NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 山本五十六

山本五十六

ジャパンナレッジで閲覧できる『山本五十六』の世界大百科事典のサンプルページ

世界大百科事典
山本五十六
やまもといそろく
1884-1943(明治17-昭和18)

明治・大正・昭和期の軍人。新潟県出身。1904年海軍兵学校(32期)卒業,05年日本海海戦で重傷,16年海軍大学校(14期)卒業後,海軍大学校教官,駐米武官,空母〈赤城〉艦長などを経て30年ロンドン軍縮会議随員を務めた。34年軍備制限予備会議全権委員,35年海軍航空本部長,36年海軍次官などを歴任し,米内光政海相を補佐して日独伊三国同盟の締結に反対した。39年平沼騏一郎内閣の総辞職に伴って中央を離れ,連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官となった。40年大将昇進,41年連合艦隊司令長官専任となり,太平洋戦争の指揮をとり,初戦に大勝利を博したが,43年4月18日ソロモン諸島ブーゲンビル島上空で搭乗機を撃墜されて戦死,元帥を贈られ,6月5日国葬が行われた。
[木坂 順一郎]

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


山本五十六の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 67
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 山本五十六画像
日本大百科全書
昭和期の海軍軍人。明治17年4月4日新潟県生まれ。海軍兵学校32期、海軍大学校14期卒業。第一次世界大戦後の3回にわたる在米勤務ののち、いち早く航空機の将来性に ...
2. 山本五十六[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー ...
3. 山本五十六
世界大百科事典
1884-1943(明治17-昭和18) 明治・大正・昭和期の軍人。新潟県出身。1904年海軍兵学校(32期)卒業,05年日本海海戦で重傷,16年海軍大学校(1 ...
4. やまもと‐いそろく【山本五十六】
日本国語大辞典
軍人。海軍大将。新潟県長岡出身。海兵・海大卒。駐米武官、第一航空戦隊司令官、海軍航空本部長、海軍次官を経て連合艦隊司令長官となる。真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦な ...
5. やまもといそろく【山本五十六】
国史大辞典
隊』一―四(『戦史叢書』九一・八〇・七七・三九)、反町栄一『人間山本五十六』、山本義正『父・山本五十六』、阿川弘之『山本五十六』 (野村 実)  ...
6. 山本五十六
日本史年表
1943年〈昭和18 癸未〉 4・18 連合艦隊司令長官 山本五十六 、前線視察途中ソロモン群島上空で戦死(5月21日公表、6月5日国葬)。  ...
7. やまもと-いそろく【山本五十六】画像
日本人名大辞典
1884−1943 明治-昭和時代前期の軍人。明治17年4月4日生まれ。航空本部長,海軍次官などを歴任し,航空兵力の整備につとめ,日独伊三国同盟に反対した。昭和 ...
8. 山本五十六[文献目録]
日本人物文献目録
井茂『素描山本五十六』杉本健『父山本五十六への訣別』山本義江『特集山本元帥を偲ぶ』-『人間山本五十六』高木惣吉『山本五十六』渡辺安次『山本五十六を屠れ!』T・ラ ...
9. 社告 保阪正康『山本五十六の戦争』
週刊エコノミスト 2018-19
この記事は本文を表示できません。  ...
10. 阿川弘之
日本大百科全書
それを題材とした絵本『きかんしゃやえもん』(岡部冬彦絵・1959)などのユーモラスな作品や、『山本五十六(やまもといそろく)』『暗い波濤(はとう)』『戦艦長門( ...
11. 阿川弘之
イミダス 2018
周作や吉行淳之介、安岡章太郎らとともに「第三の新人」と呼ばれた。海軍提督3部作と呼ばれる「山本五十六」(69年)、「米内光政」(78年)、「井上成美」(86年、 ...
12. あがわ-ひろゆき【阿川弘之】
日本人名大辞典
を確立。戦争体験とその後の生活をえがいたほか,軍人の伝記をかき,おもな作品に「暗い波濤」「山本五十六」「井上成美」など。吉行淳之介,遠藤周作らとともに「第三の新 ...
13. 井上成美
日本大百科全書
横須賀鎮守府参謀長などを歴任した。1937年(昭和12)軍務局長に就任し、米内光政(よないみつまさ)海相、山本五十六(やまもといそろく)次官とともに日独伊三国同 ...
14. いのうえしげよし【井上成美】
国史大辞典
万一に備えて、天皇の御召艦比叡を芝浦に回航させた。同十二年十月二十日第一次近衛内閣の米内海軍大臣、山本五十六次官のもとに軍務局長となり、平沼内閣下で、陸軍の要求 ...
15. 火中(かちゅう)の栗(くり)を拾(ひろ)う
故事俗信ことわざ大辞典
火の中の栗を求めてゐながら、どっちも思ひきって、手を突込むことが出来なかったのだ」古賀峯一宛山本五十六書簡‐昭和一六年(1941)一月二三日「帰艦の際非常に不安 ...
16. かんたいは【艦隊派】
国史大辞典
加藤・末次・山本英輔・小林省三郎らを中心とする艦隊派と、山梨・左近司政三・寺島健・堀悌吉・山本五十六らの条約派に分裂した。特に艦隊派は、過激な青年士官グループや ...
17. きんそうん【金素雲】
国史大辞典
三九年(昭和十四)十月、李光洙らと御用文学団体、朝鮮文人協会設立の発起人となり、四三年六月、山本五十六の死を悼む詩を発表した。第二次世界大戦後、帰国して韓国文学 ...
18. くうぐん【空軍】
国史大辞典
大西滝治郎中将らの航空中心主義者は飛行機一千機の生産を主張して、激しい論戦となり、海軍航空育ての親といわれた山本五十六も「戦艦は床の間の飾りだ」、という表現で慰 ...
19. くどう-みよこ【工藤美代子】
日本人名大辞典
平成3年「工藤写真館の昭和」で講談社ノンフィクション賞。ほかに「双葉山はママの坊や」「海燃ゆ―山本五十六の生涯」など。東京出身。コロンビア-カレッジ卒。本名は加 ...
20. こがみねいち【古賀峯一】
国史大辞典
第二艦隊・支那方面艦隊各司令長官を経て、十七年五月大将に進級したが、十八年四月、青年士官時代からの親友山本五十六大将がソロモン戦線で戦死したので、その後任として ...
21. こが-みねいち【古賀峯一】画像
日本人名大辞典
歴任。太平洋戦争中,支那方面艦隊司令長官,横須賀鎮守府司令長官などをへて,昭和18年戦死した山本五十六(いそろく)の後任として連合艦隊司令長官に就任。昭和19年 ...
22. 国葬
日本大百科全書
せき)(1926)、東郷平八郎(1934)、西園寺公望(さいおんじきんもち)(1940)、山本五十六(いそろく)(1943)、閑院宮載仁(かんいんのみやことひと ...
23. 国葬
世界大百科事典
(1926),東郷平八郎(1934),西園寺公望(1940),山本五十六(1943),閑院宮載仁親王(1945)の20名がいる。田中 浩 国葬令 大喪儀 喪儀  ...
24. こくそう【国葬】
国史大辞典
松方正義(同十三年)、昌徳王李(同十五年)、東郷平八郎(昭和九年(一九三四))、西園寺公望(同十五年)、山本五十六(同十八年)、閑院宮載仁親王(同二十年)が国葬 ...
25. しまだしげたろう【嶋田繁太郎】
国史大辞典
二十四日、旧幕臣嶋田命周の長男として東京に生まれる。三十七年十一月、海軍兵学校卒業、同期に山本五十六がいる。日本海海戦には巡洋艦和泉乗組としてバルチック艦隊の偵 ...
26. 真珠湾攻撃
日本大百科全書
告を可決した。太平洋戦争開始のきっかけとなったこのハワイ作戦計画は、1941年そうそうから山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官の下で練られ、攻撃部隊は11月2 ...
27. 真珠湾攻撃
世界大百科事典
れた。日本側は飛行機29機,特殊潜航艇5隻,人員64名を失った。この作戦は連合艦隊司令長官山本五十六の発案によるもので,日本海軍が永年にわたり練り上げた要撃作戦 ...
28. しんじゅわんこうげき【真珠湾攻撃】
国史大辞典
太平洋戦争の劈頭に行われた攻撃である。日米間の緊張がたかまったのに伴い、昭和十六年十月十九日海軍は山本五十六連合艦隊司令長官の主張をいれ、開戦の際には真珠湾の先 ...
29. 「述志」[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2018
旧日本海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六が残した遺書の標題。1939年5月31日付と41年12月8日付の2通ある。2008年12月1日、大分県教育委員会は、大 ...
30. せんそうろく【戦藻録】
国史大辞典
軍令部第一部長として政策決定に関与し、昭和十六年(一九四一)八月からは連合艦隊参謀長として山本五十六を補佐。昭和十七年十一月中将。山本がソロモン諸島で機上戦死し ...
31. たかぎそうきち【高木惣吉】
国史大辞典
作に従事し、海相米内光政を補佐した。自身の見聞・活動を記録した著書として『高木惣吉日記』『山本五十六と米内光政』『太平洋海戦史』『私観太平洋戦争』『高木海軍少将 ...
32. たかぎ-そうきち【高木惣吉】
日本人名大辞典
おこなった。昭和54年7月27日死去。85歳。熊本県出身。海軍大学校卒。著作に「太平洋海戦史」「山本五十六と米内光政」など。 ...
33. 多磨霊園
日本大百科全書
中山晋平(しんぺい)、下村観山(しもむらかんざん)らの芸術家、東郷平八郎(とうごうへいはちろう)、山本五十六(いそろく)らの軍人、西園寺公望(さいおんじきんもち ...
34. たまれいえん【多磨霊園】東京都:府中市/人見村地図
日本歴史地名大系
同一八年の都制施行で都営となった。埋葬されている著名人として、軍人には東郷平八郎・児玉源太郎・西郷従道・山本五十六・岡田啓介、政治家には高橋是清・西園寺公望・大 ...
35. だいにじろんどんかいぐんぐんしゅくかいぎ【第二次ロンドン海軍軍縮会議】 : ロンドン海軍軍縮会議
国史大辞典
続けたが七月十七日交渉は中止され、十月二十三日に再開された。岡田内閣は駐英大使松平恒雄に加えて山本五十六少将を代表として派遣した。当時日本国内では国家主義意識が ...
36. 塵壷 河井継之助日記 264ページ
東洋文庫
山本五十六が揮毫した河井継之助の格言一忍可三以支二百勇一 一忍 以て 百勇を支う可く一静可三以制二百動一 一静 以て 百動を制す可し 昭和乙卯(十 ...
37. 塵壷 河井継之助日記 265ページ
東洋文庫
として家名断絶されたが、恩赦の後家名をついだのが、旧姓高野と云った今の海軍次官、海軍中将、山本五十六だ。 家来、渡辺豹吉の弟は、かつて行政裁判所評定官をやった法 ...
38. 塵壷 河井継之助日記 315ページ
東洋文庫
負うた。そこで父に促され、ついに涙を揮っ て父を介錯して走るといった悲劇もあった。 また山本五十六(元帥、昭和十八年没、享年六十)の祖父・高野秀右衛門(号は秀 ...
39. 永野修身
日本大百科全書
務めたあと軍事参議官、1941年4月から1944年2月まで軍令部総長。対米開戦にあたっては強硬派の代表として山本五十六(やまもといそろく)のハワイ航空奇襲作戦を ...
40. に
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001~14頃〕桐壺「弘徽殿には久しく上の御局にも、参(ま)う上り給はず」*山本五十六〔1964~65〕〈阿川弘之〉五・二「陛下には非常なる御不満 ...
41. 日本のおもな博物館
日本大百科全書
番号〕0258-35-0185〔開館年〕1968〔収蔵物・展示〕長岡藩政資料、河井継之助・山本五十六(いそろく)関係資料など。〔休館日〕月曜(祝日の場合翌日)、 ...
42. ふくとめ-しげる【福留繁】
日本人名大辞典
昭和16年軍令部第一部長となり,真珠湾攻撃作戦の計画にたずさわった。17年海軍中将。18年山本五十六(いそろく)司令長官戦死後,連合艦隊参謀長。戦後は水交会理事 ...
43. ブーゲンビル島
日本大百科全書
第二次世界大戦中の42年に日本軍が占領、航空基地となり、海空戦の激戦地となった。43年連合艦隊司令長官山本五十六(いそろく)の搭乗機がこの島上空でアメリカ機に撃 ...
44. ほりていきち【堀悌吉】
国史大辞典
明治十六年(一八八三)八月十六日大分県に出生。矢野弥三郎の次男、のち堀家をつぐ。三十七年海軍兵学校卒、山本五十六と同期の心友。三笠に乗り組み日本海海戦に従軍。大 ...
45. ミッドウェー海戦
世界大百科事典
日,中部太平洋ミッドウェー島周辺海域で行われた日米両国機動部隊による海戦。連合艦隊司令長官山本五十六大将は,ミッドウェー島を攻略することにより,アメリカ空母を誘 ...
46. ミッドウェーかいせん【ミッドウェー海戦】
国史大辞典
日本軍のミッドウェー攻略作戦に伴い生起した海空戦。昭和十七年(一九四二)六月上旬、日本軍は山本五十六連合艦隊司令長官指揮のもとにアッツ島・キスカ島とともにミッド ...
47. 武蔵(戦艦)
日本大百科全書
有した。就役後、第一艦隊第一戦隊に編入され、大和と交替で連合艦隊旗艦の任務についた。戦死した山本五十六(いそろく)司令長官の遺骨を日本に運んだのは武蔵である。戦 ...
48. やくしょ-こうじ【役所広司】
日本人名大辞典
で日本アカデミー賞優秀主演男優賞をかさねている。24年紫綬褒章。25年「聯合艦隊司令長官 山本五十六」「わが母の記」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞。長崎県出身 ...
49. 安田靫彦
世界大百科事典
《日食》があり,昭和期に入ると,白描の《風来山人》,彩色画の《孫子勒姫兵》《黄瀬川の陣》《山本五十六元帥之像》がある。第2次大戦後も制作はおとろえず,色調は華や ...
50. 米内光政画像
日本大百科全書
1938年1月「国民政府ヲ対手(あいて)トセズ」との強硬方針にくみしたが、陸軍の日独同盟政策には山本五十六(やまもといそろく)海軍次官、井上成美(いのうえしげよ ...
「山本五十六」の情報だけではなく、「山本五十六」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

山本五十六と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
真田昌幸(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。初代上田城主。幼名源五郎、通称喜兵衛。安房守。真田弾正幸隆の第三子として天文十六年(一五四七)信濃国に生まれる。信之・幸村の父。武田信玄・勝頼父子に仕えて足軽大将を勤め、甲斐の名族武藤家をついだが、兄信綱・昌輝が天正三年(一五七五)に
真田信之(真田信幸)(国史大辞典)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため
本多正信(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた吏僚的武将。その側近にあり謀臣として著名。通称は弥八郎。諱ははじめ正保、正行。佐渡守。天文七年(一五三八)三河国に生まれる。父は本多弥八郎俊正。母は不詳であるが松平清康の侍女だったという。徳川家康に仕え
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「山本五十六」は人物に関連のある記事です。
その他の人物に関連する記事
ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
エジソン(世界大百科事典)
アメリカの発明家,電気技術者。二重電信機,スズ箔蓄音機,カーボンマイクロホン,白熱電球,映画,アルカリ蓄電池,謄写印刷機などを発明,または改良したことで非常に著名である。貧しい材木商兼穀物商の家に生まれ,小学校には数ヵ月しかいかずに母親から教育を受け
ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
人物に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶