麺屋といえば、東京ならばそば屋だが、京都にくれば、うどん屋である。江戸時代のはじめごろ、特定の料理を扱う専門店が増えてくると、うどんやそばを扱う飲食店が定着した。当初の麺屋はみな、うどん屋であったようだが、江戸ではそばのほうが人気だったので、そば屋が主流に変わったそうである。上方落語の「時うどん」は、江戸で「時そば」にリメイクされ、結局、そばの咄しのほうが有名になっている。

 東京の「かけうどん」は、京都では「すうどん」で、普通は薬味すらなく「うどん」と「おだし」だけである。「あんかけ」のことは「のっぺい」という。「しっぽく」は「かやくうどん」のことで、しいたけ、かまぼこ、ほうれん草などが入っている。また、京都の「たぬきうどん」は、東京の「きつねうどん」のあんかけで、あんかけの色がタヌキを連想するから「たぬき」と呼ぶようになったとか。日本の東西で、これほど呼称に差があるものは、ほかにはないかもしれない。

 下町育ちの江戸っ子である滝沢馬琴は、「京にて味よきもの。麩、湯葉、芋、水菜、うどんのみ」で、「その余(他)は江戸人の口にあわず」と言ったそうである。筆者は、東京人に京都案内を頼まれると、よく地元のうどん屋に連れて行く。「すじカレーうどん」などをおすすめし、反応をうかがうのが楽しい。最初から「うまい」という人は少なく、「物足りない」とか、「薄い」とかがほとんどだ。京都のうどんは、麺より何より「おだし」が優勢という、地域ならではのうどん文化が理解されると、慣れるほど「うまい」という感覚に変わってくるのである。

 誤解のないように付け加えると、京都にもそば文化は存在する。なんといっても寺とそばの関係は深く、法住寺(東山区)に行くと、「親鸞聖人そば喰いの御像」という御像がある。親鸞聖人が比叡山延暦寺で修行中、百日のあいだ、毎夜おやまを下り、六角堂に参籠していたことは有名な話である。この御像は、その不在時の身代わりを託されていたそうだ。ある日、親鸞聖人がおやまに戻ると、天台座主の召しに応じて衆僧とともに代わりに食べたそばが御像の口元についていて、居留守の役を見事に果たしたという逸話が御像の名前になったと伝えられている。


牛すじの煮込み、少し甘めのおあげが入ったカレーうどんと、ごはんとおこうこの組み合わせは、お昼の定番メニューである。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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