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  11. 源博雅

源博雅

ジャパンナレッジで閲覧できる『源博雅』の国史大辞典・日本大百科全書のサンプルページ

国史大辞典

源博雅
みなもとのひろまさ
九一八 - 八〇
平安時代中期の雅楽家。『博雅笛譜』(正称、『新撰楽譜』。異称、『長竹譜』)の撰者。延喜十八年(九一八)生まれる(一説に延喜十九年)。父は醍醐天皇第一皇子克明親王の長男。母は藤原時平末女。承平四年(九三四)正月七日従四位下に叙せられ、天暦元年(九四七)四月二十二日すでに中務大輔、天徳三年(九五九)三月二十四日すでに右中将、応和元年(九六一)十二月一日すでに右兵衛督、康保二年(九六五)八月七日すでに左中将、天延二年(九七四)十一月十八日従三位皇太后宮権大夫に叙せられる。このことから「博雅三位」ともいわれる。天元三年(九八〇)九月二十八日(一説十八日)六十三歳で没した。母の兄藤原敦忠に(一説敦実親王にも)和琴を学び、天慶六年(九四三)敦忠没後は御遊に重用される。天暦五年正月二十三日の内宴に、天徳四年三月三十日の御遊に和琴を奏す。また横笛を源雅信に学び、康保三年二月二十一日の内宴に、同年十月七日の殿上侍臣の楽舞御覧に横笛を吹く。同年十月十四日、勅命により『新撰楽譜』を撰した。このほか郢曲を敦実親王に、箏を醍醐天皇に、琵琶を源脩(一説に源修)、大篳篥を良峯正行に、神楽篳篥を大石富門に学んだ。雅楽の多方面の技術を習得し、楽才を称える説話や逸話が非常に多く残されている。さらに天暦七年には蹴鞠、天徳三年三月二十四日に殿上賭射に参加、同四年三月三十日、応和二年五月四日、康保三年八月十五日の内裏歌合にも参加した。→博雅笛譜(はくがのふえふ)
[参考文献]
『大日本史料』一ノ一八 天元三年九月二十八日条、林謙三「博雅笛譜考」(『雅楽―古楽譜の解読―』所収)
(蒲生 美津子)


日本大百科全書(ニッポニカ)

源博雅
みなもとのひろまさ
[918―980]

平安中期の雅楽家。醍醐天皇皇子克明親王 (よしあきらしんのう)の長男。母は藤原時平の娘。臣籍に下り源姓を賜る。934年(承平4)従四位下で出身、京官を歴任し、974年(天延2)に従三位皇太后宮権大夫 (こうたいこうぐうごんのだいぶ)に任じられた。そのことから博雅三位といわれたが、音楽の才に恵まれ、琵琶、笛、和琴 (わごん)、篳篥 (ひちりき)をはじめとする諸楽に通じ、古今の名手とうたわれた。作曲も行い、退出に用いられる「長慶子 (ちょうげし)」は有名であり、笛譜『新撰楽譜』『博雅笛譜』は村上天皇の命で撰上されたものである。音楽の逸話が多く、逢坂山に棲む蝉丸 (せみまる)のもとに三年間通い続けて琵琶の秘曲「流泉 (りゅうせん)」、「啄木 (たくぼく)」を伝授されたとか、失われた宮中の琵琶「玄象 (げんじょう)」を羅城門の鬼から返してもらった話は、楽書や説話集に記され広く知られている。

[植木行宣]

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検索コンテンツ
1. 源博雅
日本大百科全書
平安中期の雅楽家。醍醐天皇皇子克明親王よしあきらしんのうの長男。母は藤原時平の娘。臣籍に下り源姓を賜る。934年(承平4)従四位下で出身、京官を歴任し、974年
2. 源博雅
世界大百科事典
918-980(延喜18-天元3) 平安中期の雅楽家。醍醐天皇皇子克明親王の長男,母は藤原時平女。934年(承平4)従四位下で出身の後,従三位,皇太后宮権大夫に
3. みなもと‐の‐ひろまさ【源博雅】
日本国語大辞典
平安中期の雅楽家。醍醐天皇皇子克明親王の長子。俗に博雅三位(はくがのさんみ)と称された。琴・笛・琵琶や篳篥(ひちりき)などにすぐれ、当代随一の雅楽の名手とされた
4. みなもとのひろまさ【源博雅】
国史大辞典
九一八―八〇 平安時代中期の雅楽家。『博雅笛譜』(正称、『新撰楽譜』。異称、『長竹譜』)の撰者。延喜十八年(九一八)生まれる(一説に延喜十九年)。父は醍醐天皇
5. みなもとの-ひろまさ【源博雅】
日本人名大辞典
918−980 平安時代中期の公卿(くぎょう),雅楽家。延喜(えんぎ)18年生まれ。克明(よしあきら)親王の第1王子。母は藤原時平の娘。醍醐(だいご)源氏。従三
6. みなもとのひろまさ【源博雅】
日本架空伝承人名事典
ヨヲスゴストテ琵琶ヲ鳴スニ、博雅、コレヲ聞テ、涙ヲ流シテ哀レト思フ事无限シ。今昔物語集巻二十四「源博雅朝臣行会坂盲許語」
7. 源博雅善音樂 (見出し語:源博雅)
古事類苑
樂舞部 洋巻 第1巻 117ページ
8. 源博雅習琵琶秘曲 (見出し語:源博雅)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 978ページ
9. みなもとのはくが【源博雅】
国史大辞典
⇒みなもとのひろまさ
10. 郢曲
日本大百科全書
郢曲を伝承する家には敦実あつざね親王・源雅信まさのぶを祖とする源家げんけ、藤原師長もろなが・源博雅を祖とする藤家とうけの2家があったが、室町中期に藤家は絶え、い
11. 大鏡 83ページ
日本古典文学全集
家集も残る。『古今著聞集』管絃歌舞第七や『御遊抄』に笛を担当する記事が見える。和琴を博雅に教授。従三位源博雅。醍醐天皇皇子克明親王の子。母は時平の女で、敦忠の甥
12. 大鏡 390ページ
日本古典文学全集
させたまふついでに、一条の左大臣・六条殿など拍子とりて、席田うち出でさせたま 〔二〇五〕  源博雅。→八三ページ注二一。『琵琶血脈』に名を残し、笛・琴などの名手
13. 雅楽画像
日本大百科全書
、絃楽器と歌は西園寺さいおんじ家、綾小路あやのこうじ家らの貴族に受け持たれ、貴族のなかからは源博雅ひろまさ(918―980)、藤原師長もろながらの名手が出現し、
14. 雅楽画像
世界大百科事典
興世書主 楽制改革 番舞 大戸清上 北庭楽 拾翠楽 海青楽 藤原忠房 延喜楽 源博雅 長慶子(ちようげいし) 藤家 源家 源博雅 三方楽所 三方楽人 紅葉山楽所
15. 蔵開 上(うつほ物語) 359ページ
日本古典文学全集
延長両度例、無管絃、又凡人産間無糸竹興」(御産部類記・四・後一条院)。正頼の長男忠澄。大型の篳篥。源博雅のころには絶えていたという。記録では康保三年(九六六)が
16. 国文学全史 1 平安朝篇 231ページ
東洋文庫
十回は左の勝、三回は右の勝、他は持とす。第三番の時、右の講師源博雅鶯の歌を出すべきに、誤って柳の歌をよみ上げ、狼狽して更に鶯をよみ上ぐといえども、顔色変じ、声願
17. 今昔物語集 305ページ
日本古典文学全集
源博雅朝臣行会坂盲許語第二十三 今昔、源博雅朝臣ト云人有ケリ。延喜ノ御子ノ兵部卿ノ親王ト申人ノ子也。万ノ事止事無カリケル中ニモ、管絃ノ道ニナム極タリケル。琵琶ヲ
18. 今昔物語集 308ページ
日本古典文学全集
して注目すべき記事。村上天皇の御代に、琵琶の名器である玄象が盗み取られたが、夜半、管弦の名手源博雅がその弾音をたどって羅城門にまで至り、楼上で玄象を弾く鬼からそ
19. 今昔物語集 309ページ
日本古典文学全集
可持キ様無事ナレバ、天皇ヲ不吉ラ思奉ル者世ニ有テ、取テ損ジ失タルナメリ」トゾ被疑ケル。而ル間、源博雅ト云人殿上人ニテ有リ。此人、管絃ノ道極タル人ニテ、此玄象ノ失
20. 今昔物語集 4 本朝部 212ページ
東洋文庫
  と、三月(人の腹の中にいるという三匹の虫)の虫が災いをして短命となるという。   七五 源博雅 母は時平の女。右兵衛督、従三位。天元三(九八○)年没、六十三
21. さいばら【催馬楽】
国史大辞典
ので、それが代表的な名称になったとする臼田甚五郎説がもっとも有力である。康保三年(九六六)に源博雅の撰した『新撰楽譜』に双調曲「催馬楽」がみえるので、臼田説はか
22. 滋賀(県)画像
日本大百科全書
大津逢坂おうさかの関のほとりに隠棲いんせいした琵琶の名手「蝉丸せみまる」のもとへ3年のあいだ源博雅ひろまさが通い詰めて秘曲の伝授を受けたという伝説は、世阿弥ぜあ
23. 新古今和歌集 535ページ
日本古典文学全集
らしい庵を結んでいたのを、通る人が笑ったので詠んだ歌(俊頼髄脳)とも、その琵琶を聞こうとした源博雅が、人を立てて都に来て住むようにすすめたので詠んだ歌(今昔・巻
24. 十訓抄 82ページ
日本古典文学全集
歌合の規範となる。源博雅(九一八~八〇)。平安中期の音楽家。父は醍醐天皇皇子の克明親王。従三位、非参議。琵琶・和琴などに秀で、音楽にまつわる逸話が多い。歌合等で
25. 十訓抄 408ページ
日本古典文学全集
得たという。琵琶の名器、秘曲に関する話。秘事伝授の場合の清冷な雰囲気が読み手にも伝わってくる。源博雅。→八二ページ注六。貴族の日常服。大内裏の南の正門。朱雀大路
26. 十訓抄 409ページ
日本古典文学全集
、月の夜、仰せのごとく、かれに行きて、この笛を吹きけるに、かの門の楼上に、高く大きなる音  源博雅の活躍期は、朱雀、村上、冷泉、円融朝にあたる。なお、後代の堀河
27. 蟬丸
世界大百科事典
蟬丸について語る資料が,いずれもきわめて断片的であるのは特徴的なことである。《今昔物語集》(巻二十四)に,源博雅という管絃の名手が,逢坂山の関に庵を作って住んで
28. せみまる【〓丸】
国史大辞典
最も確実な伝承で、逢坂の関に住んだことは諸書で一致し、「関明神」として祀られる。逢坂の蝉丸のもとに源博雅が三年間通い続けて、ついに琵琶の秘曲「流泉」「啄木」を伝
29. せみまる【蝉丸】
日本架空伝承人名事典
蝉丸について語る資料が、いずれもきわめて断片的であるのは特徴的なことである。『今昔物語集』(巻二十四)に、源博雅という管絃の名手が、逢坂山の関に庵を作って住んで
30. 蝉丸(歌人)画像
日本大百科全書
える。盲目で琵琶びわに長じ、逢坂山おうさかやまの関に庵いおりを結び、隠遁いんとん生活をした。源博雅ひろまさはその琵琶に3年間師事をした、と伝える。盲目の琵琶法師
31. ちょうげいし【長慶子】
国史大辞典
雅楽の唐楽曲。源博雅が作り(一説に用明帝の王子誕生の時に作る)慶賀の意を表わした曲という。太食調(たいしきちょう、主音がE音―洋楽のホ音)に属する小曲で舞はな
32. 長慶子
世界大百科事典
て活躍した源博雅(みなもとのひろまさ)(博雅三位)が作曲したとも改作したとも伝える。立楽(たちがく)や管絃のときは管絃吹で,舞楽の退出音声のときは舞楽吹で吹かれ
33. ちょうげし[チャウゲシ]【長慶子】
日本国語大辞典
雅楽の曲名。唐楽。新楽。太食調。源博雅作曲という。短い曲で舞はない。舞楽会の終わりに演奏されるのを例とするが管弦として演奏されることの方が多い。曲目が太食調で組
34. 天徳歌合
日本大百科全書
判者はんじゃは藤原実頼さねよりだったが、天皇の意向を伺うこともあった。講師こうじは、左が源延光のぶみつ、右が源博雅ひろまさ。上達部かんだちめ、殿上人てんじょうび
35. 日本教育史 1 86ページ
東洋文庫
位階を進めて従三位とす。其争ひ学びしも由なきにあらず。故に其勉学篤志、驚くに耐へたる者あり。源博雅は、音楽を好み、琴、
36. はくが‐の‐さんみ【博雅三位】
日本国語大辞典
平安中期の公卿、源博雅(みなもとのひろまさ)の異称。博雅。*江談抄〔1111頃〕三「博雅三位会坂目暗に琵琶習事被〓知乎如何」*平家
37. はくがのさんみ【博雅三位】
日本架空伝承人名事典
源博雅
38. 『博雅笛譜』
日本史年表
966年〈康保3 丙寅⑧〉 10・14 源博雅、 『博雅笛譜』 を撰進(博雅長竹譜乾)。
39. はくがのふえふ【博雅笛譜】
国史大辞典
雅楽の横笛の孔名による楽譜。源博雅撰。正しくは『新撰楽譜』。別に『長秋卿笛譜』『長秋卿竹譜』『長竹譜』などともいう。康保三年(九六六)村上天皇の勅命により、貞
40. 英草紙 55ページ
日本古典文学全集
)。「南呂」の誤りか。南呂は音律十二律の一で、正変二法がある(文献通考百三十二)。作り替え。源博雅。醍醐天皇の孫。従三位皇太后権大夫。管絃の名手。博雅三位の名で
41. 琵琶法師
世界大百科事典
の皇子敦実親王の雑色(ぞうしき)蟬丸(せみまる)が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅(みなもとのひろまさ)が3年間通って秘曲を伝授される話を載せる
42. びわほっし【琵琶法師】
国史大辞典
わからず、また盲人の芸能であったと規定することはできない。『今昔物語集』二四に、管絃を好んだ源博雅が会坂(おうさか)の関の盲琵琶(めしいびわ)の上手蝉丸から琵琶
43. 平家物語 283ページ
日本古典文学全集
過すとて」(続古今・雑 蝉丸)。底本「伯雅」。『尊卑分脈』・元和版等による。醍醐天皇皇子克明親王の子、源博雅。天元三年(九八〇)没、六十三歳。底本「云し」。元和
44. 方丈記 31ページ
日本古典文学全集
琵琶のほうでも当代の名手。雅楽の、琴の曲名。琵琶の秘曲の名。『今昔物語集』巻二十四第二十三話に、源博雅が秘曲「流泉・啄木」を聞こうとして、蝉丸の庵のほとりを夜な
45. みなもとの-のぶよし【源信義】
日本人名大辞典
?−? 平安時代中期の雅楽家。源博雅(ひろまさ)の3男。典薬頭(かみ),雅楽(うたの)頭,従五位上。笛,琵琶(びわ)の名手。管弦の君と称され,兄の源信明とともに
46. 無名草子 274ページ
日本古典文学全集
宮仕えに慣れていない、新米の女房。爪で鳴らすこと。爪弾き。強く心がひかれる。もっとよく見たい、聞きたいと思う。源博雅(九一八~九八〇)。醍醐天皇皇
47. 謡曲集 96ページ
日本古典文学全集
盲ノ琵琶ハ世ニ始マル也トナム」(今昔物語集・二十四)。*以下のアイのせりふは山本東本による。源博雅(九一八~九八〇)。
48. 和漢三才図会 4 211ページ
東洋文庫
仁明天皇の時、貞敏が入唐し、それによって琵琶の曲も伝来した。これが始まりで、朱雀院の時には博雅三位(源博雅)、同じく息子の信義、信明は最も琵琶に堪能であった。『
49. 和漢朗詠集 398ページ
日本古典文学全集
世の中はとてもかくてもおなじこと宮もわら屋もはてしなければ〔新古今集〕かくばかりへがたくみゆる世の中にうらやましくもすめる月かな〔拾遺抄・拾遺集・高光集〕慶賀 
50. 966年〈康保3 丙寅⑧〉
日本史年表
五・六条と桂川が海となる(紀略)。 閏8・27 宮中での放牧を厳重に取締る(政要七〇)。 10・14 源博雅、 『博雅笛譜』 を撰進(博雅長竹譜乾)。 1
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