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  11. 尊卑分脈

尊卑分脈

ジャパンナレッジで閲覧できる『尊卑分脈』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
尊卑分脈
そんぴぶんみゃく
諸氏の系図を集成・編集した書物。洞院公定(とういんきんさだ)原撰。現行の本には欠逸した部分があり、また後人の追補・改訂も多いとみられる。伝本によって収載する系図に出入・異同があり、その配列も区々で、原形を復原推定することは困難である。江戸時代の刊本『諸家大系図』は十四冊、同『(新板)大系図』は三十冊、故実叢書本は十二冊、新訂増補国史大系本は四篇より成る。『後愚昧記』原本第二十六巻に収められた永和二年(一三七六)閏七月十六日付、洞院公定が三条公忠にあてた書状によれば、公定は当時「系図」を編集中で、それは十帖より成り、そのうち藤氏は三帖で、その上帖には「自神代摂家已下九条殿御流輩」を収め、中帖には「北家内自余雑々」、下帖には「北家魚名流并南・式・京等」を収めてあったという。この書状で、公定は公忠に中書本の校閲を要請している。この「系図」が本書にあたるとみられるが、藤氏の三帖が現行本とどのように対応するかについて、上帖が現行の国史大系本第一篇の巻第三(藤氏一、北家甲)に、中帖が同じく巻第四(藤氏二、北家乙)に、下帖が大系本第二篇にあたるとする説があるが、前掲の各帖の内容によれば、上帖は大系本第一篇(巻第三・第四)、中帖は第二篇の実頼孫―内麿孫、下帖はその魚名孫以下とみるべきであろう。原形を比較的によくとどめていると思われる藤氏北家(大系本第一篇)・清和源氏(同第三篇)の巻題には「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集巻第三 特進亜三台藤公定撰」(藤氏一、北家甲)、「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集巻第四 特進亜三台藤公定撰」(藤氏二、北家乙)、「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類巻 特進亜三台藤公定撰」(源氏乙下、貞観下、清和下)とあり、本書の正式の名称が「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集」であり、本書成立時の公定の官銜が、特進(正二位)、亜三台(権大納言)であったことが知られる。公定の官・位がこれに該当するのは永和三年正月以降、応永二年(一三九五)三月以前(途中、辞官して散位となった時期がある)で、本書の成立はこの間に求められよう。本書は成立後、洞院家に伝わったとみられるが、公定の曾孫公数の時に同家が一旦断絶し、記録抄物などが散逸した際に、本書は三条公敦の感得するところとなったという(本書公季孫所収文明十一年(一四七九)四月の公敦の記文)。このような混乱の際に完形を失ったとも考えられよう。本書の文中に「委細各有帝皇系図之内矣」「皇子以下孫苗等載帝王系図」「委細注神祇社官流」「有子孫見神祇道系図」「委注社官系図之内」「各別注諸道系図内」「子孫相続各別有之、載宿曜道系図」などの注記があるので、本書にはもと帝皇系図や諸道系図も存したと考えられているが、現伝本には見あたらない。原形を比較的によく残している可能性がある藤原氏についてみれば、各巻首に惣録・諸流標目・系譜略系を置き、ついで本文を掲げる。本文は名を大書し、その左右に小字で、歴任の官職・位階、生母、没日、年齢、事蹟などを注し(注記の一部を欠くものも多い)、続柄を系線で示してある。また主要な公卿には官職・位階の任叙の概要を示した伝を掲げる。所収の系図の多くは、編者公定がみずから調査して新たに作成したものというよりは、既成の系図を収集し、それを修訂・編集したものとみるべきであろう。なお、成立後、書継ぎ、増補された部分も多い。本書の記載の内容は、本書によってのみ知られる独自の所伝もあり、古記録・古文書など他の確実な史料によって裏づけられる記載も多い。しかし、伝写の間の誤りも散見し、また、それぞれの系図が作られた背景・意図・事情などによって、史料として用いる際には、充分の吟味を必要とするという系図の一般的な史料的な限界をもつことは免れない。伝本には林家訂正本(尊経閣文庫蔵)、脇坂安元旧蔵本(同蔵)、谷森善臣旧蔵本(宮内庁書陵部蔵)、内閣文庫本などがある。『(新訂増補)国史大系』五八―六〇に所収。
[参考文献]
宮内庁書陵部編『図書寮典籍解題』続歴史篇、益田宗「尊卑分脈の成立と編成」(『東京大学史料編纂所報』二〇)、皆川完一「『尊卑分脈』書名考」(『(新訂増補)国史大系月報』六二)
(飯田 瑞穂)


改訂新版・世界大百科事典
尊卑分脈
そんぴぶんみゃく

諸家の系図を集成したもので,姓氏家系を調べるのには欠くことのできない重要な史料である。洞院公定(とういんきんさだ)(1340-99)著。内題には《新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集》とあるが,普通《尊卑分脈》の名で呼ばれ,また《大系図》とも称される。公定以後の書継ぎが多く,全体の体裁も不統一で,その原形や成立の由来は明らかでない。今日伝わる写本には収める氏に出入りがあり,公定の編纂したものが,どのような氏までを含めたものであったかわからないが,後に多くの氏の系図も集められるようになったので,《大系図》の名が生まれたのであろう。写本のうち,前田家所蔵林家訂正本がもっとも善本と思われるが,同じく前田家の脇坂本,宮内庁書陵部所蔵谷森本も比較的善本で,藤原,源,平,橘,菅原,中臣(なかとみ),大江,高階(たかしな),清原,中原,小槻(おづき),和気(わけ),丹波,賀茂,安倍,紀,多治比,物部(もののべ),坂上,蘇我,小野などの氏を収め,もっとも内容が多い。活字本には《故実叢書》本12冊,《新訂増補国史大系》本4冊があり,それぞれ索引を付している。
[皆川 完一]

[索引語]
洞院公定 新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 大系図
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検索コンテンツ
1. 『尊卑分脈』
日本史年表
1399年〈応永6 己卯〉 6・15 洞院公定没.生前 『尊卑分脈』 『公定公記』 を著す。  ...
2. 尊卑分脈
日本大百科全書
正しくは「編纂本朝(へんさんほんちょう)尊卑分明図」といい、また「諸家大系図」ともいう。南北朝時代に洞院公定(とういんきんさだ)が企画し、猶子(ゆうし)の満季( ...
3. 尊卑分脈
世界大百科事典
洞院公定(とういんきんさだ)(1340-99)著。内題には《新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集》とあるが,普通《尊卑分脈》の名で呼ばれ,また《大系図》とも称される ...
4. そんぴぶんみゃく【尊卑分脈】
日本国語大辞典
南北朝時代に編纂された系譜集。原題「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集」。巻数不定。洞院公定(とういんきんさだ)ら洞院家の人々の編。後人による補訂部分も多い。源・ ...
5. そんぴぶんみゃく【尊卑分脈】
国史大辞典
編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集巻第三 特進亜三台藤公定撰」(藤氏一、北家甲)、「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集巻第四 特進亜三台藤公定撰」(藤氏二、北家乙)、 ...
6. 本朝尊卑分脈(ほんちょうそんぴぷんみゃく)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 389ページ ...
7. あいばじょうあと【相羽城跡】岐阜県:揖斐郡/大野町/相羽村
日本歴史地名大系
は八幡神社が祀られ、堀跡とみられる本丸北東の池付近からは柱や梁などの遺物が発掘されている。「尊卑分脈」によれば、土岐氏の一族光俊が饗庭氏を名乗っているが、当城は ...
8. あえばのしょう【饗庭庄】岐阜県:揖斐郡/大野町/相羽村
日本歴史地名大系
東方についたため、佐々木氏が同郷にもっていた地頭職を乱後に恩賞として与えられたのであろう。「尊卑分脈」によれば、光行の子光俊の代から饗庭と号するようになり、光俊 ...
9. あおはかしゅく【青墓宿】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区/青墓村
日本歴史地名大系
知多郡南知多町)に落ちのびている。また、義朝の子朝長は青墓で自害している(平治物語・吾妻鏡・尊卑分脈・帝王編年記)。このように青墓の長者と源氏との関係は深く、鎌 ...
10. あおはかのしゅく【青墓宿】
国史大辞典
古代末期から中世にかけての東山道の宿駅。青波賀(『吾妻鏡』)・遭墓(『尊卑分脈』)とも書く。現在の岐阜県大垣市青墓で、不破関の東約一〇キロにあたる。『吾妻鏡』 ...
11. あかだほ【赤田保】新潟県:刈羽郡/刈羽村
日本歴史地名大系
現刈羽村赤田付近の保。「尊卑分脈」嵯峨源氏の項に、鎌倉時代末期の人物と思われる等には「赤田兵衛尉 法名等仏 越後国赤田保地頭職相伝」、またその子の告には「源太  ...
12. あかなべのしょう【茜部庄】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区
日本歴史地名大系
登場する。清和源氏の源頼光とその子頼国は、二代にわたって美濃守となって美濃国に勢力を築いた(尊卑分脈)。頼国の子国房は美濃七郎と名乗り当庄の庄司にもなっていた( ...
13. あかぬまむら【赤沼村】福島県:郡山市/旧中田村地区
日本歴史地名大系
仲能は藤原秀郷九代の孫で田村を号した仲教の子で、中原親能の猶子となり、のち鎌倉幕府評定衆になっている(尊卑分脈)。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢 ...
14. あきしののやすひと【秋篠安人】
国史大辞典
七五二―八二一 平安時代前期の公卿。土師宿禰宇庭(宇遅、『尊卑分脈』に従四位下阿波守・勘解由長官)の子。延暦元年(七八二)秋篠と改姓、同九年姓朝臣を賜わった。 ...
15. あきづのしょう【秋津庄】和歌山県:田辺市/下秋津村
日本歴史地名大系
妣所被建立也、先妣者堀河院之外祖母入道大相国道長之女也」「寛治四年二月三日上棟」とあるが、「尊卑分脈」によれば中院右大臣家源雅実の母は権中納言隆俊女で、藤原道長 ...
16. あきやましやかたあと【秋山氏館跡】山梨県:中巨摩郡/甲西町/秋山村
日本歴史地名大系
現在慈母 禅定比丘尼 建久八年十月十一日」とある。光経(「尊卑分脈」では経光、笠系大系では光経)は光朝の弟で加賀美氏を称し(尊卑分脈)、その子遠経は祖父遠光の館 ...
17. あぐいあと【安居院跡】京都市:上京区/成逸学区/前之町地図
日本歴史地名大系
耳」とあり、「尊卑分脈」は「四海大唱導、一天名人也」と記す。その子聖覚も「智弁人にすくれたりき」(法然上人行状画図)、「天下大導師名人也、能説名才」(尊卑分脈) ...
18. 浅野氏
日本大百科全書
清和源氏(せいわげんじ)頼光流(らいこうりゅう)土岐(とき)氏族をいう。『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』によれば、頼光の孫光信(みつのぶ)は美濃国(みののくに) ...
19. あさのし【浅野氏】
国史大辞典
尊卑分脈』には清和源氏頼光流土岐氏の族に浅野氏を伝える。頼光の玄孫光信が美濃国土岐郡に住んで土岐氏を称したが、その曾孫光行は後鳥羽上皇の西面武士となり、同郡 ...
20. あさのむら【浅野村】岐阜県:土岐市
日本歴史地名大系
る。南は肥田村、北は土岐川を挟んで河合村。土岐光衡の子次郎判官代光行は浅野判官と号したから(尊卑分脈)、当地に館があったと考えられる。「土岐累代記」には光行のと ...
21. あさりごう【浅利郷】山梨県:東八代郡/豊富村/浅利村
日本歴史地名大系
当郷は古代末期から中世初頭にかけ甲斐源氏の拠点の一つで、逸見清光の子の浅利与一が居住した。与一は義成(尊卑分脈)・義遠(「吾妻鏡」建仁元年六月二九日条)などと記 ...
22. あしかがいえとき【足利家時】
国史大辞典
符合しない。足利市鑁阿(ばんな)寺の位牌では延慶二年(一三〇九)二月二十一日没。法号報国寺殿義忠(『尊卑分脈』は義忍とする)。鎌倉報国寺裏山墓地の奥に、口伝足利 ...
23. あしかがさだうじ【足利貞氏】
国史大辞典
鎌倉時代後期の武将。家時の子。尊氏・直義の父にあたる。母は六波羅探題北条時茂の女。はじめ三郎(『尊卑分脈』、ただし『足利系図』では太郎)。従五位下讃岐守。室は上 ...
24. あじきごう【葦敷郷】岐阜県:岐阜市/旧方県郡・本巣郡地区/蘆敷村
日本歴史地名大系
源頼朝に与同した葦敷三郎重義(吾妻鏡)や源義仲に与同した葦敷太郎重隆(吉記)、源重宗の曾孫の葦敷二郎重頼(尊卑分脈)の名がみえ、当郷を本拠とした美濃源氏の一族と ...
25. あじさかのしよう【鰺坂庄】福岡県:小郡市
日本歴史地名大系
朝遺文(九州編)五)。一三世紀後半頃、隆右の曾祖父隆良が四条家から分れて鷲尾家の祖となった(尊卑分脈)。応永一三年(一四〇六)鷲尾隆敦は父隆右より譲られた当庄な ...
26. あすけしげのり【足助重範】
国史大辞典
?―一三三二 鎌倉時代後期の武士。三河国加茂郡足助の住人。通称次郎(『尊卑分脈』は三郎)。経基王の子源満政より九世の孫重季以来、足助に住して足助を苗字とした。 ...
27. あたみごう【熱海郷】静岡県:熱海市/熱海村
日本歴史地名大系
改めて当郷地頭職が伊豆山に寄進された(吾妻鏡)。北条氏の祖平直方の子に阿多見四郎禅師聖範がいるので(尊卑分脈)、熱海郷は北条氏の根本私領の一つとの説がある(静岡 ...
28. あだちぐん【足立郡】東京都:武蔵国
日本歴史地名大系
以後菅原氏が郡司職を継承している。足立郡の郡司職はその後足立氏が保持することになるが、同氏は「尊卑分脈」に藤原北家の流れをくんでいるとされているものの武蔵国造武 ...
29. あだちし【安達氏】
国史大辞典
に住し、その子盛長がはじめて安達姓を名乗ったという。しかしこれは『尊卑分脈』に拠るところで、はなはだ疑わしい。特に『尊卑分脈』の系図に示すところは、この盛長と足 ...
30. 安達盛長
世界大百科事典
1135-1200(保延1-正治2) 鎌倉前期の武将。武蔵国の豪族足立氏の一族か。《尊卑分脈》によれば藤原姓小野田三郎兼盛の子。藤九郎と称す。源頼朝の乳母比企尼 ...
31. あだちもりなが【安達盛長】
国史大辞典
藤九郎と称し、源頼朝の配流時代からその側近に仕えた御家人であるが、家系出自は必ずしも明らかでない。『尊卑分脈』には藤原北家魚名流より出で、小野田三郎兼盛(広)の ...
32. あだちもりなが【安達盛長】
日本架空伝承人名事典
鎌倉前期の武将。武蔵国の豪族足立氏の一族か。『尊卑分脈』によれば藤原姓小野田三郎兼広の子。藤九郎と称す。源頼朝の乳母比企尼の女婿で頼朝の流人時代より彼の側近とな ...
33. あつただいぐうじすえのり【熱田大宮司季範】
国史大辞典
異姓の外孫季範に譲与した。その事由をあるいは「託宣」(『玉葉集』二〇)、あるいは「霊夢之告」(『尊卑分脈』)といっているが、これは地方大社に例のある京神主の類型 ...
34. あつただいぐうじまさよし【熱田大宮司昌能】
国史大辞典
しかし、男山が陥り天皇が再び賀名生に遷幸せられると、昌能は杳として史上にその消息を絶っている。『尊卑分脈』に「大宮司、南朝祗候」とみえているように、後半生を干戈 ...
35. あのうぐん【安濃郡】三重県:伊勢国
日本歴史地名大系
当郡は古来伊勢平氏の中心地であるかのようにいわれるが、平貞衡とその子貞清が安濃津三郎とよばれ(尊卑分脈)、平清盛が熊野参詣にあたって安濃津から船出した(平家物語 ...
36. あべのせいめい【安倍晴明】
国史大辞典
九二一―一〇〇五 平安時代中期の有名な陰陽家。土御門家の祖。『尊卑分脈』『安倍系図』などによれば大膳大夫益材の子。讃岐国の人という後世の伝説もある。記録では天 ...
37. あべのみうし【阿倍御主人】
国史大辞典
六三五―七〇三 七世紀の公卿。『公卿補任』『尊卑分脈』にみえる没年から逆算すると舒明天皇七年(六三五)の誕生となる。布勢麿古臣の男。本姓は布勢朝臣であったが持 ...
38. あまぐん【海部郡】愛知県
日本歴史地名大系
吾妻鏡)。建久八年(一一九七)熱田大宮司の一族中条信綱(有範)が海東庄の地頭に補任されたが(尊卑分脈)、承久の乱で京方となったため没収されて御家人小山氏が地頭と ...
39. あまりのしょう【甘利庄】山梨県:韮崎市
日本歴史地名大系
行忠は捕らえられて翌年四月常陸で殺されている(尊卑分脈)。当庄もいったんは没収され、その後忠頼の子孫が還補されたというが(年欠「武田福寿丸申状」八坂神社記録裏文 ...
40. ありわら[ありはら]【在原】
日本国語大辞典
家名(姓氏)の一つ。「尊卑分脈」によると、平城天皇の皇子、阿保親王の嫡子本主が、土師(はじ)、ついで大枝朝臣姓(のちに大江)を賜り、嫡子の本主以外の行平、守平、 ...
41. あわた【粟田】京都市:東山区/粟田口村
日本歴史地名大系
営まれること多く、藤原道長の兄、関白道兼はこの地の山荘に住み、世に粟田殿(大鏡)、粟田関白(尊卑分脈)と称せられている。これらの邸で詠まれた歌も多い。近世の地誌 ...
42. あんらくじ【安楽寺】
国史大辞典
『天満宮安楽寺草創日記』によれば、御殿や御墓寺と同じに安楽寺も祭神の従臣味酒安行の建立とある。『東寺文書』や『尊卑分脈』によれば天暦元年(九四七)祭神の孫平忠が ...
43. あんらくじ【安楽寺】 : 安楽寺/(一)
国史大辞典
『天満宮安楽寺草創日記』によれば、御殿や御墓寺と同じに安楽寺も祭神の従臣味酒安行の建立とある。『東寺文書』や『尊卑分脈』によれば天暦元年(九四七)祭神の孫平忠が ...
44. あんらくじ【安楽寺】埼玉県:比企郡/吉見町/御所村地図
日本歴史地名大系
当寺僧観秀が著した吉見岩殿山略縁起(寺蔵)によれば、源範頼は平治の乱の後、当地に潜在したという。「尊卑分脈」には範頼の子頼円は吉見中納言・順大寺阿闍梨と称し、一 ...
45. いいだし【飯田氏】
国史大辞典
伊那の郡領となってから子孫が分立し、その次子為扶は伊那太郎を、その子為実は飯田三郎を名乗った(『尊卑分脈』)。『寛政重修諸家譜』には、この伊那氏末流三家を載せる ...
46. いいだし【飯田氏】 : 飯田氏/(一)
国史大辞典
伊那の郡領となってから子孫が分立し、その次子為扶は伊那太郎を、その子為実は飯田三郎を名乗った(『尊卑分脈』)。『寛政重修諸家譜』には、この伊那氏末流三家を載せる ...
47. いいぬまやかたあと【飯沼館跡】長野県:小県郡/丸子町/飯沼村
日本歴史地名大系
依田城を義仲に譲ったとされる依田次郎の次子行俊が移り、飯沼太郎と称したのが初めと伝えられる(尊卑分脈)。承久三年(一二二一)五月北条泰時が山城宇治川で上皇方と戦 ...
48. いえ の 女房(にょうぼう)
日本国語大辞典
)〈略〉名高き女歌詠み、いゑの女房にてあるに」(2)(1)の中で特に、側室の地位にある者。*尊卑分脈〔14C中〜後〕正親町三条「実雅母家女房」*看聞御記‐応永三 ...
49. いおうだに【医王谷】京都府:亀岡市/下矢田村
日本歴史地名大系
住み、産土神の鍬山神社を崇敬し、針博士になったという伝説がある(桑下漫録)。ちなみに康頼は「尊卑分脈」に「始而賜丹波宿禰姓、丹波矢田郡人」とみえる。「桑下漫録」 ...
50. いおえのいらつめ【五百重娘】
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天武天皇の夫人(ぶにん)。藤原鎌足(かまたり)の娘。氷上(ひかみの)娘の妹。新田部(にいたべ)親王を生む。「尊卑分脈」は後年,異母兄の藤原不比等(ふひと)と通じ ...
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