『日本近代文学大事典』と私

刊行から40年以上を経て、増補改訂デジタル版としてジャパンナレッジで公開した『日本近代文学大事典』。その改訂作業に携わった編集委員や、旧版の項目執筆者、愛用者のみなさまが “大事典への思い” を綴ってくれました。

そしてデジタルの海へ

よしたかひびよしたか

『日本近代文学大事典』の存在を最初に意識したのは、大学院の修士課程の時だったと思う。私は、冬は雪に埋もれる北陸の国立大で四年間を過ごし、北関東の学園都市にある大学院に進学した。
その街は、水はけの悪い農村地帯に無理矢理に大学や種々の研究機関を移して急造した不自然この上ない場所だったが、驚くべきことに「古本屋街」があった。四〜五軒の書店が、吹きさらしの小さなショッピング・モールのようなところに、肩を寄せ合うようにして軒を連ねているのだった。
私は『日本近代文学大事典』を、そこで初めて、買いたい、と思ったのだった。

授業で一緒になる日本文学研究系の先輩たちと、まれにその古本屋街に行くことがあった。めいめいが勝手に好きな本屋に入り、好きな本を買ったり買わなかったりするのだが、『日本近代文学大事典』全六巻は、そうした古書店の、薄暗い店内の一隅に陣取っており、五〜六万円の札がついていた。

五〜六万円は、やはり高かった。その事典は、大学図書館に行けばすぐに見ることができるのである。にもかかわらず、私はそれを買いたいと思った。『日本近代文学大事典』全六巻を買って自室に置くということは、「研究者」になるための一つの階段だと、当時の私は感じていたのだと思う。
通常なら図書館や研究室に置いてあるような書物が、自室にあるということ。高額な書籍を、身銭を切り、食費を切り詰めてまで買うということ。そういう環境や、そういう献身に、憧れていた。

私は、その大きな事典を、まもなく買った。買ったのは、その「古本屋街」ではなく、古書目録による通信販売だったが。
あるとき全六冊で四万円の値をついに見つけ、私は決意とともに葉書をその古書店に送った。到着した大きな段ボール箱から、箱入りの六巻本は取り出され、がたつくスチールの書棚に収まった。私は満足して、そのつるりとした箱の背の並びを見つめた。

今度、『日本近代文学大事典』はあたらしく改訂され、デジタル化される。古い情報がアップデートされ、新しい項目が追加される。

デジタル化され、モノとしてのボリュームを失った『日本近代文学大事典』は、かつてのような「重み」を持つ存在ではなくなるだろう——などと言う気は、さらさらない。いや、正直に言えばそう言いたい気持ちが少しはあるのだが、そう言いたくはない。
それが「紙の時代」を経験しており、そして「デジタルの時代」に適応したいと願っている、私のような世代(たぶん)の偽らざる気持ちである。
デジタル化され、パソコンのブラウザやスマートフォンから検索されるようになる『日本近代文学大事典』は、より幅広い利用者たちに、手軽に、正確な情報を届けるだろう。あるいは、他の事典類と串刺しにして横断検索をかけた隣接分野の研究者たちに、なんらかのヒントを与えるかもしれない。

全六巻数万円をめぐる葛藤はなくなるだろう。それが自宅に届き、書棚に鎮座したときの感懐も、経験する者はいなくなるだろう。
そのかわりに『日本近代文学大事典』は、より広大なデジタルの知の海に溶け込み、そこを居場所と定めることになる。海は、その懐に飛び込む者を、より見事に、より思いもかけぬ方法で泳ぐ者を、待っている。
この事典の利用者がこれから抱くべき感懐とは、モノの所有の感懐ではない。抜き手を切って泳ぎながら、思いも寄らぬ海の表情に出会う、新たな冒険の感懐である。

(名古屋大学教授)

『日本近代文学館』館報 No.301 2021.5.15掲載

※この連載は日本近代文学館 館報の「『日本近代文学大事典』と私」の転載です。
執筆者の所属・肩書きは掲載当時のものです。

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