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  11. 酒井忠次

酒井忠次

ジャパンナレッジで閲覧できる『酒井忠次』の国史大辞典のサンプルページ

酒井忠次
さかいただつぐ
一五二七 - 九六
戦国・安土桃山時代の武将。大永七年(一五二七)三河国に生まれる。小平次・小五郎と称す。左衛門尉酒井家の系譜では、忠次は第二代とされており、徳川宗家との姻戚関係に加えて、譜代大名の中では最古参の譜代の一人であった。忠次の妻は碓井姫といい、松平清康と華陽院夫人との間に生まれた。忠次は徳川家康より十五歳年長であり、家康が忠次を敬重したのも当然であった。忠次は家康の関東入部を待たず致仕したため軍事面の事績が多いのは当然で、井伊直政・榊原康政・本多忠勝の三名と合わせて「徳川四天王」の名声を博した。姉川の戦、三方原の戦、武田勝頼との対戦(長篠の戦)、伊賀越危難の供奉、甲州における北条氏直との対陣、小牧・長久手の戦など、家康の生涯たびたびの危難に際して適切な対策を取ったことは、忠次が戦陣の武功とならんで、すぐれた政治的手腕をもつことを語るものである。弘治三年(一五五七)十一月三河浄妙寺に与えた寺領安堵状には松平家諸老臣六名とともに忠次も連署している。さらに永禄四年(一五六一)四月、家康が菅沼定直以下一族に覚書を与えたとき、また同年十月同じく西郷清員に下知状を与えたとき、忠次が奏者取次の役を勤めている。奏者取次という語句が、家老の職責と近似していれば、単なる名称のちがいにすぎず、実態にはちがいがないようにみえる。石川数正とならんで両家老といわれたのは、東西三河の旗頭という三河一国の軍事的編成の成功したことを語るものであろう。天正十四年(一五八六)豊臣秀吉より近江の内千石の地を与えられ、従四位下左衛門督に叙任、京都桜井に邸宅を与えられた。十六年十月六十二歳のとき致仕して家督を長子家次に譲りそれより一智と号して隠居した。慶長元年(一五九六)十月二十八日没。七十歳。知恩院の塔頭先求院(京都市東山区)に葬られる。法名は天誉高月縁心先求院。
[参考文献]
『寛政重修諸家譜』六五、北島正元『江戸幕府の権力構造』、中村孝也『家康の臣僚』

(北島 正元)


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検索コンテンツ
1. 酒井忠次
日本大百科全書
徳川家康の覇業に功績のあった重臣。本多(ほんだ)、井伊(いい)、榊原(さかきばら)とともに徳川四天王の一人。徳川氏と同祖だという名門左衛門尉(さえもんのじょう) ... ...
2. 酒井忠次
世界大百科事典
1527-96(大永7-慶長1) 戦国末期から織豊期にかけて徳川家康に仕えた武将。通称小平次または小五郎,左衛門尉(さえもんのじよう)を名のる。父は左衛門尉系酒 ... ...
3. さかい‐ただつぐ【酒井忠次】
デジタル大辞泉
[1527〜1596]安土桃山時代の武将。徳川家康に仕え、姉川・三方ヶ原・長篠などの多くの戦に軍功あり、徳川四天王の一人に数えられた。 ... ...
4. さかい‐ただつぐ【酒井忠次】
日本国語大辞典
戦国・安土桃山時代の武将。左衛門尉忠親の子。妻は松平広忠の妹。徳川氏三河累代の重臣。徳川四天王の一人。姉川、三方ケ原、長篠の戦いなどに従軍し、功を立てた。大永七 ... ...
5. さかいただつぐ【酒井忠次】 画像
国史大辞典
一五二七―九六 戦国・安土桃山時代の武将。大永七年(一五二七)三河国に生まれる。小平次・小五郎と称す。左衛門尉酒井家の系譜では、忠次は第二代とされており、徳川 ... ...
6. さかい-ただつぐ【酒井忠次】
日本人名大辞典
1527−1596 戦国-織豊時代の武将。大永(たいえい)7年生まれ。松平広忠,その子徳川家康につかえる。徳川四天王のひとり。妻の碓井(うすい)姫は家康の叔母( ... ...
7. 酒井忠次[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:3件 【逐次刊行物】:0件 『仮名挿入皇朝名臣伝 4』中沢寛一郎(編)『酒井忠次公伝』桑田忠親『江戸幕府その実力者たち 』北島正元 ... ...
8. 酒井忠次花押[図版] 画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ... ...
9. 月岡芳年『酒井忠次時鼓打之図』[百科マルチメディア]
日本大百科全書
三枚続 1874年(明治7) ©古典版画東洲斎/画像提供 ... ...
10. あくみかんべしんめいしゃ【安久美神戸神明社】愛知県:豊橋市/吉田城下/神明小路
日本歴史地名大系
宝殿造営に際して今川義元が神馬を寄進している。永禄八年(一五六五)に家康より吉田城を与えられた酒井忠次も社殿を造営し、以後藩主が造営することを例とした。「三州吉 ... ...
11. あべやま【安部山】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
援軍を求めている(「宗定等連署状」南条文書)。同月二三日には武田氏家臣山県昌景が徳川家康家臣酒井忠次に、「安倍山」の地下人らが謀反を企てていると伝えている(「山 ... ...
12. いしかわかずまさ【石川数正】
国史大辞典
同年二月駿府に赴き元康の嫡子信康を今川氏から奪還。同十二年叔父家成に代わって西三河の旗頭となる。以降、酒井忠次と並び外交・内政の両面にわたり家康の老臣として活動 ... ...
13. うえむら-いえさだ【植村家存】
日本人名大辞典
戦国-織豊時代の武将。天文(てんぶん)10年生まれ。植村氏明の子。徳川家康の家臣。家老として酒井忠次,石川家成らとともに三河時代の家康につかえた。天正(てんしょ ... ...
14. うきがいむら【福谷村】愛知県:西加茂郡/三好町
日本歴史地名大系
る。また字市場の通称豆腐山には、坪数五反余の塁壁跡があり福谷城跡と伝え、弘治二年(一五五六)酒井忠次が居城し、永禄二年(一五五九)織田方の柴田勝家らに攻撃された ... ...
15. うすいひめ【碓井姫】
日本人名大辞典
?−1613* 織豊-江戸時代前期,酒井忠次(ただつぐ)の妻。松平清康の娘で,徳川家康の叔母にあたる。母は華陽院(けよういん)。松平康高と結婚するが,のち忠次と ... ...
16. 絵本江戸風俗往来 19ページ
東洋文庫
武田勢は城を包囲して新年を迎えた。この時、武田方と城中との間に、右記のような句のやりとりがあった。酒井忠次の頓才に家康は大いに機嫌をよくした。間もなく信玄も引き ... ...
17. おうみのくにぜぜはんしゅ【近江国膳所藩主】 : 本多氏/(二)
国史大辞典
(二)近江国膳所藩主 定通系忠次の養子康俊が藩祖。酒井忠次の次男だった康俊は天正八年(一五八〇)本多忠次の養子となり、同十七年家を継ぎ、同十八年徳川家康の関 ... ...
18. おおいわむら【大岩村】愛知県:豊橋市
日本歴史地名大系
また延元元年(一三三六)の結城宗広譲状(同文書)に「大岩郷」とあり、結城顕朝に譲渡されている。年未詳の酒井忠次の家来賀藤光成等書状(普門寺蔵)によると、雲谷との ... ...
19. おおくぼ-ひこくろう【大久保彦九郎】
日本人名大辞典
?−? 戦国-織豊時代の武士。徳川氏の家臣。酒井忠次(1527-96)につかえ,三河(愛知県)吉田城をまもり,武田軍と戦い功をたてた。三河出身。 ... ...
20. おがさわら-のぶゆき【小笠原信之】
日本人名大辞典
1570−1614 織豊-江戸時代前期の武将,大名。元亀(げんき)元年生まれ。酒井忠次の3男。天正(てんしょう)16年徳川家康の命により小笠原信嶺(のぶみね)の ... ...
21. かちょうざんかそうばあと【花頂山火葬場跡】京都市:東山区/粟田口村/花頂 地図
日本歴史地名大系
いへり。(中略)又粟田口の南の方をあみだがみねと云ならはせり」とある。葬場は慶長元年(一五九六)酒井忠次の夫人を火葬したのに始まるという。寛永元年(一六二四)金 ... ...
22. 甲子夜話 3 243ページ
東洋文庫
〈御従妹〉 酒井忠次-女 牧野右馬允康成室 〈御従々妹〉 松浦壱岐守隆信室〈族御従弟〉 牧 ... ...
23. 甲子夜話三篇 2 269ページ
東洋文庫
信康驚欲下召二減慶一謙ウ之。減慶既已亡。夫人猶不レ竣、治二粧具日待二減慶之報謁天正七年、信長召二参将酒井忠次一日。所レ聞如レ此。八月、令至平岩親吉→殺中夫人干岡 ... ...
24. かろう【家老】
国史大辞典
中老は年寄を意味した。いずれも家老制度より発展したものである。徳川家康も早く家老の名称を用い、酒井忠次・石川家成(のち数正)らの組頭・侍大将をもってこれにあて、 ... ...
25. きびごう【吉美郷】静岡県:湖西市
日本歴史地名大系
城・延兼山城)で、引間城(現浜松市)の前衛基地としての役割を負った。同城は徳川家康の侵攻時、酒井忠次勢により攻略された(静岡県の中世城館跡)。天正五年(一五七七 ... ...
26. こまき・ながくてのたたかい【小牧・長久手の戦】
国史大辞典
一方篠木郷民の通報にもとづき情況を探知した家康は、八日夜大須賀康高・榊原康政を先発させ、小牧には酒井忠次・石川数正・本多忠勝を残し、みずから全軍を率いて信雄とと ... ...
27. 西遊草 清河八郎旅中記 118ページ
東洋文庫
入寂)の忌日のことで、京都の子女が美を競いお参りするのである。 知恩院の境内に我が庄内藩初世酒井忠次公(徳川四天王の一、左衛門尉、信州松代を領す)夫妻の墓がある ... ...
28. さかい【酒井】
デジタル大辞泉
江戸時代には譜代大名中の名家。 「酒井」姓の人物 酒井忠勝(さかいただかつ) 酒井忠清(さかいただきよ) 酒井忠次(さかいただつぐ) 酒井忠世(さかいただよ) ... ...
29. さかい-いえつぐ【酒井家次】
日本人名大辞典
1564−1618 江戸時代前期の大名。永禄(えいろく)7年生まれ。酒井忠次の長男。天正(てんしょう)16年家督をつぎ,三河(愛知県)吉田城主。下総(しもうさ) ... ...
30. さかい-ただひさ【酒井忠尚】
日本人名大辞典
?−? 戦国時代の武士。松平氏につかえた酒井忠次(ただつぐ)の一族。天文(てんぶん)9年(1540)三河(愛知県)上野城主となり,松平(徳川)広忠・家康につかえ ... ...
31. さのごう【佐野郷】静岡県:裾野市
日本歴史地名大系
した百姓らの名職の扱いが、郷中の四名の者(有井氏・中山氏・柏氏・小沢氏)に委ねられており(「酒井忠次判物写」柏木文書)、郷村自治が成立していたことがうかがえる。 ... ...
32. したらがはらこせんじょう【設楽原古戦場】愛知県:新城市/竹広村
日本歴史地名大系
輝・丹羽長秀・滝川一益らが布陣。大宮から川路にかけて家康麾下の石川数正・本多忠勝・榊原康政・酒井忠次・大久保忠世らの諸将が布陣。これに対し武田勝頼も長篠医王寺か ... ...
33. 四天王
日本大百科全書
徳川家康の四天王(井伊直政(いいなおまさ)、本多忠勝(ほんだただかつ)、榊原康政(さかきばらやすまさ)、酒井忠次(ただつぐ))はその好例である。また、和歌の四天 ... ...
34. 四天王
世界大百科事典
良具滋,織田信長の四天王として柴田勝家,滝川一益,丹羽長秀,明智光秀,徳川家康の四天王として酒井忠次,井伊直政,本多忠勝,榊原康政,豊臣秀頼の四天王として木村重 ... ...
35. してんのう【四天王】
日本架空伝承人名事典
由良具滋、織田信長の四天王として柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀、明智光秀、徳川家康の四天王として酒井忠次、井伊直政、本多忠勝、榊原康政、豊臣秀頼の四天王として木村 ... ...
36. しょうない‐じんじゃ[シャウナイ:]【荘内神社】
日本国語大辞典
山形県鶴岡市馬場町にある神社。旧県社。祭神は旧鶴岡藩主酒井忠次・家次・忠勝・忠徳。明治八年(一八七五)旧城内の本丸に創建。ショーナイジンジャ ... ...
37. しらすごう【白須郷】山梨県:北巨摩郡/白州町/白須村
日本歴史地名大系
めぐって徳川氏と北条氏との間に争いが起こった。六月二七日、遠州浜松城での談合によって信濃へ入った酒井忠次は、七月一五日善光寺(現甲府市)で待機していた松平家忠へ ... ...
38. すぎやまむら【杉山村】愛知県:豊橋市
日本歴史地名大系
貞応元年(一二二二)の創立といい、開基は弘仁太子という。戦国期に杉浦右衛門大夫の再興という。永禄九年の酒井忠次禁制(長慶寺蔵)には寺領として畑三石余がある。また ... ...
39. すばしりむら【須走村】静岡県:駿東郡/小山町
日本歴史地名大系
うかがっている。天正一〇年(一五八二)三月、武田氏は滅亡、直後の四月二五日には徳川家康の重臣酒井忠次と思われる人物から「洲走郷中」に宛てて判物(写、米山文書)が ... ...
40. せきや【関屋】愛知県:豊橋市/吉田城下
日本歴史地名大系
総堀の内にあって豊川に面する。ここに吉田藩の御船蔵が置かれ、藩侯専用の波止場があった。元亀元年(一五七〇)酒井忠次が初めて豊川に架橋したのもこの場所である。「三 ... ...
41. ぜん‐ぽう【前鋒】
日本国語大辞典
〔名〕「せんぽう(先鋒)(1)」に同じ。*日本外史〔1827〕一八・徳川氏正記「酒井忠次等為©前鋒 ... ...
42. 大老
世界大百科事典
15),酒井忠勝,土井利勝が任じられたのが最初とされるが,家康の将軍就任以前では,石川数正,酒井忠次,井伊直政など軍事的に有能な大身の武将が徳川家の宿老として内 ... ...
43. たけむら【竹村】愛知県:豊田市/上郷・高岡地区
日本歴史地名大系
に改宗。改宗当時の経塚が残る。永禄六年(一五六三)の一向一揆には家康と敵対したが、天正年中、酒井忠次により再興。中町字中郷の臨済宗妙心寺派鈴木山竜興寺は、文治五 ... ...
44. だいがはらごう【台ヶ原郷】山梨県:北巨摩郡/白州町/台ヶ原村
日本歴史地名大系
で、武田氏遺領をめぐり争いが起こった。六月二七日の遠州浜松城における談合によって信濃へ入った酒井忠次は七月一五日、善光寺(現甲府市)に待機していた松平家忠へ「大 ... ...
45. だいとくじ【大督寺】山形県:鶴岡市/鶴ヶ岡城下/家中新町
日本歴史地名大系
すでに隠居していた大樹寺一六代慶円が臼井へ招じられて大信寺を建て菩提所を勤めた。同地で没した酒井忠次室の諡大督寺殿により寺号を大督寺と改めた。その後酒井氏の移封 ... ...
46. 大日本産業事蹟 1 194ページ
東洋文庫
(小鴉)家忠日記に、天正十年東照宮おはしませし時、織田信長父子の自害を聞き玉ひ国に帰り玉はんとす。酒井忠次この良馬を以て宇治川を渡す。(鳥形)源平物語に、本朝の ... ...
47. ちゃうすやまじょうあと【茶臼山城跡】長野県:諏訪市/下桑原村
日本歴史地名大系
天文十年(一五四一)三月には織田信忠がこの城を攻め、同七月にはこの城に拠った諏訪頼忠を、徳川の臣酒井忠次が攻めている。なお、この地は旧石器時代の代表的遺跡の一つ ... ...
48. ちょうぜんじ【長善寺】静岡県:静岡市/駿府城下/本通
日本歴史地名大系
から、体光が一時当寺に滞在していたと考えられる。同一一年六月二四日の清浄光寺宛の徳川家康家臣酒井忠次書状(致道博物館所蔵文書)には一花堂再興のことが記されており ... ...
49. とくがわいえやす【徳川家康】 画像
国史大辞典
大きな歴史的役割を果たしたのである。家康にはすぐれた家臣が多く、武将としては、四天王とよばれる酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政らが名高い。また、本多正信・ ... ...
50. とびがすやまとりであと【鳶ヶ巣山砦跡】愛知県:南設楽郡/鳳来町/乗本村
日本歴史地名大系
示)がなまってボボシイとよぶ。家康の老臣酒井忠次の一隊は、天正三年(一五七五)五月二一日の未明、ボボシイを通り、鳶ヶ巣山はじめ五砦の武田軍を背後から攻立てた ... ...
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