糯米(もちごめ)や粳米(うるちまい)の団子を、笹(ささ)や菰(まこも)の葉で包んで円すい状の形に整え、藺草(いぐさ)を巻いて蒸したもののこと。

 5月5日の端午の節句には、菖蒲(しょうぶ)湯に浸かり、粽をいただいて邪鬼を払うという風習が現代も続いている。さすがに家庭で粽をつくることは少なくなってしまったが、5月が近づくと、和菓子店には「粽のご予約承ります」という張り紙が見られるようになる。京都の粽といえば、第一に「川端道喜(かわばたどうき)」である。吉野葛(くず)を使った「道喜ちまき」は内裏粽ともいわれ、16世紀から天皇に献じられており、京生菓子きっての存在である。

 粽の由来は、紀元前4~3世紀の中国、楚の国で起こった逸話にあるとされている。楚の王族で詩人の、屈原(くつげん)の故事にちなみ、屈原の命日5月5日に、米を厄除けの棟樹(れんじゅ、ビャクダンのこと)の葉に包み、5色の糸で巻いたものを供物として捧げたというのが始まりだといわれている。

 日本に伝わった時期は古く、穢(けが)れを払う日であった端午の節句の節物として、平安時代の『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』や『伊勢物語』などの多くに、粽を用意したという記録が見られる。江戸時代になり、武家社会で端午の節句が子孫繁栄を願う意味合いを強めると、粽は葛粉や米粉の甘い和菓子として工夫されるようになっていった。

 京都にはもうひとつ、食べない粽をいただくときがある。7月の祇園祭(ぎおんまつり)の飾り粽である。これは形こそ似ているが、上賀茂(京都市北区)の農家が、藁(わら)を笹に包んで藺草で巻いたものである。農家で毎年3万本あまりもつくるといわれており、その10本をひと束として「蘇民将来之子孫也」のお札を付けたのが飾り粽である。こちらは祇園祭のときに授けられるので、玄関先に飾り、1年間の厄除けのお守りとするのが習いである。


ういろうを笹の葉で包んだ粽。中身はういろうと葛餅のものがあり、ういろうのほうがよく売られている。笹の葉3枚ほどで包み、藁で巻いて縛ったという単純な和菓子だが、ほどよく笹と藁の香りが移った餅を口に含むと、五月晴れのようになんとも清らかな気分にしてくれるのである。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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