家庭の台所から料亭の厨房(ちゅうぼう)まで、京都の火のあるところに必ずといっていいほど張られている愛宕(あたご)神社の守り札である。愛宕神社は京都市北西部の嵯峨の奥にある。愛宕山(あたごやま、標高924メートル)山上に鎮座し、防火の守護神でもある雷神(いかづちのかみ)も祀っているので、火伏せ、防火の信仰に厚い。京都は江戸時代に何度も大火に見舞われたため、近世になってから火伏せを祈願する愛宕信仰が町民に広がった。

 毎年、7月31日は千日詣で(千日参り)の日である。千日詣でと称するのは、この日に参詣(さんけい)すれば1000日分の御利益があるといわれるからである。神社では翌8月1日にかけた真夜中に火伏せ神事が行なわれるため、山上の根本社へ向かう山道は、深夜まで参詣者が絶えない。つらい登り道を行く人に、下りの参詣者は「お上(のぼ)りやす」と声をかける。かけられた方は「お下(くだ)りやす」と返す。「よく参詣にこられた」というような、参詣者同士のこの気さくなやりとりが千日詣ででは恒例になっている。ちなみに、京都の人がよく使う「~やす」という言葉遣いは、京都語の敬語の助動詞であることを付け加えておこう。

 愛宕山は不思議な魅力をもつ山である。京都の市井の人は「愛宕さん」という愛称で呼び、西山に佇(たたず)む姿は心のよりどころのような印象がある 。延暦寺のある東山最高峰の比叡山とは根づき方に多少異なった印象がある。その一方、愛宕山はかつて神仏習合に伴った修験者の霊場であり、本地仏の将軍地蔵は戦国武将にこよなく愛された。本能寺で織田信長を襲う数日前に明智光秀が参拝した折、「時は今あめか下しる五月哉」と謀反の予告ともとれる句を詠んだことは有名であり、関ヶ原で戦勝した徳川家康が、江戸・桜田山(東京都港区、愛宕山)に勧請(かんじょう)したことでもよく知られている。現在、全国に900を超える社がある愛宕神社の総本社である。


子どもを3歳になるまでに連れてお参りすれば、その子は一生火事に遭わないといわれ、参詣道では子を背負って登る親の姿をよく見かける。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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