情とは別の、知的な明晰さをもつ散文で書いたところに、この作品の新鮮さがある。「素顔の告白」ともいうべき私小説にたいして「仮面の告白」という方法を選んだことは、作者の知性と造形意志のあらわれといえる。
金閣寺
きんかくじ
長編小説。「新潮」昭和三一・一~一〇。昭和三一・一〇、新潮社刊。主人公の「私」は幼時から父に金閣の美しさについて聞かされ、金閣への夢はしだいにふくれあがっていく。やがて「私」は金閣寺の徒弟になるが、戦争の激しい時代には、金閣とともに滅びうるという気持ちが、金閣を最も美しく感じさせた。こうして絶対化された金閣の幻影は、戦後に「私」が生きていくのを妨げさえする。寺を追われた彼は、美への復讐とともに、美を独占するために現実を滅ぼすという屈折した心情から、金閣に放火する。美に魅入られた少年の悲劇を描いた秀作である。
憂国
ゆうこく
短編小説。「小説中央公論」昭和三六・一。昭和三六・一、新潮社刊の作品集『スタア』に収録。主人公の武山中尉は、二・二六事件にさいして友人が叛乱軍に加わったことに責任を感じ、天皇への至誠を証明するために、若妻の麗子とともに自決をとげる。性と政治の接点におけるエロティシズムの燃焼を描いて、絢爛たる美の世界に昇華させている。三島の短編のうちで、思想的にも大きな問題を含んだ作品。
サド侯爵夫人
さどこうしゃくふじん
戯曲。「文芸」昭和四〇・一一。昭和四〇・一一、河出書房新社刊。渋沢龍彦『サド侯爵の生活』に依拠して書かれた。サドの夫人ルネの心を、当時の貴族社会のなかでとらえている。サドは舞台に登場せず、第三者のせりふによってサドのイメージが形づくられていく。サドの文学を理解したときルネは出家を決意するのだが、結末部には芸術家への讃歌がうかがわれる。古典主義の様式を生かした作品。
豊饒の海
ほうじょうのうみ
長編小説、四部作。第一部『春の雪』は昭和四〇・九~四二・一、第二部『奔馬』は昭和四二・二~四三・八、第三部『暁の寺』は昭和四三・九~四五・四、第四部『天人五衰』は昭和四五・七~四六・一、いずれも「新潮」に連載。単行本としては『春の雪』が昭和四四・一、『奔馬』が昭和四四・二、『暁の寺』が昭和四五・七、『天人五衰』が昭和四六・二、いずれも新潮社刊。
 輪廻転生にもとつく夭折者の生れ変わり物語の体裁をとった四部作。『春の雪』は松枝清顕の悲恋と死を描き、『奔馬』はその生れ変わりである飯沼勲の政治的実践とその果ての自決を描いている。『暁の寺』には、さらに飯沼の生れ変わりにあたるタイの王女ジン=ジャンが登場するが、第一、二部においてワキ役にあった本多繁邦が作品の表面に出てくる。『天人五衰』では本多は老年に達していて、四人目の生れ変わりと思われる安永透にめぐりあうが、これがニセ物とわかる。回転転生の思想そのものが破綻したあと、本多は虚無に直面する。本多によって象徴される老年の衰弱がこの作品の結論であるとすれば、それを自分に許さず、死によって生涯を完結したのがこの作家の自決であったともいえる。
(磯田光一 1984記)

全集

  • 『三島由紀夫全集』全35巻補巻1(1973~76 新潮社)
  • 『決定版 三島由紀夫全集』全42冊補巻1+別巻1(2000~06 新潮社)
  • 分類:小説家
    分類:劇作家
    修正PDF:1000004416.pdf
    既存新規:既存
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    日本大百科全書
    小説家。本名平岡公威きみたけ。父梓あずさと母倭文重しずえの長男として大正14年1月14日東京四谷(現、新宿区)に生まれる。満年齢が昭和の年数と一致するという点に
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    1925-70(大正14-昭和45) 小説家,劇作家。東京生れ。本名平岡公威(きみたけ)。1931年学習院初等科に入り,高等科まで学習院で学ぶ。この時代に文学活
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    日本国語大辞典
    小説家、劇作家。東京出身。本名平岡公威。東京大学法学部卒。古典主義的な緻密な構成と華麗な文体で独自の様式美を備えた文学世界を展開。晩年、唯美的なナショナリズムに
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    5. 三島由紀夫
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    1970年〈昭和45 庚戌〉 11・25 三島由紀夫 、楯の会会員4人と東京市谷の陸上自衛隊東部方面総監部でクーデタを訴え、失敗.三島、会員1人と自殺。
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    7. 三島 由紀夫
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    1925(大正14)・1・14‐1970(昭和45)・11・25小説家、劇作家。東京生れ。本名、平岡公威。東京大学法学部卒業。幼少から歌舞伎と能に親しむ。一九四
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    歌舞伎事典
     1925‐1970 小説家・劇作家。本名平岡公威(きみたけ)。東京生れ。学習院、東京大学法学部卒業。《仮面の告白》などで作家の地位を固め、《美徳のよろめき》《
    10. 三島由紀夫[文献目録]
    日本人物文献目録
    磯田光一『三島由紀夫論』伊藤勝彦『三島由紀夫論』奥野健男『三島由紀夫論』沢井潔『三島由紀夫論』杉浦明平『三島由紀夫論』寺田透『三島由紀夫論』村松剛『三島由紀夫
    11. 文学賞【2019】[本と文芸【2019】]
    現代用語の基礎知識
    ライバルというべき賞が講談社(野間文化財団)による野間文芸新人賞 と新潮社(新潮文芸振興会)による三島由紀夫賞 である。17年度の野間文芸新人賞は今村夏子『星の
    12. 文学賞【2020】[本と文芸【2020】]
    現代用語の基礎知識
    ライバルというべき賞が講談社(野間文化財団)による野間文芸新人賞 と新潮社(新潮文芸振興会)による三島由紀夫賞 である。18年度の野間文芸新人賞は金子薫『双子は
    13. 文学賞【2021】[本と文芸【2021】]
    現代用語の基礎知識
    賞 と新潮社(新潮文芸振興会)による三島由紀夫賞 である。19年度の野間文芸新人賞は古谷田奈月『神前酔狂宴』と千葉雅也『デッドライン』。20年度の三島由紀夫賞は
    14. 文学賞【2022】[本と文芸【2022】]
    現代用語の基礎知識
    新人賞 と新潮社(新潮文芸振興会)による三島由紀夫賞 である。20年度の野間文芸新人賞は李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に 』。21年度の三島由紀夫賞は乗代
    15. Gaston Renondeau【ルノンドー】[人名]
    能・狂言事典
    期と重なり、能について二人の間に相応の意見交換があったと考えられる。退役後は、谷崎潤一郎や三島由紀夫らの小説を翻訳することに転じたが、二六年に『極東学院学報』で
    16. SF小説[文芸]
    情報・知識 imidas
    らないもので、日本で独自の発展を遂げたものといえるかもしれない。2006年に『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞した古川日出男が、それに先立つ02年には『アラビアの
    17. あい‐たずさ・える[あひたづさへる]【相携】
    日本国語大辞典
    して行くからいいが」(2)(比喩的に)いくつかの物事が伴って現われる。*潮騒〔1954〕〈三島由紀夫〉一二「一度未知に乗組んで出帆すると、不安と絶望と混乱と悲歎
    18. アイラー
    日本大百科全書
    、11月25日早朝、溺死体がニューヨーク、イースト・リバーに浮かぶ。たまたま同日、日本では三島由紀夫が東京・市谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺したところから、当時の日
    19. あうん の 呼吸(こきゅう)
    日本国語大辞典
    。*光明真言観誦要門〔1683〕上「相撲の仕切に、阿吽の呼吸を合はす」*潮騒〔1954〕〈三島由紀夫〉五「鳥の羽毛をつけたしなりのよい竹竿を使って行はれるこの漁
    20. 阿吽の呼吸
    故事俗信ことわざ大辞典
    「阿吽(アウン)の呼吸(コキフ)につれて、忽ち一人を左袈裟に斬りおとし」潮騒(1954)〈三島由紀夫〉五「鳥の羽毛をつけたしなりのよい竹竿を使って行はれるこの漁
    21. 「青」
    日本近代文学大事典
    び主宰者と同窓の三島由紀夫の寄稿があり、注目された。ホトトギス派の中にあって清新な作風を示す。主要同人は宇佐美魚目、大峯あきら、吉本伊智朗、柏村貞子、中杉隆也ら
    22. 葵上
    日本大百科全書
    含め上演頻度最高の能で、山田流箏曲そうきょくなど邦楽や舞踊、戯曲など後世への影響が大きい。三島由紀夫の『近代能楽集』の題材ともなった。増田正造
    23. 葵上
    世界大百科事典
    る。また同名の戯曲には榎本虎彦作(1907),岡鬼太郎作(《源氏物語・葵の巻》1930),三島由紀夫作(1955)がある。平野 健次 横川小聖
    24. 青木淳悟/原田マハ[第25回三島由紀夫賞/山本周五郎賞を受賞]
    情報・知識 imidas
    アオキ・ジュンゴ。作家。 ハラダ・マハ。作家。 2012年5月15日、第25回三島由紀夫賞、山本周五郎賞(新潮文芸振興会主催)の選考会が行われ、三島賞には青木
    25. 青野聰
    日本大百科全書
    Bukowski(1920―1994)の翻訳も手がけた。 1996(平成8)~1999年、三島由紀夫賞選考委員。1997年4月からは多摩美術大学で教鞭もとってい
    26. 青山真治[ロカルノ国際映画祭で「金豹賞審査員特別賞」受賞]
    情報・知識 imidas
    ク賞をダブル受賞し、世界的に注目を集めた。自らノベライズした「ユリイカ」で、01年第14回三島由紀夫賞を受賞するなど小説家としても活躍。受賞作の「東京公園」は長
    27. あおやま-しんじ【青山真治】
    日本人名大辞典
    でロカルノ国際映画祭金豹賞審査員特別賞。自作映画のノベライズの小説「ユリイカ」が平成13年三島由紀夫賞を受賞,「ホテル・クロニクルズ」が17年野間文芸新人賞候補
    28. 青山 杉作
    日本近代文学大事典
    り、一九年俳優座同人、二四年俳優座養成所所長。毎日演劇賞、紫綬褒章を受ける。二九年一二月、三島由紀夫の『若人よ蘇れ』出演中舞台で倒れ、三一年一二月心筋硬塞のため
    29. あからみ【赤】
    日本国語大辞典
    上にはほんのりと紅らみを帯びて、唇には珍らしくも紅をさして居るらしい」*潮騒〔1954〕〈三島由紀夫〉一〇「酒焼けのした胸の赤らみと、この白髪がいかにも魁偉な対
    30. あき‐くさ【秋草】
    日本国語大辞典
    菊 アキシベ アキクサ」(3)「あきくさもよう(秋草模様)」の略。*橋づくし〔1956〕〈三島由紀夫〉「白地に黒の秋草のちぢみの浴衣を着た」
    31. アクセント
    日本国語大辞典
    いふものはアクセントだけを抽象して強調したものに他ならないのだから」*綾の鼓〔1951〕〈三島由紀夫〉「ウェイストの両わきに単純な襞(ひだ)をつけましたでせう、
    32. あく‐どう【悪童】
    日本国語大辞典
    「他人の園に入り、果実を盗むときは、常に悪童の魁首(かしら)となれり」*潮騒〔1954〕〈三島由紀夫〉六「灯台長は、その頑固な風貌と、こっそり灯台の中へ探検に入
    33. アクーニン(Akunin, Boris
    世界人名大辞典
    究者.グルジア生まれ.モスクワ大学アジア・アフリカ諸国研究所卒業[1973].翻訳家として三島由紀夫,安部公房などをロシア語訳.雑誌《外国文学》副編集長[94-
    34. あぐ・ねる【倦】
    日本国語大辞典
    口一葉〉一五「今朝から美登利の機嫌が悪くて皆なあぐねて困って居ます」*金閣寺〔1956〕〈三島由紀夫〉三「あまりあれこれと思ひあぐねた結果、私の首の附根には、赤
    35. あげ‐ぶた【上蓋・揚蓋】
    日本国語大辞典
    接続して付けられた上げ蓋を開けて、人間が入ってゆけるようになっていた」*潮騒〔1954〕〈三島由紀夫〉七「船室の入口をおほふ揚蓋に腰かけてゐたのである」ア
    36. 浅田次郎
    日本大百科全書
    大学受験に二度失敗し、1971年陸上自衛隊に入隊する。入隊の理由は、陸上自衛隊市谷駐屯地で自決した三島由紀夫の行動を少しでも理解したかったからというもので、19
    37. 浅田 次郎
    日本近代文学大事典
    2年から中央大学附属杉並高校に編入。このころから、小説を書いては出版社に持ち込んでいた。当時の浅田は三島由紀夫に憧れていて、当時目をかけてくれた編集者が三島に紹
    38. あしもと に 火(ひ)がつく
    日本国語大辞典
    危険が身辺に近づくことをいう。*橋づくし〔1956〕〈三島由紀夫〉「小弓が足許に火がついたやうに、〈略〉要求するやうになったのは」
    39. 足元に火が付く
    故事俗信ことわざ大辞典
    日本俚諺大全(1906~08)「足元(アシモト)に火(ヒ)が付(ツ)く」橋づくし(1956)〈三島由紀夫〉「小弓が足許に火がついたやうに、〈略〉要求するやうにな
    40. アジテーション
    日本国語大辞典
    「アジテーション 英 agitation 煽動又は煽動すること」*愛の渇き〔1950〕〈三島由紀夫〉三「悦子さんの味方としてアドヴァイスしたいんだけどね、むし
    41. あずかり‐て[あづかり‥]【預手】
    日本国語大辞典
    zzucarite (アヅカリテ)〈訳〉依託された物品を保管する人」*遠乗会〔1950〕〈三島由紀夫〉「間もなく預り手の家長からの手紙が、正史にホームシックを起
    42. 東浩紀[文芸]
    情報・知識 imidas
    描いた近未来のSF小説「クォンタム・ファミリーズ」によって小説の世界にも進出し、2010年度の三島由紀夫賞(→「三島賞/山本賞」)を受賞して、作家としての華麗な
    43. 東浩紀[単著としては初の小説で三島由紀夫賞を受賞]
    情報・知識 imidas
    アズマ・ヒロキ。哲学者、批評家。 2010年5月18日、その年の文学の新鋭に贈られる第23回三島由紀夫賞に、東浩紀の小説「クォンタム・ファミリーズ」(新潮社刊)
    44. あぜがみ-てるい【畔上輝井】
    日本人名大辞典
    外相と結婚。34年有田の都知事選出馬を物心両面で援助したが落選,同年離婚。これを題材とした三島由紀夫の小説「宴のあと」を有田がプライバシー侵害として告訴し,話題
    45. あっぱっぱ
    日本国語大辞典
    八「女子がアッパッパと称する下着一枚で戸外に出歩く奇風については」*愛の渇き〔1950〕〈三島由紀夫〉四「夏のあひだ半袖のゆるやかなアッパッパを着てゐたが」
    46. アドバイス
    日本国語大辞典
    ・自炊・三「貴女のアドバイスを斥(しりぞ)ける様で済ま無いけれど」*愛の渇き〔1950〕〈三島由紀夫〉三「悦子さんの味方としてアドヴァイスしたいんだけどね」
    47. あぶら‐さし【油差】
    日本国語大辞典
    動揺のために、機械と機械との狭い部分に入り込むのに、神秘的な注意を払った」*潮騒〔1954〕〈三島由紀夫〉一六「油差やラムプや油の缶のある油くさい一階には、発動
    48. アマルガム
    日本国語大辞典
    書の宗教と当時のドイツ文化との合金(アマルガム)のごときもので」*仮面の告白〔1949〕〈三島由紀夫〉三「今まで私は子供らしい好奇心と偽はりの肉感との人工的な合
    49. あみ‐ない[‥なひ]【網綯】
    日本国語大辞典
    〔名〕網をなうこと。*潮騒〔1954〕〈三島由紀夫〉八「これでは、漁具の修理や網綯(ナ)ひもできず、青年会の鼠とり作業もできないだらう」
    50. 綾鼓
    日本大百科全書
    責めさいなみ、恨みのまま、また池に沈んでいく。土岐善麿の改作には近代的な解釈と処理がみられる。三島由紀夫はその『近代能楽集』にこの能を現代劇に翻案し、1956年
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    小説家。本名平岡公威(きみたけ)。父梓(あずさ)と母倭文重(しずえ)の長男として大正14年1月14日東京四谷(現新宿区)に生まれる。満年齢が昭和の年数と一致するという点にも時代との関係がみられる。1931年(昭和6)学習院初等科に入り、高等科まで学習
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    アメリカの発明家,電気技術者。二重電信機,スズ箔蓄音機,カーボンマイクロホン,白熱電球,映画,アルカリ蓄電池,謄写印刷機などを発明,または改良したことで非常に著名である。貧しい材木商兼穀物商の家に生まれ,小学校には数ヵ月しかいかずに母親から教育を受け
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