デジタル化のその先へ
石田仁志いしだひとし
『日本近代文学大事典』は、今から三〇年以上昔の学部生時代には、ゼミ発表の際に必ず引用する事典類の一つであった。大学図書館の参考図書欄にあったこの事典は、人名篇の第一巻〜第三巻はすでにかなり使い込まれていて、製本が壊れかかっていたのを覚えている。
自分が大学院に進学して研究者を目指す気持になったときに、最初に買ったのもこの事典だった。私にとっては、この事典は専門家への必須アイテムだったのである。
今の学部生や大学院生、若手研究者にとってはどのような位置づけになっているのだろうか。
今回、増補改訂版の編集委員として関わらせてもらっているが、この三年間はとても大変な時期であった。編集作業がスタートしたのが、二〇二〇年二月でコロナ禍の始まりと重なった。
編集会議はコア・メンバーの会議以外はすべてオンラインで開催され、新規立項案や執筆者案などの提案もすべてメール等でやりとりして決めていった。デジタル版の編集として、まさしくICTを活用することとなったが、項目執筆の作業そのものはそう簡単にはICT活用では進まない。
私もいくつかの人名の新規および増補項目を執筆したが、その作家の経歴や著作物などはデジタルブックですべてが入手できるわけではない。大学図書館や国会図書館も閉館したり、予約入館であったりと、調査作業は大きな制約下に置かれた。
何とか図書館でコピーを取ったり、古本屋で著作物を買い集めたり、雑誌の現物を確認したりと、結局はアナログチックな作業が基本となるしかなかった。辞書作りとはそういうものなのだろう(三浦しをん『舟を編む』ではないが)。
それでも、こうしてデジタル版としてジャパンナレッジLib で公開されて検索できるようになっていることは、今後、この事典を何年にもわたって更新し続けていくことを可能にしたわけで、とても大きな変化であり、成果であると思える。
ただ、現代の学部生や院生はまずはネット上の情報にアクセスする。この事典の最大のライバルはWikipedia なのかもしれない。むろん、Wiki は匿名執筆であるため、記述内容に学問的な裏付けが不十分である。
しかし、無料で手軽に検索できるので学生たちはすぐに飛びつく。ジャパンナレッジLib に個人で加入している人はほとんどいないだろうから、大学図書館などのデータベースからアクセスすることになり、それなりの手続きと手間がかかり、利用制約もあろう。
もちろん、それでもジャパンナレッジLib で検索すれば、信頼するに足る他のデジタル辞書類も横断的に検索が可能である。そうしたことは、教員が学生たちに地道に指導していくしか道はないのだろう。増補改訂すれば利用者が増えるということではないように思える。
最後に、日本語しかできない私が抱く無責任な「夢」を記す。それは、この事典の多言語化である(留学生を多く指導している身としての実感でもある)。
勝手にAI翻訳して利用することも可能であろうが、全項目でなくてもいいので、きちんとした外国語版をデジタルで公開すれば、日本近代文学への理解もさらに広がっていくのではないかと夢想する。
そうしたグローバル展開は、日本近代文学研究が今後目指す道の一つでもあり、また、それは〈日本近代〉というこの事典が背負っている地域性と時間性をも問い直すことにはなろうとは思う。テクストはむろんのこと、事典類も日本語だけで読めればいいという時代はすでに終わっていることは確かではないか。
(東洋大学教授)
2024年10月30日
『日本近代文学館』館報 No.313 2023.5.15掲載
※この連載は日本近代文学館 館報の「『日本近代文学大事典』と私」の転載です。
執筆者の所属・肩書きは掲載当時のものです。