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太閤記

ジャパンナレッジで閲覧できる『太閤記』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

太閤記
たいこうき
豊臣秀吉の事蹟を書きとめた記録。小瀬甫庵著、寛永二年(一六二五)自序、二十二巻。別称『豊臣記』。巻一―十六は秀吉出生から晩年まで。秀吉の素生として父を筑阿弥、幼名を日吉丸とし、晩年は最も華やかであった慶長三年(一五九八)の醍醐の花見で終っている。巻十七は秀次事件。巻十八は織田酒造丞らの逸事。巻十九は山中鹿助伝。巻二十・二十一は元和二年(一六一六)の旧著である『八物語』を収め、甫庵の儒教思想を展開している。巻二十二は黄母衣衆など豊臣期の職制について略述されている。内容は、大村由己の『天正記』などを素材に、文書・記録を織りまぜた構成となっているが、甫庵の思想や史観に基づいて書き改め、文書に改竄を加えている。巻十三の朝鮮陣に関する文書などは明白な偽文書であるが、特に江戸幕府の目を意識して無理な構成をとっていることが特徴的である。それは、秀吉の伝記でありながら、その出生は記せても死については語れないという制約をみずから設けたためである。秀吉の遺言、秀頼の将来、五大老・五奉行による誓紙の交換、朝鮮からの撤兵、豊国社設立などの史実は抹消され、秀吉は生きたままになっている。したがって、五奉行制は天正十三年(一五八五)の関白任官の次に記され、あたかもこの年に設置されたかのような印象を与え、秀吉の死の直前に作られたこの制度のもつ意味を不明確なものにした。このほか、年代や人名の比定などに誤りは多い。なお、幕末に栗原柳庵が『太閤記』をはじめ多くの伝記をもとに、全三百六十巻にまとめた『真書太閤記』は、明治に入ってから完成した。このような『太閤記』をもとにして作られた実録は「太閤物語」と総称され、講談師によって語られたりして、江戸時代にひろく受け入れられた。甫庵による儒教思想をもとにした史実の解釈とその評価は、さらに明治以後の史学史の上にも少なからぬ影響を与えたといえよう。刊本として、『(改定)史籍集覧』六に、『八物語』の部分を削除して収められ、桑田忠親校訂の岩波文庫本がある。
[参考文献]
桑田忠親『太閤記の研究』
(三鬼 清一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)

太閤記
たいこうき

太閤豊臣 (とよとみ)秀吉の伝記。早くお伽衆 (とぎしゅう)大村由己 (ゆうこ)が、秀吉の命令により、その天下統一を賛美して天正 (てんしょう)年間(1573~92)の事績を記録した『天正 (てんしょう)記』(うち九巻が現存)、織田信長、秀吉に仕え『信長 (しんちょう)記』の著もある太田牛一 (おおたぎゅういち)が、秀吉の功業を覚え書き風に記録した『太閤軍記』(その一部が『太閤さま軍記のうち』として伝わる)、秀吉に仕えた田中吉政の家臣川角 (かわすみ)三郎左衛門の著かともいわれる、秀吉の天下統一を覚え書きと聞き書きをもって記した『川角太閤記』五巻があるが、これら先行の「太閤記」を集成したのが小瀬甫庵 (おぜほあん)の『太閤記』22巻である。

 先行の「太閤記」のほか『幽斎道之記 (ゆうさいみちのき)』などの記録、書翰 (しょかん)、巷説 (こうせつ)をも取り入れて構成、1625年(寛永2)に擱筆 (かくひつ)。年月順に記しながら、回想、後日談などを挿入、秀吉の治政を賛美し、秀吉の側からみた治乱の記、栄華の物語をなすが、相手側の柴田 (しばた)勝家、北条氏政 (ほうじょううじまさ)、豊臣秀次 (ひでつぐ)らの悲劇をも哀感をもって描く。高麗 (こうらい)、唐土の外征などに関して、儒教思想をもって、秀吉の善は善としながら悪は悪として批判も行う。巻一から巻16まではその太閤の正伝、巻17は関白秀次の事件、巻18、19は山中鹿之助 (しかのすけ)など戦国武将の列伝、巻20、21は、1616年(元和2)の執筆になる、治世のための八つの道を説く八物語であり、巻22は雑録である。

 文体は、記録体というよりは、作者自身の感情を交え、京都の人々の声、太閤伝説、異論・評をも借りて、成功者秀吉を語る物語の文体をなす。そのため朗読、講釈の語り物としても行われた。その意味で物語化した「太閤記」の源をなすもので、本書が絵入り、抜粋としても版を重ねるとともに、民話の手法をも用いて秀吉像が伝説的に巨大化していった。そのなかで作者未詳の『元禄 (げんろく)太閤記』七巻、竹内確斎(岡田玉山画)の『絵本太閤記』七編84冊、さらに諸種太閤伝に注記・考証を施し古典をも借用して脚色を施した栗原柳庵 (くりはらりゅうあん)の『真書 (しんしょ)太閤記』360巻などがつくられた。これらは明治以後まで、史書、記録、草紙、歴史小説などに影響を与え続けた。

[山下宏明]



世界大百科事典

太閤記
たいこうき

豊臣秀吉の伝記物語。小瀬甫庵(おせほあん)作。22巻。1625年(寛永2)の自序があるが,執筆は元和年間(1615-24)にさかのぼるといわれる。構成は2部から成る。すなわち巻一~三に秀吉の素生と織田部将時代の事跡,巻四~九は小牧・長久手の戦に至る政権掌握の過程,巻十,十二に九州の役と小田原の役,巻十一に聚楽第行幸,巻十三~十五に文禄の役,巻十六に晩年の事跡を収め,この巻まではほぼ編年体的構成をとっている。ついで巻十七に豊臣秀次の事件,巻十八,十九に武将の伝記,巻二十,二十一に〈八物語〉,巻二十二に豊臣氏の諸制度にかかわる小記録を収める。巻十六までに対比して事項別記述というべきであろう。甫庵は太閤記の著述にあたって大村由己(ゆうこ)の《天正記》,太田牛一の諸記録,加賀藩の古老横山氏の談話等を素材としたといわれる。この態度は《信長記》の著述にあたって太田牛一の《信長公記》を素材としたのと同軌である。しかし《太閤記》では,古文書の引用に際し自己の見解,主張による改ざんをこころみていることにうかがわれるように,事実の記述というよりは自己の儒教的な政治観の主張に重きを置いているといわれる。構成の後者に主眼が置かれているわけであって,《信長記》において信長の事跡に評を加えているのと同じ立場である。したがってこの2書の最も注目すべき特質は近世初頭における儒教的政治思想の主張を展開しているところに求められる。本書の古刊本には寛永3(1626),正保3(1646),万治4(1661),寛文2(1662),宝永7年(1710)版などがあり,分冊類は一定していない。《改定史籍集覧》,岩波文庫所収。

 甫庵の《太閤記》のほかに,《川角(かわすみ)太閤記》,《太閤軍記》,《真書太閤記》(《太閤真顕記》《真顕太閤記》)などがある。

川角太閤記

5巻5冊。筑後柳河城主田中吉政の家臣川角三郎右衛門が1621-23年(元和7-9)ごろ自己の体験や見聞をもとに記述した豊臣時代の実録。部分的には史料としてきわめて良質な記述を含むと同時に憶測による記事も多いといわれるが,史籍としては甫庵の《太閤記》にまさっている。《改定史籍集覧》所収。

太閤軍記

太田牛一に《太閤軍記》と称すべき軍記のあったことが推測され,その一部と考えられる《小田原軍記》などが現存するが,なお学説の域を出ない。

真書太閤記

12編360巻。江戸時代写本として流布した。俗書の類であって史籍としての価値は乏しい。《続国民文庫》《帝国文庫》所収。

 なお《絵本太閤記》7編84冊,《太閤記》の絵入り版本(1698,1710),《太閤軍記》の絵入り版本(1654,72)などは読本あるいは仮名草子で,史籍ではない。
→絵本太功記
[岩沢 愿彦]

[索引語]
豊臣秀吉 小瀬甫庵 信長記 川角太閤記 川角三郎右衛門 太閤軍記 真書太閤記
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1. 『太閤記』
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1625年〈寛永2 乙丑〉 この年 小瀬甫庵 『太閤記』 成る。
2. 太閤記
日本大百科全書
覚え書きと聞き書きをもって記した『川角太閤記』五巻があるが、これら先行の「太閤記」を集成したのが小瀬甫庵おぜほあんの『太閤記』22巻である。 先行の「太閤記」の
3. 太閤記
世界大百科事典
《改定史籍集覧》,岩波文庫所収。 甫庵の《太閤記》のほかに,《川角(かわすみ)太閤記》,《太閤軍記》,《真書太閤記》(《太閤真顕記》《真顕太閤記》)などがある。
4. たいこうき【太閤記】
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誤りは多い。なお、幕末に栗原柳庵が『太閤記』をはじめ多くの伝記をもとに、全三百六十巻にまとめた『真書太閤記』は、明治に入ってから完成した。このような『太閤記』を
5. たいこう‐き[タイカフ‥]【太閤記】
日本国語大辞典
【一】〔名〕(1)豊臣秀吉の一代記の総称。小瀬甫庵作の「太閤記」、「川角太閤記」「絵本太閤記」「真書太閤記」など、安土桃山・江戸時代の実録から、現代作家の作品に
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7. 太閤記(著作ID:42751)
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8. 太閤記(著作ID:1558481)
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10. 太閤記物
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11. たいこうき‐もの[タイカフキ‥]【太閤記物】
日本国語大辞典
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12. たいこうきもの【太閤記物】
歌舞伎事典
戦国時代末期の豊臣秀吉一代記に取材したもの。実録小説《真書太閤記》や寛政九(1797)年から享和二(1802)年に刊行された読本《絵本太閤記》などで知られた題材
13. 太閤記四国伐罸大合戦(著作ID:462544)
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15. 太閤記図譜(著作ID:1065958)
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17. 太閤記筆聯(著作ID:355873)
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18. 太閤記紫大徳寺焼香場(著作ID:461778)
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19. 太閤記略(著作ID:462339)
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20. 岩倉合戦(著作ID:1956338)
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21. 天正記(著作ID:379419)
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22. 『川角太閤記』
日本史年表
1621年〈元和7 辛酉〉 この年 川角三郎右衛門、 『川角太閤記』 を著す(~元和9年)。
23. かわすみたいこうき[かはすみタイカフキ]【川角太閤記】
日本国語大辞典
安土桃山時代の実録。五巻。川角三郎右衛門著。元和七~寛永二年(一六二一~二五)頃の成立か。豊臣秀吉の伝記「太閤記」の一種。嘉永元年(一八四八)、三宅
24. かわすみたいこうき【川角太閤記】
国史大辞典
)の関ヶ原の戦をもって筆を結ぶ。本編四巻・補遺一巻より成る。秀吉の伝記としても、小瀬甫庵の『太閤記』のように完成された形式をもつものではない。また、大村由己の『
25. しんしょたいこうき[シンショタイカフキ]【真書太閤記】
日本国語大辞典
実録風読物。一二編三六〇巻。栗原柳庵編。嘉永五年(一八五二)~慶応年間(一八六五~六八)の刊。一八世紀中葉頃から行なわれていた大坂の講談「太閤真顕記」をまとめた
26. 絵本太閤記(著作ID:920)
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27. 絵本太閤記(著作ID:4362539)
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28. 絵本太閤記(著作ID:4379779)
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29. 絵本太閤記大全(著作ID:714454)
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30. 絵本太閤記抜書(著作ID:4383251)
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31. 絵本太閤記目録(著作ID:3140645)
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32. 仮名読太閤記(著作ID:689714)
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33. 川角太閤記(著作ID:142201)
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34. 真書太閤記(著作ID:243301)
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35. 大閤記(著作ID:4408253)
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36. しんしょたいこうき【真書太閤記】
国史大辞典
太閤記(たいこうき)
37. あがり‐や【揚屋】
日本国語大辞典
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38. 秋山記行・夜職草 199ページ
東洋文庫
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39. 秋山記行・夜職草 228ページ
東洋文庫
記』に基づいて、江戸時代に作られた草隻紙類の読本の一。尭真書太閤記豊臣秀吉の伝記を中心とした戦記文学の一。『甫庵太閤記』五巻は太閤記物の祖といわれ、本書も江戸時
40. 秋山記行・夜職草 235ページ
東洋文庫
もって法橋に叙せられた。蔀関月の門人で、のち一格の画風を成し、専ら板刻画の妙手として知られた。『絵本太閤記』『楠公記』『琉球軍記』『国姓爺合戦』『住吉名勝図会』
41. あけちひでみつ【明智秀満】
国史大辞典
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42. 明智光秀
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43. あけちみつひで【明智光秀】
日本架空伝承人名事典
名である。[岩沢 愿彦]伝承と作品化 光秀のイメージは、江戸時代の文学や芸能における一連の「太閤記物」を通じて形成される。その場合、実名を使用するのをはばかって
44. あげ‐すど【揚簀戸】
日本国語大辞典
城門などに用いた。揚げ木戸。*日葡辞書〔1603~04〕「Aguesudo (アゲスド)」*太閤記〔1625〕四・前田又左衛門尉利家末森之城後攻之事「三之丸、外
45. あさやまいりんあん【朝山意林庵】
国史大辞典
月二日後光明天皇の勅により、布衣にして参内、『中庸』を講じたという。詩文集は残存せず、甫庵『太閤記』跋、『わらんべ草』の序と「道倫碑銘」などがある。朱子学の立場
46. あし‐なが【足長】
日本国語大辞典
本人天眼目抄〔1471~73〕「両脚をこぢ折てくれうは、脚長に雪峯の処へは行くまじい者を」*太閤記〔1625〕一二・相模国小田原氏政家伝之事「遠国の事なれば、あ
47. あじか‐うり【簣売】
日本国語大辞典
〔名〕簣(あじか)を売る行商人。*太閤記〔1625〕一五・秀吉公異形の御出立にて御遊興之事「江戸大納言家康卿は、あじかうりに成せられ」
48. あまがさき【尼崎】兵庫県:尼崎市
日本歴史地名大系
」金井文書)。このとき秀吉は尼崎の栖賢寺で髻を切り主君の弔合戦に臨む決意を固めたという(川角太閤記)。同一四年一二月には秀吉の九州出兵の兵粮米三〇万人分・馬糧二
49. あら‐ごなし【荒─・粗─】
日本国語大辞典
粗(アラ)ごなししたる石塊あり」(2)仕事に本格的に取りかかる前に、ざっと手を加えておくこと。*太閤記〔1625〕一九・元就群難之事「立華源太兵衛尉森脇豊前守相
50. あらま〓し【荒】
日本国語大辞典
ましき東男(あづまをとこ)の腰に物負へるあまた具して、下人も数多くたのもしげなる気色にて」*太閤記〔1625〕四・石動山由来之事「二千余之寺僧田舎のくせとし、武
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うつほ物語(宇津保物語)(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の物語。題名は首巻の「俊蔭」の巻で、主人公の仲忠が母と杉の洞穴で生活したことによる。従来「宇津保」と書かれていたが、変体仮名の原漢字を用いたもので、題意からは「うつほ(ウツオ)」がよい。成立時代は円融朝(969~984)~
落窪物語(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
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唐物語(国史大辞典・世界大百科事典)
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とりかへばや物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
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今鏡(世界大百科事典)
平安末期の歴史物語。10巻。《小鏡》《続世継》とも呼ばれる。1170年(嘉応2)成立。著者には中山忠親,源通親などが擬せられるが,未詳。《大鏡》の後を継ぐ書として,《大鏡》の記事が終わる後一条天皇の万寿2年(1025)から高倉天皇の嘉応2年までの13
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中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
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