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鳳凰山

ジャパンナレッジで閲覧できる『鳳凰山』の日本歴史地名大系のサンプルページ

鳳凰山
くほうおうさん

駒ヶ岳の南東に連なる山塊。地蔵じぞうヶ岳・観音かんのん岳・薬師やくし岳の三峰を包括する広大な山域をさす。今日では鳳凰三山という呼称が広く用いられている。山域北部の御座石には戦国期に採掘されたとされる金鉱跡が残る。歴史的にみると、文献により当山の認識領域が錯雑しており、過去にいわゆる山名論争が展開された経緯がある。地蔵ヶ岳のみを鳳凰山とする一山説、観音岳と薬師岳の二峰を鳳凰山とする二山説、そして今日一般的となった三山説に大きく分類されるが、山麓の中巨摩郡芦安あしやす村、武川むかわ村域では地蔵ヶ岳を鳳凰山とよび習わしている。一八世紀中頃に武川筋で山論が発生し、それに関連して二枚の実測踏査図が作製されている。それをみると鳳凰山は地蔵ヶ岳のみをさしていることは明白で、少なくとも山麓では鳳凰山すなわち地蔵ヶ岳の認識が一般的であったことがうかがえる。こうした一山説は一八世紀末の「甲斐名勝志」や一九世紀初頭の「甲斐国志」にも認められる。「甲斐国志」には「州人多クハ誤リ認メテ是ヲ地蔵ガ岳ナリト云ハ非也、鳳凰山権現ノ石祠アリ祭日ハ九月九日ナリ神主小池氏柳沢村ニ住」とあり、すでに当時において山名に混乱がみられたことを示すとともに、具体的な事実を出しながら誤りを正そうとしている。これらよりも古い荻生徂徠の宝永三年(一七〇六)の「峡中紀行」に記された「鳳皇」は、観音岳と薬師岳の二峰をさすと判断できる。それは徂徠の視点なり情報源が、位置的に両峰を区分しがたい甲府近在にあったからと考えられている。二山説は野田成方の「裏見寒話」にも認められ、さらに幕末に発行された甲斐国絵図をはじめとした各種絵図はいずれも二山説にたって描かれているが、絵図の作製にあたった人物や印刷発行の所在地が甲府であったことをうかがわせる。地理的空間認識は、その人物の所在地や生活圏が反映されていると考えるのが妥当であろう。

一山説が一般的であったと思われる山麓においても、一九世紀に入ると三山説の浸透がみられる。韮崎市清哲町青木せいてつまちあおきに残る一九世紀初頭の青木村神社明細并鳳凰山(「赤石山地をめぐる歴史地理的一考察」所収)には「鳳凰山ハ観音地蔵薬師三岳ヲ総称シ」の記述がみえる。地名や山名の細分化は歴史の大きな流れであると同時に、こうした傾向はこの時期における山岳信仰の民衆レベルでの発達と無関係ではなかろう。さらに三山説が広く普及する契機となったのが、明治四三年(一九一〇)に発行された五万分の一地形図「韮崎」である。この地図をめぐって山岳界を中心とした、いわゆる山名論争が起こるが、当時山麓で主流となりつつあった山名を採用したと考えられる。山名の混乱は山頂部が少なくとも三峰より構成されるという地形的条件に起因することはいうまでもない。ここまでの諸説をふまえると、元来は鳳凰山とは地蔵ヶ岳を中心とした山域をさしていたと思われる。地蔵ヶ岳の頂上部には岩塔がそびえ、それを大鳥の嘴とみたてれば山容はまさに鳳凰のごとくである。鳳凰の名の由来はそこに求めることができよう。

〔地蔵ヶ岳〕

武川村と韮崎市・芦安村にまたがる山。地蔵岳ともいう。標高二七六四メートル。山頂には高さ二〇メートルほどの花崗岩の岩塔が屹立する。この岩塔を地蔵仏とか大日岩、あるいはその形状から烏岩とかオオトンガリともよぶ。その特異な形から山岳信仰の対象となり、付近より懸仏・古銭・剣鉾などが発見されている。山名の由来は昔、奈良法皇(孝謙女帝)がたびたびこの山に登り安産を祈って地蔵尊を安置したところからきているともいう。岩塔の手前には賽の河原とよぶ砂礫地があり、ここに数体の地蔵尊が並んでいる。毎朝この砂礫地には七、八歳くらいの子供の足跡がたくさんついているともいう。また子のない夫婦が賽の河原の地蔵尊を借り、家にそっと持って帰ると子供が授かるとも言伝える。岩塔への最初の登頂は、明治三七年イギリス人ウォルター・ウェストン。

〔観音岳〕

鳳凰三山の中央に位置し、標高二八四一メートルで、三山中の最高峰。四月中旬から五月中旬にかけて、山頂付近の東斜面に「のうし(農牛)」とよばれる雪形が現れる。融雪した箇所が黒い牛の姿に見える現象で、韮崎方面から眺めると、頭部を北に突き出したような格好にうつる。雪形は春の融雪期にみられるところから、農作業開始の目安とされた。こうした雪形の風習の背景には、神々が山中に宿るとする古来からの信仰があると考えられる。

〔薬師岳〕

鳳凰三山の南端に位置し、別名は乗鞍のりくら岳とも。観音岳を南方に下り、ハイマツの生えたなだらかな尾根をたどると到着する。標高二七八〇メートル。鞍部を隔てて北東方向にもう一つの岩峰がそびえる。地蔵ヶ岳の岩塔に比肩する花岡岩の岩峰で、この二峰をさして薬師岳と称する。山頂に薬師如来を祀る例は全国に多く、山岳信仰との関係はきわめて深い。薬師・観音・地蔵の山名や、地蔵ヶ岳の岩塔を大日岩と称しているところから推して、鳳凰三山一帯は大日如来を最高仏として祀る密教系修験者によって開かれたと考えられる。

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検索ヒット数 149
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1. ほうおうさん【鳳凰山】山梨県:北巨摩郡
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地蔵ヶ岳のみを鳳凰山とする一山説、観音岳と薬師岳の二峰を鳳凰山とする二山説、そして今日一般的となった三山説に大きく分類されるが、山麓の中巨摩郡芦安村、武川村域で ...
2. 鳳凰山
世界大百科事典
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3. ほうおう‐ざん【鳳凰山】
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4. ほうおう‐ざん[ホウワウ‥]【鳳凰山】
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6. 鳳凰山(ほうおうざん)
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7. 『鳳凰山』 【ほうおうざん】
世界文学大事典
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8. 江陵鳳凰山漢墓
日本大百科全書
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9. 赤石山脈
世界大百科事典
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10. あしくらやま【芦倉山】山梨県:中巨摩郡/芦安村/芦倉村
日本歴史地名大系
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11. 『安邦志』 【あんぽうし】
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12. いがわむら【井川村】福井県:敦賀市
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13. いずみてらまち【泉寺町】石川県:金沢市/金沢城下/第一連区
日本歴史地名大系
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14. いつかいちむら【五日市村】東京都:あきる野市/旧五日市町地区地図
日本歴史地名大系
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15. いわがみむら【岩神村】秋田県:大館市
日本歴史地名大系
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16. イワシャジン
日本大百科全書
関東西部、中部地方南東部に分布する。変種ホウオウシャジンは小形の高山型で赤石山脈(南アルプス)の鳳凰山(ほうおうざん)に分布する。高橋秀男 ...
17. うちふかたむら【内深田村】愛媛県:北宇和郡/広見町
日本歴史地名大系
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18. 延安
世界大百科事典
人口40万(2000)。市街は延河の中流部に沿う,黄土高原中の谷底平地にあり,周囲には宝塔山,鳳凰山,清涼山などがとりまいている。春秋時代の白翟(はくてき)の住 ...
19. 王船山詩文集 修羅の夢 338ページ
東洋文庫
死んだらそこに埋めよと言ったという。 ○酒客顛 酒呑みの劉伶のような疲 顛。 ○瀧岡 江西省永豊県の南の鳳凰山。宋の欧陽脩が父を葬り、「瀧岡肝表」を記す。 ○ ...
20. 伽婢子 2 332ページ
東洋文庫
尾張国海部郡(愛知県海部郡甚 目寺町)にある真言宗(文禄二年〈一五九三〉ま では天台宗)の寺。鳳凰山と号し、本尊は聖観音。 推古五年創建と伝えられ、平安末から鎌 ...
21. おんねいじ【恩栄寺】石川県:江沼郡/山中町/山中村
日本歴史地名大系
[現]山中町湯の出町 山中温泉の共同浴場を南に行った突当りにあり、浄土真宗本願寺派。白鳳凰山と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝では佐々木小三郎盛則という武士が越後に流 ...
22. かみきょうまち【上京町】滋賀県:大津市/大津町
日本歴史地名大系
化財)であるが、これは一六世紀のブリュッセルで織られたもので、太間町の竜門滝山、長浜曳山祭の鳳凰山、京都祇園会の鯉山、金沢前田家所蔵の毛綴織などと合せローマ史詩 ...
23. かりしきむら【刈敷村】宮城県:栗原郡/志波姫町
日本歴史地名大系
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24. 漢簡
世界大百科事典
堆1号・3号漢墓出土の970点,73年河北省定県前漢墓出土の書籍8種,73-75年湖北省江陵鳳凰山前漢墓群出土の570点,78年青海省大通県前漢墓出土の400点 ...
25. 漢書食貨・地理・溝洫志 118ページ
東洋文庫
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26. がんじょうじ【願成寺】山梨県:韮崎市/鍋山村
日本歴史地名大系
[現]韮崎市神山町鍋山 神山町鍋山集落の東方、釜無川の右岸から神山町北宮地の武田八幡宮へ向かう道沿い南側にある。鳳凰山と号し、曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。古くは天 ...
27. がんじょうじ【願成寺】愛媛県:周桑郡/丹原町/田野村
日本歴史地名大系
[現]丹原町北田野 北田野の北部、旧松山道西側の天神社の西南方にある。鳳凰山と号し、臨済宗東福寺派。本尊は釈迦如来、庫裏本尊は如意輪観世音。沿革はつまびらかでな ...
28. 寄生虫
世界大百科事典
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29. きたこまぐん【北巨摩郡】山梨県
日本歴史地名大系
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30. 共古随筆 304ページ
東洋文庫
信ずるに足ら澱説なれど、武田氏の時代の文書には、此の地を山代郡と記したるあり、此の村の地続の山に鳳凰山といふ山あるゆへ、女帝法皇を慕ひ此の地に遷居ありしなどと云 ...
31. ぎょくりんじ【玉林寺】秋田県:大館市/大館町/大町
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32. くろさわむら【黒沢村】山梨県:北巨摩郡/武川村
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33. 景徳鎮陶録 1 115ページ
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34. 景徳鎮陶録 1 236ページ
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35. 景徳鎮陶録 2 168ページ
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36. 景徳鎮陶録 2 272ページ
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