日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 「これより来期の販売セサクをご報告いたします」
 社内会議で、販売担当の人間がそう切り出したとき、思わず顔をあげて発言者の顔を見てしまった。と言っても、これから発表するという「販売セサク」の内容が何か、早く知りたいと思ったわけではない。「セサク」という語に思わず反応してしまったのである。辞典編集者は、マーケティングのことを何も考えていないのかとおしかりを受けそうであるが。
 「セサク」は、もちろん漢字で書けば「施策」であることはわかる。しかし、「施策」の本来の読みは「シサク」で、「セサク」は従来なかった読み方なのである。ところが、販売部の社員が普通に使ったということは、会社の中でもかなり広まっているのではないかと気になってきた。
 「施策」とは、政治家、行政機関などが、計画を実地に行うことや、その計画のことをいう。「施策」を「シサク」と読むのは、どちらも漢音なので問題はないのだが、「セサク」だと「セ」は「施」の呉音だから、呉音と漢音が混ざった読み方になってしまう。
 「セサク」の読みがいつごろから広まったのかはっきりしたことはわからないのだが、文化庁が2003年(平成15年)に実施した「国語に関する世論調査」では、シサク 67.6% セサク 26.1%という結果が出ている。この調査によるとなぜか男性は年齢層が上になるにつれ「セサク」が増える傾向にある。この調査から10年以上も経っているので現在はどのような状況にあるのかはっきりしないが、「セサク」と読んでいる人の割合が減っているとは思えない。
 国語辞典での扱いはまちまちで、主な辞典は以下のようになっている。

『明鏡国語辞典』『岩波国語辞典』『広辞苑』:セサク は空見出し
『現代国語例解辞典』『新選国語辞典』『大辞泉』『大辞林』:セサクは空見出しもない

 ただし、『三省堂現代新国語辞典』には、「行政関係者は「セサク」と言う」という注記がある。また、『三省堂国語辞典』は先鋭的で、「シサク」が空見出し、「セサク」が特に注記もなく本項目にして、他の辞書とは違う判断をしている。
 NHKは、『NHK ことばのハンドブック』によると、「セサク」は使わないとしている。
 なお、この「施策」と同様の語に「施行」があり、この語にも「シコウ」「セコウ」という2つの読みがある。一般的には「シコウ」だが、法律関係では「セコウ」と読む。これは「執行(しっこう)」と区別するためといわれる。だが、この語もまたテレビ・ラジオはセコウではなくシコウと読むようにしている。
 大事な会議のときに、人が使ったことばについ反応してしまうのは褒められたことではないのだが、これも職業病なのかもしれない。

★神永曉氏、語彙・辞書研究会「辞書の未来」に登場!
「日本語、どうでしょう?」の著者、神永さんが創立25周年の語彙・辞書研究会の第50回記念シンポジウムにパネリストとして参加されます。現代の日本において国語辞書は使い手の要望に十分応えられているのか? 電子化の時代に対応した辞書のあり方とは一体どういうものなのか? シンポジウム「辞書の未来」ぜひご参加ください。

語彙・辞書研究会第50回記念シンポジウム「辞書の未来」
【第1テーマ】日本語母語話者に必要な国語辞書とは何か
[パネリスト]
小野正弘(明治大学教授)
平木靖成(岩波書店辞典編集部副部長)
【第2テーマ】紙の辞書に未来はあるか
――これからの「辞書」の形態・機能・流通等をめぐって
[パネリスト]
林 史典(聖徳大学教授)
神永 曉(小学館 出版局「辞書・デジタルリファレンス」プロデューサー)

日時 2016年11月12日(土) 13時15分~17時
会場 新宿NSビル 3階 3J会議室
参加費【一般】1,800円【学生・院生】1,200円 (会場費・予稿集代等を含む)
くわしくはこちら→http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/50/index.html

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 「たんぱく質の多い食品」などと言うときの「たんぱく質」だが、「たんぱく」をどのように表記しているだろうか。「たんぱく質」だろうか、あるいは「タンパク質」だろうか。「たん白質」「タン白質」と書くという方は、まずいらっしゃらないと思うが。
 本来の表記は何かというと、「蛋白質」である。
 「蛋白質」の「蛋」という漢字は卵という意味で、「蛋白」は卵の白身、卵白の意味もある。卵白は「たんぱく質」に富んでいることから、関連付けられて生まれた語なのかもしれない。
 「蛋白質」の例は、『日本国語大辞典』(『日国』)によれば、幕末の文久2年(1862年)に刊行された司馬凌海(しば・りょうかい)による医書『七新薬(しちしんやく)』がもっとも古い。司馬凌海は、佐渡出身の洋学者、医者である。
 そこには、

 「土質・金質及び蛋白質と相結合して以て其功を発す」

 とある。「蛋白質」はおそらく司馬凌海による造語ではないであろうが、この時期さまざまな分野で盛んに翻訳語が作りだされていることから、ほぼ幕末期に生まれた語だと考えていいのかもしれない。
 そのものを表記するとき、平仮名にするか片仮名にするかということは、外来語(室町以降に欧米から入ってきた語)や動植物名はふつう片仮名で書くようにしている。だが、「蛋白」はそのいずれでもないから、あえて「タンパク」と片仮名で書く必要はないことになる。にもかかわらず片仮名書きにされるのは、学術用語(学問・技術に関する用語のうち、共通の理解のもとに統一して用いられるように選定された術語)では「タンパク質」と片仮名書きだからである。
 しかし、だからといって新聞社の用字用語集や国語辞典などは、全面的に学術用語に従っているわけではない。国語辞典の見出しは、外来語ではないので、「たんぱく」と平仮名表示である。
 一方、新聞では揺れているようで、時事通信社『用字用語ブック』では「たんぱく質」と平仮名書きにして注記として「学術用語は『タンパク質』」ということを載せているが、共同通信社の『記者ハンドブック』は「タンパク質」と片仮名書きである。
 もちろん、どちらか一方が正しいということはない。

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 「共働き」と「共稼ぎ」は、夫婦が揃って勤めに出て家計を支えるということで、意味的にはほぼ同じように使われる。だが、「共働き」は「共稼ぎ」の語感を嫌って使われるようになった語だと言われていて、新聞なども「なるべく『共働き』に言い換える」(時事通信社『用字用語ブック』)としている。「共稼ぎ」は「金を稼ぐ」という意味合いが強いため、そこが嫌われた理由であろうか。
 『日本国語大辞典』(『日国』)によれば、「共働き」の語が使われるようになったのは比較的新しく、昭和初年ころからのようである。『日国』の「共働き」項には、婦女界社編輯部編の『結婚心得帖』(1930年)の例がもっとも古い例として引用されている。ただ辞書の例文なので仕方の無いことではあるが、引用されているのは一部分だけなのだが、面白い例なので、その前後を含めて引用しておく。「共働き夫婦の心得(十一ケ条)」という中にある。

 「3 家事に手を貸せ、口出すな
 共働き─それは一種の戦時状態です。妻より先に帰宅したら時計を睨んで待ってゐる間に、火鉢の火位はおこしておくこと。それはしないで、口先ばかりで手伝はれたのぢゃ、いつか不平が爆発するのは知れきった話です。」

 いかがであろうか。現代の男性にも耳の痛い内容だと思う。
 語感が嫌われたと言われている「共稼ぎ」は、江戸時代から見られる語である。ただし、たとえば、『日国』で引用されている、

*浄瑠璃・夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)(1745)二「それより堺の南の棚で夫婦友かせぎの魚商売」

のように、現在のような夫婦が別々に働きに出ているのではなく、一緒に商売や農業などをしていて生計を立てているという例がほとんどである。
  「共稼ぎ」は、辞書によっては「『共働き』の古い言い方」(三省堂『現代新国語辞典』)などとしているものもあるくらいで、現代語の辞書ではやがて消えてしまう運命にあるのかもしれない。それはそれでちょっと寂しい気もする。

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 『鞍馬天狗』という小説をご存じの方は大勢いらっしゃると思う。大仏次郎(おさらぎ・じろう)が1924年から1965年まで書き続けた連作時代小説で、幕末の主に京都を舞台に、勤王の志士、鞍馬天狗が新撰組を相手に神出鬼没の活躍をする作品である。その「鞍馬天狗」シリーズの中に『御存知鞍馬天狗』(1936~37)という長編がある。
 『鞍馬天狗』は幾度となく映画化、ドラマ化されていて、この「御存知鞍馬天狗」というタイトルも、小説とは内容が異なるもののたびたび映画やテレビ時代劇のタイトルに使われているから、何となく聞いたことがあるという方もかなりいらっしゃることであろう。

 さて、ここでひとつ注目していただきたいことがある。このコラムの冒頭で「ご存じ」と書いたのだが、「鞍馬天狗」ではそれを「御存知」とすべて漢字で書いている点についてである。
 つまり、「存じ」と書くべきか、「存知」と書くべきかという問題である。
 そもそも「ごぞんじ」とはどういう語かというと、「知る」「思う」などの謙譲語「存(ぞん)ずる」からできた名詞「存じ」に「ご」がついたものである。知っていらっしゃること、承知していらっしゃることといった意味で使われる。この「(ご)ぞんじ」は『日本国語大辞典』(『日国』)によれば、すでに鎌倉時代頃から使用例が見られる。
 ところが、紛らわしいことに、それとは別に「存知」という語も存在した。「ぞんち」あるいは「ぞんぢ」とも発音される語で、存在を知っていること、知って理解していることという意味や、心得て覚悟していることという意味で使われたのである。
 この「存知」を「存じ」の当て字と見る説もあるようだが、「存知して」のように「存知」をサ変動詞として用いた例もあり、動詞「存ずる」の名詞化「存じ」を、スルを伴ってサ変動詞化することは不自然であることから、「存知」と「存じ」とはもとは別語であったと考えられている。
 「存知」は、『日国』によれば和製漢語の可能性もあるという。「存知」は本来は「ぞんち」と発音されていたが、それが後に「ぞんぢ」と第3音が濁音となったことにより、「じ」と「ぢ」の発音の違いがなくなり、また、「ご承知」など類義の語があることなどから、混同したと考えられる。
 大方の国語辞典は「御存知」を当て字であるとし、新聞でも「ご存じ」と書くようにしている。

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 私が子どもの頃、近所の友人たちとの間でいちばん人気のあった遊びは、三角ベースであった。ある程度の年配の方ならご記憶だろうが、本塁以外に二つの塁を設け、三角形を作って行なう野球を変形した遊びである。ちょっとした空き地があればどこででもでき、バットとボールとグローブがあれば、みんな長嶋選手や王選手のような気分になれた。
 今、「グローブ」と書いたが、ボールを受けるのに用いる革製の手袋のことは間違いなくそう呼んでいた。だが、最近はこれを「グラブ」という人のほうが多いらしい。
 いつからそのようなことになったのかよくわからないのだが、もとは英語のgloveで、発音はグラヴに近いから、本来の発音に近づいたということなのかもしれない。なぜ「グローブ」と発音されていたのかも不明であるが、地球や天体を意味するglobe(日本語だと「グローブ」)と同じように発音すると考えて、「グローブ」と言うようになってしまったのかもしれない。

 『日本国語大辞典』(『日国』)によれば、野球の「グローブ」の語が見えるのは、『新式ベースボール術』(高橋雄次郎著 1898年)からである。それによると、「投手の『グローブ』一円より一円廿銭迄」とある。野球が日本に伝わったのは明治初期のことで、その当時この用具のことをなんと呼んでいたのか不明だが、この本が書かれた明治の中頃以降になると「グローブ」がかなり広まっていたのかもしれない。それにしてもこの時代の1円だから、かなり高価なものだったのであろう。
 現在では、NHKなどでは、野球は「グラブ」、ボクシングは「グローブ」と使い分けているようである。だが、一般的にはそのようにきれいに使い分けてはいないことのほうが多いのではないか。
 『日国』でも、ボクシングで「グラブ」を使っている例も引用している。

*太陽の季節(1955)〈石原慎太郎〉「ジムはがらんとしていた。〈略〉壁に掛けられたシュウズにグラブ」

 このようなことから、1991(平成3)年の内閣告示「外来語の表記」でも、「『グローブ』と『グラブ』のように、語形にゆれのあるものについて、その語形をどちらかに決めようとはしていない」と、判断を避けている。もっともなことである。

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