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  11. 川柳

川柳

ジャパンナレッジで閲覧できる『川柳』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
川柳
せんりゅう
近世後期、江戸を中心に流行し、近代に継承された雑俳様式。俳句とちがって、人事人情を主題とする無季・無切字の十七音句。明治時代中期の革新運動によって、意識的に「狂句」名が嫌われ、「川柳」に統一されてきたが、様式の本体を明示し、かつ、初代(柄井)川柳以後の、たとえば、「初めより一句に作りたるが多ければ俳風狂句とよべるぞおのれがわざくれ」(自画像賛)という四世川柳賤丸や、柳風式法を定めた五世佃(たつくり)の「柳風狂句」も包含する史的な呼称としては「川柳風狂句」が適切である。江戸雑俳前句付は、享保の末、初代収月によって中興され、江戸の都会的軽妙さを発揮、初代川柳もこの新風前句付の点者の一人として立った。しかも、前句題軽視の傾向は見られるとしても、初代川柳は生涯、万句合興行を行なった前句付点者であるから、実は、「川柳風狂句」の創始者という名にはなじまない。しかし、一方、彼の万句合摺物から、さらに句を抜き、前句なしで鑑賞するように編まれた『誹風柳多留』(初編明和二年(一七六五))が世に迎えられ、川柳風即柳多留と世間に受けとられ、逆に、前句付の付句独立への気運が生じたのも事実であり、この意味から新様式の祖として仰がれることになった。ただし、川柳風狂句が完全に独詠化し一句立するのは、川柳没後間もない文化初年のことである。それも、俳諧史全体からみれば、すでに元禄時代に、付合を軽視した点取俳諧が流行し、江戸座における紀逸の『武玉川』(寛延三年(一七五〇))以下の付合高点句集の刊行もあって、連句一巻の運びよりも、平句一句を尊重し楽しむ傾向が強まり、同時に、発句も連句から独立分離した一句として認識されて、発句合が行われるなど、座を必要としない単独詠への全体の動向の中のできごとであるから、『柳多留』刊行は、その引きがねの役を果たしたものといえよう。しかも、俗な人事人情を滑稽に表現しようという、いわゆる「俳諧」精神は、発生期の中世の連歌にまでさかのぼり、初期の俳諧を一貫して保持された「下克上」的伝統といってよく、松尾芭蕉の出現によって、純正連歌的境地に引き上げられ、異質なまでに高度な文学性を持つに至ったが、芭蕉連句の一部をも含めて、初期俳諧精神は別に生き残り、雑俳前句付の世界として大衆化、俳諧の底流として俳壇を支え、たまたま初代川柳の出現と『柳多留』により開花したのである。初代川柳の選句は、感情表現を中心とした前句題を支えにしていたため、余韻があり詩性も豊かであった。「川柳の三要素」として、「滑稽・穿ち・軽み」が水府によって提唱されたように、生きた人生を客観的に見て、それをやわらかい大人の感情で包むようなところに本領があった。一種の悟りと諦観のような味も出ており、諷刺もそんな境地から出てくるものであったが、二代以下の「狂句」になると、寛政・天保の二改革という、政治の圧力を外部から受けて、政治道徳に屈服して人間性を押し隠し、内部では、皮肉なことに、前句を捨てたことによって生活感情を表現することを忘れ、初代川柳も要求した「趣向」倒れとなり、観念的な駄洒落句を量産するのだが、それは時代相というべきであろう。ただ、その流行は衰えをみせず、江戸近在から、東海・近畿、また東北にまで勢力をのばして明治の革新に至るのである。正岡子規の影響を受けた阪井久良伎は、明治三十年(一八九七)代に入って積極的に活動、「柳句」を江戸新風俗詩として再生させようとし、ついで、「新柳樽派」を称した井上剣花坊が立ち、双璧として復古運動を行なった。大正から昭和にかけて、前者の系統を引く伝統川柳界では、『番傘』によった水府、江戸調の『きやり』の周魚、純正詩を求めた『川柳雑誌』(のち『川柳塔』と改称)の路郎、川柳即人間を唱えた『ふあうすと』の紋太、俳諧にまでその源をたずねて平句性を追求した『せんりう』の雀郎、『川柳研究』の三太郎のいわゆる「六巨頭」時代を迎えた。一方、剣花坊は、社会性を追求して『川柳人』により、プロレタリア川柳へ進み、吾呂八や鶴彬は前衛川柳派として反戦作品を発表、第二次世界大戦中に軍の弾圧を受けた。戦後の革新系作品は、俳句の側の革新派作品と区別できず、どこかで、俳句・柳句の境界の整理か新様式の確認がされなければならないであろう。伝統派もまた詩性を求めるに急で、ともすると叙情にはしり、「蕉風川柳」と称すべきものとして、伝統俳句に接近しているのも川柳風狂句の伝統から見れば奇妙なことである。現在の新聞や雑誌が、「時事川柳」「艶笑川柳」の欄を設けて句を集めているのは、今なお、川柳風狂句の基本である「諷刺」と「滑稽(穿ち)」が生きている証であり、その精神を広く生活全般に及ぼすとき、真の再生が成るのではないか。
[参考文献]
古川柳研究会編『川柳評万句合』、岡田甫校訂『誹風柳多留全集』、宮田正信校注『誹風柳多留』(『新潮日本古典集成』)、阿達義雄『江戸川柳の史的研究』、浜田義一郎『江戸川柳辞典』、鈴木勝忠「川柳の位置」(『連歌俳諧研究』一六)
(鈴木 勝忠)


日本大百科全書(ニッポニカ)
川柳
せんりゅう

江戸中期に始まる17音の短詩。雑俳(ざっぱい)の一様式である前句付(まえくづけ)から、付句(つけく)の五・七・五だけが独立して詠まれるようになったもの。人の見逃しがちな、人事・世相・歴史などの断面をおもしろく指摘してみせる句風で、俳諧(はいかい)にも詠み残されたような、ごく卑俗な題材まで、諸事百般余すところなく句の対象とするところが特色である。
[岩田秀行]

名称

前句付の点者、柄井川柳(からいせんりゅう)の号にちなむ。古くは、「前句(まえく)」「川柳点(せんりゅうでん)」「川柳句」「川柳」「柳樽(やなぎだる)」「狂句(きょうく)」などとさまざまによばれていたが、明治以降「川柳」に定着する。なお、「川柳」の呼称は、人名の柄井川柳とも紛らわしく、時代による性格の変化を十全に表しえないため、歴史的には、「前句付」、「川柳風狂句」(この時代までは「雑俳」の一様式)、「新川柳」、「現代川柳」と区別するのが適切であろう。
[岩田秀行]

歴史

前句付

柄井川柳は、1757年(宝暦7)前句付の点者を始める。そして、65年(明和2)に、その前句付入選句のなかから、付句だけでも句意のわかる句を選んだ『柳多留(やなぎだる)』という抜粋付句集が出版され、この前句を省略した付句のみの句集が大好評を博し、やがて川柳評の前句付はしだいに、前句と付句との関連性を希薄にしてゆくようになる。この時期の句は、いわゆる「古川柳(こせんりゅう)」として人口に膾炙(かいしゃ)されている佳句が多いが、その句風は川柳評独自というよりも、これ以前の前句付や同時代の他評前句付、また江戸座(えどざ)の俳諧などと類似の句風である。
はなれこそすれはなれこそすれ
子が出来て川の字なりに寐(ね)る夫婦(『川柳評万句合』宝暦8年)
[岩田秀行]

川柳風狂句

1777年(安永6)ごろから、川柳評は前句と付句との関連がなくなり、87年(天明7)からは、前句の出題も完全になくなって、付句だけが単独に詠まれる形式となる。この時期以降は滑稽(こっけい)味の強い句が増え、とくに柄井川柳没後は、狂句とよぶにふさわしい句調となる。表現的には、この時期以降、川柳評独特のものが生まれ、前句題のかわりに、「浅黄裏(あさぎうら)(=野暮(やぼ)な田舎(いなか)侍)」「相模下女(さがみげじょ)(=好色野鄙(やひ)な下女)」「居候(いそうろう)」など、俳諧の季題に相当するような滑稽な類型的表現が定着する。
居候ある夜の夢に五はい食ひ(『柳多留』82編)
[岩田秀行]

新川柳

1900年ごろ(明治30年代後半)、阪井久良岐(さかいくらき)、井上剣花坊(いのうえけんかぼう)によって、川柳革新運動がおこり、文学的営為としての新川柳が意識される。やがて、川上三太郎(かわかみさんたろう)、前田雀郎(まえだじゃくろう)、村田周魚(むらたしゅうぎょ)、岸本水府(きしもとすいふ)、麻生路郎(あそうじろう)、椙元紋太(すぎもともんた)などの川柳作家が輩出、俳句と並んで川柳は大衆に広まった。
憧(あこが)れを画(えが)けと空はただ青し 剣花坊
[岩田秀行]

現代川柳

新川柳時代のさまざまな傾向が推し進められ、伝統的傾向、社会諷詠(ふうえい)的傾向、革新的傾向など、その句風はきわめて多様化してきた。とくに前衛的な流派は、俳句や現代詩などと区別がつけがたくなっている。
母を捨てに石ころ道の乳母車 時実新子(ときざねしんこ)
[岩田秀行]

俳句との相違

川柳と俳句は、五・七・五の同形式であるが、俳句は俳諧の発句(ほっく)が独立したものであり、川柳は雑俳の付句が独立したものである。つまり、俳句のもつ、季語・切れ字の約束、句調の重さなどという特色は、発句の性格を受け継いだものであり、川柳のもつ、自由な題材、句調の軽さ、連用形による終止などの特色は、付句の性格を受け継いだものといえる。
[岩田秀行]



改訂新版 世界大百科事典
川柳
せんりゅう

前句付(まえくづけ)から独立した雑俳様式の一つ。川柳風狂句。17音を基本とする単独詠だが,発句(ほつく)のように季語や切字(きれじ)を要求せず,人事人情を対象にして端的におもしろくとらえる軽妙洒脱な味を本領とする。江戸の柄井川柳が《柳多留(やなぎだる)》(初編1765)で前句付の前句を省く編集法をとったため,しだいに付け味よりも付句一句の作柄が問題とされ,やがて5・7・5単独一句で作られるようになり,初代川柳の没後,〈下女〉〈居候〉などの題詠として前句付様式から離脱独立した。〈川柳〉の名称が一般化したのは明治の中ごろからである。

初代川柳は選句の基準として3分野を設定し,〈高番(こうばん)〉(古事,時代事),〈中番(なかばん)〉(生活句),〈末番(すえばん)〉(恋句,世話事,売色,下女)に分けており,以後,代々の川柳もこれを踏襲している。まさに〈人の挙動(ふるまい),心のよしあし,尊卑の人情,上下の人心の有様,其外,世の事情をざれ句にいへるもの〉(《塵塚談》)であって,世態人情を軽妙にうがち諷する詩風を樹立したが,初代の死と寛政改革とが重なって打撃をうける。〈役人の子はにぎにぎを能(よく)覚え〉(《柳多留》初編),〈坪皿の明くを見て行くしち使〉〈寝ごい下女車がゝりを夢のやう〉(同三編)など,政治,博奕(ばくち),好色の句が《柳多留》の再板本ではさし替えられており,自由な発想も政治的圧力に封ぜられた。さらに天保改革にあたって5世川柳の腥斎佃(なまぐさいたつくり)(1787-1858)は〈敬神愛国,勧善懲悪〉という道徳を至上の目標に掲げるなど,初期の批判的詩精神を消失してしまった。皮肉なことに,川柳風狂句は前句付様式から独立をかちえたと同時に,そのはつらつとしたエネルギーを失ったことになる。しかし狂句人口は増加し,江戸を中心に,北は山形,米沢へ,東は相模,松本,名古屋,飛驒,京,大坂に拠点ができ,全国的な支持を受けて広まったが,やがて知的遊戯におちた狂句をきらい,初代の古川柳への復古をとなえる明治の新川柳運動の標的にされることになる。
→雑俳(ざっぱい)
[鈴木 勝忠]

近代の川柳

1903年(明治36)井上剣花坊,阪井久良伎(くらき)の,川柳は《柳多留》(初編)に戻れという提唱で近代川柳は始まる。2人はそれぞれ《日本》《電報》両新聞に拠って普及につとめた。剣花坊門の村田周魚は《川柳きやり》(1920),川上三太郎は《川柳研究》(1929)を発刊し,久良伎門の前田雀郎は24年丹若会を結成,今井卯木が1909年関西川柳社を創立,西田当百,岸本水府の《番傘》(1913),麻生路郎(じろう)の《川柳雑誌》(1924),椙元(すぎもと)紋太の《ふあうすと》(1929)が生まれるに至った。吟社の数は現在では全国800余社を数えるに至っている。
[神田 仙之助]

[索引語]
柄井川柳 柳多留(やなぎだる)∥柳樽 高番 中番 末番 腥斎佃 川柳風狂句 井上剣花坊 阪井久良伎 今井卯木 西田当百 岸本水府 麻生路郎 椙元(すぎもと)紋太
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全文全訳古語辞典
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大正から昭和にかけて、前者の系統を引く伝統川柳界では、『番傘』によった水府、江戸調の『きやり』の周魚、純正詩を求めた『川柳雑誌』(のち『川柳塔』と改称)の路郎、 ...
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18. せんりゅう【川柳(2代)】
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日本人名大辞典
1847−1927 明治-大正時代の日本画家。弘化(こうか)4年10月生まれ。生地の名古屋で中野水竹,吉田稼雲につき,京都で文人画をまなぶ。詩や書もよくした。名 ...
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野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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