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  11. マルコ・ポーロ

マルコ・ポーロ

ジャパンナレッジで閲覧できる『マルコ・ポーロ』の世界人名大辞典・世界文学大事典のサンプルページ

岩波 世界人名大辞典
マルコ・ポーロ
Marco Polo
1254~1324.1.8

ヴェネツィアの商人,東洋旅行家.

父(Niccolo P.)および叔父(Matteo P.)は,クリミア半島からキプチャク・ハン国に至ったが,戦乱のため帰路を閉ざされてさらに東方に向かい,モンゴル帝国の首都ドロンノール(上都開平府)においてクビライに拝謁した [1264(65)].クビライはローマ教皇からの使者派遣を要請し,両人はこの要請を伝達するため帰国し,東地中海のアッコンに到達したが,教皇座が空位のためヴェネツィアに戻る [69].両人は,教皇グレゴリウス10世から2人のドミニコ会修道士の同行許可を得るとともに,マルコ・ポーロをともない,再び東方に出発した [71].モンゴルとエジプトのマムルーク朝との戦乱のため,修道士たちは地中海東岸で引き返すが,父,叔父とマルコが教皇親書を託されて旅を続け,ドロンノールに到着してクビライに拝謁した [74].こののちマルコはクビライの知遇を受けて宮廷に留まり,使者として雲南,東南アジア,インドなどに派遣された.およそ17年間中国に滞在したのち,イル・ハン国のアルグンの新王妃に選ばれたコカチン姫を,イル・ハン国まで護衛する任務を受けてクビライの宮廷を出発し [90],海路ホルムズを経てイル・ハン国に到達,姫を送り届けたのち,ヴェネツィアに戻った [95].帰国後,ヴェネツィアとジェノヴァとの戦争に参加して捕虜となり [98],捕囚中に,ピサのルスティケッロ(Rustichello da Pisa)に東方での見聞を口述.これがフランス語で《世界の驚異についての書(東方見聞録):Livre des merveilles du monde》として発表され,ラテン語,イタリア語など各国語に翻訳されて流布した.同書において,アジア各地の歴史と住民に関しての記述がなされ,ジパング(Zipangu; 日本)に関する記述もあり,ルネサンス期西欧のアジアに関する知識の源泉の一つとなった.しかし《元史》をはじめ中国側の史料に彼の名は一切確認されない.ジェノヴァから釈放されたのち,ヴェネツィアで没.



デジタル版 集英社世界文学大事典
ポーロ マルコ
Marco Polo
イタリア 1254-1324.1.8
イタリア半島ヴェネツィア共和国の旅行家,貿易商人。1271年,父親ニッコロと叔父マッテーオの第2回東方旅行に従って,陸路カターイ(中国)に達し,フビライ・ハーンに重用された。17年間の滞在中には,揚州地方の総督にも任ぜられ,中国各地を訪れて,見聞を広めた。帰途は海路を経て,幾多の困難ののちにヴェネツィアへ着いたのは,95年のことであり,通算四半世紀に及ぶ大旅行であった。
おそらく,98年9月のクルツォラ沖海戦で,当時,東方貿易で敵対関係にあったジェーノヴァ共和国軍船の捕虜となり,ジェーノヴァの獄中につながれた。その時,同じく獄中にあったピーサの物語作家ルスティケッロに口述筆記させたのが,今日伝わる『東方見聞録』Le divisament dou mondeの祖本である。ルスティケッロはそのころ通用していたガリア地方の言葉で文字に書きまとめたらしいが,祖本は失われて,古フランス語に類別される写本と,「最良版」Ottimo(1309年以前)と通称されるトスカーナ地方語テクスト,その他イタリア語に類別される諸本とが,残った。ただし,これらには,原著者マルコ・ポーロの異名,イル・ミリオーネ(百万長者,もしくは百万虚言者)Il Milioneが共通して冠せられている。後半生の消息には,不明の部分が多いが,長からぬ囚人生活を終えて,ヴェネツィアに戻り,貴族の家系の女性ドナータ・バドエールを娶(めと)り,3女を儲(もう)けたという。
東洋の神秘の島国日本の記述を含んだ『東方見聞録』は,多数の言語に訳出され,一つには,東方への交易と布教の関心を飛躍的に高め,一つにはまた,いわゆる大航海時代を用意し,さらには地理上の発見をもたらした。
(河島英昭)
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検索コンテンツ
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19. アラビアン・ナイト 10 31ページ
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rアラビアン・ナイト』ではシソドバードの航海物語その他の場所でこの,鳥のことを伝えている。マルコ・ポーロは,中国からの帰途,インド洋を航行したが,マダガスカルの ...
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「マルコ・ポーロ」の情報だけではなく、「マルコ・ポーロ」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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