麺屋といえば、東京ならばそば屋だが、京都にくれば、うどん屋である。江戸時代のはじめごろ、特定の料理を扱う専門店が増えてくると、うどんやそばを扱う飲食店が定着した。当初の麺屋はみな、うどん屋であったようだが、江戸ではそばのほうが人気だったので、そば屋が主流に変わったそうである。上方落語の「時うどん」は、江戸で「時そば」にリメイクされ、結局、そばの咄しのほうが有名になっている。

 東京の「かけうどん」は、京都では「すうどん」で、普通は薬味すらなく「うどん」と「おだし」だけである。「あんかけ」のことは「のっぺい」という。「しっぽく」は「かやくうどん」のことで、しいたけ、かまぼこ、ほうれん草などが入っている。また、京都の「たぬきうどん」は、東京の「きつねうどん」のあんかけで、あんかけの色がタヌキを連想するから「たぬき」と呼ぶようになったとか。日本の東西で、これほど呼称に差があるものは、ほかにはないかもしれない。

 下町育ちの江戸っ子である滝沢馬琴は、「京にて味よきもの。麩、湯葉、芋、水菜、うどんのみ」で、「その余(他)は江戸人の口にあわず」と言ったそうである。筆者は、東京人に京都案内を頼まれると、よく地元のうどん屋に連れて行く。「すじカレーうどん」などをおすすめし、反応をうかがうのが楽しい。最初から「うまい」という人は少なく、「物足りない」とか、「薄い」とかがほとんどだ。京都のうどんは、麺より何より「おだし」が優勢という、地域ならではのうどん文化が理解されると、慣れるほど「うまい」という感覚に変わってくるのである。

 誤解のないように付け加えると、京都にもそば文化は存在する。なんといっても寺とそばの関係は深く、法住寺(東山区)に行くと、「親鸞聖人そば喰いの御像」という御像がある。親鸞聖人が比叡山延暦寺で修行中、百日のあいだ、毎夜おやまを下り、六角堂に参籠していたことは有名な話である。この御像は、その不在時の身代わりを託されていたそうだ。ある日、親鸞聖人がおやまに戻ると、天台座主の召しに応じて衆僧とともに代わりに食べたそばが御像の口元についていて、居留守の役を見事に果たしたという逸話が御像の名前になったと伝えられている。


牛すじの煮込み、少し甘めのおあげが入ったカレーうどんと、ごはんとおこうこの組み合わせは、お昼の定番メニューである。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 9月5日、昭和の大女優・原節子(本名・会田昌江)が、敬愛した小津安二郎監督が屋敷を構えた鎌倉の地で静かに息を引き取った。享年95。

 『週刊文春』(12/10号、以下『文春』)によれば、肺炎が悪化し、神奈川県内の病院に運ばれたのは8月中旬のことだった。ただ入院当初は、彼女の病状は親族の間でも楽観視されていたという。50年以上にわたって原と同居していた甥の熊谷久昭氏がこう語っている。

 「看取ったのは私を入れて五人ほどでした。
 生前、元気な頃に遺書を書くと言っていたのですが、結局残さずに逝ってしまいました。私にとっては贅沢を許してくれない、うるさい叔母さんという感じでしたね」

 原は大正9(1920)年6月17日、横浜市保土ケ谷区で会田藤之助・ナミ夫妻の2男5女の末っ子として生まれた(『新潮45特別編集 原節子のすべて』〈新潮社〉より)。

 『週刊新潮』(12/10号、以下『新潮』)によれば、女学生時代には教育家になろうと考えたり、英文学をやろうと思っていたという。

 原の父親は日本橋で衣類関係の問屋を営んでいて、恵まれた幼少期を送ったかに見えるが、親しい友人たちによれば、そうでもなかったようだ。

 「お母さんがかわいそうな人でね。関東大震災の際、沸騰した鍋を頭からかぶってしまったのです。近所で“小町”と言われるほどきれいな人だったのに」

 さらに1929年の世界恐慌で生糸の価格が暴落して家が傾き、「昌江ちゃんはいつも同じ服ばかり着る“着た切り雀”になった。卒業後は、横浜高等女学校に進んだのですが、家計を助けるため、2年で中退してしまったんです」

 義兄で映画監督の熊谷久虎(ひさとら)氏の推薦を受け日活撮影所に入社する。映画デビューは「ためらふ勿(なか)れ若人よ」。原は15歳だった。

 その後引退までの28年間で、小津安二郎監督などの作品を含む112本に上る映画に出演した。華やかな映画スターとして一時代を築いた原だったが、引退後は一転、映画関係者との接触をすべて断ってしまった。

 突然の引退の理由は様々にいわれている。真っ先に上がるのが実兄で映画カメラマンの会田吉男の事故死である。昭和28年、映画『白魚』の撮影中、会田はカメラを持ったまま機関車にはねられ、命を落とすのだ。

 だが、こうした見方もある。ある日、撮影所で、原が岡田茉莉子にこんな話を打ち明けたという。

 「『今朝、鏡に向かったら、片方の目が見えないのよ』とおっしゃるのです。昔は、フィルムの感度が悪かったので、眼にライトを強く当てないと、綺麗に映らなかったのです。特に原さんはクローズアップの表情が美しかったですから、他の女優よりもライトを多く浴びていたと思います。
 また引退の二年前に公開された『秋日和』の撮影中には、『畳の上での芝居がしづらくなってきたので、もうやめたいの』と弱気におっしゃられたのです。その原因が眼の病気かどうか分かりません。ただ小津さんの映画は畳の上での演技が多いことは間違いありませんものね」

 甥の久昭氏も引退の原因は白内障によるものだと考えているようだ。

 引退後の準備は万全だったという。何しろ『新潮』によれば、1951年、公務員の初任給が6500円にすぎなかった時、原の出演料は映画1本あたり300万円を超えたそうだ。

 「そのたびに、都内の狛江や練馬、杉並などの土地を購入したそうです」と映画評論家の白井佳夫氏が語っている。

 原が芸能界を去って31年を経た1994年のことだ。

 「国税庁が発表した前年度の高額納税者75位に、原の本名、會田昌江の名が載りました。納税額は3億7800万円で、所得総額は13億円近かったはず。隠遁する前まで住んでいた東京都狛江市の800坪余りの土地を、電力中央研究所に売却したんです」(古手の記者)

 だが、彼女の隠遁生活は極めて質素だったと久昭氏が『文春』で話している。

 「もちろん彼女が一人で食べていく分には困りませんでした。八十代の頃までは、うちの車で葉山のあたりに一緒に買い物に行くことはありましたが、主に食材とか日用品を買うだけで、洋服は買わなかったですね」

 タバコは初老の頃に止めたそうだが、お酒は90歳を過ぎても「小さい缶ビールを一日一本飲んでいましたね」(久昭氏)

 意外といっては失礼だが、テレビを見るより本が好きで、それも社会問題に関する本を読んでいたという。「経済問題や、イスラム国などの国際情勢や地球温暖化問題などにも興味をもっていました」と久昭氏が言っている。

 『新潮』では、日経の経済面なんかに特によく目を通していて、株をちょっとやっていたそうである。「詳しくは知りませんが、損したり儲けたり、だったのだと思います」(久昭氏)

 “永遠の処女”といわれた原節子だが、男性の影はあったという指摘は多い。

 よく言われるのは小津監督との関係である。小津が還暦の誕生日に亡くなったため、小津に殉じて隠遁生活に入ったとよく言われる。だが、小津の妹・山下トクは、生前、2人の関係をこう述懐していたという。

 「私は、おそらく兄は、原さんのことが好きだったと思います。ただ、兄は仕事と私生活を切り離して考えようとしていました。あれだけの大女優を個人で所有するものではないと割り切ろうとしていたんじゃないでしょうか」(『文藝春秋』1989年9月号)

 小津には長年の恋人であった小田原の芸者がいたことも、2人の仲を遠ざけていたのかもしれない。

 その他にも東宝のプロデューサーだった藤本真澄(さねずみ)や、驚くことに義兄であり映画監督の熊谷久虎氏の名前も挙がっている。

 原を取材しているノンフィクション作家の石井妙子氏がこう解説する。

 「原節子と熊谷久虎氏は二人だけで生活した時期もあり、久虎氏が亡くなるまで、その傍らから離れることはなかった。(中略)男女関係があったかは噂の域を出ませんが、強固な精神的な結びつきがあったのは間違いありません」

 『新潮』には次のようなエピソードも載っている。2004年に89歳で物故した矢澤正雄さんとの仲である。矢澤さんは陸上短距離の代表選手としてベルリン五輪に出場し、帰国直後の36年秋、日独合作映画『新しき土』の撮影でドイツに渡る前の16歳の原節子と出会った。
 よく落ち合って餅菓子を食べに行ったりしていたと矢澤氏は語っていたという。だが、順調だった2人の交際も戦争の波にのみ込まれる。
 戦地へ行っても文通は続けていた2人だが、43年、無事復員した矢澤さんは、「本当に生きていてくれてよかった」という原の歓待に、「なにをおいても彼女と一緒になろう」と決心したという。

 だが、厳格な父に「ああいう華やかな仕事をしている人は、お前のためにならない」と大反対され7年に及んだ恋愛は潰えたという。親に反対されて結婚を諦めるようでは、この恋は本物ではなかったのではないか。

 藤本真澄とはこんな話がある。昭和20年代、下北沢にあった「マコト」という喫茶店でアルバイトをしていた藤井哲雄さんが(85)こう証言する。

 「ある日ママに“明日は藤本先生が来るから2階の部屋をよく掃除しておいて”と言われました。すると翌日の昼下がり、のちに東宝映画社長になる映画プロデューサーの藤本真澄さんが、後ろから原節子さんが現れたんです。それから1年ほど、月に1、2回は従業員に暇が出され、建物が2人に提供されていました」

 大物プロデューサーと女優の逢い引きは、今なら写真誌の格好のターゲットであろう。永遠の処女は恋多き女でもあったようである。だが、引退してからは彼女のところを尋ねてくる男の影はなかったようである。彼女の晩年の姿を狙ったカメラマンも何人かいたが、彼らも、アップではなく遠景に留めておく程度の良心はもっていた。そして原節子は、今もその日本人離れした美しい姿をスクリーンに残したまま、静かに消えていった。

 私は原節子の映画の中では『晩春』(1949年)と『秋日和』(1960年)が好きだ。『晩春』で原節子は笠智衆が演じる大学教授の娘。母親を早く亡くし、父の面倒を見ているうちに「お嫁に行きたくない、お父さんと一緒にいるほうが幸せ」だと、「擬似近親相姦的」(白井佳夫(よしお)氏)絆ができてしまう。婚期に遅れた娘を嫁がせるために父親は再婚するふりをして、娘を結婚させるという物語である。結婚式を終えて、家に帰ってきた笠智衆がひとりでぽつんとお茶を飲むシーンが印象的である。

 『秋日和』は、司葉子の母親役。夫を亡くした美しい未亡人と、婚期を迎えても結婚しない娘を巡る話だが、梅原龍三郎の薔薇、山口蓬春(ほうしゅん)の椿、高山辰雄の風景画、橋本明治の武神像図、東山魁夷の風景画などの実物の名画が画面を彩っているのも見所である。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 私はミステリーが好きだ。高校生の頃は江戸川乱歩や松本清張を乱読し、社会人になってからは外国の翻訳ミステリーを好んで読んできた。だが、最近、堪え性がなくなったせいか、最後まで読み通せるものが少なくなった。先を読むのが惜しくなるようなワクワクするようなミステリーを年末年始には読みたいものである。

第1位 「マイナンバー汚職 逮捕された厚労省の役人がぶちまけた!『オレよりもっと悪いヤツがいる』」(『週刊現代』12/19号)
第2位 「枝切り鋏事件『三角関係』頂点にいた女の役回り」(『週刊新潮』12/10号)
第3位 「ミステリーベスト10 2015」(『週刊文春』12/10号)

 第3位。『文春』恒例の「国内海外ミステリーベスト10 2015」を少し紹介しよう。
 国内の第1位は『王とサーカス』(米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)、東京創元社)。第2位は『流』(東山彰良(あきら)、講談社)。第3位は『戦場のコックたち』(深緑野分(ふかみどり・のわき)、東京創元社)。第4位が『ミステリー・アリーナ』(深水黎一郎、原書房)。第5位が『鍵の掛かった男』(有栖川有栖(ありすがわ・ありす)、幻冬舎)。
 海外は第1位が『悲しみのイレーヌ』(ピエール・ルメートル、文春文庫)。第2位は『スキン・コレクター』(ジェフリー・ディーヴァー、文藝春秋)。第3位が『ありふれた祈り』(ウィリアム・ケント・クルーガー、ハヤカワ・ポケット・ミステリ)。第4位が『声』(アーナルデュル・インドリダソン、東京創元社)。第5位は『偽りの楽園』(トム・ロブ・スミス、新潮文庫)。
 私がこの中で読んだのは、『悲しみのイレーヌ』『ありふれた祈り』、7位に入っている88歳の元殺人課の刑事が主人公の『もう過去はいらない』(ダニエル・フリードマン、創元推理文庫)、『流』ぐらいである。
 その中でお薦めは『もう過去はいらない』。先日北方謙三氏にも薦めておいたが、格好いいジジイ・ハードボイルドの傑作だと思う。

 第2位。8月13日に、元プロボクサーで慶應大法科大学院生だった小番一騎(こつがい・いっき)(25)が、妻の不倫相手で弁護士の陰茎を切り取った事件は、衝撃を与えた。
 その裁判が11月26日に東京地裁で開かれ、その模様を『新潮』が伝えている。そこで冒頭陳述が読み上げられたが「小番の奥さんと被害者のセックスに関する話ばかりで、かなり驚きました」(傍聴人の一人)。港区内に事務所を持つ弁護士のところに、小番の奥さんAが勤め始め、7か月後に「被害者は、Aと共に、港区内の寿司屋で食事を取り、飲酒した後、事務所に戻り、同所内で初めてAと性交した。Aは嫌がる様子を見せなかった」(冒陳より)
 2人は何度も逢瀬を重ね、Aは嫌がる素振りを見せず「被害者の陰茎を口淫した」(同)という。
 しかし、弁護士がAのことをあだ名で呼んだことで2人の関係がおかしくなり始めた。そんな時、帰りが遅いことで妻を小番が咎め、喧嘩になった。Aは「上司からセクハラされて悩んでいる」と「嘘」をつき、強いショックを受けた小番が、逆上して弁護士事務所に妻と赴き、ボクシングで鍛えたパンチを浴びせた後、「被告人は、持っていたリュックサックから前記はさみを取り出し、被害者のズボンを脱がせ、左手で陰茎を取り出し、右手に持ったはさみでこれを切断した」(同)。切ったペニスは共用トイレに流してしまった。
 被害者の弁護士は緊急手術を受けたが、「陰茎が根元から1センチ程度しか残っておらず」「現在、被害者は、小便用便器での排尿は不可能」(同)だという。
 妻の浮気が2人の男の人生を大きく狂わせてしまったのである。

 第1位。『現代』はマイナンバー制度に関する贈収賄事件で逮捕された厚生労働省情報政策担当参事官室室長補佐の中安一幸(なかやす・かずゆき)氏(46歳)の独占インタビューに成功した。
 中安氏が逮捕されたのは10月13日。マイナンバー制度導入に備えた社会保障分野でのシステム構築事業について、厚労省が'11年10月に公募した企画競争で、ITコンサルティング会社に便宜を図り、現金約100万円を受け取ったという容疑である。
 メディアは彼のことを「異色の官僚」と呼び、週の半分以下という勤務態度やブランド物で身を固めていることなどを取り上げ、派手に遊び歩いているなどと報じた。
 だが中安氏本人は、ITに関する知識と、事業を実現する行動力がずば抜けていたことは事実だと認めながら、それ以外は事実ではないとこう話している。

 「出勤していなかったのも、遊び歩いていたからじゃない。六本木で豪遊していたとも言われていましたが、僕は酒を飲めませんからね」

 親しかったIT会社の社長から100万円をもらったことは認めているが、それも自費で仕事をしていたからカネがなく、それを見ていた社長が「カネを世話してやる」と言われて受け取ったので、便宜を図るつもりもなかったと話す。
 マイナンバー制度の導入が始まった14年から15年に、その事業を取り仕切った人物こそが警察が狙う「本丸」だとも言っている。
 贈収賄事件の進展がどうなるかは不透明だが、彼のいっているマイナンバー批判は一聴の価値がある。

 「これからさらに、マイナンバー絡みの問題が頻発するのも間違いない。なぜなら、そもそも番号を国民全員に配るというのが、間違っているからです。
 国民の情報を国が一括して管理するなら、番号なんて配らなくても、省庁同士が連携すればいいだけの話でしょう。そして、『国で一元管理してもいいですか。政府を信用できますか』と国民に問えばいいんです。
 でも政府は、国民から信用を得られず、マイナンバーを導入できない事態になるのを恐れたんでしょう。そこで、正しい導入のプロセスを踏まず、カードを配るという逃げを打った。(中略)
 カードを配れば、番号を売り買いする人間が必ず出てきます。誰が売るのかといえば、情報を管理している者しかない。つまり省庁の役人です」

 彼は「僕以上の『悪人』が逮捕されることになれば、本当の汚職官僚は誰かがわかる。そして、マイナンバーがいかに不安だらけな制度かも、明らかになるはずです」と言っている。
 遅配、誤配などが頻発しているマイナンバーだが、そんな表面的なことではなく、なぜこんな曖昧な制度を3000億円といわれる血税を使って拙速に政府がやろうとしているのか、原点にかえって問い直されなければいけない。サラリーマン川柳だかに「マイナンバー いつの間にかナンマイダー」というのがあったが、こんなものは早く葬ったほうがいい。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 いま、興行の世界が重大な危機を迎えている。2020年東京五輪に備えた改修のため、関東エリアの代表的な劇場・ホールの多くが使用不可となってしまうのだ。以前から、それぞれの経営的な事情により大型会場の閉鎖が相次いでいることもあって、2016年にコンサートや舞台芸術を行なうための会場は著しく不足している。これがエンタメ業界を悩ませる「2016年問題」だ。

 2013年に横浜BLITZや渋谷AX、2014年に国立競技場、2015年に青山劇場などが閉鎖されたことは記憶に新しい。加えて2016年以降、改修・建て替えの予定が発表されているのは、さいたまスーパーアリーナ、横浜アリーナ、渋谷公会堂、東京国際フォーラム、代々木体育館など。名だたるライブの殿堂ばかりである。CDの売れない時代、アーティストにとってライブでの収益は生命線となるが、2016年問題は不振にあえぐ音楽業界にとってまさに泣きっ面に蜂なのだ。

 では、地方の興行を増やせばいいのでは、という意見も当然出てくる。だが事態はそう単純ではない。じつのところ、地方公演はあくまで「首都圏での収益ありき」なのである。アーティストのツアーというものは、スタッフ一同でのなかなか予算のかかる行軍だ。首都圏でライブが行なえない場合、その影響を受けて地方もまわれなくなる可能性がある。

 2015年11月には、この問題を周知させるべく能楽師の野村萬氏、サカナクションの山口一郎氏らが記者会見を行なった。事態は音楽業界だけでなく、古典芸能やバレエなどあらゆる舞台芸術に関わってくる。改修の工事時期をずらすなど、各方面での協議も行なわれているが、これといった解決策は見つかっていない。この「問題」は、不安なことに2016年以降も続いてゆく。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 2015年10月から11月にかけて、「ひとり親を救え!」という国の児童扶養手当の増額を目指す署名活動が話題となった。

 児童扶養手当は、父母の離婚や死別などで、父親または母親と一緒に暮らしていない子どもを養育している家庭に対して支給される。支給期間は、子どもが18歳になった年の年度末までとなっている。

 もともと児童扶養手当は、父親のいない母子家庭を対象に1961年に制定された制度だったが、多様化する家族関係に対応するために、2010年8月からは父子家庭も支給対象になった。

 支給額は、養育者の年収に応じて異なり、子どもが一人の場合は4万2000円~9910円まで10円刻みとなっている。子どもが複数いる場合は、2人目が5000円加算、3人目以降はひとりにつき3000円加算される(2015年現在)。

 しかし、これだけで子どもを養育していくのは不可能だ。とくに、日本は物価も高く、教育費の家庭負担も大きい。そのため、日本のひとり親家庭の就業率は諸外国に比べて高く、OECD平均が70.6%なのに対して、日本は母子家庭の81.6%、父子家庭の91.3%が働いているのだ。

 だが、同時にひとりで子育てもしなければならないため、非正規雇用の割合も多い。とくに女性の非正規率が高く、母子家庭の母の47.4%がパートやアルバイトで収入を得ているという状況だ。

 また、離婚時に養育費の取り決めをしても、途中で支払われなくなるケースも多く、養育費の支払いは2割程度にとどまっている。 その結果、ひとり親家庭の貧困率(所得が国民平均値の半分未満の人の割合)は54.6%と非常に高い割合を示しており、それが子どもへの貧困の連鎖を起こしている。

 児童扶養手当の設立目的は、親と離れて暮らす子どもを育てる家庭の生活の安定と自立を促し、子どもの福祉を図ることで、当初は一律の手当が支給されていた。しかし、小泉政権下の2002年に出された「骨太の方針」で社会保障費の削減が打ち出され、児童扶養手当についても大きな方針転換が行なわれた。

 この時、児童扶養手当は給付を縮小して、「母子家庭の母に対する就労支援」「養育費の支払いの確保」に重きを置くように舵が切られ、給付開始から5年たつと半減することが決められた。しかし、関係各所からの猛反発を受け、減額は凍結されたままになっている。

 前述したとおり、国が就労支援をするまでもなく、日本のひとり親家庭の就業率は諸外国に比べて高い。なかには複数の仕事を掛け持ちして、子どもの教育費を稼いでいる人もいるほどだ。これ以上、手当を削ることは人道的に許されることではないし、反対にひとり親家庭への給付は充実させる方向に政策転換するべきだろう。

 今回の署名活動を受けて、塩崎恭久厚労大臣は11月10日の衆院予算委員会で、児童扶養手当の2人目以降の支給額を増やすことを検討する考えを示している。

 これを機会に、ひとり親世帯を含む子育て世帯への給付のあり方が見直されるように期待したい。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 二次元の「萌え」に興味がなくとも、ネットのユーザーであれば時折目にふれる「ラブライバー」なる言葉。その意味するところは、架空のアイドルグループを題材とした『ラブライブ! School idol project』のファンのことだ。

 『ラブライブ!』はアスキー・メディアワークス、ランティス、サンライズによるアニメ、音楽、ゲームなどのメディアミックスプロジェクトで、2010年にスタートした。ビジネス的には順調に推移し、今年公開の映画も大ヒット。映画版の成功は、ラブライバーの存在がアニメ好き以外にも認識される、一つのきっかけになったのではないだろうか。その勢いは止まらず、2013年に民放で放送されたテレビアニメ版が、2016年1月にNHK Eテレでも放送されることになった。

 2015年の「新語・流行語大賞」のノミネート語にまでなったラブライバーだが、ネット界においては悪評も存在する。イベントや「聖地(作中の舞台のモデルとなった場所)」で騒ぎを起こすなど、一部のファンの愛情ゆえの行き過ぎた行動が伝えられているのだ。そこまでひどくなくとも、全身を過剰にキャラクターグッズで固めた「ガチオタ」たちが街を闊歩する姿に対し、アニメに無関心な層が違和感を感じているとの声もある。こうした世間の反応に、冷静なファンたちは心を痛めているらしい。

 コンテンツとしての『ラブライブ!』自体は、キャラクターの魅力など、評論家筋でも非常に評価が高い。アイドルを扱った作品であるがゆえに、応援する気持ちのうえでの熱狂を誘いやすいところがあるのだろう。じつに罪つくりな作品といえる。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 総務省の有識者検討会が携帯電話料金の引き下げ策について議論し、2015年中にその方策について結論を出すという。

 総務省に引き下げについて指示を出したのは安倍晋三総理大臣である。2015年9月の経済財政諮問会議で「携帯料金等の家計負担の軽減は大きな課題だ」と述べ、引き下げ方策の検討を求めた。

 いまや1人1台時代となった携帯電話だが、スマートフォンの普及でその利用料金は右肩上がりだ。ある調査会社によると、スマホの月額利用料金の平均は大手3社で約6300円。例えば4人家族の場合、それぞれにスマホを持てば2万5000円を超える。安倍総理に指摘されるまでもなく、家計にとっては大きな負担だ。

 安倍総理としては、家計に大きなしわ寄せとなっている携帯利用料金を抑えることで沈み込んだ消費を活性化させたいとの思いがある。

 さらに言えば、政治的な思惑も。「2016年夏の参院選をにらんだみえみえの人気取りではないか」(大手紙政治部記者)というのだ。

 これに対し、引き下げを求められた携帯大手3社は「民間企業の携帯料金に政府が口を挟むのはいかがなものか」というのが本音だろう。しかし、2015年3月期連結決算をみると、大手3社は軒並み数千億円~1兆円規模の営業利益をあげている。3社は「儲けすぎじゃないか」との批判を避ける意味でも引き下げに応じるとの見方がもっぱらだ。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 今年10月26日にミリオン出版から創刊された「アラサー世代に向けたポッチャリメンズのためのファッション&ライフスタイル雑誌」のこと。

 『Mr.Babe』曰く、「現在の日本人男性の3人に1人は肥満(ポッチャリ)」であるらしく、しかも30代前後の女性を対象に行なったアンケートによると、約半数以上から「ポッチャリメンズがいい」「ポッチャリメンズと結婚したい」という回答をいただいたのだそう(ただし「清潔感」があり「健康的」で「オシャレに気を使う」ポッチャリメンズ限定)。

 「約半数以上」はさすがに盛りすぎな感も否めないが、ポッチャリメンズ好きな女性が一定数実在するのは間違いなく、またその手の女性は、「本来はポッチャリメンズが好みじゃない女性がポッチャリを受け入れる」ケースよりずっと頑なだったりするので、細身体型の筆者なんかは、お気に入りの女子から「ポッチャリがいい」と言われたら、それだけで絶望的な気分になってしまう。

 これまでも暴走族・ディスコガール・(コ)ギャル・ギャル男・ホスト系……と、ピンポイントな購買層にターゲットを絞り、巧みにコアなトレンドをつくり上げてきたミリオン出版による「ポッチャリ推し」は、はたして吉と出るのか凶と出るのか? どんなに食ってもデブれない筆者個人としては、あまりブームになってほしくないのだが……。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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