甘辛く煮たトリ貝を具とした、一風変わった鮨のこと。京都から丹波地方に通じる街道、丹波路の口丹(くちたん、京都府中央部)にある稗田野(ひえだの)神社(亀岡市)では、毎年8月14日に特殊神事・佐伯郷燈籠祭(さえきとうろうまつり)が行なわれる。この燈籠祭は、中世後期の公家社会で、盂蘭盆に灯籠を献上していた風習を残すもので、国の重要無形民俗文化財に指定されている。トリ貝鮨は、この祭りの来客に振る舞われるご馳走で、具には珍しい干トリ貝が使われている。

 鮨のつくり方は、半日ほど水に浸けたトリ貝を酢で洗い、だし、砂糖、醤油、酒を加え、5時間ほど煮る。仕上げに味醂少々を加え、トリ貝に照りを出す。酢飯は、普通の米と餅米を混ぜたものを昆布と一緒に炊き込み、酢、砂糖、塩を混ぜた一般的なものである。そして、トリ貝鮨づくりはここからが重要だ。まず、酢飯は円錐形に尖らせて握る。トリ貝は中心に穴を空け、酢飯の上に載せるとき、酢飯の尖らせた部分に通し差し込むような格好で載せなければならない。そして最後に、ごま塩をぱらぱらと振りかけて完成である。

 佐伯郷燈籠祭は、かつて「宇治の県(あがた)は男が通う 男寝て待て女が通う 丹波佐伯郷の燈籠まつり」とうたわれた。宇治の県とは、暗闇の奇祭として有名な県神社(宇治市)の県祭りのこと。県祭りの夜には、男から女への夜這いが許されていたと伝えられている。一方、佐伯の伝承では、燈籠祭に夜這いするのは女のほう。一風変わったトリ貝鮨の姿は陰陽和合を表し、夜這い祭りの意味に当てはまると考えられている。ちなみに、「夜這い」ということばは「呼び合う」の語源に通じ、武家社会になるまでは、気持ちや趣味の通じ合うものが一緒になることを表していた。


京都は、日本海側の舞鶴港が大型トリ貝の優良漁場のため、民俗的な料理が多いけれど、あえて味の濃い干しトリ貝をもどして使い、鮨にする地域は珍しい。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 1983年に公開された映画『東京裁判』は講談社がアメリカ国防総省にあった長大なフィルムをもとに、小林正樹氏を監督に迎えて製作したものである。プロデューサーは私の講談社の先輩で仲人でもある杉山捷三(しょうぞう)氏。最初は黒澤明に依頼したが多忙のため断られた。

 1年の予定だったがシナリオができるのが大幅に遅れ3年かかり、制作費も膨らんだが、東京裁判(極東国際軍事裁判)で有罪判決を受けたA級戦犯たちの生々しい姿を見ることができる貴重なドキュメンタリーである。

 この裁判で死刑判決を受けたのは軍人6人、文民は廣田弘毅(ひろた・こうき)(外務大臣・総理大臣)だけである。

 彼ら戦犯たちの末裔はどのような戦後を送ってきたのかを『週刊現代』(8/15・22号)が特集している。東條英利氏(国際教養振興協会代表理事・42)は戦争開戦時に首相兼陸軍大臣だった東條英機の曾孫にあたる。英利氏がこう語る。

 「イジメや差別ということでは、祖父や父の世代はずっと過酷だったと聞きます。祖父はどこの会社にも雇ってもらえず、祖母の内職で食いつなぐしかなく、経済的にも苦しかった。父の場合は小学校の先生が担任を引き受けたがらなくて、クラスが決まらなかったそうです。(中略)
 父は幼少期、短気で気の強いところがあったそうですが、私が30歳を過ぎて一緒に晩酌をしていたときに、突然涙を流したことがありました。そのとき幼い頃から東條英機の孫ということで背負ってきたものの重さはいかほどであったかと実感しました」

 英利氏も曾祖父の名前が出てくるのを避けるために、高校の社会科は日本史ではなく世界史を選択したという。大学を出て通信販売の会社に勤めた。

 「サラリーマン時代には駐在員として香港に4年ほど滞在しました。海南島に行くと曾祖父がひざまずいている像があったり、歴代日本の首相の肖像があしらわれた茶碗で東條のところだけが消されたものが売られていたり、嫌な思いもしました」(英利氏)

 東條家では「(英機について)一切語るなかれ。何と揶揄(やゆ)されようと、忍の一文字で堪え忍ぶように」という家訓があるそうだ。「当然、曾祖父に敗戦の責任はあると思います」(英利氏)。だが、伝え聞いている曾祖父の素顔は子煩悩で少し気が弱いごく普通の日本人だった。官邸に呼ばれて総理を拝命した際には緊張のあまり小便をちびりそうになったという。

 文民の廣田弘毅の孫にあたる廣田弘太郎氏(75)は、祖父と同じ外交官の道も考えたというが、三菱商事に入社し、航空機部に所属した。戦闘機などの輸入の仕事をやっていたが、その後、ゼロ戦技術の継承者たちの奮闘で、三菱重工のMU(1970年代後半に開発した双発小型ビジネスジェット機)を作り輸出するようにまでなった。

 アメリカ駐在もあったが、弘太郎氏は家系のことは話さなかったという。彼は声高に祖父の名誉回復を訴える気はないというが、靖国神社に祖父が合祀されていることには違和感を覚えると語っている。

 「原則として靖国に祀られるのは兵隊、軍人の英霊です。その意味で、祖父はそもそも祀られる資格がない。(中略)生前さんざん対立した軍人たちと一緒に祀られるのもどうだろうという気持ちもあります」

 先日、戦争中に外務大臣を務め、東京裁判で禁固刑20年の判決を受けたが、服役中に病死した東郷茂徳の孫・東郷和彦氏(70)と話す機会があった。元外務省条約局長、父親も外務事務次官という三代外交官の家系だ。

 同様にA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに3年間いた岸信介は開戦時の商工大臣だった。岸の女婿が安倍晋太郎元外相、息子の晋三が現首相という三代政治家の家系である。

 東郷氏は「遺族として合祀はありがたいことだ」と朝日新聞(2014年8月15日付)で語っているが、首相の靖国参拝は一時停止するべきだと、私に話した。

 さらに安倍首相の70年談話は50年の村山談話を一層深化させ、侵略、植民地支配、お詫びというキーワードを入れて、世界に発信するべきだとも言っていた。

 そうすることによって中国、韓国との緊張関係が緩和され、話し合いの糸口が見えてくるはずだと、私も思う。

 話を戻そう。A級戦犯として処刑された土肥原(どいはら)賢二陸軍大将の孫・佐伯裕子氏(68)は歌人である。戦争犯罪者の家族として苦悩してきた父・実氏を見続けてきて、家族だけが知るその姿を歌に残したいと思ったからだという。裕子氏はこう話す。

 「祖父が処刑される前に残した『何も弁解するな。どんなことでも受け入れなさい』という言葉を幼いころから母に教えられてきました。私が最初に出した歌集のテーマは『沈黙』」

 もう一人だけ紹介しよう。国際連盟脱退や三国同盟に関わった外交官で、A級戦犯被告ながら公判中に死亡した松岡洋右(ようすけ)の兄の孫にあたる松岡満寿男氏(80)は、国会議員も務めた人だが、満州から引き上げてきたときこう感じたという。

 「戦時中は『鬼畜米英』と言っておきながら、戦争が終われば、手のひらを返したようになる。私たちも『戦犯の一族』ということで石をぶつけられるような扱いだった」

 安倍首相を除いて、戦争犯罪人の末裔たちはそれぞれ重い戦後を抱えて生きてきたのである。

 私は、戦時中、自覚的に反戦活動をやっていた人を除いて、軽重はあるにしても国民皆に戦争責任はあると思う。先の東郷氏が言っているように、その後の世代にも責任はある。「それは、日本という社会に日本人として生きているかぎり、私たちは歴史の重みを背負って生きているからである」(東郷氏)。そのために歴史を学ぶのである。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 今週は合併号だから、生ネタが少ない。『文春』の小泉進次郎ぐらいしかないが、本当は、こういうときこそ企画ものでメシを食っている『現代』や『ポスト』が頑張らなければいけない。それにしても、このところの『フライデー』のつまらなさはどうしたことだろうか(ため息)。
 
第1位 「小泉進次郎(34)が抱いた復興庁の女」(『週刊文春』8/13・20号)
第2位 「2015年上半期『ヒンシュク大賞』を決定するぜっての」(『週刊ポスト』8/21・28号)
第3位 「七回忌で実弟の告白!『姉、大原麗子は高倉健に恋していた!』」(『週刊新潮』8/13・20号)

 第3位。今週はあまり読むところのない『新潮』だが、ワイドで目を引いたのは七回忌を迎えた大原麗子の実弟・政光氏が、姉は高倉健に恋していたと告白している記事である。
 大原が森進一と離婚してから建てた豪邸は健さんの自宅から10分足らずの距離で、電話番号は健さんが用意してくれたのだという。末尾はレイコと読める「0015」。携帯電話もプレゼントしてくれて「末広がりで縁起が良いから」と、末尾が「8888」。政光氏がこう話す。

 「2度目の離婚後、姉は私に“誰にも言っちゃだめよ”と、健さんへの好意を暗に認めたことがありました。心の奥底では、ずっと健さんと一緒になりたかったのだと思います」

 大原の死後、政光氏のところに桐の箱に入った線香が届き、ほどなく健さんが大原の墓前で手を合わせる姿が見られたという。
 映画『居酒屋兆治』がまた見たくなった。

 第2位。お次は『ポスト』恒例のビートたけしの「ヒンシュク大賞」だが、私はこういうのが好きである。
 だが佐村河内守(さむらごうち・まもる)や号泣男の野々村竜太郎がいた昨年に比べるとやや小粒感は否めない。
 まずは妻子のある年下議員との「路チュー不倫」がバレた中川郁子議員。

 「中川昭一さんの未亡人か。この人もズレてるよな~。不倫がバレた後もまた男と会ってたのを週刊誌に『生足デート』とスッパ抜かれて、『生足じゃない』って反論したのには笑ったな。問題はそこじゃないって。もっと問い詰めたらイク子さんは『私はナマでやってない』とか言い出しそうだな」(たけし)

 ちなみに郁子は「いくこ」ではなく「ゆうこ」と読む。
 維新の党を除名になった上西小百合議員については、

 「あのダッチワイフみたいなメークのネエチャンか。だいたい議員の数が多すぎるからこんなバカげたことが起こっちゃう。(中略)国会議員は政治と社会常識を問う期末試験を毎年やって、成績が悪けりゃバッジを剥奪したほうがいいね」(同)

 引退を発表した橋下徹大阪市長については、

 「結局、この人は落ち目のアイドルと一緒だよ。引退コンサートで最後にカネをかき集めて、そのあとはヌードになって、AVになって……。今後もきっといろんなネタを切り売りして話題作りをするんじゃないの。だけどテレビそのものが凋落している中で、その手法の模倣ってのも限界があるだろうけどな」(同)

 今年前半最大の話題といえば「大塚家具」の父と娘の大げんかだ。

 「このケンカ、実は大塚家具にはオイシイことばかりなんだよな。カネ出さずにニュースやワイドショーがガンガン『大塚家具』って名前を宣伝してくれるし、株価は上がるわでさ。CM効果にすりゃ、数十億円レベルだぞ。オイラはいまだに狂言親子ゲンカじゃないかって疑っているね」(同)

 とまあ言いたいことをぶちまけて、今回の大賞は大塚家具の父と娘だとさ。

 第1位。がらっぱちの八五郎が我が家に飛び込んできて「て、て、てえへんだ! 政界のプリンス小泉進次郎に『初ロマンス』だと『週刊文春』がやってますぜ」と大声で叫ぶ。
「どれどれ」と読んでみれば、お相手は進次郎氏が大臣政務官を務める復興庁の元職員(30)で藤原紀香似の美人。しかも彼の秘書をしていたというのだ。さすが『文春』、天晴れ天晴れ、甘茶でかっぽれ。
 まあ、進次郎氏も34歳の男盛り。ガールフレンドの一人ぐらいいたっておかしくなかろうが、何やらこの二人訳ありのようなのだ。
 A子さんは東北の出身で、祖父は病院を経営する地元の名家だという。彼女は専門学校を卒業して県庁の職員をしていたときに、当時交際していた彼氏と結婚して退庁した。
 だがなぜか去年の春に離婚してしまったそうだ。その後50倍近い倍率の試験を通過して復興庁の職員になり、上司に抜擢されて秘書席へ配置換えになったという。そこで『文春』によれば、進次郎氏と理(わり)無い仲になったようである。
 次のシーンは7月24日の未明、場所は小泉家御用達の東京プリンスホテルの一室。

 「静まりかえるホテルの廊下には、二人の会話が響いていた。進次郎氏の低い声とA子さんのはしゃぐような早口の高い声は両方ともよく通る。(中略)
 A子『ワタシ変なこと言ってたらやばいんだけど。私ずっと誰の会員にもなってなかったんですけど。罰ゲーム(笑)』
 進次郎『じゃあ、無理矢理好きだって思いこめば』
 とりとめない会話が続く。
 だが六十分後、突然進次郎氏の雄叫びが響いたのだ。
 『来いよ! えぇ!』
 いつの間にか、たわいない会話は男女の甘い声へと変わっていた」

 この部屋は一泊2万円の“質素”な部屋だったと『文春』が書いている(よく調べてるね)。もっといい部屋なら廊下で聞き耳を立てている記者に二人の声は聞こえなかっただろうに。
 深夜2時頃、A子さんは部屋から抜け出して都内の自宅へ帰っていった。進次郎氏が起きたのは朝の9時半だったという。
 『文春』のすごいのはこれからだ。逢瀬の翌々日、A子さんは成田空港にいた。1年間北米に留学するのだという。A子さんに直撃して、当夜撮影した写真を見せると表情をこわばらせたままゲートをくぐって行ってしまったそうだ。
 進次郎氏はどうか? 記者の質問にはひと言も答えず車に乗り込んでしまった。
 二人の恋は世界を駆ける恋になるのだろうか。ひょっとするとバツイチ美女と政界のプリンスの仲睦まじい姿が、ニューヨーク・マンハッタンのカフェあたりで見られるかもしれない。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 7月、ショウワノート(富山県高岡市)がAmazonを通して行なった「歴代ジャポニカ学習帳人気投票」の結果が話題となった。上位の多くをカブトムシなどの昆虫が占めたからだ。ジャポニカ学習帳といえば、「虫は気持ちが悪い」という保護者や教師の意見を受け入れ、現行の表紙は植物ばかり。この対応に違和感がある大人からすれば、胸のすく思いがしたようだ。かように学習帳というものは、各世代にわたって愛され続けている存在だ。

 大きく写真の入る特徴的なデザインは、オトナという元コドモたちの心に、深く刻み込まれている。ゆえに最近では、企業や地方自治体などが、ノベルティーグッズ(PR用に製作されたもの)として白羽の矢を立てる。ソフトバンクが店頭プレセント用に用意した『お父さん学習帳』(CMキャラクター・白戸家の白いイヌが表紙)、富山県が修学旅行の誘致のために作った『とやまニカ学習帳』(名所や特産物が表紙)は、その代表的なもの。

 また、ショウワノートのアニメグッズ系ブランド「POMMOP」では、「本家」の強みを生かして、『進撃の巨人』とコラボした『進撃の学習帳』などをヒットさせている。いわばセルフパロディ。もちろん、学習帳はジャポニカだけではないので、別メーカーから出ているコラボ商品まで紹介すると枚挙にいとまがない。大阪市に本社を置く「ラナ」は個性的な学習帳を多く企画しているメーカーで、『スター・ウォーズ学習帳』や、『江頭2:50自由帳』(お笑いタレントの江頭2:50が表紙)などは、その「ふざけ具合」がファンからも好評のようだ。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 8月15日、日本は70回目の終戦記念日を迎える。アジアの国々に癒しがたい傷痕を残し、自国民にも多くの犠牲をもたらした先の大戦への反省から、戦後、日本は一貫して平和国家としての道のりを歩んできた。
 「過ちは二度と繰り返さない」と不戦の誓いを立て、9条を有する日本国憲法のもと、日本国民が戦争で他国の人を殺したり、殺されたりするようなことは一度もなかった。

 だが、現在、参議院で審議されている集団的自衛権の行使を容認する新しい安全保障関連法が成立すれば、70年もの間、先人たちが守り続けてきた平和国家の看板を下ろすことになる。

 戦後70年という節目の今年、日本は大きな曲がり角に立たされているのだ。

 そうしたなか、平成天皇・明仁陛下が、折に触れて発したお言葉を紹介する『戦争をしない国』(小学館)が、この6月に出版された。

 1975年7月、明仁天皇は皇太子時代にはじめて沖縄を訪問。ひめゆりの塔を慰霊中に火炎瓶が投げつけられる事件が起きた。しかし、明仁天皇はスケジュールを変えずに慰霊を続け、身元不明の戦没者を弔った「魂魄(こんぱく)の塔」の前に立ったのだ。その夜に発表された談話は、事件には触れずに、逆に沖縄に心を寄せ続けることを約束するメッセージとなっていた。

 「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い年月をかけてこれを記録し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」

 そして、沖縄訪問を終えてすぐに詠まれたのが、次の「琉歌」だ。

 花ゆうしゃぎゆん(花を捧げます)
 人(ふぃとぅ)知らぬ魂(人知れず亡くなった多くの人の魂に)
 戦(いくさ)ねらぬ世(ゆ)ゆ(戦争のない世を)
 肝(ちむ)に願て(にがてぃ)(心から願って)」


 自らの思いを、沖縄の伝統的な八八八五のリズムに乗せた琉歌で表現されたのだ。

 その後も、明仁天皇は、象徴天皇としての制約のなかでも、折にふれて国民にメッセージを発信されてきた。

 第二次世界大戦で犠牲となった世界中の人々への慰霊の心。歴史を検証し、そこから学ぶことの大切さ。昭和天皇の名のもとに行なわれた戦争への責任と内省。声なき人々の苦しみに寄り添う姿勢。日本国憲法の尊さ。

 著者の矢部宏治氏は、明仁天皇のメッセージの根底にあるのは「平和国家・日本」という強い思いだと解説する。

 そして、戦後70年目を迎えた2015年1月1日。明仁天皇は次のような新年の感想を寄せられた。

 「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っています」

 第二次世界大戦の犠牲者は、5000万人とも、8000万人とも言われている。なぜ、戦争は起こったのか。防ぐことができなかったのか。その過去から、私たちはどのような未来へ進むのか。

 自ら戦争責任を問い、その問題から逃げずに70年間ずっと対峙されてきた明仁天皇。その思索に富んだお言葉を、私たちは深く静かに受け止める必要があるように思う。

 日本は、70年で戦後に終止符を打つのか。それとも、来年71年目を迎え、この先も100年、200年と戦後を続けていくのか。

 「戦争しない国」を守り続けられるかは、今ここで生きている私たちにかかっている。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 TNJ女子とは、「たいしたことないじゃん女子」を略したもの。飛び抜けた美女というわけではない、どちらかといえば「フツー」なのだが、性格などが抜群によくて周囲に好かれる女子のことだ。文脈によってプラスにもマイナスにも使われる。「フツー」と言いつつ、人づきあいや仕事に対して真摯で、好感度が高い理由は明快なのだが、だからといって「ルックスがよくないのになんで人気があるの?」というやっかみを避けることは難しい。

 TNJ女子が大きく取り上げられたのは2年前、2013年9月号の『CanCam』の記事だった。が、そこから「消える」ことなく、現在でも使われる機会が多いようだ。このたぐいの若者ことばにしては珍しい。おそらく、ネーミングとして、いいところを突いているのだろう。自分を「たいしたことない」と客観的評価で捉えられる人間は、欠点を補うべく、自己プロデュース力が高くなる。芸能界では、2015年のAKB48選抜総選挙で1位に返り咲いた指原莉乃(さしはら・りの)が、TNJ女子の象徴的存在といえるだろう。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 日本経済新聞社は2015年7月23日、英国の教育・出版企業ピアソンから、経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)を発行するフィナンシャル・タイムズ・グループを買収すると発表した。買収金額は約1600億円。メディア企業の買収額としては破格だった。FTは1888年の創刊。経済紙ではその影響力で米ウォール・ストリート・ジャーナル紙と双璧をなす。有料読者数は73万7000人で、そのうち電子版が約7割を占める。

 一方の日経は1876年の創刊。発行部数約273万部(朝刊、2015年6月末現在)で、電子版の有料読者数は43万人。

 買収発表の記者会見で日経の岡田直敏社長は「欧米に強いFTとアジアに強い日経が一緒になり、コンテンツの質も量も飛躍的に高めることができる」「記事データベースの販路を欧米に拡大するなど、相乗効果も期待したい」などと強調した。

 日経は今回の買収で「新聞紙から電子版へ」「日本国内からグローバルへ」と企業運営の軸足を大きくシフトすると見られる。背景には、人口減少により日本国内の市場が縮小するとともに、ネット社会が本格化して読者の「紙離れ」が進んでいることがある。実際、かつて300万部を超していた日経新聞の部数は前述のように273万部で低迷している。

 問題は、1600億円というその買収金額だ。「高値づかみだったのでは」との指摘があるからだ。

 FTの営業利益は年46億円で買収額の35分の1に過ぎない。日経幹部は、発表会見で「自己資金と外部からの借り入れを検討している」と資金調達の見通しを示した。日経の売上高(2014年12月期、連結)は3006億円、営業利益は約167億円。手元には約1031億円の「現金及び預金」があるとはいえ、借り入れに伴う金融機関への毎年の返済額は相当な額になりそうで、経営の足かせになりかねない。買収で投資金額を回収できるほどのシナジー効果があるのかどうかも不透明だ。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 高校生を中心に、みずからのキスシーンを動画に収めて投稿するカップルが爆発的に増え、大ブームになっているという。

 火付け役となったのは『ミックスチャンネル』というアプリで、利用者は約360万人。うち9割が10代なのだそう。

 恋人同士の“証”として、口づけの瞬間を公にさらし、認めてもらう(気分になる)といった、まあピュアと言えばピュアな自己満足(独占欲)を動機とする可愛らしい戯れであるが、いったん投稿してしまえばネット上にその動画が残り続ける可能性もなくはないリスクを考えると、シャーペンで腕とかに彫る「○○命」、あるいはタトゥーで入れたパートナーのローマ字表記のファーストネームと本質は変わらない“若気の至り”との見方もある。

 ただ、最近は「インスタグラムにアフターセックスの動画を投稿する“イイ大人”なカップルも激増中」という世界レベルのトレンドもあるらしく、ならば「高校生はキスまで」の“寸止め”は、健全かつ真っ当な線引きだとも思われる。あくまで「舌と舌を絡ませるディープキッスはNG!」を前提とした話ではあるが……?

 ちなみに当たり前だが、見ているぶんには全然おもしろくない。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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