日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 「あまりの恥ずかしさに、いたたまらない気持ちになる」
 この文章を読んでどのようにお感じになっただろうか。ひょっとすると、「いたたまらない」は「いたたまれない」の間違いではないかとお思いになったかたもいらっしゃるかもしれない。だが、「いたたまれない」も「いたたまらない」も江戸時代頃から両方とも使われていたらしく、意味や用法もほとんど区別がないようなのである。
 『日本国語大辞典』の「いたたまれない」では、江戸時代後期の人情本と呼ばれる小説の例が引用されている。

*人情本・花の志満台(1836~38)三・一七回「詰らなくなると、さア、彼奴(あいつ)めが我儘一杯(いっぺえ)を働いて、なかなか居(ゐ)たたまれねえ様にするから、忌々しさに出は出て見たが」

 一方「いたたまらない」のほうは、式亭三馬作の滑稽本『浮世風呂』(1809~13)の以下のような例である。

 「わたしが初ての座敷の時、がうぎ〔=ひどく〕といぢめたはな〈略〉それから居溜(ゐたたま)らねへから下(さが)らうと云たらの」

 『浮世風呂』のほうが成立は20年以上早いが、ほぼ同時期のものと考えていいだろう。ただ、語源を考えてみると、「いたたまらない」は「居・堪(たま)らない」、つまり「いることががまんできない」の意味だと考えられる。この「居る+たまる+ない」の「いたまらない」に、強調か口調のためにもう一つ「た」が挿入された形が「いたたまらない」だとされている。
 さらに、「たまらない」は「がまんできない」の意であるが、「……できない」の意味の場合、たとえば「止まる」が「止まれない」、「終わる」が「終われない」などと、当時から「……れない」の形となることがあるため、それに引きずられて「いたたまらない」も「いたたまれない」に変化したと考えられている。
 つまり、語源的には「いたたまらない」が元の言い方だと説明できるのである。だからというわけではなかろうが、現在でも「いたたまれない」「いたたまらない」どちらも使うが、「いたたまらない」のほうがやや古めかしい言い方に聞こえるような気がする。「いたたまれない」のほうが優勢だということはわかるのだが、小型の国語辞典では「いたたまらない」が完全に消滅してしまったわけではないのに、これを見出し語にしているものはほとんど無くなってしまった。残念なことである。

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 15,500,000 件と 333,000 件。
 なんの数だかおわかりであろうか。インターネットで「せっく」の漢字表記である「節句」と「節供」を検索した数である。前者が「節句」、後者が「節供」のヒット件数である。
 「せっく」とは、人日(じんじつ=一月七日)・上巳(じょうし=三月三日)・端午(たんご=五月五日)・七夕(たなばた=七月七日)・重陽(ちょうよう=九月九日)のことである。
 インターネットでなぜわざわざこのようなことをやってみたのかというと、「節句」の表記がどの程度広まっているのか知りたかったからである。インターネット上の検索であるので、この数字をうのみにすることはできないが、想像以上に「節句」が使われていることがわかる。
 それも無理もないことで、新聞では「節供」を「節句」と書き換えているからである。たとえば時事通信社の『用字用語ブック』でも、

せっく(節供)→節句~桃の節句

とある。これはかっこ内の表記、すなわち「節供」は原則として使わず、矢印で示した「節句」を使うようにという指示である。
 だが、「せっく」は古くは「節供」と書かれていたのである。そのため、「節供」とは季節の変わり目にあたって祝いを行う節日(せちにち)に、供御(くご=飲食物)を奉るのを例とするところから発した名称だと考えられている。
 室町時代以前の用例は、その時代の辞書類も含めてほとんどが「節供」で、「節句」の表記は現時点では見つけられない。ところが江戸時代になると「節句」の用例が急激に増え始める。だが、残念ながら何がきっかけでそうなったのかはわからない。
 現在「節句」が優勢になっているのは、おそらく「常用漢字表」の「句」のところに語例として「節句」が挙げられているからであろう。これは1973(昭和48)年に告示された「当用漢字改定音訓表」の内容を踏襲したものである。「供」も常用漢字ではあるのだが、「節供」の表記例がないところを見ると、「節句」の表記を優先させるという判断があったのであろう。
 新聞は「節句」にしていると書いたが、国語辞典では見出しの表記欄で「節句」「節供」を並列して示しているものが多い。ただ、最近の辞書では「節句」を先に示しているものが増えている。そんな中で、『新明解国語辞典』は「節供」を見出し欄に掲げず、解説のあとに「本来の用字は『節供』」だとして、独自路線を歩んでいる。

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 生きた魚介類を、頭、尾、大骨、殻などはそのままに刺し身にし、生きていた時のような姿にして盛り付ける料理のことを、何と呼んでいるだろうか。「いけづくり」だろうか、あるいは「いきづくり」だろうか。
 勝手な推測だが、大方は「いけづくり」と言っているのではないだろうか。NHKも、「いけづくり」を第1の読み、「いきづくり」を第2の読みとしている。新聞なども、たとえば時事通信社の『用字用語ブック』では、「生け作り」を採用し、注記として「『生き作り』とも」としている。
 国語辞典も同様で、「いけづくり」を本項目として、「いきづくり」を空見出し(参照見出し)にしている。つまりほとんどが「いけづくり」を優先させているわけだが、「いきづくり」も排除していない点に注目していただきたいのである。
 『日本国語大辞典』では、「いけづくり」「いきづくり」両方の見出しがあり、ともに江戸時代の例が引用されている。「いけづくり」は江戸後期の作家為永春水(ためなが・しゅんすい)の人情本の例である。

*人情本・貞操婦女八賢誌(ていそうおんなはっけんし)(1834~48頃)六・五三回「其方(そなた)の体を生作(いけづく)り、その庖丁の切味を饗応(ふるま)ひ呉れん」

 「いけづくり」は「いけづくり」でも、かなり物騒な「いけづくり」の例である。『貞操婦女八賢誌』は、「はっけんし」と書名にあるように曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を模した小説で、八犬士に代わる八賢女が主人公で、引用した部分もその八賢女の一人「八代(やつしろ)」のせりふである。
 一方、「いきづくり」は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の続編の『続膝栗毛』の例である。

*滑稽本・続膝栗毛(1810~22)一一・下「おれは鰒汁(ふぐじる)に生海鼠(なまこ)鱠(なます)鯉(こい)の生(いき)づくりでなければくはぬぞといふと」

 2つの用例を見比べてみると「いきづくり」例のほうが少しだけ古いが、江戸時代から「いけづくり」「いきづくり」両用あったということは確実である。「いきづくり」を排除できない根拠となるものであろう。
 なお、「いけづくり」を漢字で書く場合、「生けづくり」がふつうだが「活けづくり」と書くこともある。また「つくり」も「作り」「造り」の両方の表記が見られる。
 国語辞典の場合、このような揺れをどこまで取り込むかで立場がわかれるのである。

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 「犬棒(いぬぼう)カルタ」というのをご存じだろうか。「いろはガルタ」のひとつで、最初の札の「い」が「犬も歩けば棒に当たる」であることからそのように呼ばれる。ちなみに、上方のカルタでは「い」は「一寸先は闇」である。
 この「犬も歩けば棒に当たる」ということわざをご存じないというかたは、あまりいらっしゃらないであろう。だが、意味はいかがであろうか。実は、相反する意味で揺れている興味深いことわざなのである。『日本国語大辞典』(『日国』)を見ても、2つの意味が載せられている。このような内容である。

(1)物事をしようとする者は、それだけに災難に会うことも多いものだ。
(2)なにかやっているうちには、思いがけない幸運に会うこともあるものだ、また、才能のない者でも、数やるうちにはうまいことに行きあたることがある。

 つまり、災難説か幸運説かに分かれるのである。そして、その用例もともに江戸時代からある。
 災難説の一番古い例は、

*浄瑠璃・蛭小島武勇問答(ひるがこじまぶゆうもんどう)(1758)三「じたい名が気にいらぬ、犬様の、イヤ犬房様のと、犬も歩けば棒にあふ」

 幸運説は、

*雑俳・三番続(さんばんつづき)(1705)「ありけば犬も棒にあたりし・夜参の宮にて拾ふ櫃(ひつ)の底」

 50年ほどの違いではあるが、災難説、幸運説どちらが先だったかということは、これだけでは判断できない。ただし、「犬棒カルタ」の絵は、犬が棒に当たって顔をしかめているものが多いので、災難説が主流なのかも知れない。
 辞書の場合は、解説の分量は多くなってしまうが、それぞれの意味を載せてあとは読者に判断を任せるということになる。だが、実際に使う場合は、災難と幸運のどちらの意味で使っているのか判断しなければならないので、いささかやっかいかもしれない。さらに、幸運説の場合は、先に引用した『日国』の語釈のように、「才能のない者でも」というニュアンスも含まれるので、使用にはじゅうぶんに注意が必要である。

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第344回
 

 先ずは以下の文章をお読みいただきたい。幸田露伴の『毒朱唇(どくしゅしん)』(1890年)という短編小説の一節である。

 「広長舌の糜爛(びらん)する程息巻いて小児には小児、大人には大人、牛飼にまで、相応な者を売りつけらるる小面倒が出来る者に非ず」

 冒頭で、おやっとお思いになった方も大勢いらっしゃることであろう。そう、「広長舌」の部分だが、ほとんどの方は「長広舌」だとお思いになっているのではないだろうか。だが、「広長舌」は露伴が間違っているわけではなく、ましてや誤植でもない。
 「長広舌(ちょうこうぜつ)」は、本来は「広長舌」だったのである。「広長舌」は元来は仏語で、仏の三十二相(仏の身に備わっている32のすぐれた特徴)の一つである。広く長く、柔軟で、伸ばし広げると顔面をおおって髪のきわにまで及ぶ舌だという(『日本国語大辞典』)。
 なぜ「広」と「長」がひっくり返ってしまったのかはよくわかっていない。もともと、長い舌や、口数が多いことをいう「長舌」という語と、 無責任に大きなことを言う「広舌」という語があったので、それと混同したのかもしれない。
 この「広長舌」が、のちにとうとうと説く巧みな弁舌の意味に転じ、語形も「長広舌」となって、長くしゃべり続けるという、現代語の意味になったのである。
 現代語の国語辞典には、「広長舌」を見出し語として立てているものはなく、「長広舌」のところでも、元は「広長舌」であることに触れているものは少なくなっている。現代語には残っていなくても、日本語の知識として知っていても無駄ではないような気がするのだが。
 ちなみに、1910(明治43)年の明治天皇の暗殺計画(大逆事件)で首謀者とみなされ、翌年処刑された幸徳秋水(こうとく・しゅうすい)に『長広舌』(1902年)という評論集がある。ところが、この本が中国上海で翻訳出版された際には、タイトルが『広長舌』になっていた。日本語になった「長広舌」では通じないと判断されたのであろう。

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