米粉でつくった指頭ほどの団子を竹串に並べて刺し、甘みのある醤油の葛餡(くずあん)で絡める和菓子である。漢字で御手洗団子と書く。

 御手洗(みたらし)とは、神社を参拝した際に手や口をすすぐためのところ、という意味である。下鴨(賀茂御祖、かもみおや)神社(左京区)には御手洗社という社があって、社の下からは清水が湧き出すので、社の前は御手洗池と呼ばれる池になっている。土用の丑の日には、この神池の冷水に足をつけ、心身を清めて無病息災を祈願する例祭「足つけ神事」が行なわれる。毎年土用になると、御手洗池に本当に冷たい水が膝上ほどに満ちてくるのは、京都七不思議の一つである。

 「みたらしだんご」はこの池から発祥したといわれている。鎌倉末期から南北朝時代に親政を成就させた後醍醐天皇(在位1318~1339年)が池で水をすくったとき、水底から水玉が一つ、少し間をおいて、四つの水玉が浮かび上がってきたという。この逸話を模し、五つの団子を竹串に刺して焼き、醤油のたれにつけたというのが「みたらしだんご」の発祥説である。本来の「みたらしだんご」は、串に刺した一個目の団子がやや大きく、二個目以降は少し間を開けて四個を並べて刺してある。これは一個目が人の頭部を表し、残りが四肢を表しているからで、かつては厄除けの人形(ひとがた)であったとも伝わっている。昔は氏子の家でつくられていたお供えのための神饌(しんせん)であった。

 それが後に、境内の茶店で醤油のつけ焼き団子が売られるようになった。現在、「みたらしだんご」の門前茶屋として知られる「加茂みたらし茶屋」は、独自に甘めのみたらしだれを考案し、1922(大正11)年から営まれている。また、北野天満宮(上京区)の七夕祭も御手洗祭と呼ばれており、以前は社殿付近の茶店で「みたらしだんご」が売られていたそうだ。


加茂みたらし茶屋のみたらし団子。団子を載せるお盆は、上賀茂・下鴨両神社の神紋であるフタバアオイの葉柄であった。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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