日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 パーティーの招待状に、「なお当日は私服でおいでください」と書かれていたとき、皆さんは何を着て行くのだろうか。私もそうだが、かなり悩むのではないか。フォーマルウエアだって、スーツなどの仕事着だって、ふだん自宅で着ている服だって、みんな自分の服なので、どれも私服ではないかと思う人もいるかもしれない。
 『日本国語大辞典(日国)』で「私服」を引いてみると、以下の2つの意味が記載されている。

 「制服や官服に対して、個人の立場で着る衣服。」
 「『しふくけいじ(私服刑事)』の略」

 ほとんどの国語辞典もこれと同じであろう。つまり、「私服」とは「制服」に対する語だったのである。それもそのはずで、『日国』によれば、「私服」という語は「軍隊内務書」(1924年)の例が最も古く、以下のような内容なのである。

 「各自の私服は聯隊長の許可したるものの外成るべく本人より附添人に渡さしめ」(第261)

 「軍隊内務書」は、日本陸軍の軍隊内における日常生活を規定し、さらには連隊内の各職員の職務権限と諸勤務の内容を定めた規則書である。「私服」という語がこのときに生まれたわけではなかろうが、制服との関連で生まれたことは確実である。「私服刑事」も制服ではない、個人の服を着て勤務する刑事のことである。
 なお、ほとんどの国語辞典は「私服」は「制服」に対しての意味としていると書いたが、実は『三省堂国語辞典』だけは「ふだん着」という意味を載せ、「会場には私服でおこしください」という例文を添えている。
 つまり、いつごろからは不明ながら、「私服=ふだん着」というとらえ方が生まれたということである。ただ、ふだん着とまったく同義かというと、必ずしもそうではなさそうだ。ふだん着はジャージー姿だという人もけっこういるであろうから。もちろん人前に出るときに、そのような姿で行く人はいなかろうが。パーティーに招待する側も、いくら何でもそこまでは想定していないはずだ。
 おそらく、招待状などにある「私服」とは、ふだん出掛けるような服という意味で使っているのだと思われる。だとすると、その「私服」の意味は、ほとんどの辞典には載っていないということになる。
 この「私服」と同じような意味で使われる語に「平服」がある。そして、このような招待状などで使う語としては、「平服」の方がふさわしい気がする。
 「平服」も「ふだん着」同様、平常着る衣服のことだが、特に儀式などの晴れの場で着用する服(「礼服」)に対する語である。つまり「平服」↔「礼服」という関係になるだろう。
 『大辞泉』でこの「平服」を引いたら、こんな「補説」が添えられていた。

 「冠婚葬祭の招待状などで『平服でご出席ください』とある場合は、ふつう略礼装またはそれに近い服装を指し、カジュアルウエアは含まない。」

 まさにそういうことなのだと思う。

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 「練習」と「稽古」はどう違うのかという質問を受けた。質問者は大相撲のファンなので、なぜ力士は「稽古」と言って「練習」とは言わないのか、と疑問に思ったのにちがいない。確かに、力士が一生懸命「練習」しても、あまり強くなれそうにもない気がする。どうしてなのだろうか。
 この2語は、能力や技術などを向上させるために繰り返し習うという点で共通している。似たような語に「訓練」があり、この語もかなり意味が近い。あと、外来語ではあるが「トレーニング」という類義語もある。
 以前私は『使い方の分かる 類語例解辞典』(小学館 1994年)という類語の意味の違いを解説した辞典を担当したことがあるのだが、この辞典でもこの4語を比較して解説している。この辞典の類語のグループは、すべてではないが大半は担当者である私が分類した。
 日本語の「練習」「稽古」「訓練」を比較してみると、なにかの技術をより上達させるときには「練習」「稽古」を使うが、なにかの技術や能力を身につけさせるときは「訓練」の方がしっくりきそうな気がする。だから、「バイオリンを〔練習する/稽古する〕」とはいえるが、「バイオリンを訓練する」が変なのはそのためなのであろう。
 そうしてみると、「練習」と「稽古」はかなり近い語のようだが、「稽古」の方がやや古めかしい言い方で、芸事や習い事、日本古来の武術などに用いられることが多い。茶道や華道、相撲や剣道、柔道などは「稽古」の方がしっくりくる。相撲の場合、「突き押しの練習をする」「投げ技の練習をする」と言えなくもないが、やはり相撲の技では「稽古」の方が適切であろう。
 ことば自体が古めかしいということもあるのだが、私の語感としては、「稽古」はその習う方法があまり科学的ではない印象を受ける。だからといって、もちろん「稽古」のやり方が「練習」よりも劣っているという意味ではない。
 ことばとしては「練習」「稽古」ともにけっこう古くから存在していたようで、『日本国語大辞典(日国)』にはいずれも平安時代の用例がある。「稽古」が古くからあるのはわかるのだが、「練習」という語も古いというのはちょっと意外な気がする。
 「練習」「稽古」のもっとも古い例ではないが、南北朝時代の連歌論集『連理秘抄』(1349年)に、「只堪能(かんのう)に練習して、座功をつむより外の稽古はあるべからず」という「練習」と「稽古」を同時に使っている例がある。ひたすら連歌の道に深く通じて学習し、連歌の一座に参加して経験を積むこと以外の修業はないといっているのである。今仮に「練習」を学習、「稽古」を修業と置き換えてみたが、明らかにこの2語を使い分けていて興味深い例である。
 もうひとつの「訓練」だが、こちらは明治時代になってからの用例しか見当たらない。
 なお「トレーニング」は英語のtraining からだが、練習、訓練、鍛錬などと訳される。スポーツで使われることが多く、「試合に備えてトレーニングを積む」などのように、体力の向上を図ったり、より高度な技術を目指したりすることをいう。ただし、スポーツに限らず「英語のトレーニング」などのように、あることを身につけるという意味でも用いられる。
 「稽古」ということばがふさわしい大相撲は今はちょうど地方巡業のときだが、力士たちはきっと巡業の中で、きっと稽古に励んでいることであろう。

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 「いい話を聞いて心がほっこりした」という言い方をしているだろうか。「ほっこり」を気持ちが和らぐとか、あたたかい気持ちになるとかいう意味で使うかどうかということである。
 私自身はどうかというと、比較的最近になって使うようになったが、少なくとも十数年前は使わなかったと思う。比較的最近になって広く使われるようになったからなのか、国語辞典の扱いもまちまちである。
 「ほっこり」の本来の意味は、「部屋の中はほっこりとあたたかい」などのように、いかにもあたたかそうなさまということである。辞典の中にはその意味の中に冒頭の「心がほっこりした」という例文を載せたり、この項目自体が見出し語になかったりするものもある。
 「ほっこり」がいつごろから気持ちが和らぐという意味で使われるようになったのかよくわからないのだが、『日本国語大辞典(日国)』には、「気持が晴れたり、仕事や懸案のことがかたづいたりして、すっきりとしたさまを表わす語」という似たような意味で、

*浮世草子・傾城歌三味線〔1732〕五・一「床へはござれど痞(つかへ)がいたむとて、今にほっこりとした事もないげな」

という例を引用している。「痞(つかへ)」とは胸にさしこみの発作が起こる病気、いわゆる「癪(しゃく)」のことである。床にはおつきになったが、癪が痛むのですっきりしないらしいといった意味である。
 この意味の「ほっこり」と、現在使われている「ほっこり」との関連はわからないのだが、『日本方言大辞典』によると、「ほっとするさま。安堵(あんど)するさま」という意味の《ほっかり》京都府や、《ほっかり》山口県「いそがしい客事がすんでほっかりした」、《ほっこる》富山県砺波があるので、それから来ているのかもしれない。
 ただ、面白いことにこの方言形の「ほっこり」は全く正反対と思われる意味で使われている地域もあるのである(地名のあとの数字は、引用した方言資料の番号)。
 非常に疲れたさま。福井県427「半日も洗濯してほっこりした」448/岐阜県本巣郡510/滋賀県犬上郡615/神崎郡616/京都市621/大阪市638
《ほっかり》福井県431/遠敷郡445

 退屈なさま。三重県阿山郡585/滋賀県彦根609/京都府629
《ほっこい》三重県伊賀585

 うんざりしたさま。閉口したさま。福井県足羽郡440/滋賀県甲賀郡611/

 このうんざりしたり、困り果てたりするさまという意味では、『日国』には

*浮世草子・諸芸独自慢〔1783〕二「今かけ屋敷を八十三軒持て居りますが、イヤモ世話なもので、ほっこり致しました」

という江戸時代の例が引用されている。「かけ屋敷」とは貸家のことで、貸家を83軒持っているから面倒であると言っているのである。『諸芸独自慢(しょげいひとりじまん)』は福隅軒蛙井(ふくぐうけんあせい)の作で、上方で出版されたのだが、福隅軒蛙井のことはよくわかっていない。
 つまり、このことばは主に関西で分布しているのだが、プラスの意味でもマイナスの意味でも使われていたことがわかる。だとすると文脈によってどのような意味で使われているのか読み取る必要がありそうで、少なくとも私のような関東人は安易に使うのは避けたほうがよいのかもしれない。

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 「み」という接尾語がある。辞書的には、「形容詞または形容動詞の語幹に付いて名詞をつくる」(『日本国語大辞典(日国)』)と説明されている。さらに具体的にどういうものかというと、「その性質・状態の程度やその様子を表わす。『さ』と比べると使われ方は限られる。『厚み』『重み』『苦み』『赤み』『面白みに欠ける』『真剣みが薄い(たりない)』など」とある。つまり「厚・い」「重・い」「苦・い」「赤・い」「面白・い」という形容詞や、「真剣・だ」という形容動詞などの語幹(「・」印の前の部分)について名詞をつくるものである。このような接尾語は、他には、引用した『日国』の解説にもあるような「さ」がある。
 余談だが、私が辞書編集者になったばかりのころ、このようなある語に付いて別の品詞をつくる接尾語には「げ」「さ」「み」「がる」があるので、「げさみがる」と続けて覚えるとよいと教え込まれた。ただしこうした接尾語がどのような語に接続するかは語によって異なり、「み」「さ」は名詞をつくり、「げ」は形容動詞の語幹(形容動詞の変化しない部分)を、「がる」は動詞をつくるという違いがあるということも教わった。「げさみがる」という言い方が何だか面白くて、すぐに覚えることができた。
 前置きが長くなったが、最近この名詞をつくる接尾語「み」の使用範囲が、若者の間に広まっているようなのである。例えば、「おいしみ」「うれしみ」「やばみ」「つらみ」といったような。本来「おいしい」「うれしい」「やばい」「つらい」を名詞化したいのなら、語尾は「さ」にして、「おいしさ」「うれしさ」「やばさ」「つらさ」とすべきところである。先に引用した『日国』にも「『さ』と比べると使われ方は限られる」とあるように、接尾語「み」は「さ」に比べて使用範囲が限られているはずなのだ。
 にもかかわらず、このような「おいしみ」「うれしみ」「やばみ」「つらみ」が広まっているというのはどういうことなのであろうか。勝手な想像だが、若者にとっては従来の用法から逸脱したことばを使った方が、お互いに共感を得やすいということがあるのかもしれない。
 これを日本語の乱れと感じる人も多いであろうが、私のような辞書編集者にとっては、若者の造語力のセンスに脱帽せざるを得ないというのが本音である。従来なかったから、自分が聞いたことも使ったこともないことばだから誤りだと感じる人はけっこういるのだが、ことばはかなり柔軟なのである。もちろんそうさせているのは人間なのだが。
 例えば、「優(やさ)しみ」という語をみなさんはどのように感じるだろうか。そんな言い方など聞いたことがないというかたもいらっしゃるかもしれない。私のパソコンのワープロソフトも、「やさしみ」は「優しみ」とは変換しなかった。「優しさ」は変換するのに。実際、インターネットではこの「やさしみ」に対して否定的な意見も散見される。
 ところが、『デジタル大辞泉』で「やさしい」を引いてみると、その[派生]語として、「やさしげ[形動]やさしさ[名]やさしみ[名]」と書かれている。このように「やさしみ」も認めているのにはわけがある。
 というのも、『日国』にも「やさしみ」が立項されていて、例えば

*めぐりあひ〔1888〜89〕〈二葉亭四迷訳〉二「仮令その響には自然人の魂を奪ふほどの柔和(ヤサシミ)は有ったとはいへ」

という例が引用されているからだ。『めぐりあひ』はロシアの作家ツルゲーネフの小説の翻訳である。「やさしみ」の例は『日国』にも複数引用されているが、それ以外にも多数ある。
 若者が使う「おいしみ」「うれしみ」「やばみ」「つらみ」もこうした「やさしみ」の造語法と何ら変わらず、さらに増えていくものと思われる。

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 身長にくらべて着物のたけが短くて、手足や膝が出ていることを、「つんつるてん」という。例えば夏目漱石に『二百十日』(1906年)という小品があるのだが、この中でも、

 「下女は心得貌(こころえがお)に起(た)って行く。幅の狭い唐縮緬(とうちりめん)をちょきり結びに御臀(おしり)の上へ乗せて、絣(かすり)の筒袖(つつそで)をつんつるてんに着てゐる。」

などと使われている。「唐縮緬」は、薄く柔らかい毛織物、「ちょっきり結び」は手軽にこま結びなどにすること、「筒袖」は和服で、袂(たもと)がない筒形の袖のことである。『二百十日』は阿蘇山に登ろうとしている、圭さんと碌さん2人の青年の会話体からなる小説である。ちょっと面白い場面なのでもう少し説明をすると、2人がいるのは阿蘇の麓の温泉宿。下女が心得貌で立ったのは、「ビール」ではなく「恵比寿」を取りに行ったのである。彼女は、「ビールはござりませんばってん、恵比寿(えびす)ならござります」と言うのであった。この「恵比寿」は今の「ヱビスビール」ではなく、日本麦酒(ビール)醸造会社醸造の「恵比寿(えびす)麦酒」のことである。当時は田舎の温泉宿にはこのような感じの仲居さんがけっこういたのかもしれない。
 前置きが長くなってしまったが、「つんつるてん」ということばは、何でそのように言うのかよくわからない不思議なことばである。その使用例も『日本国語大辞典(日国)』では、明治になってのものしか見当たらない。ただ、江戸時代には意味が同じ「つんつら」という言い方があったらしく、『日国』でも山東京伝(さんとうきょうでん)の洒落本『仕懸文庫(しかけぶんこ)』(1791年)が引用されている。

*洒落本・仕懸文庫〔1791〕四「おの川じまのほしゆかたのつんつらみじかいやつをうでまくりして」

 「おの川じまのほしゆかた」は、「おの川じま」は「小野川縞」で、江戸中期の横綱小野川喜三郎の着物にちなんで売り出された縦縞模様のことだが、その模様の浴衣(ゆかた)のことである。
 さらにこれに似たことばで、「てんつるてん」というのもあった。「てんつるてん」といえば三味線の音を写した語にも思えるが、関連はわからない。ただ私はたまたま一致しただけで、あまり関係がなかったのではないかと考えている。江戸時代にはこちらの方が一般的だったのか用例もけっこうある。例えば、小林一茶の句文集『おらが春』(1829年)にもこんな俳句が載せられている。

 「たのもしやてんつるてんの初袷」

 「初袷」はその年はじめて袷(あわせ)を着ること。「袷」は、裏地のついている衣服で、江戸時代には、陰暦4月1日より5月4日までと、9月1日より8日まで、これを着るならわしがあった。衣替えをしたら昨年着た袷が「てんつるてん」になっていたと、子どもの成育を喜んでいるのである。だが、一茶が50歳を過ぎてから生まれたこの娘のさとは、生後1年余で痘瘡(とうそう)で死んでしまう。
 先に三味線の音と関係がないと書いたが、その理由は、「てんつるはぎ」という語があるからである。「はぎ」は「脛」、つまり「すね」である。どうやら、着物の丈(たけ)が短くて長くむき出しになった脛(すね)のことをいったらしく、『日国』でも以下の用例が引用されている。

*史記抄〔1477〕五・秦始皇本紀「つよく寒くかなしい者はてんつるはきなるきるものでまり大切なほどに重宝と思ぞ」

 とても寒く、貧しくて生活がつらいものは丈が短くすねがむき出しになった着物であろうと、大切で重宝なものだと思うという意味である。『史記抄』は臨済宗の僧桃源瑞仙(とうげんずいせん)による、中国の歴史書『史記』の講義録である。
 「つんつるてん」「てんつるてん」の語源は結局わからず、今回は結論らしきものはないのだが、昔から「つんつるてん」という言い方がなんともユーモラスで好きだったので、こんな文章を書いてしまった。

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