川岸の茶屋から川の上へ、床を張り出してつくった茶席のこと。夏の夕刻、水辺の涼やかな気分を楽しみながら、食事をしたり、酒宴を催したりする。京都では、鴨川上流部にある貴船(左京区)や嵯峨の清滝川が流れる高雄(たかお、右京区)にも設置されるが、鴨川西岸を流れる禊川(みそぎがわ)の、二条通から五条通の間に設けられるものがもっとも有名である。大抵の京都の人は、川床(かわゆか、かわどこ)や納涼床(のうりょうゆか、のうりょうどこ)、鴨川納涼床といった一般的な呼び名ではなく、「床(ゆか)」の一言で言い表している。

 鴨川の「床」の起源は、近世初頭まで遡るといわれている。応仁の乱(1467~77年)の後に荒れ果てていた四条川原は、豊臣秀吉が三条、五条の大橋を架け替えたことをきっかけに、見世物や物売りで賑わうようになっていった。そして江戸時代に入ると、鴨川両岸には色町・先斗町(ぽんとちょう)や花街・宮川町が形成され、芝居小屋の北座、南座もできあがり、京の歓楽の中心をなすようになっていく。江戸時代の中ごろには400軒を超える茶屋があったといわれる。夏の夕暮れになると、川縁や中州、川の流れの中にまで所狭しと床几が並び、「川原の涼み」や「四条涼み」などと呼ばれていたそうである。

 鴨川の東西の川岸や中州にまであった茶屋が、現在のような西岸だけになっていくのは、明治から大正初めにかけてのことである。二条以南に開削された鴨川運河や、京阪電車の乗り入れなどの影響を受けながら、徐々に縮小していった。それでも、昭和の半ばまでは、琴や三味線などの弦歌が響く、いわゆる大人の社交場を形成し続けていた。今日はそうした盛り場の様子も変貌し、往時を偲ぶ老舗からスターバックスコーヒーまでが「床」を設置し、誰もが楽しむことのできる観光名所に変貌しつつある。現在は、5月1日から9月30日までの4か月にわたって「床」が設営されている。


2013年9月に京都を襲った豪雨では、鴨川でも護岸が崩れたり、床の橋脚に巨大な流木が打ち寄せたりするなど甚大な被害が出た。元の状態に戻るまで半年以上を要した。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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