1. 田中正造画像
日本大百科全書
明治期の政治家、社会運動家。下野(しもつけ)国安蘇(あそ)郡小中(こなか)村(栃木県佐野市小中町)の名主富蔵の長男として生まれる。17歳で小中村名主に選ばれ、主 ...
2. 田中正造[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー ...
3. 田中正造
世界大百科事典
亡。栃木県栃木市の旧藤岡町に正造を祀った〈田中霊祠〉があり,毎年4月4日に例祭が行われる。《田中正造全集》がある(全17巻,別巻1)。→足尾鉱毒事件菅井 益郎 ...
4. たなか‐しょうぞう【田中正造】
日本国語大辞典
明治時代の政治家、社会運動家。下野国小中村(栃木県佐野市)生まれ。明治一二年(一八七九)「栃木新聞」を創刊し、翌年県会議員、同一七年県令三島通庸の土木政策に反対 ...
5. たなかしょうぞう【田中正造】
国史大辞典
いた。『田中正造全集』全十九巻、別巻一がある。→足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん) [参考文献]林竹二『田中正造の生涯』(『講談社現代新書』四四二 ...
6. たなか-しょうぞう【田中正造】画像
日本人名大辞典
1841−1913 明治時代の政治家,社会運動家。天保(てんぽう)12年11月3日生まれ。下野(しもつけ)(栃木県)小中(こなか)村の名主の子。栃木県会議員,同 ...
7. 田中正造[文献目録]
日本人物文献目録
人道乃戦士田中正造』正岡芸陽『田中正造奇行談』岩崎勝三郎『田中正造氏』小野田翠雨『大野人』木下尚江『義人田中正造翁』柴田三郎『義人田中正造』高橋鉄太郎『田中正造 ...
8. 田中正造
日本史年表
1901年〈明治34 辛丑〉 12・10 田中正造 、議会開院式よりの帰途の明治天皇に足尾銅山鉱毒事件の直訴をはかる。 1913年〈大正2 癸丑〉没。 ...
9. 足尾鉱毒事件画像
世界大百科事典
を行い,これを嚆矢(こうし)として鉱毒反対の陳情活動が開始された。翌91年12月の第2議会で田中正造は鉱毒質問を行い,足尾鉱毒問題は全国に知れわたった。殖産興業 ...
10. 足尾鉱毒事件
日本史年表
1891年〈明治24 辛卯〉 12・18 田中正造、衆議院に 足尾鉱毒事件 に関する質問書を初めて提出。 ...
11. 足尾鉱毒事件
法律用語辞典
沿岸の農漁業に甚大な被害を与え、また、坑木の濫伐等により洪水の被害が生じた。このため、地元選出の代議士田中正造の指導の下に被害住民が、議会演説・天皇直訴や集団行 ...
12. あしおどうざんあと【足尾銅山跡】栃木県:上都賀郡/足尾町/足尾村
日本歴史地名大系
鉱毒で浸した。被害民の多数は田中正造の指導で雲竜寺(現群馬県館林市)に結集し、同年一一月足尾銅山鉱業停止請願事務所を設置した。翌三〇年三月大挙直接請願(大押出し ...
13. 足尾銅山鉱毒事件
日本大百科全書
とくに1890年の洪水による鉱毒被害の激化は、農民を鉱毒反対運動へと駆り立てた。 翌1891年第2議会において田中正造(しょうぞう)は政府の鉱山監督行政の怠慢を ...
14. あしおどうざん‐こうどくじけん[あしをドウザンクヮウドクジケン]【足尾銅山鉱毒事件】
日本国語大辞典
足尾銅山から廃棄された鉱毒の問題が原因となった一連の事件や運動。渡良瀬川流域の被害農民の再三の請願や代議士田中正造の天皇への直訴で社会問題に発展したが、十分な解 ...
15. あしおどうざんこうどくじけん【足尾銅山鉱毒事件】
国史大辞典
不満とする反対運動がつづいている。→田中正造(たなかしょうぞう) [参考文献]田中翁遺蹟保存会編『義人全集』、永島与八『鉱毒事件の真相と田中正造翁』、木下尚江編 ...
16. あしかがし【足利市】栃木県
日本歴史地名大系
野市)の農民は、領主の苛斂誅求に対し六角家改革運動を進めたが、その中心となったのが小中村名主田中正造である。慶応三年の幕府出訴の動きを経て、官軍による裁決に持込 ...
17. あそぐん【安蘇郡】栃木県
日本歴史地名大系
結成されるなど、自由民権運動の高まりをみた。この運動のなかで旧小中村(現佐野市)の名主出身の田中正造は県会議員・国会議員として渡良瀬川の鉱毒防止運動に奔走したが ...
18. あたらしいちょうりゅう【新しい潮流】 : 自由民権運動/(三)
国史大辞典
いた府県会議員によびかけて決起集会を開いた。百四名が集まったが、その中には鈴木昌司や栃木県の田中正造の名もみえる。こうした運動は愛国社の路線とはちがった動きであ ...
19. あらい-おうすい【新井奥邃】
日本人名大辞典
,アメリカでキリスト教教団新生社にはいる。32年帰国。のち東京の謙和舎で聖書を講じた。門人に田中正造,高村光太郎らがいる。遺著に「奥邃広録」。大正11年6月16 ...
20. 荒畑寒村
日本大百科全書
(明治37)平民社の活動に参加。翌1905年社会主義宣伝のための伝道行商に出発、途上で会った田中正造の姿に感激、谷中(やなか)村問題を詳しく知り、これをもとに1 ...
21. うんりゅうじ【雲龍寺】群馬県:館林市/下早川田村
日本歴史地名大系
明治二九年(一八九六)、田中正造らにより足尾鉱毒反対運動の事務所が置かれた。群馬・栃木両県にまたがる鉱毒被害地の中心にあたり、以後反対運動の中心機関となった。境 ...
22. エコロジー運動
世界大百科事典
また日本ではエコロジー的思想の祖として,江戸期の思想家,熊沢蕃山,安藤昌益,さらに近代の足尾鉱毒問題で献身した田中正造などの思想や業績が,あらためて評価されてい ...
23. おかだ-とらじろう【岡田虎二郎】
日本人名大辞典
静座姿勢と腹式呼吸による健康法を考案し,明治43年から故郷の愛知県で指導。評判となって全国に流行,木下尚江,田中正造など入会者は数十万人をかぞえた。大正9年10 ...
24. 沖縄[県]画像
世界大百科事典
根底から破壊するのも同然であった。謝花は上京し,〈杣山慣行取調書及び其官民有利陳述書〉を議会に提出した。また田中正造,星亨,高木正年らの協力を得て奈良原の暴政を ...
25. おとめむら【乙女村】栃木県:小山市
日本歴史地名大系
乙女宿では逃げまどう住民をサーベルで斬りつけ、その日のうちに七三人を捕縛連行した。いわゆる乙女事件である。田中正造は乙女事件に関して県会で質問を行い、翌年より裁 ...
26. おんな二代の記 160ページ
東洋文庫
ドヤドヤとなだれこんだおかげで入口はぶじ通過。二階の奥の方に陣どっていると、まず現われたのが田中正造翁。丈の低い頑丈なからだで、窓のガラスにヒピの入りそうな大音 ...
27. 加波山事件 民権派激挙の記録 42ページ
東洋文庫
謀るや、わが栃木県においても、新井章吾・塩田奥造・鈴木浅太郎らの諸氏各郡に移激し、小室重弘・田中正造・斎藤清澄らの同志諸氏無慮三百有余名とともに下都賀郡栃木町の ...
28. 加波山事件 民権派激挙の記録 44ページ
東洋文庫
は、戸田譲・円山信庸〔「加波山事件」「東陸民権史」では庸信となっている〕外=二二名のものと、田中正造・今泉正造・今泉正路・山口信治外六四八名のものの二種が「建白 ...
29. 加波山事件 民権派激挙の記録 269ページ
東洋文庫
その他所々に多少の嫌疑者の拘引せらるるを見たりと。その遭難者の重なる人「東睡民権史」は、この他中山丹次郎・田中正造(二七三ぺ-ジ注一参照)・鯉沼善十郎の名を掲ぐ ...
30. 加波山事件 民権派激挙の記録 273ページ
東洋文庫
雨中いずれも濡れねfみ鼠となりて、宇都宮に護送せられたり。このとき時子は、田中正造氏と連繋せられたりしと。田中正造氏 田中正造(一八四一-一九=二)といえぱ、足 ...
31. 加波山事件 民権派激挙の記録 274ページ
東洋文庫
朝野新聞」は、「栃木県十傑」の投票結果を掲げているが、民権家としては、田中正造が記されている。また、三宅雪嶺は、「田中正造という議員が衆議院にいたことは、衆議院 ...
32. かみつがぐん【上都賀郡】栃木県
日本歴史地名大系
時は乱掘により荒廃、同大戦後は製錬が主になり、昭和四八年銅山は閉鎖された。同銅山は川俣事件や田中正造、谷中村(現下都賀郡藤岡町)の強制廃村、松木村(現足尾町)廃 ...
33. きたかわべまち【北川辺町】埼玉県:北埼玉郡地図
日本歴史地名大系
業停止を陳情した。国会でも田中正造により鉱毒問題が議論され、政府は栃木県下都賀郡谷中村に遊水池をつくった。川辺・利島村民は正造翁の功労をたたえるため、昭和四年田 ...
34. きんだい【近代】画像
国史大辞典
鉱毒の被害は明治二十年代に入って激しくなった。被害地農民が大挙上京して政府に対策を迫ったり、田中正造が明治天皇に直訴したりするような事件も起ったが、政府の資本家 ...
35. きんだい【近代】 : 近代/〔明治後半期〕
国史大辞典
鉱毒の被害は明治二十年代に入って激しくなった。被害地農民が大挙上京して政府に対策を迫ったり、田中正造が明治天皇に直訴したりするような事件も起ったが、政府の資本家 ...
36. くずうまち【葛生町】栃木県:安蘇郡/葛生町
日本歴史地名大系
三〇〇万貫・鶏卵六万五千粒(「葛生町地誌」葛生町誌)。同一三年当地の湧井藤七・吉沢光一郎らは田中正造らとともに国会開設建白書を元老院に提出している(川俣磯八文書 ...
37. 黒沢酉蔵
日本大百科全書
る雪印乳業の前身、北海道製酪販売組合の創立者。茨城県で農家の長男に生まれる。15歳で上京後、田中正造(しょうぞう)と出会って足尾銅山鉱毒事件の被害者救済運動に参 ...
38. くろさわ-とりぞう【黒沢酉蔵】
日本人名大辞典
1885−1982 大正-昭和時代の酪農家。明治18年3月28日生まれ。田中正造の足尾鉱毒被害者救済運動にくわわる。明治38年北海道にうつり,自営酪農家となって ...
39. 公害
日本大百科全書
わ)に流入し、流域のとくに谷中(やなか)村など広範囲の田畑に被害をもたらした。明治30年代、田中正造を中心に農民たちが反対運動を重ねたが、政府はこれを弾圧し、問 ...
40. 公害画像
世界大百科事典
農民たちを抑制し多数の負傷者と逮捕者が出た〈川俣事件〉も起こっている。栃木県選出の衆議院議員田中正造がこの行動を支援し,議会でとり上げるとともに01年には明治天 ...
41. 鉱害
世界大百科事典
数逮捕されるという川俣事件が起こり,農民の声は押さえ込まれてしまった。栃木県選出の衆議院議員田中正造は01年に議員を辞し,明治天皇の馬車に鉱業停止を訴えた直訴状 ...
42. 幸徳秋水画像
日本大百科全書
結成するが即日禁止される。7月内村鑑三(かんぞう)らと萬朝報社内に理想団を結成。12月足尾鉱毒問題で奔走する田中正造(しょうぞう)の依頼で直訴文を起草する。03 ...
43. 幸徳秋水
世界大百科事典
党を結成,7月人心の腐敗防止をめざした理想団の形成に参加,さらに12月足尾鉱毒事件に奔走する田中正造の依頼で直訴文を起草するなど,多彩な活動を展開する。社会変革 ...
44. こうとくしゅうすい【幸徳秋水】
国史大辞典
結成、同月二十日、治安妨害の理由で解散を命じられた。同年十二月九日、足尾銅山鉱毒事件について田中正造のため直訴文を起草する。三十六年、『社会主義神髄』を上梓、同 ...
45. こう‐どく[クヮウ‥]【鉱毒】
日本国語大辞典
人畜または植物に及ぼす害毒。*朝野新聞‐明治二五年〔1892〕五月二五日「足尾銅山鉱毒の儀に付質問。(田中正造氏提出)〈略〉同山より流出する鉱毒は〈略〉巨万の損 ...
46. こなかむら【小中村】栃木県:佐野市
日本歴史地名大系
り、文政四年(一八二一)田中正造の父富蔵らの世話で赤尾鷺洲秀実が光照院阿弥陀堂に家塾(赤尾塾)を開いた。のち同塾は当村荒宿の神明山西麓に移された(佐野市史)。田 ...
47. 佐野(市)画像
日本大百科全書
る城山公園、名水百選に選ばれた弁天池、関東三薬師の一つ佐野厄除け大師(さのやくよけだいし)、田中正造旧宅などがある。面積356.04平方キロメートル、人口11万 ...
48. 佐野[市]
世界大百科事典
に指定されており,上羽田町の竜江院にはオランダ船リーフデ号船首の木造エラスムス立像,小中には田中正造邸が残る。村上 雅康 歴史 保元の乱(1156)の結果,藤原 ...
49. さのし【佐野市】栃木県
日本歴史地名大系
めての操業停止を求める上申書が県知事に提出された。同二四年帝国議会で鉱毒問題を最初に取上げた田中正造は、天保一二年に旧小中村の名主の子として生れている。明治三〇 ...
50. 質問[国会]
イミダス 2018
質問はいずれの国の議会も整備している制度であり、各国では本会議での口頭質問が一般的で、帝国議会でも口頭質問は田中正造の足尾銅山鉱毒問題の追及などの成果を生んだ。 ...