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真田十勇士

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新版 日本架空伝承人名事典

真田十勇士
さなだじゅうゆうし
 安土桃山時代の武将真田幸村につかえて、武勇をあらわしたという一〇人の勇士の総称。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三いさ入道、穴山小介、海野うんの六郎、かけい十蔵、根津甚八、望月六郎、由利鎌之助の一〇人だが、三好清海入道と伊三入道は兄弟とされている。このうち、由利鎌之助、三好清海入道、伊三入道、根津甚八などの名は、『真田三代記』や『大坂夏陣図』などにも見うけるが、「真田十勇士」としての武勇伝の数々は、すべて「立川文庫」による創作である。「立川文庫」は一九一一年(明治四四)から、二五年(大正一四)ころまでに刊行された二百数十巻にのぼる小型の講談本である。旅まわりの講釈師だった二代目玉田玉秀斎とその家族、中年の失業者などの集団による創作書き講談だが、第四〇編として一四年に刊行された『猿飛佐助』の爆発的人気が、「真田十勇士」の原型を生んだ。「立川文庫」の『真田十勇士』は、『真田三代記』に中国の奇書『西遊記』を重ねるという奔放な構想のもとに生まれている。『西遊記』の三蔵法師を真田幸村に、孫悟空を猿飛佐助、猪八戒を三好清海入道、沙悟浄を霧隠才蔵に見たてることによって、それまでの講談にないスケールの大きさと、奇想天外なおもしろさで読物としての楽しさを満喫させ階層をこえた多くの読者を獲得することとなった。とくに「かたわらの岩に手をかけると、千切っては投げ千切っては投げ……」といった「講釈師見てきたような嘘をつき」の川柳そのままの表現術が人気をよび、実際の講釈師の芸にまで影響を与えたことは注目に値する。「立川文庫」の人気は、二三年の関東大震災を機に急速に凋落するが、大正デモクラシーとよばれた時代の大衆文化を支えた手柄は忘れられない。その中心的存在ともいうべき「真田十勇士」が支持を受けた最大の理由は、大衆のスーパーマン願望にマッチした内容を有していたことであるが、「勇将の下に弱卒なし、一門郎党にも豪傑勇士又尠なからず」という設定が、「各々其の目的は異りと雖も、志は一なり、或は勤王と云ひ、忠君と云ひ、節義と云ひ、何れも武士道の亀鑑」といった思想を背景としていたことは否定できない。
猿飛佐助
[矢野 誠一]
ハツと答へて佐助は、ヅカ〓〓と進みより、手早く縛つた縄を解き、蒲団を引き捲ると、ムツクと飛んで出た清海入道は、素裸体で向鉢巻赤褌と云ふ不体裁な風体だ、余りの可笑しさに、幸村始め五人の連中迄も、思はず知らず噴出して、(幸)「アハヽヽヽヽ(五)「ハヽヽヽヽ(佐)「ウハヽヽヽ……」と何れも腹を抱つて大笑い、清海入道は苦し紛れに、ヤレ嬉しやと飛び出して見れば、豈に図らんや主君幸村の目通りと言ひ、然も白昼の事であるから、今更ら逃げ出す事もならず糞度胸を据へ俄かの頓智、澄し返つて平伏なし(清)「ハツ、麗はしき御尊顔を拝して、不肖身に取り如何ばかりか恐悦の次第本日は清海入道の裸体踊を御覧に入れん為め、ワザ〓〓斯の通り……」と、暢気な奴もあつたもの、突つ立ち上つて両手を振り、可笑しな身振りで、スタコラサツサと主君の目通りとも憚らず、ドシン〓〓と踊り出す、(中略)
霧隠才蔵は、ヤツと一声叫ぶと共に、飛鳥の如く、パツと松の梢に飛上り、樹から樹へ、枝から枝へ、宛も猿猴の如く其の素早い事譬ふるに物なき光景、一同はアツと驚き、異口同音に喝采する、何時の間にやら才蔵は、自分の席へ戻り、チンと座つて莞爾〓〓笑つて居る
立川文庫猿飛佐助


日本大百科全書(ニッポニカ)

真田十勇士
さなだじゅうゆうし

豊臣 (とよとみ)方の知将真田幸村 (ゆきむら)の家来、猿飛佐助 (さるとびさすけ)、霧隠才蔵 (きりがくれさいぞう)、三好清海入道 (みよしせいかいにゅうどう)、三好伊三入道 (いさにゅうどう)、穴山小助 (あなやまこすけ)、由利鎌之助 (ゆりかまのすけ)、根津甚八 (ねづじんぱち)、筧十蔵 (かけいじゅうぞう)、海野六郎 (うんのろくろう)、望月六郎 (もちづきろくろう)の10人をいう。江戸時代中期に書かれた『真田三代記』には穴山、由利、海野ら3人の名は明記されているが、十勇士が成立して人気を得たのは、明治末から大正初期にかけて発行された「立川 (たちかわ)文庫」で創作されてからである。同文庫の玉田玉秀斎、山田酔神のコンビがつくった40冊目の『猿飛佐助』(1914)が大当りしたのを皮切りに、55冊目に霧隠、60冊目に三好清海入道、62冊目に由利、以下六勇士がつくられた。佐助と霧隠の忍術、怪力の清海・伊三入道兄弟、鎖鎌 (くさりがま)の由利と、それぞれ得意の武芸で徳川勢を相手にした獅子 (しし)奮迅の活躍が爆発的な人気を得た。

[武蔵野次郎]



世界大百科事典

真田十勇士
さなだじゅうゆうし

安土桃山時代の武将真田幸村(1567-1615)につかえて,武勇をあらわしたという10人の勇士の総称。猿飛佐助,霧隠才蔵,三好清海入道,三好伊三(いさ)入道,穴山小介,海野(うんの)六郎,筧(かけい)十蔵,根津甚八,望月六郎,由利鎌之助の10人だが,三好清海入道と伊三入道は兄弟とされている。このうち,由利鎌之助,三好清海入道,伊三入道,根津甚八などの名は,《真田三代記》や《大坂夏陣図》などにも見うけるが,〈真田十勇士〉としての武勇伝の数々は,すべて〈立川文庫〉による創作である。〈立川文庫〉は1911年から,25年ころまでに刊行された二百数十巻にのぼる小型の講談本である。旅まわりの講釈師だった2代目玉田玉秀斎とその家族,中年の失業者などの集団による創作書き講談だが,第40編として14年に刊行された《猿飛佐助》の爆発的人気が,〈真田十勇士〉の原型を生んだ。〈立川文庫〉の《真田十勇士》は,《真田三代記》に中国の奇書《西遊記》を重ねるという奔放な構想のもとに生まれている。《西遊記》の三蔵法師を真田幸村に,孫悟空を猿飛佐助,猪八戒を三好清海入道,沙悟浄を霧隠才蔵に見たてることによって,それまでの講談にないスケールの大きさと,奇想天外なおもしろさで読物としての楽しさを満喫させ階層をこえた多くの読者を獲得することとなった。とくに〈かたわらの岩に手をかけると,千切っては投げ千切っては投げ……〉といった〈講釈師見てきたような噓をつき〉の川柳そのままの表現術が人気を呼び,実際の講釈師の芸にまで影響を与えたことは注目に値する。〈立川文庫〉の人気は,23年の関東大震災を機に急速に凋落するが,大正デモクラシーと呼ばれた時代の大衆文化を支えた手柄は忘れられない。その中心的存在ともいうべき〈真田十勇士〉が支持を受けた最大の理由は,大衆のスーパーマン願望にマッチした内容を有していたことであるが,〈勇将の下に弱卒なし,一門郎党にも豪傑勇士又尠なからず〉という設定が,〈各々其の目的は異りと雖も,志は一なり,或は勤王と云ひ,忠君と云ひ,節義と云ひ,何れも武士道の亀鑑〉といった思想を背景としていたことは否定できない。
[矢野 誠一]

[索引語]
猿飛佐助 霧隠才蔵 三好清海入道 三好伊三(いさ)入道 穴山小介 海野(うんの)六郎 筧(かけい)十蔵 根津甚八 望月六郎 由利鎌之助 立川文庫
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1. 真田十勇士
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