(とうかいどうちゅうひざくりげ)
十返舎一九
滑稽本の傑作――十返舎一九による弥次・喜多コンビの珍道中
十返舎一九(じっぺんしゃいっく)による滑稽本の傑作。栃面屋弥次郎兵衛(とちめんややじろべえ)と居候の喜多八(きたはち)の江戸から伊勢、京、大坂にいたる旅をユーモラスに描いた道中記形式の物語。初編の「道中膝栗毛発端 全」から「膝栗毛八編」まで、八編18冊を収録。その後、弥次・喜多コンビの続編が21年間にわたって刊行され続けた。
[江戸時代後期(1802~09年成立)][戯作]
《校注・訳者/注解》 中村幸彦
(きんせいずいそうしゅう)
松永貞徳、戸田茂睡、本居宣長ほか
江戸知識人の教養と知的センスの結晶を示す傑作エッセイ4本
江戸時代に生まれた、傑作随想を収録。松永貞徳による古今伝授についての聞き書き集『貞徳翁の記(ていとくおうのき)』(1633年ごろ)、和学者・戸田茂睡(もすい)の江戸名所巡り『紫の一本(ひともと)』(1682年)、本居宣長の和歌論の処女作『排蘆小船(あしわけおぶね)』(1757年ごろ)、学者の裏話を暴露する『しりうごと』(1832年)の計4編。江戸期の知識人の教養と知的センスの高さを示す。
[江戸時代][随筆]
《校注・訳者/注解》 鈴木 淳 小髙道子
(きんせせつびしょうねんろく)
曲亭(滝沢)馬琴
毛利元就・陶晴賢らを描く、執筆20年におよぶ馬琴読本の大作
主君・大内義隆を殺し、毛利元就(もとなり)に滅ぼされた陶晴賢(すえはるかた)の史実を題材にした。悪美少年・末珠之介(あけのすけ)晴賢(モデル晴賢)の生い立ちと善美少年・大江杜四郎(もりしろう)成勝(モデル元就)との対立を中心にした勧善懲悪小説。中国・白話(はくわ)小説『檮杌間評(とうごつかんびょう)』に構想を借りた、曲亭(滝沢)馬琴の執筆20年の読本の大作だが、未完に終わる。
[江戸時代後期(1829~32年成立)][戯作]
《校注・訳者/注解》 徳田 武
(にほんかんししゅう)
嵯峨天皇、義堂周信(ぎどうしゅうしん)、荻生徂徠ほか
上代より江戸期までの代表的な日本の漢詩を集める
4世紀ごろより中国から入ってきた漢籍を訓読によって日本語化し、さらには本家に倣って「漢詩」をつくるようになる。飛鳥時代の大友皇子や大津皇子にはじまり、平安期には『凌雲集(りょううんしゅう)』などの勅撰漢詩集が編まれた。中世には京の五山文学が中心をなし、江戸期には庶民の間にも広まった。上代から近世まで、144人の漢詩を収録する。
[飛鳥時代~江戸時代][漢詩]
《校注・訳者/注解》 菅野禮行 徳田 武
(かろんしゅう)
藤原定家、荷田在満、賀茂真淵ほか
藤原定家や賀茂真淵など、詠歌の奥義を説く歴代の代表的評論
和歌に関する理論や評論を記した歌論は、少なくとも8世紀後半に誕生し、以後江戸時代まで文学論史の主軸として他ジャンルに影響を与え続けた。藤原定家の『近代秀歌』(1209年)、『詠歌大概』(1213~1224年)、『毎月(まいげつ)抄』(1219年)、荷田在満(かだのありまろ)『国歌八論』(1742年)、賀茂真淵『歌意考』(1764年)、香川景樹『新学(にいまなび)異見』(1814年)をおさめる。
※『俊頼髄脳』と『古来風躰抄』は著作権許諾の都合によりご利用になれません。
[鎌倉時代~江戸時代後期][文芸評論(歌論)]
《校注・訳者/注解》 藤平春男
(れんがろんしゅう)
二条良基、心敬、宗祇ほか
室町時代に花開いた座の文学、連歌の神髄を語る
連歌は南北朝時代に中世詩として確立され、1356年連歌初の撰集、関白・二条良基(よしもと)撰の准勅撰『菟玖波(つくば)集』が成立した。以後、宗祇(そうぎ)や宗長など専門連歌師も登場し、多くの連歌論が書かれた。二条良基の『筑波問答』(1357~72年)、僧・心敬の『ひとりごと』(1468年)、宗祇の『老(おい)のすさみ』(1479年)、宗長の『連歌比況集』(1509年ごろ)など5作品を収録。
[南北朝時代~室町時代][文芸評論(連歌論)]
《校注・訳者/注解》 奥田 勲
(のうがくろんしゅう)
世阿弥
優雅な理想美「幽玄」を追求する世阿弥の芸術論
能役者の世阿弥(ぜあみ)は、室町幕府3代将軍足利義満の庇護のもと、能を大成させた。能の作品を数多く残す傍ら、優れた芸術論である能楽論を書き残した。現存する21編の能楽論のうち、『風姿花伝』(1400年ごろ成立)、『花鏡(かきょう)』(1424年)、『至花道(しかどう)』(1420年)、『三道』(1423年)、『拾玉得花(しゅうぎょくとっか)』(1428年)、『習道書(しゅどうしょ)』(1430年)の6編をおさめる。
[室町時代][文芸評論(能楽論)]
《校注・訳者/注解》 表 章
(はいろんしゅう)
向井去来、服部土芳
松尾芭蕉が主導した蕉風俳論の理念と本質に迫る
近世初期は、俳諧のルールや修辞が中心だった俳論だが、元禄期(1688~1704年)になると、蕉風俳論が登場。俳諧本質論として高められた。師・松尾芭蕉(ばしょう)の言葉を引きながら俳諧を論じる向井去来(きょらい)の『去来抄』(1704年ごろ)、芭蕉俳諧の神髄を伝えんとする服部土芳(どほう)の『三冊子(さんぞうし)』(1702年)、蕉風俳論を代表する2作を収録。
[江戸時代前期][文芸評論(俳論)]
《校注・訳者/注解》 堀切 実 復本一郎