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  11. 東郷平八郎

東郷平八郎

ジャパンナレッジで閲覧できる『東郷平八郎』の世界大百科事典のサンプルページ

世界大百科事典
東郷平八郎
とうごうへいはちろう
1847-1934(弘化4-昭和9)

明治・大正期の海軍軍人,元帥。薩摩藩士の家に生まれ,薩英戦争,戊辰戦争に参加,1871年(明治4)イギリスに留学,78年帰国して海軍中尉に任官,90年呉鎮守府参謀長,日清戦争時は浪速艦長,95年以降常備艦隊司令長官,舞鶴鎮守府司令長官となり,1903年12月第1艦隊兼連合艦隊司令長官に就任。05年5月日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に勝利し,一躍名将としての名をあげた。日露戦後,07年大勲位,功一級を与えられ伯爵,13年元帥となった。14年から東宮御学問所総裁を務めた。30年ロンドン軍縮条約承認反対の立場をとった。死去に際し侯爵となり,国葬を執行された。
[原田 勝正]

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検索コンテンツ
1. 東郷平八郎画像
日本大百科全書
明治・大正期の海軍軍人。弘化(こうか)4年12月22日生まれ。薩摩(さつま)藩出身。初め仲五郎(なかごろう)と称し、元服して平八郎と称す。薩英戦争に参加後、18 ...
2. 東郷平八郎[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー ...
3. 東郷平八郎
世界大百科事典
1847-1934(弘化4-昭和9) 明治・大正期の海軍軍人,元帥。薩摩藩士の家に生まれ,薩英戦争,戊辰戦争に参加,1871年(明治4)イギリスに留学,78年帰 ...
4. とうごう‐へいはちろう【東郷平八郎】
日本国語大辞典
軍人。元帥・海軍大将。侯爵。名は実良。旧薩摩藩士で維新後海軍士官。日清戦争に豊島沖海戦で活躍。日露戦争には連合艦隊司令長官としてバルチック艦隊を破った。のちに東 ...
5. とうごうへいはちろう【東郷平八郎】
国史大辞典
。→日本海海戦(にほんかいかいせん) [参考文献]小笠原長生編『東郷元帥詳伝』、真木洋三『東郷平八郎』 (野村 実)  ...
6. とうごう-へいはちろう【東郷平八郎】画像
日本人名大辞典
1848*−1934 明治-大正時代の軍人。弘化(こうか)4年12月22日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。維新後イギリスに留学。日清戦争では浪速(なにわ) ...
7. とうごうへいはちろう【東郷平八郎】
日本架空伝承人名事典
鹿児島城下に生まれた海軍軍人、元帥。薩摩藩士東郷吉左衛門の四男で、一八六三年(文久三)一七歳の折に父吉左衛門、兄の四郎兵衛、壮九郎とともに薩英戦争に参戦した。六 ...
8. 東郷平八郎[文献目録]
日本人物文献目録
(編)『軍聖東郷平八郎』仁木松雄『元帥東郷平八郎』伊藤痴遊『元帥東郷平八郎』中島武『世界の大東郷』山口愛川『東郷元帥と日本海海戦』小原正忠『東郷元帥と乃木将軍』 ...
9. アーネスト・サトウ伝 187ページ
東洋文庫
対日政策が軟化することとなったのに対応して日本は一八七五年(明治八年)に軍艦を江華島に送って威嚇し東郷平八郎は永宗鎮を占拠し、翌年には将兵をのせた艦船六隻を釜山 ...
10. いけべむら【池辺村】鹿児島県:日置郡/金峰町
日本歴史地名大系
明治二年(一八六九)廃寺となる。現在仁王像が残る。享保五年などの四体の田の神像がある。塩屋堀の砂丘松林の中に東郷平八郎書の「沙防之碑」が建っている。 ...
11. いとうし【伊東市】静岡県
日本歴史地名大系
明治後期から伊東町内各所で温泉の掘削が盛んとなり、伊東大川河畔を中心として別荘が急増した。北里柴三郎・東郷平八郎・若槻礼次郎ら著名人の別荘もあり、伊東温泉に滞在 ...
12. いとうすけゆき【伊東祐亨】
国史大辞典
。日露戦争には、この職において大本営の帷幄に参し、連合艦隊司令長官東郷平八郎と呼応して、全勝の光栄を得た。戦後職を東郷平八郎に譲って軍事参議官となり、三十九年一 ...
13. いまい-きみ【今井キミ】
日本人名大辞典
15歳のとき長駒(ちょうこま)の名で神戸花隈(はなくま)の芸妓となる。伊藤博文,西園寺公望(きんもち),東郷平八郎らと親交をもつ。昭和47年88歳の米寿で引退す ...
14. うんていんむら【運天村】沖縄県:沖縄島北部/今帰仁村
日本歴史地名大系
石材は一八七四年に国頭間切宜名真村(現国頭村)沖で座礁したイギリス船のバラストが使われ、書は東郷平八郎。時代背景や揮毫者から、為朝伝説が皇民化教育に利用されたこ ...
15. えぼしだけじんじゃ【烏帽子岳神社】鹿児島県:鹿児島市/旧谿山郡地区/平川村
日本歴史地名大系
例祭は春秋の彼岸中日で、神楽や柴打という祈祷、宮回りと称して神輿が神域を回る行事などが行われた。社殿には東郷平八郎書の「烏帽子嶽神社」の扁額が掛かる。 ...
16. おかだけいすけ【岡田啓介】
国史大辞典
藩の農兵指揮をつとめた。同二十二年四月海軍兵学校卒業、以後水雷術を専攻。日清戦争には少尉で出征、東郷平八郎指揮の浪速に乗り組んで、豊島沖海戦・高陞号撃沈事件など ...
17. おがさわらながなり【小笠原長生】
国史大辞典
二十一年海軍少尉となり、爾後累進して、大正七年(一九一八)十二月中将に昇る。この間軍令部などの中央官衙や東郷平八郎の副官、あるいは海軍大学校教官という机上的勤務 ...
18. かいぐん‐だいさ【海軍大佐】
日本国語大辞典
少将の下に位する最上位の佐官。*東京日日新聞‐明治二六年〔1893〕二月七日「即時同艦長海軍大佐東郷平八郎氏に電報して」*火の柱〔1904〕〈木下尚江〉一・一「 ...
19. かごしま【鹿児島】
国史大辞典
・松方正義らあまたの維新の元勲を輩出し、また日清・日露戦争には樺山資紀・川上操六・大山巌・東郷平八郎らの将星を多く出した。西南戦争で市内の二十分の十九は灰燼に帰 ...
20. かじやまち【加治屋町】鹿児島県:鹿児島市/鹿児島城下/下方限
日本歴史地名大系
小姓組中心の屋敷地で、上之加治屋町郷中・下之加治屋町郷中・馬乗馬場郷中があった。西郷隆盛・大山巌・東郷平八郎などの生誕地で大久保利通も下之加治屋郷中で過ごした。 ...
21. かとう-くらきち【加藤倉吉】
日本人名大辞典
紙幣や切手の原版彫刻を手がけた。紙幣では聖徳太子や板垣退助,切手では乃木希典(まれすけ)や東郷平八郎像など。平成4年11月16日死去。98歳。東京出身。 ...
22. 加藤友三郎
世界大百科事典
て黄海の海戦,旅順口の占領などに従い,日露戦争では第2艦隊参謀長,のち連合艦隊参謀長として東郷平八郎司令長官を補佐し,日本海海戦でバルチック艦隊を全滅させた。そ ...
23. かとうともさぶろう【加藤友三郎】
国史大辞典
三十七年八月、蔚山(ウルサン)沖海戦でウラジオ艦隊を撃破した。同年九月、海軍少将に昇進。翌年一月、東郷平八郎司令長官のもとで連合艦隊兼第一艦隊参謀長となり、旗艦 ...
24. かみつしまちょう【上対馬町】長崎県:上県郡
日本歴史地名大系
記念して同四五年「恩海義〓」と刻んだ碑(東郷平八郎書)を建立。同じく琴崎沖に沈没した戦艦アドミラル・ナヒモフの士官ら九五名がボートで茂木浜に上陸 ...
25. かんたいは【艦隊派】
国史大辞典
山梨・左近司政三・寺島健・堀悌吉・山本五十六らの条約派に分裂した。特に艦隊派は、過激な青年士官グループや東郷平八郎元帥らに支持され、陸軍の皇道派や革新派青年将校 ...
26. 記念艦「三笠」[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
1902年(明治35)にイギリスで建造された戦艦。日露戦争における連合艦隊司令長官東郷平八郎(とうごうへいはちろう)の旗艦として知られる。退役後、1926年(大 ...
27. 軍艦小事典画像
日本大百科全書
戦艦の最終完成艦で、当時の最新イギリス戦艦に勝る有力艦だった。日露戦争中、連合艦隊司令長官東郷平八郎の旗艦として有名。後のワシントン海軍軍縮条約締結のとき、廃棄 ...
28. 軍制
世界大百科事典
保持すると定められた。元帥府設置と同時に元帥となった山県有朋,山県の死後の上原勇作,海軍の最長老東郷平八郎の影響力は大きかった。→海軍 →陸軍篠原 宏 中国 古 ...
29. こうかいかいせん【黄海海戦】
国史大辞典
第三軍に攻囲された旅順軍港のロシア太平洋艦隊はウラジオストックの艦隊と合同するため旅順を脱出した。東郷平八郎中将の率いる連合艦隊主力が、脱出を阻止するため黄海で ...
30. 皇国(こうこく)の興廃(こうはい)この一戦(いっせん)にあり、各員(かくいん)一層(いっそう)奮励(ふんれい)努力(どりょく)せよ
故事俗信ことわざ大辞典
明治三八年(一九〇五)、連合艦隊司令長官東郷平八郎が、日本海海戦のとき、ロシアのバルチック艦隊を迎撃してZ旗をあげ、各艦に発した訓令。  ...
31. こうしょうごうじけん【高陞号事件】
国史大辞典
明治二十七年(一八九四)七月二十五日、英国船籍の商船高陞号を朝鮮近海で撃沈した事件。豊島沖海戦直後、東郷平八郎大佐を艦長とする軍艦浪速は、牙山の清国軍に対する増 ...
32. 国葬
日本大百科全書
(しょうとくのみやりおうせき)(1926)、東郷平八郎(1934)、西園寺公望(さいおんじきんもち)(1940)、山本五十六(いそろく)(1943) ...
33. 国葬
世界大百科事典
李王〓(1926),東郷平八郎(1934),西園寺公望(1940),山本五十六(1943),閑院宮載仁親王(1945)の20名がいる ...
34. こくそう【国葬】
国史大辞典
山県有朋(同十一年)、伏見宮貞愛親王(同十二年)、松方正義(同十三年)、昌徳王李(同十五年)、東郷平八郎(昭和九年(一九三四))、西園寺公望(同十五年)、山本五 ...
35. 国本社
日本大百科全書
下野した機会に国本社をつくった。鈴木喜三郎(きさぶろう)、塩野季彦(すえひこ)、小山松吉(こやままつきち)、東郷平八郎(とうごうへいはちろう)、宇垣一成(うがき ...
36. こくほんしゃ【国本社】
国史大辞典
竹内賀久治が発行した雑誌『国本』を母胎としている)。会長には平沼が推戴され、副会長には山川健次郎・東郷平八郎が就任した。社則によると、目的は「国本ヲ固クシ国体ノ ...
37. こやまだ-しげぞう【小山田繁蔵】
日本人名大辞典
1876−1935 明治-昭和時代前期の軍人。明治9年12月2日生まれ。東郷平八郎元帥の副官をつとめる。フランス駐在後,浅間,摂津の各艦長,呉鎮守府人事部長,侍 ...
38. ささやまじんじや【篠山神社】福岡県:久留米市/久留米城下/城内
日本歴史地名大系
明治維新関係の碑、剣術関係の碑、文学者碑など石碑が多い。有馬家の宝物を展示する有馬記念館、東郷平八郎の旧書斎などがある。当社蔵の篠山神社文庫は有馬家修史所が集め ...
39. させぼしゅく【佐世保宿】長崎県:佐世保市/佐世保村
日本歴史地名大系
慶応三年(一八六七)相神浦筋郡代奉行役所が置かれた。明治一六年(一八八三)軍港設置の予備調査の際に東郷平八郎が山本宅に宿泊。 ...
40. さそうさちゅう【佐双左仲】
国史大辞典
のち佐双久右衛門の嗣となる。海軍兵学寮入学、明治四年(一八七一)二月、成績優秀として英国留学となる。東郷平八郎と同行した技術官予定者四人中の一人。イギリスでは元 ...
41. 信濃丸
世界大百科事典
艦隊を最初に発見し,〈敵艦見ゆ〉と打電し,日本連合艦隊の出動の機を適切にした功績によって,東郷平八郎連合艦隊司令長官より感状を授けられた。のち再度の陸軍徴用船と ...
42. しばやま-やはち【柴山矢八】
日本人名大辞典
1850−1924 明治時代の軍人。嘉永(かえい)3年7月13日生まれ。柴山良助,柴山愛次郎の弟。東郷平八郎の従弟。海軍にはいり,初代の水雷術練習所長,水雷局長 ...
43. しまむらはやお【島村速雄】
国史大辞典
長を歴任する。日露戦争開戦のときには選ばれて第一艦隊参謀長兼連合艦隊参謀長となり、司令長官東郷平八郎を補佐した。同三十七年六月少将に進み、翌年一月参謀長の職を加 ...
44. しまむら-はやお【島村速雄】
日本人名大辞典
艦隊参謀として出征。日露戦争ではバルチック艦隊との日本海海戦で第二艦隊第二戦隊司令官として東郷平八郎を補佐した。のち海軍大学校長,軍令部長などを歴任。大正4年大 ...
45. しょうわてんのう【昭和天皇】
国史大辞典
受ける。大正三年(一九一四)学習院初等科を卒業。高輪の東宮御所内に東宮御学問所が設立され(総裁東郷平八郎、評議員東京帝国大学総長山川健次郎ら)、そこで選ばれた学 ...
46. 白瀬矗画像
日本大百科全書
通じて全国的な募金など国民の熱意に支えられて、郡司の報効義会が使用した機帆船第二報効丸を入手した。東郷平八郎によって開南丸(204トン)と命名された船は、191 ...
47. 随筆 明治文学 3 人物篇・叢話篇 464ページ
東洋文庫
158172 藤庵→内田魯庵 東海散士(柴四朗) 1=112,405,426,2=311,3=323 東郷平八郎 2=141 頭山満 1=344 戸川秋骨 2= ...
48. たかはしさんきち【高橋三吉】
国史大辞典
空戦隊司令官・海軍大学校長を歴任して昭和七年(一九三二)二月、軍令部次長に就任。同時に元帥東郷平八郎の進言により海軍軍令部長は伏見宮博恭王となった。もともと日本 ...
49. たがじんじゃ【多賀神社】鹿児島県:鹿児島市/鹿児島城下/上方限/清水馬場町
日本歴史地名大系
[現]鹿児島市清水町 多賀山上、東郷平八郎銅像の後方に位置する。祭神は伊弉冉尊・天照大神。旧郷社。天正七年(一五七九)島津義久が山伏の鷲頭不動院に命じ、近江国多 ...
50. 多磨霊園
日本大百科全書
川合玉堂(かわいぎょくどう)、中山晋平(しんぺい)、下村観山(しもむらかんざん)らの芸術家、東郷平八郎(とうごうへいはちろう)、山本五十六(いそろく)らの軍人、 ...
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