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歴史物語

ジャパンナレッジで閲覧できる『歴史物語』の日本大百科全書・国史大辞典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

歴史物語
れきしものがたり

日本文学史上の一ジャンル。歴史に取材した物語の総称。作品としては、『栄花 (えいが)物語』『大鏡 (おおかがみ)』『今鏡』『水鏡』『増 (ます)鏡』などがあり、これに『秋津島 (あきつしま)物語』(作者不詳)、『月の行方 (ゆくえ)』(荒木田麗女)、『池の藻屑 (もくず)』(同上)を加える説もあり、これらをあわせると、神代から1603年(慶長8)まで一貫した物語となるが、『秋津島物語』以下の三作品は、鏡物の体裁を模倣して書かれているものの、厳密な意味では、歴史物語とはいえない。

 歴史物語は、摂関政治から院政へ移行していく時代を背景に発生した。当時の作り物語は、『狭衣 (さごろも)物語』や『夜 (よる)の寝覚 (ねざめ)』などのように、『源氏物語』を模倣しながらも、それぞれに新生面を開いたものもあるが、総じて『源氏物語』を皮相的に模倣した作品が多く、非現実的、退廃的傾向を強め、衰退の一途をたどりつつあった。このような時代に、新しい物語の世界を開拓したものとして、歴史物語が登場してきたが、その発生を促した要因の一つに、『源氏物語』の物語論がある。それは、事実そのものよりも虚構世界にこそ人間の真実があるとする主張で、これを受けて、『栄花物語』の作者は、虚事 (そらごと)でない事実=歴史を物語の世界に全面的に持ち込んで、人間の真実を描こうとしたが、歴史と物語とを性急に統一融合しようとしたため、作者の考えたようにはいかなかった。しかし、『栄花物語』の出現は、人間を描いて歴史の真実に迫ろうとする『大鏡』成立の契機となり、さらに『今鏡』以下の作品を簇出 (そうしゅつ)させた。

 歴史に取材したとはいえ、歴史物語はかならずしも史実を忠実に客観的に叙述したものではなく、作者の意図によって、事実を歪曲 (わいきょく)したり、虚構を用いたりしていて、これを歴史書と同等に扱うことはできない。概していえば、慈円 (じえん)が史論書『愚管抄 (ぐかんしょう)』のなかでいっているように、歴史物語は「ヨキ事ヲノミ」書き記したものであり、王朝貴族社会とその文化に対する賛美と憧憬 (しょうけい)の精神を基調として書かれている。

[竹鼻 績]



国史大辞典

歴史物語
れきしものがたり
平安時代後期以降に著わされた仮名書きの歴史叙述の書物を指す呼び名。使われ始めたのは明治時代に入ってからであり、特に芳賀矢一が国文学史に関する著作で使用して以来、術語として定着した。国史学では、むしろ「物語風歴史(史書)」と呼ばれる。外見上、漢字に仮名文字を交えた仮名書きであることと、歴史叙述に関するものであることとが特色であるために、扱う人によっては、『愚管抄』『神皇正統記』などの史論書や、『太平記』『梅松論』などの文学的虚構の少ないとされる戦記物をも含めることもある。しかし、一般には『栄花物語』(宇多天皇―堀河天皇)に始まり、『大鏡』(文徳天皇―後一条天皇)、『今鏡』(後一条天皇―高倉天皇)、『水鏡』(神武天皇―仁明天皇)、『増鏡』(後島羽天皇―後醍醐天皇)と後を継いで著わされた四鏡のほか、神代を扱った『秋津島物語』、現在は散逸して伝わらないが、時代としては『今鏡』と『増鏡』との間を扱ったという『弥世継』(高倉天皇―安徳天皇)を指す場合が多い。歴史物語を「鏡物」とも呼ぶのは、これらの作品名に由来している。なお、江戸時代になってから荒木田麗女(あらきだれいじょ)が散逸した『弥世継』の時代範囲を新しく作り直した『月の行方』や、『増鏡』の後の歴史を補った『池の藻屑』(後醍醐天皇―後陽成天皇)を加えることもあるが、内容的には価値が低い。歴史物語の諸作品は、古く『本朝書籍目録』などでは、『源氏物語』『伊勢物語』などといっしょに、物語を意味した「仮名」の部に排列されていたが、江戸時代になって漢文体の正史に対する雑史として書籍目録で分類されると、これが近代の図書館の分類でも用いられるようになった。
 日本の前近代の歴史叙述は、正史すなわち漢文をもって書かれた中国風の史書が正統とされた。『日本書紀』に始まる六国史がそれであり、鎌倉幕府の『吾妻鏡』、江戸幕府の『本朝通鑑』など、その伝統を襲ったものは多い。政府による歴史書編纂事業が途絶えた平安時代後期以降、個人によって歴史の編纂事業が受け継がれたが、これらもすべて漢文体の叙述であった。ちなみに、明治政府が修史局を創立した時も、はじめに目指すところは漢文体の歴史書の編纂であった。平安時代に入って仮名文字が発達すると、それを使った物語が数多く著わされ、描写の技法が著しく進歩したことは、歴史叙述にも影響を与えないわけにはいかなかった。歴史叙述は、確実な事実の記録であることを第一義とするが、この点だけに限れば漢文体はさほどさまたげとはならないけれども、漢文体によって歴史の諸様相を生きいきと表現できるかどうかは疑問とならざるをえない。結果は、年代記的な事項の羅列とみられてしまい、物語に馴染んだ人々には、心を打つものが少ないと感じられた。漢文体の描写よりも、漢字に仮名を交えた仮名書きの物語風の描写方法は、歴史上の人物の内面にある心理や、日常生活の諸相を伝えるには、はるかにすぐれていたからである。このような想いから、現実に生起した史実に取材した仮名書きの歴史叙述が生まれたとされる。同じ仮名書きの叙述とはいっても、いわゆる物語は、作者の主観や虚構を織り交ぜて展開されている点で、たとえ歴史を舞台としている作品であっても、歴史物語とは異なっているとされている。
 歴史物語を説く場合、必ずといってよいほど引きあいに出されるのが、紫式部が『源氏物語』蛍の巻で展開した物語論である。そこでは歴史に対する物語の優越性が述べられていた。「日本紀などはただ片そばぞかし、これら(物語)にこそ道々しく、くはしきことはあらめ」と物語の具体性・全体性が称揚されているとされる。この論には、『日本書紀』を漢文体、物語を仮名書きと理解できる面もあることから、この論の延長線上に、内容を歴史事実にとり、叙述の技法だけを物語にならった歴史叙述の方法が生みだされる結果となったという。その最初の作品が『栄花物語』である。しかし、この作品の内容がすべて歴史事実であり、叙述の技法だけを物語にならっているといってよいかは疑問である。『栄花物語』に及ぼした『源氏物語』の影響を考えるとき、ただ叙述の技法だけを物語に借りたとするには、問題がありそうである。『栄花物語』には、『源氏物語』の筋立ての一部に合わせようと歴史事実を改作している点が指摘されているからである。もちろん、作者が入手できる資料の制約を考慮に入れなければならないが、作者が理想とした貴族像に引かれた舞文曲筆を部分部分には認めないわけにはいかない。『栄花物語』は、対象をすべて現実の生きているものとして眺め、作者がまのあたりに見聞しているように叙述している。記事の下限からそれほど隔たっていない時期に著作されたから、この態度はそれほど問題にはならないが、次の『大鏡』になると、同じ時代を扱うといっても、執筆が記事の下限から半世紀以上も経ているので、まのあたりにとはいかなくなる。そこで新しい趣向が凝らされた。つまり不自然に長寿の老人たちを登場させ、彼らの見聞を聞き手が書き留めるという形式である。物語のはじまりは老人たちとの邂逅であり、終りは彼らとの別れであって、随所に老人たちと聞き手との問答が挿入される。この形式は、『大鏡』以後の歴史物語がとる常套手段になった。特に叙述の途中に挿入されている問答には、暗に執筆時点での現代批判が寓されており、ここに歴史物語の面白さが潜められていたと思われる。しかし、やがてこの物語の書き出しと結びとは形式的なものとなり、『増鏡』では末尾での老人たちの場面がなくなってしまった。また老人の不自然な年齢も、遙か昔のことをまのあたりのことのように物語る『秋津島物語』や『水鏡』になると、仙人や神を登場させない限り解決できなくなってしまった。さらに老人たちの見聞にまかせる形で物語を進行させる枠を作ってしまったため、叙述の範囲を漢文体の正史ほどには広げることができなくなってしまった。
 歴史物語では、本紀・列伝の形をとっている『大鏡』を除いては、編年体を採用している。『栄花物語』を別名『世継』、『大鏡』を別名『世継物語』とよぶように、歴史物語には世代の継承を描いているため、必ず先行作品の後を受け継いで編年体で叙述するが、もしも作品の中に欠けている年代があると、後人がこれを追加し編成し直して、編年体として連続するように仕立替えしている。『増鏡』の後崇光院自筆本系の本文がそれである。一方、先行の歴史物語を受け継がなくても、作者がまのあたりにした歴史の現実を描こうとした場合に、老人を登場させて語らせる趣向をとった作品も現われた。普通の老僧が、承久の乱から始めて南北朝時代の戦乱までを『太平記』風に語る『梅松論』がそれである。こうなると、歴史物語離れと断じて差支えない。また巻頭でのみ、石山寺通夜の砌に尼から話を聞く、あるいは時々訪れる老人から話を聞くとした趣向の『池の藻屑』や『月の行方』は、表面だけを歴史物語風に取りまとめた作品とみられている。
[参考文献]
坂本太郎『修史と史学』(『坂本太郎著作集』五)、松村博司『歴史物語』(『塙選書』一六)、芳賀矢一『歴史物語・文献学・文法論』、山中裕『歴史物語研究序説』、岡一男「歴史物語」(『講座日本文学』四所収)、沼沢竜雄「歴史物語の本質」(『国語と国文学』四ノ四)
(益田 宗)
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検索コンテンツ
1. 歴史物語
日本大百科全書
『秋津島物語』以下の三作品は、鏡物の体裁を模倣して書かれているものの、厳密な意味では、歴史物語とはいえない。 歴史物語は、摂関政治から院政へ移行していく時代を背
2. れきしものがたり【歴史物語】
国史大辞典
五)、松村博司『歴史物語』(『塙選書』一六)、芳賀矢一『歴史物語・文献学・文法論』、山中裕『歴史物語研究序説』、岡一男「歴史物語」(『講座日本文学』四所収)、沼
3. れきし‐ものがたり【歴史物語】
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4. れきしものがたりしろん【歴史物語・史論】 : 中世/(八)
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(八)歴史物語・史論  歴史物語としては、平安時代末期から中世初頭にかけて『水鏡』が、鎌倉時代末期に『五代帝王物語』が、南北朝時代に『増鏡』が、それぞれ成った
5. あきつしまものがたり【秋津島物語】
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天地開闢に始まる神代の歴史物語。存一巻。作者不詳。内容から推測すれば住吉神社関係の人か。序文中に建保六年(一二一八)の年号がみえ、本書の成立はそのころと考えら
6. 秋津嶋物語(著作ID:598823)
新日本古典籍データベース
あきつしまものがたり 歴史物語 建保六?
7. 排蘆小船(近世随想集) 321ページ
日本古典文学全集
各地で儀礼的な歌を詠み、優れた叙景歌を多く遺した。『栄花物語』。四〇巻。世継物語とも。平安時代の歴史物語。作者は赤染衛門など諸説あるが不明。宇多天皇から堀河天皇
8. 天草四郎[文献目録]
日本人物文献目録
』岡田章雄『天草四郎の死』大庭耀『天草四郎時貞関係資料』-『偽らぬ日本史 7 天草四郎』-『歴史物語 肥後の天草四郎・桐生の四郎兵衛』田村栄太郎
9. あまのかるも【海人の刈藻】
国史大辞典
大納言)の、按察大納言三の君(のち中宮)に対する悲恋遁世談であって、その貴族社会の年代記風・歴史物語風な叙述や仏教的色彩には、衰退期の物語らしい時代的特質が見ら
10. あまのかるも【海人の刈藻】 : 海人の刈藻/(一)
国史大辞典
大納言)の、按察大納言三の君(のち中宮)に対する悲恋遁世談であって、その貴族社会の年代記風・歴史物語風な叙述や仏教的色彩には、衰退期の物語らしい時代的特質が見ら
11. あらきだ-れい【荒木田麗】
日本人名大辞典
荒木田武遇(たけとも)の養女となり,西山昌林に連歌をまなぶ。慶徳家雅(いえただ)と結婚。漢詩,連歌にすぐれ,歴史物語,紀行文,随筆など400巻もの著作をのこした
12. 荒木田麗女
日本大百科全書
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13. あらきだれいじょ【荒木田麗女】
国史大辞典
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14. アラビアン・ナイト 3 286ページ
東洋文庫
ロに移ってからであろうという意見が出ているが、バグダードの恋物語のブロックを割って、こういう歴史物語を間に入れたところを見ると、おそらくこの考えは妥当なものであ
15. アラビアン・ナイト 8 28ページ
東洋文庫
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16. アラビアン・ナイト 10 355ページ
東洋文庫
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17. アラブ・アンダルース音楽[ポピュラー・ミュージック]
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18. アンコール・ワット画像
日本大百科全書
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19. 井上内親王[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『井上内親王とその周辺 歴史物語における史話的・民俗的素材についての一考察』青木敦
20. いけのもくず[いけのもくづ]【池藻屑】
日本国語大辞典
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21. いけのもくず【池の藻〓
国史大辞典
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22. 池の藻屑(著作ID:11552)
新日本古典籍データベース
いけのもくず いけのもくす 池藻屑 池乃藻屑 池廼藻屑 荒木田麗女(あらきだれいじょ) 歴史物語 明和八
23. いけみやぎ-せきほう【池宮城積宝】
日本人名大辞典
広津和郎「さまよへる琉球人」のモデルとされる。昭和26年7月21日死去。58歳。別号に寂泡。著作に「琉球歴史物語」など。
24. 伊波普猷
日本大百科全書
投げている。著書に『古琉球』『おもろさうし選釈』『校訂おもろさうし』『をなり神の島』『沖縄考』『沖縄歴史物語』などがある。外間守善2018年10月19日
25. 伊波普猷
世界大百科事典
選釈》《校訂おもろさうし》《孤島苦の琉球史》《南島方言史攷》《をなり神の島》《沖縄考》《沖縄歴史物語》などがあり,《伊波普猷全集》全11巻に収録されている。外間
26. 伊波普猷全集[文献解題]沖縄県
日本歴史地名大系
平凡社 一九七四―七六年刊 構成 第一巻―古琉球、古琉球の政治他、二巻―孤島苦の琉球史、沖縄歴史物語他、三巻―琉球戯曲集、真境名安興論文「組踊と能楽との考察」
27. イブン・ザファル(ibn Ẓafar al-Ṣiqillī)
世界人名大辞典
al-atbā‘》はクルアーン,ハディース,古詩,史籍その他を資料として君主の徳を説いたいわゆる君主鑑.歴史物語や動物寓話と見るべき部分もあって特異の作である.
28. 今鏡
日本大百科全書
平安末期の歴史物語。1170年(嘉応2)成立説とそれ以後とする説とがあり、作者は藤原為経ためつね(寂超)説が有力。『大鏡おおかがみ』を受けて、1025年(万寿2
29. 今鏡
世界大百科事典
平安末期の歴史物語。10巻。《小鏡》《続世継》とも呼ばれる。1170年(嘉応2)成立。著者には中山忠親,源通親などが擬せられるが,未詳。《大鏡》の後を継ぐ書とし
30. いまかがみ【今鏡】
日本国語大辞典
平安時代の歴史物語。一〇巻。嘉応二年(一一七〇)成立。作者については藤原為経(寂超)説が有力。「大鏡」の後を受け、万寿二年(一〇二五)から嘉応二年にわたる記述。
31. いまかがみ【今鏡】
全文全訳古語辞典
[書名]平安後期の歴史物語。十巻。藤原為経(寂超)の作とする説が有力。一一七〇年(嘉応二)成立。『大鏡』の影響を強く受け、その語り手である大宅世継の孫娘が語る形
32. いまかがみ【今鏡】
国史大辞典
下、『日本古典全書』などに収められている。→大鏡(おおかがみ),→歴史物語(れきしものがたり) [参考文献]芳賀矢一『歴史物語』、岡一男『古典の再評価』、関根正
33. 今鏡(著作ID:12588)
新日本古典籍データベース
いまかがみ 続世継 小鏡 藤原為経(ふじわらためつね) 歴史物語 
34. いやよつぎ【彌世継】
日本国語大辞典
平安末期の歴史物語。二巻。藤原隆信著。現存しない。*本朝書籍目録〔1277~94頃か〕「仮名 〈略〉彌世継 二巻」*増鏡〔1368~76頃〕序「いや世継は、隆信
35. 歌麿 264ページ
東洋文庫
っている。 夕食の後、両親が子供たちに、行動の模範となるようなあらゆる類の日本の伝説や中国の歴史物語を話して聞かせるのが慣わしになっている。 子供が賢くしないと
36. 雲林院(うりんいん 京都市)
日本大百科全書
ず由性ゆいしょうが別当となった。サクラ、紅葉の名所として知られ、古来、多くの和歌に詠まれた。歴史物語『大鏡おおかがみ』は、当寺の菩提講ぼだいこう(5月に『法華経
37. 栄花物語画像
日本大百科全書
平安後期の歴史物語。宇多うだ天皇から堀河ほりかわ天皇の1092年(寛治6)2月まで、15代200余年間の宮廷貴族社会の歴史を編年体で叙述したもの。主題や文体など
38. えいがものがたり[エイグヮものがたり]【栄花物語・栄華物語】
日本国語大辞典
平安時代の歴史物語。四〇巻。作者は正編については赤染衛門、続編については出羽の弁とする説などがあるが未詳。正編三〇巻は長元年間(一〇二八~三七)、続編一〇巻は寛
39. えいがものがたり【栄花物語】
国史大辞典
平安時代後期の歴史物語。四十巻(異本系三十巻)。『栄華物語』とも書く。『大鏡』とともに『世継』『世継物語』などとも呼ばれたため、時に両書は混同されたこともある
40. 栄花物語(著作ID:13649)
新日本古典籍データベース
えいがものがたり 栄華物語 世継 世継物語 歴史物語 平安時代
41. 栄花物語 53ページ
日本古典文学全集
祭のまたの日下りたまふべければ、さる 〔八〕 〔九〕 〔一〇〕  るという方法は、同時代を描くもう一つの歴史物語『大鏡』と通じる。『大鏡』道隆伝には「故関白殿の
42. 栄華(花)物語
世界大百科事典
92)にいたる15代およそ200年間の宮廷貴族の歴史を,仮名文を用いて編年体物語ふうに記した歴史物語。古写本では《栄花物語》と書く。40巻(異本30巻)。藤原道
43. 栄花物語抜萃(著作ID:106729)
新日本古典籍データベース
えいがものがたりばっすい 歴史物語 
44. 栄花物語要録(著作ID:3574832)
新日本古典籍データベース
えいがものがたりようろく 歴史物語 
45. えいぐゎものがたり【栄花物語】
全文全訳古語辞典
[書名]平安時代の歴史物語。一一〇七年(嘉承二)頃までに成立。上編の三十巻は赤染衛門、下編の十巻は出羽の弁を作者とする説があるが、未詳。宇多天皇から堀河天皇に至
46. 『越絶書』 【えつぜつしょ】
世界文学大事典
原本は25編あったが,のちに5編が失われた。『呉越春秋』の記事と重なる部分が多く,同様に史実の記録というより,歴史物語としての趣が強いが,その叙述は『呉越春秋』
47. エルソイ メフメト・アーキフ
世界文学大事典
パンイスラーム主義を唱え,詩作面でもイスラーム世界共通の韻律・定型とトルコ語との巧みな調和を図る。歴史物語や日常生活に素材を求めた『諸相』Safahât(191
48. 往生要集 1 日本浄土教の夜明け 363ページ
東洋文庫
遇の勝因とせん。麓言柔鞭之文、仏種従縁起之数をこの取信といへる事なり」と記している。 つぎに歴史物語として留意されるのは、もちろん『大鏡』と『栄花物語』とである
49. 大鏡画像
日本大百科全書
もったものとして人間を描き、歴史の本質に迫ることができた。『大鏡』は歴史物語のなかでも傑出した作品で、その問答、座談形式は後代の歴史物語に大きな影響を与え、確か
50. 大鏡
世界大百科事典
平安朝後期成立の歴史物語。文徳天皇の代から後一条天皇の代まで(850-1025)のことを,かなぶみで書いており,いわゆる鏡物(かがみもの)の第1作。作者不詳。近
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