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猿若

ジャパンナレッジで閲覧できる『猿若』の新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典
猿若
さるわか
歌舞伎の役柄または狂言の名。(1)お国歌舞伎時代に舞台に登場した道化役で、扮装は粗末な青系統の単衣に脚絆ばき、手拭ようの布で頬被りの下人風で現れ、〈魯鈍〉な性格を演じた。舞台の猿若は唐団扇を持ち、床几運びをすることもあり、そこには、猿若の芸能と風流踊との関連が示されていると思われる。猿若の演技としては、写実的物まね芸や雄弁術、獅子踊、木遣音頭などをみせた。また、民俗芸能や大道芸の中にも〈猿若〉と称する道化役がある。(2)寛永一(1624)年に猿若(中村)勘三郎が創設した猿若座(のち中村座)には、由緒ある家狂言として《猿若》という狂言が伝承されている。主人にかくれて伊勢参りをした大名の下人が、主人の叱責のがれに流行はやり唄まじりで道中話をするというものである。能狂言の構成を借りた中に、茶屋女とたわむれる仕方話、木遣音頭、獅子踊といった猿若の芸尽しが盛り込まれている。本来猿若狂言は中村座の独占ではなかった。寛文から元禄(1661‐1704)にかけて、《猿若》の他にも《女猿若》《浮世猿若》《栄花猿若》《うた猿若》《吉原女猿若》などの猿若狂言の演目が《松平大和守日記》にみられる。やがて、猿若狂言は発展性を失い、一方道化の技芸が進むにつれて、道化役としての猿若は消滅していく。その役柄は、野郎歌舞伎時代の〈道外方〉に継承され、固定化した猿若狂言のみが残ることになる。
道外方中村座
[三浦 広子]


国史大辞典
猿若
さるわか

(一)

初期歌舞伎における役柄の一つ。主役の女性が歌舞伎者に扮して茶屋に通う様を演じる時、猿若は供の役でこれに従った。頬かむり、粗末な単衣、脚絆、腰に瓢箪を下げるという「六尺(ろくしゃく)姿」に、唐団扇を手にして登場、床几などを運んだり、滑稽・卑俗な物真似、木やり、獅子踊りなどの芸を見せたりした。道外方の前身である。

(二)

道化役の猿若を主人公にして仕組んだ、初期の歌舞伎狂言。江戸の猿若(中村)勘三郎座が、寿狂言あるいは家の狂言と称して大切に伝承してきた台本(『三座家狂言并由緒書』の中に含まれている)がある。これは、能狂言の構成にならって作られ、初期の歌舞伎狂言の面影を伝えている。

(三)

大道芸の一つ。元禄三年(一六九〇)刊の『人倫訓蒙図彙』によると、当時猿若という大道芸人が居たことがわかる。いろいろな役を一人で変わって見せる、素朴で滑稽な物真似芸を見せた。

(四)

民俗芸能の役柄の一つ。福島県磐城地方の獅子舞に、道化役として登場する役。初期歌舞伎の猿若と同じような扮装をしており、両者の浅からぬ関係が指摘されているが、詳しいことは不明である。
[参考文献]
郡司正勝「猿若の研究」(『かぶき―様式と伝承―』所収)
(服部 幸雄)


日本国語大辞典
さるわか 【猿若】

解説・用例

【一】〔名〕

(1)初期の歌舞伎の役柄の一つ。道外方(どうけがた)の前身。江戸時代、阿国歌舞伎の頃、滑稽なしぐさを演じた者の名に由来するという。道化役。

*慶長見聞集〔1614〕二「取分猿若出て色々様々の物まねするこそおかしけれ」

(2)(1)を主人公とした滑稽な内容の歌舞伎狂言、または所作事(しょさごと)をいう。諸種の演目があったが伝わらず寛永(一六二四〜四四)頃に初代中村(猿若)勘三郎が創始し、猿若座(中村座)の寿狂言または家狂言として伝えられた「猿若」は、歌舞伎最古の脚本とされている。

*雍州府志〔1684〕八「有〓狂言猿若〓、是皆所〓仮為〓猿若〓者也」

*浮世草子・好色盛衰記〔1688〕三・一「品定も事ふるし。女良と対の物をよせんと書付しに、きょろつく物、夕霧がまなこ、今日のさる若」

(3)歌舞伎の猿若をまねて、滑稽なしぐさをして歩く大道芸人をいう。

*俳諧・誹諧用意風躰〔1673〕「わけなき事をいひ出るは、猿若(サルワカ)などのたはけて人におかしがらるるたぐひとや申べからん」

*評判記・古今四場居色競百人一首〔1693〕猿若中村伝九郎「たて染の広袖をきて、さる若などの姿となり」

*俳諧・去来抄〔1702〜04〕同門評「如〓此解せば、暑日に猿若髭をはづしをりの類なるべし。いとあさまし」

(4)軽薄な若者をののしっていう語。猿松。

*浄瑠璃・曾我虎が磨〔1711頃〕下「五郎丸とやらいふさる若に首討たるる」

*浄瑠璃・今川本領猫魔館〔1740〕二「『ヤアこつがい同然のさる若の』〈略〉『さる若でも猿松でも、一本立の此荒虎』」

【二】

江戸歌舞伎の創始者初代中村(猿若)勘三郎およびその一族の称。また、その一座。

*評判記・役者賭双六〔1717〕江戸「さかい町猿若勘三郎座」

*雑俳・柳多留‐一〇七〔1829〕「猿楽は四座猿若は三座の祖」

*雑俳・柳多留‐一一四〔1831〕「猿若の麾見物をまねき初め」

*随筆・守貞漫稿〔1837〜53〕三一「猿若勘三郎寛永元年江戸中橋に芝居を創す。是歌舞伎座の祖とも云べき歟」

発音

〓[ル]〓(ル)/[0] (0)

辞書

言海

正式名称と詳細

表記

猿若言海

図版

猿若【一】(2)〈風流四方屏風〉

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15. さるわかざ【猿若座】
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17. 猿若町
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18. さるわか‐ちょう[‥チャウ]【猿若町】
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39. 浅草に江戸芝居小屋をつくる会[演劇]
イミダス 2017
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40. あほう‐ばらい[アハウばらひ]【阿房払】
日本国語大辞典
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国史大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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46. い‐だか・い[ゐ‥]【居高・位高】
日本国語大辞典
ゐだか・し〔形ク〕人を圧するような態度や物言いをする。また、品位や威厳がある。*歌舞伎・猿若万代厦〔1786〕五立「『二条の梅丸が留る。猿又、この梅若に仕へてく ...
47. いちかわだんじゅうろう【市川団十郎】
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49. 市川中車
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7歳の時初世尾上多見蔵の門下となり尾上当次郎,12歳の時中山喜楽の客分となり,中山鶴五郎を名のる。1880年7月猿若座で名題披露と同時に,7世市川八百蔵を襲名し ...
50. いちかわちゅうしゃ【市川中車】
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尾上当次郎、一二歳の時中山喜楽の客分となり、中山鶴五郎を名のる。明治一三(1880)年七月東京・猿若座で名題披露をし、七世市川八百蔵を襲名した。座元の中村勘三郎 ...
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