芸能プロダクション会長。享年83歳。“生涯マネージャー”を自任し、西郷輝彦、桜田淳子、早見優、桜田淳子、岡田有希子、松田聖子、都はるみ、酒井法子ら多くのタレントを輩出したが、1968年に興したときの所属タレントは森田健作ただ1人、6畳一間からのスタートだった。

 自分のところのタレントを自宅に下宿させることでも有名だった。『週刊新潮』(6/6号、以下『新潮』)で相澤氏の盟友・福田時雄氏(現・サンミュージックプロダクション名誉顧問)がこう語っている。

 「相澤が下宿生活させたのは、一つは親御さんを安心させるため。一緒にご飯を食べ、悩みなどを聞き、精神薫陶を授けて育てるのが彼のやり方です。今とは違って、1970~80年代は一つの芸能事務所からデビューするタレントは1人や2人。だから下宿させることもできた。女性アイドルは、自分の娘のように育ててきました」

 毎朝、新人タレントとジョギングに出かけた。成城の自宅を出て約30分のコースを太川陽介や松田聖子なども走らされた。

 『新潮』によれば、芸能界で彼のことを悪くいう人はいなかったが、「ただ、その分、脇が甘く、タレントを信じ切ってしまうことが多かった」(テレビ局のプロデューサー)ために、裏切られることが多かった。

 この人ほど所属タレントに苦しめられてきた人もいない。松田聖子は男関係が奔放で、何度も尻ぬぐいをしてやっていたのに、突然独立するといいだす。

 いちばん惚れ込んだ聖子に離れられ、相澤氏は福田氏の前で泣いたという。

 桜田淳子は統一教会の合同結婚式に参加し、これも離れてしまう。

 岡田有希子の自殺は相澤氏にとって痛恨事だったろう。18歳の若さだった。自殺の原因は年上の俳優に惚れて、それが叶わなかったためといわれている。

 芸能ジャーナリストの本多圭氏はこういう。

 「相澤さんは、当初、岡田の自殺について“自殺未遂して僕に何か言われると思い、突発的に飛び降りたと思った”と言っていた。が、その後、自殺の原因と思われることが書かれてあったノートが見つかった。そこには、はっきりと峰岸徹の名前が書いてあり、彼に対する恋心と、いくら想っても叶わぬもどかしさで、まるで真綿で首を絞められるような苦しみが綴られていたそうです。相澤さんは、それを読んで自殺が突発的なものではなく、思い詰めた末の行動だったと分かったそうです」(『新潮』)

 当時、峰岸は42歳。渋味のある演技で人気だった。彼には婚約者がいた。24歳も年下の岡田とは、ドラマ「禁じられたマリコ」 (85年11月~86年1月放送)での共演をきっかけに交際が始まったと報じられたが、峰岸自身は「私は一切関係ない」と沈黙を守り続け、数年前に亡くなっている。

 さらに、のりピーこと酒井法子が09年8月に覚醒剤所持で逮捕されてしまう。

 逮捕から40日ぶりに保釈された酒井の記者会見が東京都千代田区の「如水会館」で行なわれた。私も友人の芸能レポーター梨元勝氏と会場に赴き、まるで新曲発表の挨拶のような実のない彼女のお詫びを聞いた。

 相澤氏の45年にわたる芸能プロ生活で、事務所側から解雇したのは酒井1人だけである。そんな氏を業界では「芸能界の良心」と呼んでいた。自社のタレントを食い物にする芸能プロが跋扈(ばっこ)する中で、愛情を持ってタレントを育てることをモットーとしてきた相澤氏の存在は貴重であった。タレントも大量生産、大量消費の時代。こうしたプロダクションが二度と出てくることはないだろう。

※名前の表記は「相澤」「相沢」の2種類ありましたが、「相澤」に統一しました。


 

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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