日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 「やらずぶったくり」99件
 「やらずぼったくり」7件

 何の数かというと、国会会議録検索システムでそれぞれの語を検索したときのヒット数である。国会会議録は第1回国会(1947年5月開会)以降のすべての本会議、委員会等の会議録で、現在でも更新されている。話しことばの資料として、私はよく活用している。
 「やらずぶったくり」と「やらずぼったくり」、あまり日常語とはいえないかもしれないが、もし使うとしたら皆さんはどちらだろう。
 「やらずぶったくり」の99件は、1956(昭和31)年以降ほぼ途切れることなく使われ、そのうちの25件は平成になってからのものである。一方の「やらずぼったくり」は、7件はすべて平成になってからのものである。つまりこれを見る限り、「やらずぶったくり」の方がもともとあった言い方だと言えるだろう。
 「やらずぶったくり」は、人に与えずに、ただ取り上げるばかりであるという意味である。『日本国語大辞典(日国)』では以下の例が引用されている。

*手紙雑誌‐一・一一号〔1905〕郵便費附たり文房具の事〈矢野二郎〉「吉凶共に贈答の礼を欠くは勿論、総て遣らずブッタクリの法を守る男であるが」

 「手紙雑誌」は古今東西の有名人や日露戦争兵士などの手紙を紹介した雑誌で、手紙の主の矢野二郎は、明治期に商業教育の基礎を築いた人物である。
 「やらずぶったくり」の「やらず」は、動詞「やる(遣)」に打消の助動詞「ず」の付いたもので、与えないという意味である。「ぶったくり」は、強奪すること。動詞形で「ぶったくる」と言うこともある。
 一方の「ぼったくり」は、ゆすって金を取ることや、不当に高い金を取ることをいう。この語にも「ぼったくる」という動詞形がある。「ぼったくり」「ぼったくる」の「ぼっ」は、「暴利」を動詞化した「ぼる」と関係があるかもしれないと言われている。「ぼる」は、法外な代価や賃銭を要求したり、不当な利益をむさぼったりすることを言う。「初めて入った居酒屋でぼられた」などと使う。
 「やらずぼったくり」の方が新しい言い方であろうと書いたが、「やらずぶったくり」が「やらずぼったくり」になったのは、「ぼったくり」と「ぶったくり」とでは意味も発音も似通っているせいかもしれない。ただ、「やらずぼったくり」の存在は、辞書ではまだほとんど認められていないのである。実態は以下の通りだ。

『日国』『広辞苑』『大辞泉』『大辞林』『新明解国語辞典』『新選国語辞典』『岩波国語辞典』『明鏡国語辞典』『現代国語例解辞典』:「やらずぶったくり」のみ。同義語として「やらずぼったくり」はなし。
『三省堂国語辞典』:「やらずぶったくり」に「やらずぼったくり」同義語。「やらずぼったくり」の項目はなし。

 これらを見る限り、新語に敏感な『三省堂国語辞典』が「やらずぼったくり」の存在を認めているだけなのである。だが「ぶったくり」「ぼったくり」は音が近いこともあって、「やらずぼったくり」と言う人は今後増えていくと思われる。「やらずぼったくり」が多くの辞書に登録されるのも、そんなに遠いことではない気がする。

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 おかしくてたまらない、または、ばかばかしくてしかたがないことを、「へそが茶を沸(わ)かす」とか「へそで茶を沸かす」と言う。あざけりの意をこめて用いられることが多い。
 「へそ」はもちろん「臍」で、腹の中心にある小さなくぼみのことである。臍帯(さいたい=へその緒)のとれた跡で、胎児のときはこれを通じて栄養などが胎盤から循環していたということはよくご存じであろう。
 この「へそ」で茶を沸かすということが、なぜおかしくてたまらないという意味になるのか、不思議に思ったことはないだろうか。勝手な想像だが、「へそ」はお腹を代表する部分と考えられ、腹を抱えるほど大笑いしてお腹が痛くなるほどになると、その部分が煮え立つようになって、お茶が沸くほどだという洒落なのであろうか。
 「へそ」を使った、おかしくてたまらないという言い方は、江戸人の心をつかんだらしく、『日本国語大辞典(日国)』には以下のような、江戸生まれと思われる「へそ」関連のことばが立項されている。

 へそがくねる/へそが西国(さいこく)する/へそが入唐(にっとう)渡天(とてん)する/へそが宿替(やどが)えする/へそが縒(よ)れる/へそが笑(わら)う/へそを動(うご)かす/へそを宿替(やどが)えさせる/へそを撚(よじ)る

 「へそ」が実にいろいろなことをして見せてくれるのである。
 「西国(さいこく)する」は、西の方に行くということである。江戸から西であるから上方かと思きや、日本から見た西で、中国に行ったり(入唐)、果ては天竺(てんじく)すなわちインドまで渡ったり(度天)してしまうのである。
 だから、「へそ」は宿替え、すなわち引っ越しまでするということであろう。こうなるとことばで遊んでいるとしか思えない。
 この「へそが宿替(やどが)えする」を使って、江戸時代には『臍の宿かえ』(1812年)という咄本(はなしぼん)まで現れた。咄本は落語・軽口・笑話などを書き集めた本で、『臍の宿かえ』は芝居咄の創始者、初代桂文治の咄をまとめた笑話集である。
 「へそ」の語源は、もともとは「ほぞ(臍)」で、これは古くは清音で「ほそ」と言われていて、これが転じたものであるという説があるが、確証はない。「ほぞ」は今でも「ほぞをかむ」のような言い方が残っている。
 余談ではあるが、「へそ」も「ほぞ」も「臍」と書くが、「臍を噛む」は「ほぞをかむ」と読むべきであろう。理由は特にないのだが、それが伝統的な言い方だからである。ところがこれを「へそを噛む」と言う人がいる。
 たとえば太宰治の『先生三人』(1936年)という短いエッセーに、
 「百点満点笑止の沙汰、まさしく佐藤家の宝物だ、と殘念むねん、へそを噛むが如き思ひであつた」
とある。太宰は比較的ことば遣いが自由な人なので、これを完全な誤用と言い切る勇気はないのだが、通常では「ほぞをかむ」とすべきところである。
 閑話休題。とにかく「へそ」というなんともユーモラスな響きが、江戸の人の心をとらえたのかもしれない。

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 民放のバラエティー番組で「ヤブ医者」の「ヤブ」の語源について教えてほしいと言われ、辞書編集者の立場でお答えしたことがある。
 ところがそれからひと月もたたないうちに、先にNHKがやはりバラエティー番組でその語源を取り上げていた。「ヤブ医者」がブームになっているなどということはないであろうから、バラエティー番組のネタにしやすい話題なのかもしれない。
 “辞書編集者の立場”とわざわざ断ったのには理由がある。民放もNHKも、「ヤブ」は地名の「やぶ(養父)」によるという説を採用しようとしていた(採用した)のだが、どの国語辞典もその説は採用していないからである。
 この「養父」は兵庫県養父市のことなのだが、同市はこの説を市のホームページで紹介している。もちろんその説を否定するつもりは毛頭ないし、養父市とこのことで論争したいと思っているわけでもない。だが、辞書的には確証とは言えないまでも、必ずしもそうとは言えない証拠がいくつかあるので、ここで触れておきたい。
 その前に養父市が主張する、地名「やぶ(養父)」説について触れておこう。「養父」説は、江戸中期の森川許六(もりかわきょりく)編の俳文集『風俗文選』(1707年)を根拠としている。同書にそれによると、但州ヤブ(養父)に名医がいたのだが、それにあやかろうとする者が数多く出てヤブの名が蔓延(まんえん)したとある。
 これについて、養父市は、

 〈「養父の名医の弟子と言えば、病人もその家人も大いに信頼し、薬の力も効果が大きかった。」と「風俗文選」にもあるように、「養父医者」は名医のブランドでした。しかしこのブランドを悪用する者が現れました。大した腕もないのに、「自分は養父医者の弟子だ」と口先だけの医者が続出し、「養父医者」の名声は地に落ち、いつしか「薮」の字があてられ、ヘタな医者を意味するようになったのではないでしょうか。〉

と述べている。さらに養父市は、この名医は徳川5代将軍綱吉のときの養父出身の奥医師がモデルだったとしている。
 だが、「やぶ」に関してはもう一つ有力な説がある。「やぶ」は「野巫(やぶ)」で、本来は呪術(じゅじゅつ)で治療を行っていた者の意だったというものだ。これに「藪」「野夫」などの漢字を当てて田舎医者の意となり、あざけって言うようになったというものである。実は「やぶ」の語源説を載せているほとんどの国語辞典では、この説が有力だと見なしている(ただし『新明解国語辞典』は「『やぶ』は『やぼ』と同源で、事情に暗い意」としている)。
 『日本国語大辞典』で引用している「やぶ医者」「やぶ医」の用例はいずれも江戸時代になってからのものであるが、それよりも古い「やぶ医師」の例がある。このような例だ。

*康富記‐応永二九年〔1422〕六月一五日「只藪医師ばかり被聞食入之条如何」

 『康富記』は中原康富(やすとみ)という室町時代の公家の日記である。この部分は、ただやぶ医者ばかり呼ぶのはどういうことかと憤慨しているのである。
 さらに医者の呼称である「薬師(くすし)」に「薮」を付けた、「藪薬師」の例が鎌倉時代の仏教説話集にある。

*米沢本沙石集〔1283〕三・二「さるほどに医師よべとて、藪薬師(ヤフクスシ)のちかぢかにありけるをよびてみすれば」

これらの用例から「やぶ」を「藪」と書いた例はけっこう古くからあったことがわかる。少なくとも綱吉の時代よりも400年前に「藪薬師」はいたのである。
 昔は「野巫(やぶ)」と呼ばれる呪術医も多く、それらは病気を治すことのできない者がほとんどだったのではないか。それ故に、そのような者たちをおとしめて「野巫」を「薮」「野夫」と表記して、診断治療の下手な医者を「やぶ薬師」「やぶ医師」「やぶ医者」と呼ぶようになったのではないだろうか。
 「養父」説もそれなりに面白いのだが、各国語辞典は断定はしていないものの「野巫(やぶ)」説を採用しているのは、このような理由からである。

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 先ずは『日本国語大辞典(日国)』の「秋波を送る」という項目の語釈をお読みいただきたい。

 「女性が、相手の関心を引こうとして、こびを含んだ目つきで見る」

 さらにここには用例が3つ示されているのだが、そのうちのわかりやすい例をひとつ引用する。

*野分〔1907〕〈夏目漱石〉八「黒縮緬へ三つ柏の紋をつけた意気な芸者がすれ違ふときに、高柳君の方に一瞥(べつ)の秋波(シウハ)を送(オク)った」

 『日国』の語釈の内容通り、この夏目漱石の『野分』の例でも、高柳君に「秋波」を送ったのは、女性である芸者だ。
 では次に以下の文章をお読みいただきたい。劇作家岸田国士の『演劇漫話』(1926年)からの例である。

 「俗衆は、自分の観てゐる芝居の中に、自分の知つてゐる型を見出さなければ満足しないといふ恐ろしい習慣を失はずにゐるのです。新劇は、さういふ種類の観客に秋波を送つてはなりません」

 この例で「秋波」を送っているのは、女性ではない。それどころか新劇という、人格のないものなのである。このような例があるということは、『日国』の語釈が間違っているということなのであろうか。
 「秋波」の本来の意味は、美人の涼しげな美しい目もとという意味で、そこから、女性のこびを表わす色っぽい目つきのことをいう。従って「秋波を送る」は、女性の流し目のことをいうのである。
 だが最近では、岸田国士の例にもあるように、女性に限らず他人の関心を引くために媚びを売るという意味で使っている例が増えている。しかも面白いことに、そういった使用例が比較的目につくのは、政治の世界なのである。国会の会議録を見ると、「秋波」を送っている主体も、送られている対象も、政治家や政治団体、企業であったり、外国であったりする。あまりつやっぽい話ではなく、どちらかというと生々しい。
 そのようなこともあって、小型の国語辞典の中では、『三省堂国語辞典』『現代国語例解辞典』が男女間に限らず他人の関心を得るために媚びを得るという意味を載せている。さらに前者ではその行為は「下心をもって」だとまで踏み込んで説明している。
 このような新しい意味での「秋波」が広まるようになったのは、やはり意味が拡大しているということなのであろうが、本来の意味は知っていてもよさそうな気がする。

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 かつてコピーライターの糸井重里さんが作った「おいしい生活」という西武百貨店のキャッチコピーが、一世を風靡(ふうび)したことがある(1982年)。コピーで使われたことばを説明するのはやぼな話なのだが、この「おいしい」とは、豊かな暮らしという意味なのであろう。
 「おいしい」はもともとは、物の味のよいことをいう語であるが、最初から「おいしい」の形だったわけではない。元来は「いしい」の形で使われていたのである。「いしい」の原義は、よい、好ましいということだが、この場合は味がよいという意味の女房詞で、これに接頭語「お」が付いたのである。
 「いしい」については、キリシタン宣教師の日本語習得のために編集された『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603~04)にも載せられているのだが、ポルトガル語による説明を翻訳すると、「おいしい、あるいは、良い味のもの。この語がこの意味で用いられる時は、通常女性が用いる」(『日本国語大辞典』)とある。つまり男性が「おいしい」を使うことはその時代にはあまりなかったのであろう。
 一方の「うまい」も古くからあることばで、『万葉集』に以下のような長歌の使用例がある。
 「飯(いひ)はめど うまくもあらず 行き行けど 安くもあらず 茜(あかね)さす 君が心し 忘れかねつも」(巻16・3857)
 「夫君を恋い慕う歌一首」とある短い長歌で、ご飯を食べてもおいしくないし、歩き回っても心はやすまらない。あなたのお心が忘れられませんという意味である。現在でも恋い慕うあまり食が進まないということはあるだろう。
 また、残された例文から考えられることは、「うまい」の方が「いしい」「おいしい」よりも古くからある語だということである。ただ、「おいしい」が女房詞に由来する語だったこともあって、現在でも女性は「うまい」より「おいしい」を使う傾向が強いであろう。そして一般にも、「うまい」よりも「おいしい」の方がよりも丁寧な表現として理解されていると思われる。
 なお、「おいしい」を漢字で「美味しい」と書くのは当て字である。「美味」は「びみ」だが、「うまい」もこの字を使って「美味い」と当てていた。「美味い」と書かれた例は江戸時代からみられる。『日本国語大辞典』引用している以下の例がそれである。

*浮世草子・風流曲三味線〔1706〕四・一「口栄耀(くちえよう)にして朝夕美味ひもの好(ごのみ)をし」

 「口栄耀」は、食べるものに贅沢(ぜいたく)を尽くすこと、つまり口のおごっているさまをいう語である。
 「美味しい」の表記が現れるのは、明治になってからのようだ。たとえば、小説家で翻訳家でもあった内田魯庵の短編小説集『社会百面相』(1902年)に収められた『新妻君』という短編の以下のような例がある。

 「手製の氷菓子(アイスクリーム)を薦(すす)めて『家拵(うちごし)らへだから美味(おいし)くはないのよ』」

 「うまい」と「おいしい」とで受ける印象が違うのは、それぞれの語に以上のような歴史があったからである。

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