評論家の故・江藤淳氏は、1999年に『産経新聞』に寄せた文の中で、当時の都知事選を制した石原慎太郎氏を「無意識過剰」と評した。他人から何を言われようと気にしない、それが反感を買う一方で大衆の共感をも得たというのである。これはのちに『読売新聞』のコラム「編集手帳」でも取り上げられ、いまでは逆に、豊洲市場問題などで石原氏のマイナス面を語る際に欠かせないワードとなっているようだ。
ここから来ているかどうかは不明だが、「無意識過剰」という言葉はいま、ネット上でそれなりに存在感のあるワードになっている。「自意識が薄くなんの配慮もない(そのため周囲が振り回される)」タイプの人を揶揄するときに使われる。ただ、だからこそ魅力的・個性的といえる面も改めて強調しておきたい。
無意識過剰の表現は単なる自意識過剰のもじりなので、初出がわからないほど昔から存在する。たとえば、かつて漫画家の根本敬(ねもと・たかし)氏らは、いまやバラエティタレントの蛭子能収(えびす・よしかず)氏の特異なキャラクターを「無意識過剰」と称した(上記の石原知事うんぬん以前の話である)。「空気が読めない人」では包括できない、「無意識過剰な人」とでも表現せねばならないニュアンスが、この世にはあるものだ。
ここから来ているかどうかは不明だが、「無意識過剰」という言葉はいま、ネット上でそれなりに存在感のあるワードになっている。「自意識が薄くなんの配慮もない(そのため周囲が振り回される)」タイプの人を揶揄するときに使われる。ただ、だからこそ魅力的・個性的といえる面も改めて強調しておきたい。
無意識過剰の表現は単なる自意識過剰のもじりなので、初出がわからないほど昔から存在する。たとえば、かつて漫画家の根本敬(ねもと・たかし)氏らは、いまやバラエティタレントの蛭子能収(えびす・よしかず)氏の特異なキャラクターを「無意識過剰」と称した(上記の石原知事うんぬん以前の話である)。「空気が読めない人」では包括できない、「無意識過剰な人」とでも表現せねばならないニュアンスが、この世にはあるものだ。