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  11. 鶴見川

鶴見川

ジャパンナレッジで閲覧できる『鶴見川』の日本歴史地名大系のサンプルページ

日本歴史地名大系
鶴見川
つるみがわ

東京都町田まちだ上小山田かみおやまだ町と東京都八王子市南大沢みなみおおさわとの境をなす大沢峠の南の中腹の山林中に源を発し、上小山田山中の諸水源を集めて町田市図師ずし町へ向かって川を形成する。上小山田町の忠生ただお第二小学校前川幅三メートルある橋脇に「鶴見川源流点」の標柱が立つ。町田市山崎やまざき町で東に流れ、川崎市麻生あさお区を経て横浜市みどり区を東南に進み、青砥あおと町東南端で町田市木曾きそ町を源流とする恩田おんだ(延長一三・二キロ)を合流して東流、さらに北流して港北こうほく綱島上つなしまかみ町で緑区元石川もといしかわ町の保木薬師堂裏山を水源とする早淵はやぶち(延長一二・七キロ)を合流、さらに綱島東つなしまひがしと鶴見区駒岡こまおか町と川崎市さいわい南加瀬みなみかせの境界で矢上やがみ川を合流、下末吉しもすえよし台地の東側を南流して東京湾に注ぐ。本流延長四二・五キロ。恩田川との合流点より上流を谷本やもと川とも称した。

下流流域の下末吉台地際には梶山かじやま貝塚をはじめ、上台かみだい長塚原ながつかはら宝泉寺ほうせんじ・上末吉などに多くの貝塚や縄文遺跡、また上台北かみだいきた遺跡・梶山遺跡など流域台地に弥生遺跡がみられる。流域丘陵には大小の高塚式古墳や横穴墓・集落跡も点在する。

鶴見川の洪水は激しく、流域の住民をたえず苦しめた。史料にみられる治水工事は江戸時代に入ってからで、宝永二年(一七〇五)佐江戸さえど(現緑区)から生麦なまむぎ(現鶴見区)までの下流四里余の曲所瀬違い・付洲浚い・両岸切広げが幕府によって行われた(「鶴見川普請一件」鶴見区佐久間文書)。享保一五年(一七三〇)にはさらに大規模な切広げ普請がなされた。また流域村々でも自衛のための堤防補強が試みられるが、それは同時に他村に洪水被害を増大させることになり、対岸の村々、上流と下流の村々の利害の対立が生じ、しばしば争論が起こっている。同一七年小倉おぐら村・南加瀬村(現川崎市幸区)が堤上に置土したことに対し、下流のさき村・矢向やこう(現鶴見区)が苦情申立てを行っている(「訴状」鶴見区添田文書)。寛保二年(一七四二)には市場いちば村と鶴見村(ともに現鶴見区)、寛延三年(一七五〇)には矢向村・江ヶ崎村・小倉村・南加瀬村と市場村、安永三年(一七七四)には南加瀬村・矢向村・江ヶ崎村・市場村・駒岡村、たる村・大曾根おおそね村・南綱島村(現港北区)と鶴見村、寛政四年(一七九二)には大曾根・樽・師岡もろおか(現港北区)・駒岡各村と南綱島村が争っており、天保一二年(一八四一)には鶴見村の堤防工事をめぐって市場村など上流一一ヵ村との対立抗争が一年半にわたって続き、鶴見村名主が入牢する事件にまで発展している(「鶴見川水除堤争論内済証文」県史七)。また洪水被害のため寛保二年には大曾根・樽・太尾ふとお(現港北区)・上末吉・下末吉・下駒岡しもこまおか六ヵ村が三年間の助郷役を免除されている(「神奈川宿定助郷代役村覚」県史九)。治水対策は江戸時代には解決することはなかった。明治以後昭和に至るまでしばしば沿岸住民は水害被害を受け、明治四〇年(一九〇七)には大増水した多摩川の溢水が鶴見川に合流して川崎市域、港北・鶴見両区域に水害をもたらし、その後も繰返されている。ようやく昭和一四年(一九三九)に至り本格的な河川改修工事が着手され、第二次世界大戦により停滞した工事は戦後に引継がれた。しかし台風による大洪水はなくならず、同四一年・同四九年と基本計画が改訂され、さらに同五一年にも緊急計画が策定されている。

江戸時代、東海道には高さ一丈余、長さ二六間の鶴見橋が架けられ、鶴見橋を挟んで市場村と鶴見村とで売られた米饅頭は、街道名物として「江戸名所図会」にも紹介されている。鶴見川と多摩川が形成する氾濫原の地先海岸は江戸時代後期から埋立工事が始まり、昭和に入り大工場が進出し始め、京浜工業地帯の中核となり、埋立は現在も進行している。



神奈川県のおもな自然地名と道筋
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検索ヒット数 119
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検索コンテンツ
1. 鶴見川
世界大百科事典
関東地方南部の多摩丘陵から流出して,南東流し東京湾に注ぐ川。幹川流路延長43km,全流域面積235km2。水源は東京都南端部,町田市上小山田付近にあり,南東流し
2. つるみがわ【鶴見川】神奈川県:横浜市地図
日本歴史地名大系
集めて町田市図師町へ向かって川を形成する。上小山田町の忠生第二小学校前川幅三メートルある橋脇に「鶴見川源流点」の標柱が立つ。町田市山崎町で東に流れ、川崎市麻生区
3. あおとむら【青戸村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
[現]緑区青砥町・小山町 恩田川・谷本川に挟まれた地。両河川は村の東南部で合流して鶴見川となる。「風土記稿」には落合という小名がみえる。南は恩田川を境に中山村・
4. あさお[あさふ]【麻生】
日本国語大辞典
神奈川県川崎市の行政区の一つ。昭和五七年(一九八二)多摩区から分離成立。市北西部、鶴見川支流の麻生川の流域にある。かつては柿の名産地として知られた。京浜通勤圏に
5. 吾妻山遺跡群
日本大百科全書
横浜市都筑(つづき)区中川町大塚遺跡と大棚町歳勝土(さいかちど)遺跡を中心とする遺跡群で、鶴見川の一支流に臨む比高40メートルほどの台地上にある。大塚遺跡では弥
6. あやべはらいせき【綾部原遺跡】東京都:町田市/野津田村地図
日本歴史地名大系
[現]町田市野津田町 綾部原 鶴見川と小野路川の合流点に突出した標高五〇―七〇メートルの丘陵先端の東側緩斜面にある。昭和四四年(一九六九)の調査で縄文時代晩期の
7. いこのべむら【池辺村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
米二三八俵三斗余と金一両であった。天保二年(一八三一)の鶴見川通水難村々高地頭姓名書上帳(横浜市史稿)に村名がみえ、鶴見川の洪水には被害を受けた村である。鶴見川
8. いちばむら【市場村】神奈川県:横浜市/鶴見区地図
日本歴史地名大系
二丁目・市場〈上町・下町・西中町・東中町・富士見町・大和町〉 南境を鶴見川が東流し鶴見村、西境を鶴見川の枝流の古川(現鶴見川)が南流し下末吉村に対し、北は矢向村
9. いなりまえこふんぐん【稲荷前古墳群】神奈川県:横浜市/緑区/大場村地図
日本歴史地名大系
[現]緑区大場町 鶴見川左岸、大場・黒須田の谷に挟まれた標高約六〇メートルの丘陵上にある。昭和四二年(一九六七)宅地造成中に発見され、発掘調査を実施。前方後円墳
10. いわせやまよこあなぐん【岩瀬山横穴群】神奈川県:横浜市/鶴見区/駒岡村地図
日本歴史地名大系
[現]鶴見区駒岡町 鶴見川が矢上川と合流する地点よりやや下流の右岸、標高約二〇メートルの岩瀬瓢箪山丘陵麓にある。丘頂部に前方後円墳とみられる瓢箪山古墳(駒岡山古
11. うしおだむら【潮田村】神奈川県:横浜市/鶴見区地図
日本歴史地名大系
丁目・弁天町・本町通一―四丁目・下野谷町一―四丁目・大東町 南は海、西は鶴見川を隔てて生麦村、北は菅沢村に接する。鶴見川下流の字岩瀬の川底はすべて岩で、干潮時に
12. えがさきむら【江ヶ崎村】神奈川県:横浜市/鶴見区地図
日本歴史地名大系
[現]鶴見区江ヶ崎町 西南を鶴見川が流れ、東は矢向村、西は小倉村(現川崎市幸区)と接する。正保国絵図に村名がみえる。天正一九年(一五九一)旗本荒川領。同年検地と
13. おおくまむら【大熊村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
)。享和三年(一八〇三)九月の鶴見川浚普請願心得凡積(県史七)によると、鶴見川の岩床の切抜きや川幅の拡張を願出た村々に参加している。天保二年(一八三一)の鶴見川
14. おおそねむら【大曾根村】神奈川県:横浜市/港北区地図
日本歴史地名大系
[現]港北区大曾根一―三丁目・大曾根台・樽町一―二丁目・綱島西二丁目 東は樽村、西南は太尾村に接し、北は綱島村と鶴見川の間に飛地がある。田園簿に村名がみえる。元
15. おおつか・さいかちどいせき【大〓・歳勝土遺跡】
国史大辞典
横浜市都筑区中川町・大棚町に所在する弥生時代中期から後期にかけての遺跡。鶴見川の支流である早淵川中流左岸に位置する。大塚遺跡では、港北ニュータウン埋蔵文化財調
16. おかのぼりむら【岡上村】神奈川県:川崎市/麻生区地図
日本歴史地名大系
[現]麻生区岡上 北部の低地を北西から東へ鶴見川の上流谷本川が流れ、東は多摩郡三輪村、西は同郡金井村、北は同郡能ヶ谷村(以上現東京都町田市)、南は都筑郡奈良村(
17. おぐらむら【小倉村】神奈川県:川崎市/幸区地図
日本歴史地名大系
勤めた(村明細帳)。村の南を流れる鶴見川は河床が低くて灌漑用水には用いられず、しばしば氾濫を起こした。このため宝永二年と享保一五年の二度、幕府御普請が行われた(
18. おやまだのしょう【小山田荘】
国史大辞典
武蔵国多摩郡の荘園。鶴見川の上流域で、現在の東京都町田市上小山田町・下小山田町にあたる地域。鎌倉時代初期には桓武平氏秩父流の小山田有重が荘官であった。有重は保
19. おりもとかいづか【折本貝塚】神奈川県:横浜市/緑区/折本村地図
日本歴史地名大系
[現]緑区折本町 鶴見川を南に望む平坦な台地上標高三〇メートルの南半部にある。径二〇〇メートルの広さのなかに貝層が十数ヵ所分布していた。しかし第三京浜国道や宅地
20. おりもとにしはらいせき【折本西原遺跡】神奈川県:横浜市/緑区/折本村地図
日本歴史地名大系
[現]緑区折本町 鶴見川とその支流の大熊川によって開析された東西に長い台地上に占地する。標高二八メートル。古くから知られた遺跡であるが、昭和五三年(一九七八)か
21. おりもとむら【折本村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
田園簿では田二八五石三斗余、畑一三一石九斗余。田方には折本川の水や谷水を用水とした(風土記稿)。鶴見川には直接面していないが、洪水防止などのために流域の村々と行
22. 神奈川[県]画像
世界大百科事典
発しているが,京浜工業地帯の中枢部をなす川崎から横浜市鶴見区にかけての東京湾岸に臨海工業地帯が確立したのは,鶴見川河口付近の埋立地が完成した昭和初期のことであっ
23. かみすえよしむら【上末吉村】神奈川県:横浜市/鶴見区地図
日本歴史地名大系
[現]鶴見区上末吉一―五丁目・梶山一―二丁目・三ッ池公園 東北を鶴見川が南流し、西は駒岡村、南は北寺尾村・馬場村・下末吉村に接する。建武元年(一三三四)五月一二
24. かみやもといせき【上谷本遺跡】神奈川県:横浜市/緑区/上谷本村地図
日本歴史地名大系
[現]緑区柿の木台 鶴見川右岸の北東に張出す台地上、標高約四三メートルにある。昭和四五年(一九七〇)に発掘調査された。遺跡がある台地は、小支谷を挟んで二つに分れ
25. かもいむら【鴨居村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
南は上菅田村(現保土ヶ谷区)および橘樹郡下菅田村(現神奈川区)と接する。北は鶴見川対岸の池辺村・佐江戸村。鶴見川沿いの北部は平地で、神奈川宿(現神奈川区)に至
26. かもしだむら【鴨志田村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
[現]緑区鴨志田町・寺家町・たちばな台一―二丁目・若草台・すみよし台・桂台二丁目 東は鶴見川(谷本川)の対岸の鉄村・上谷本村、南は成合村・恩田村、西は奈良村、北
27. 川崎[市]
世界大百科事典
の素などの工場も建設され,工業地区が形成された。13年浅野総一郎,安田善次郎らにより,横浜の鶴見川河口から川崎に至る臨海工業地区の造成が始まり,28年約5.8k
28. かわさきく【川崎区】神奈川県:川崎市地図
日本歴史地名大系
面積:三八・一一平方キロ 市の南東部に位置し、多摩川・鶴見川両河川が東京湾に注ぐ河口地に形成されたデルタ状地で、北は多摩川を境として東京都大田区、南は東京湾、西
29. かわさきし【川崎市】神奈川県地図
日本歴史地名大系
し、東南部はおおむね沖積平野で、東端は東京湾に面する。多摩川のほか西南の横浜市との境の一部を鶴見川が流れ、ともに東京湾へ注ぐ。丘陵から流れる矢上川・五反田川・有
30. かわむこうむら【川向村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
[現]緑区川向町・東本郷町、港北区小机町 丘陵や谷戸がなく、平地ばかりの村。南側、鶴見川の対岸は本郷村と橘樹郡小机村。小机村との間には川向橋が架かる。橋を渡る道
31. かんのんまつこふん【観音松古墳】神奈川県:横浜市/港北区/矢上村地図
日本歴史地名大系
南関東における古墳の最古の一群に属し、築造年代は四世紀終り頃と考えられている。これらの古墳は鶴見川下流域の沃野を基盤とし、近畿地方の勢力との関係を背景として成長
32. くろすだむら【黒須田村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
[現]緑区黒須田町・すすき野一―二丁目・もみの木台・大場町 西南部を鶴見川の支流黒須田川が流れる。丘陵がちの典型的な谷田の村。南北に細長く、東に石川村・大場村、
33. 京浜運河
日本大百科全書
る運河。川崎港(国際戦略港湾)の中心部をなす。北東は多摩川河口南方から続く川崎航路に、南西は鶴見川(つるみがわ)河口部に設けられた鶴見航路に続いて一連の水面をな
34. こうほく[カウホク]【港北】
日本国語大辞典
横浜市の行政区の一つ。昭和一四年(一九三九)成立。市北部、鶴見川・早淵川流域の丘陵地帯にある。東海道新幹線新横浜駅がある。同四四年に緑区を、平成六年(一九九四)
35. こうほくく【港北区】神奈川県:横浜市地図
日本歴史地名大系
南は神奈川区に接する。ほぼ中央には南西部から北東部へ貫流する鶴見川、北西部から中央部で鶴見川と合流する早淵川、北東部の区境を流れる鶴見川支流矢上川とがあり、各流
36. こづくえむら【小机村】神奈川県:横浜市/港北区地図
日本歴史地名大系
南は下菅田村(現神奈川区)、西は都筑郡本郷村(現緑区)、北は川向村(現緑区)に接する。北境を鶴見川が東流し、東方を鳥山川がかすめる。字水流し堀から清水を引いて用
37. こまおかむら【駒岡村】神奈川県:横浜市/鶴見区地図
日本歴史地名大系
[現]鶴見区駒岡町・梶山二丁目 北境を鶴見川が東流し、東は上末吉村、南は北寺尾村・獅子ヶ谷村、西は師岡村・樽村(現港北区)に接する。年未詳一二月二日の文竜・寿天
38. こまがはしむら【駒ヶ橋村】神奈川県:横浜市/港北区地図
日本歴史地名大系
の監視・禁猟などが命じられ、嘉永五年(一八五二)の下駒ヶ橋村御用留(同文書)によると、秋には鶴見川を中心に捉飼が行われ、鷹匠休泊と出人馬の一三ヵ村組合の一村とし
39. コレラ
世界大百科事典
消していたが,77年有田市,78年東京上野の池之端文化センターを中心とする流行,また神奈川県の鶴見川のコレラ菌汚染など,コレラ汚染地域からの旅行者,輸入食品の汚
40. さいわいく【幸区】神奈川県:川崎市地図
日本歴史地名大系
境に東京都大田区、南は川崎区・横浜市鶴見区、西北は中原区・横浜市港北区に接し、港北区との境に矢上川・鶴見川が南流する。区域は沖積平野であるが、北西には独立丘陵の
41. さえどむら【佐江戸村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
村の西部で恩田川と合流して鶴見川となる。西は谷本川右岸の青戸村、北は川和村に接する。鶴見川は合流点よりしばらく南行したあと、東へ向かって流れるが、その対岸には中
42. さるやまむら【猿山村】神奈川県:横浜市/緑区地図
日本歴史地名大系
[現]緑区上山町・白山町 鶴見川に沿った北部の平地を八王子道が通る。道は神奈川宿(現神奈川区)から東の鴨居村を経て当村に入り、村内をほぼ東西に走り西の中山村に通
43. さわやまじようあと【沢山城跡】東京都:町田市/三輪村地図
日本歴史地名大系
[現]町田市三輪町 鶴見川に臨む台地の先端部にある中世の城跡。三輪城ともいう。所在地の通称は城山・七面山とも。数個の郭からなり、現在七面堂(七面神を祀る祠)の建
44. さんのまるいせき【三の丸遺跡】神奈川県:横浜市/緑区/池辺村地図
日本歴史地名大系
[現]緑区川和町・池辺町 鶴見川の支流大熊川の上流域に面する広大な台地上にある。台地は標高七四から五八メートルの高位の台地と五〇メートル前後の段丘状の台地で構成
45. しのはらむら【篠原村】神奈川県:横浜市/港北区地図
日本歴史地名大系
南は六角橋村・神奈川宿(現神奈川区)、西は岸根村・鳥山村、北は都筑郡新羽村に接している。北西を北流する鶴見川側に大豆戸村が入込む。西境を鳥山川が北流し、村内の悪
46. しもすえよしむら【下末吉村】神奈川県:横浜市/鶴見区地図
日本歴史地名大系
[現]鶴見区下末吉一―六丁目・梶山一丁目・三ッ池公園 東に鶴見川が南流し、北は上末吉村、西は駒岡村、南は北寺尾村・鶴見村と接する。建武元年(一三三四)五月一二日
47. しもみわよこあなぼぐん【下三輪横穴墓群】東京都:町田市/三輪村地図
日本歴史地名大系
[現]町田市三輪町 鶴見川により開析された多摩丘陵のうち、支流の谷本川右岸の中流域の玉田谷戸の南斜面に展開する横穴墓群。四基からなるが、第一号・第三号墓は、横穴
48. しょうせんづかかいづか【小仙塚貝塚】神奈川県:横浜市/鶴見区/下末吉村地図
日本歴史地名大系
[現]鶴見区下末吉六丁目 鶴見川右岸の下末吉台地北東部、小仙塚とよばれる標高四三メートルの南東から北西に張出した舌状台地にある。昭和一〇年(一九三五)に発掘調査
49. しんこうじひろはかまいせきぐん【真光寺広袴遺跡群】東京都:町田市/真光寺村地図
日本歴史地名大系
[現]町田市真光寺町・広袴町 多摩丘陵のほぼ中央にあり、鶴見川の支流真光寺川の谷に張出すいくつかの小丘陵一帯に分布し、大久保遺跡・三矢田遺跡・日影山遺跡・山王坂
50. しんこうじむら【真光寺村】東京都:町田市地図
日本歴史地名大系
区)境に甲州道中に抜ける布田道が通る。真光寺川は北西から東方に流れ、広袴村を通って能ヶ谷村で鶴見川に合流する。真光寺という古刹があったので村名になったといい、今
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[現]引佐町井伊谷。現引佐町の南部、井伊谷川に神宮寺(じんぐうじ)川が合流する小盆地に立地する。「和名抄」にみえる引佐郡渭伊(いい)郷の中心をなしていたという。渭伊は井からの転化とされ、井水を神聖視する聖水祭祀を行ってきた豪族が栄えた地という
中京区(京都市)(日本歴史地名大系)
面積:一二三・三二平方キロ 京都市の中央部に位置し、北は丸太町通北及び二条城北側を回って千本通西側を境として上京区に接し、東は鴨川を境に東山区及び左京区に、南は四条通北及び大宮通以西では松原通を境に下京区に、西は北側が西小路通西、南側が西大路通東を境に右京区に接する。
大東町(静岡県小笠郡)(日本歴史地名大系)
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東大阪市(日本歴史地名大系・世界大百科事典)
面積:六一・七二平方キロ河内地方の中央東部に位置し、東部は大和との境をなす生駒山地と、西麓の傾斜地・扇状地からなり、金剛生駒国定公園の一部を占める。中央部は恩智(おんぢ)川・玉串(たまくし)川、西部は第二寝屋川・長瀬(ながせ)川流域の沖積低地を市域と
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沖縄本島北部地域の呼び名。漢字で「山原」と書く。行政的には大宜味(おおぎみ)、東、国頭(くにがみ)の3村をさすことが多い。世界でもこの地域にしか分布していないキツツキの一種ノグチゲラの生息地として知られていたが、1981年(昭和56)にヤンバルクイナ
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