日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 今年、ある落語家が不倫の現場を写真週刊誌に撮られ、その謝罪の記者会見で自分の名に懸けて、「老いらくの恋」と言ったことがあった。そのことに関して何か意見を述べようということではなく、「老いらく」というのはけっこう面白いことばなので取り上げてみたいのである。
 「老いらく」は文法的に説明すれば、「老いる」の文語形「老ゆ」のク語法である「おゆらく」が変化した語ということになる。ク語法というのは、活用語の語尾に「く」がついて全体が名詞化されるもので、「言はく(=言うこと。言うことには)」「語らく(=語ること。語ることには)」「悲しけく(=悲しいこと)」などの語がそれである。「老いらく」は、年をとり老いてゆくことや老年という意味である。
 古くからある語で、たとえば平安初期に成立した最初の勅撰和歌集『古今和歌集』には、在原業平(ありわらのなりひら)の以下のような和歌が収められている。

 「桜花ちりかひくもれおいらくのこむといふなる道まがふがに」(賀・三四九)

桜の花よ、散り乱れてあたりを曇らせよ。老いがやって来るという道が(花で隠されて)わからなくなるように、といった意味である。詞書(ことばがき)によれば、藤原基経(ふじわらのもとつね)の四十の賀の宴で読んだ歌とある。基経は最初の関白となった平安前期の公卿(くぎょう)である。さりげなく慶賀の気持ちを込めた名歌であろう。
 この「老いらく」がのちに「らく」を「楽」と解され、「老い楽」の字をあてて、年をとってから安楽な生活に入ることや老後の安楽といった意味になる。
 『日本国語大辞典』によれば、キリシタン宣教師の日本語修得のためにイエズス会が刊行した辞書『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603〜04)に「Voiracu (ヲイラク)」があり、ポルトガル語の部分を日本語に翻訳すると、「歌語、すなわち、老いの楽しみ」と書かれている。つまりけっこう古くから「老い楽」と思われていたことがわかる。以後、「老い楽」の例は、江戸期から近代になってもかなり見られるようになる。
 ちなみに冒頭の落語家が言った「老いらくの恋」という語は、1948(昭和23)年、当時68歳だった歌人の川田順が弟子の女性と恋愛、家出し、「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだことから広まったものである。この場合の「老いらく」は「老い楽」でないことは言うまでもないであろう。

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 「常用漢字表」に「付表」というのがあるのをご存じだろうか。「いわゆる当て字や熟字訓など,主として1字1字の音訓としては挙げにくいものを語の形で掲げた。」ものである(「表の見方及び使い方」)。
 この付表に示された語の中に、陰暦12月の異称である「師走」が入っているのだが、その読みを「しわす」としつつ、「(「しはす」とも言う。)」といった注記もついている。
 確かに、「師走」は「しわす」と読むのがふつうであるが、「しはす」と言っている人もけっこういるような気がする。すべての国語辞典がそうだというわけではないのだが、「師走」は解説のある本項目は「しわす」であるが、「しはす」を空見出し(参照見出し)にしているものも多い。「常用漢字表」に注記があるからということではなく、実際に「しはす」で引く人も多いことから、引きやすさを考えたためだと思われる。
 ただ、どうしたわけかNHKはシハスは認めておらず、シワスとだけ読むようにしている(『NHKことばのハンドブック』)。
 言うまでもないことではあるが、「師走」はもちろん当て字である。「師走」の歴史的仮名遣いは古くから「しはす」と書かれてきたが、語源についてはよくわかっていない。『日本国語大辞典』の語源説欄には、経をあげるために師僧が東西を馳せ走る月であるところから、シハセ(師馳)の義だという説、四季の果てる月であるところから、シハツ(四極)月の意だという説、トシハツル(歳極・年果・歳終)の義だという説などが紹介されているが、決定打となるものはない。この中では、最初の師僧が東西を馳せ走る月だという説が、年の暮れの慌ただしいようすと一致することから、もっともよく知られているであろうし、それが語源だと思い込んでいるかたも多いかもしれない。確かにこの語源説に従えば「シハセ(師馳)」が「シハス」となり、これが歴史的仮名遣いになったようにも思えるのだが。
 いずれにしても「しはす」と読むのは、歴史的仮名遣いをそのまま読んだことと、「師走」という当て字に引かれたからであろう。NHKは使わない読みではあるが、間違いとは言えないと思われる。

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 仏を拝むときなどに手にかけてつまぐる仏具を「じゅず」と言う。この「じゅず」を漢字で書こうとするとき、パソコンのワープロソフトを使えば「数珠」と正しく変換してくれるであろう。だが、手書きの場合、「数珠」か「珠数」か、「数」と「珠」の順序で悩みそうな気はしないだろうか。実は昔の人も、われわれ現代人と同じような混乱をきたしていたのである。
 そもそも、「じゅず」という言い方が定着するのは、近世になってからのようで、『日本国語大辞典』によれば、最も古い確実な例は、キリシタン宣教師の日本語修得のためにイエズス会が刊行した辞書『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603~04)である。そこには、「Iuzuuo (ジュズヲ) ツマグル、または、クル」とある。
 「じゅず」という言い方が定着するまでは、「ずず」「じゅじゅ」などという読みも存在していた。また、表記も固定していたわけではなく、「数珠」の他に「誦珠」「念珠」「頌数」とも書かれていた。しかも、一休さんとして親しまれている一休宗純(1394―1481)が、禅の立場から仏道修行の心構えを説いた『一休仮名法語』には、「手には百八煩悩のきづななる珠数をつまくり二世三世を祈り」のように、「珠数」と書かれたものまである。
 だが、室町時代以降は「数珠」という表記が次第に代表的なものとして定着していく。
 ただ、「珠数」という表記が廃れたわけではなく、「数珠」と並行して使用されていたため、面白いことにさらに「珠数」と書いて「ずじゅ」と読む新しい言い方まで生まれている。そもそも、「数(かず)」にも「珠(たま)」にも、ジュやズの音はなく、「数」は、漢音がス、呉音がシュ、「珠」は漢音・呉音ともにシュなのだが。
 明治以降も、「珠数」の表記だけは存在し、森鴎外、幸田露伴、泉鏡花、谷崎潤一郎などに使用例がある。
 昔の人もかように混乱していたので、われわれが迷うのも許してもらえそうな気がするのだが、現在は「常用漢字表」の「付表」に「数珠」の表記が示されているので、「珠数」は認めてもらえないのかもしれない。

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 「悪事にカタンする」「陰謀にカタンする」というときの「カタン」を漢字で書けと言われたら、どのように書くだろうか。大方は「加担」であろうか。
 だが、「加担」は比較的新しい表記で、古くは「荷担」と書かれていたのである。「荷担」は文字通り、荷物をになうこと、荷をかつぐことといった意味である。それが他人の荷を背負うところから転じて、力を貸すこと、助けること、また、味方になることという意味に変化していく。
 荷物をになうという意味では、たとえば南北朝動乱の歴史を描いた軍記物『太平記』(1368〜75頃)に以下のような使用例がある。

 「三種神器を自ら荷担して、未だ夜の中(うち)に大和路に懸(かかり)て、梨間(なしま)の宿(しゅく)までぞ落し進(まいら)せける」(一八・先帝潜幸芳野事)

 刑部大輔景繁(ぎょうぶのたいふかげしげ)という者が三種の神器を自分で担いで、後醍醐天皇を幽閉先(花山院)から、奈良街道上の交通の要衝である梨間の宿まで逃がしたという場面である。この後、後醍醐天皇は吉野へ向かう。
 この、荷を担ぐ意味の「荷担」が、室町時代の終わり頃には力を貸すという意味に転じたものと思われる。
 「加担」の表記が生まれたのはそれよりもかなり新しい。ふつうは、『日本国語大辞典』(『日国』)で引用している福沢諭吉『福翁自伝』(1899年)の「王政維新の際に仙台は佐幕論に加担して」という例がもっとも古いとされていた。だが、実はわずかながらそれよりも古い例があった。黒岩涙香の『血の文字』という小説で発表は1892年である。
 「今一思ひと云ふ所で何故無理に僕を制した、君はあの女に加担する気か、え君」
 この例は『日国』第3版で追加することができるであろう。なお、同時期に私家版として刊行された大槻文彦編の辞書『言海』(1889~91)には「荷担」の表記しか示されていないので、「加担」が定着するのはさらに後のことと思われる。
 たとえば、1961年(昭和36年)に、第五期国語審議会の第二部会というところが、第42回国語審議会総会で「漢字用記の『揺れ』について」という報告を行っている。それには、「次に掲げる語なども,かっこの中のように書かれることがあるが,これらは今日ではまだ誤りとみなすべきであろう。」として、「荷担(加担)」も掲げている。つまり「加担」は誤りだと述べているのである。ただ、これには注記があり、「これらのうち,『荷担』『決着』などは,今日では『加担』『結着』の語を記載する辞典もあるくらいなので,むしろ8の例として扱ったほうがよいかもしれない」としている。「8の例」というのは、「漢字表記のゆれの多くは,同音類義ないし同音異義の語であるとして,使い分ける必要がある。しかしながら,こういう場合,漢字の意味のわずかな相違にあまりにこだわることは,社会一般としては限度があるであろう。」と考えられる語だというのである。このときの国語審議会自体の判断にも「ゆれ」が見られるというわけである。
 国語辞典では「荷担」「加担」両様の表記を示すものが多く、辞書によっては「加担」が優勢であることを注記しているものもある。たとえば『現代国語例解辞典』では、「現在は参加の意識から『加担』を用いることも多い」としている。新聞では「加担」が一般化していると判断して、さらに進んで「加担」を統一表記とするようにしている。「加担」が広まっているのはそうしたことにもよるのであろう。

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 先ずは『日本国語大辞典』の「公算」という項目に引用されている用例をお読みいただきたい。

*初年兵江木の死(1920)〈細田民樹〉三「我が軍の死傷の公算が多いといふ訳であった」
*鷹(1953)〈石川淳〉二「あとからの箱にぶつかる公算のはうが大きいとしても、まへの箱にぶつかるといふ小さい公算もまたありえた」
*無口の妻とうたう歌(1974)〈古山高麗雄〉「京都なら、叔母がもとの所にいる公算が高いと考えた」

 冒頭からなぜこのようなことをしたのかというと、「公算」の後に続く形容詞に注目していただきたかったからである。形容詞とは、「多い」「大きい」「高い」の3語のことなのだが、自分だったら「公算」のあとに来るのはこの語を使うとか、この語は違和感があるとか、いろいろなご意見があるのではないだろうか。あるいは、なんで「強い」や「濃い」が無いんだ、と思いになった方もいらっしゃるかもしれない。
 「公算」は、確率のことだが、はっきりと数値に示せないような度合いの場合に使われることが多い。従って「大きい/小さい」で表現するのが一般的である。新聞でも、たとえば時事通信社の『用字用語ブック』では、「公算が強い(高い、濃い)→公算が大きい」として、「大きい」しか認めていない。さらにその理由として「『公算』は確率、確実さの度合いをいう。大小で表現し、強弱、高低、濃淡で表すのは誤り。」としている。確かに、国立国語研究所のコーパスで検索すると、頻度では「公算が大きい」が過半数を占めている。ちなみにそこでの頻度数は低いほうに、「高い」「強い」「多い」「濃い」と続く。
 これに対してNHKは「大きい」を本来の言い方としつつも「強い」も認めている。その理由を「『公算』を『可能性』『見込み』の意味で使う場合には、『公算が強い』と表現をしても違和感がない」(『NHKことばのハンドブック』)からだとしている。
 国語辞典ではここまで踏み込んで記述しているものはなく、ほとんどが例文で、「大きい」「強い」という形を示しているので、この2つは認めているということになるであろう。唯一『明鏡国語辞典』は、「大小」「強弱」「高低」「多少」もあるとしている。
 かくいう私は、通常は「大小」派だが、他の言い方が間違いだと思っているわけではない。

〔参考〕筑波大学・国立国語研究所・Lago言語研究所『NINJAL-LWP for TWC』(http://nlt.tsukuba.lagoinst.info)

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