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桃園天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『桃園天皇』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
桃園天皇
ももぞのてんのう
一七四一 - 六二
一七四七―六二在位。諱は遐仁(とおひと)、幼称ははじめ八穂宮(やほのみや)といい、のちに茶地宮(さちのみや)と改称。桜町天皇の第一皇子として寛保元年(一七四一)二月二十九日誕生。母は開明門院(権大納言姉小路実武の女定子)。延享二年(一七四五)十月女御舎子(青綺門院)の養子となり、同三年正月儲君治定、三月親王宣下、翌四年三月元服・立太子の儀を行い、ついで五月二日父天皇の譲位により践祚、九月二十一日即位礼を挙げた。これより在位十六年にして、宝暦十二年(一七六二)七月十二日崩御。享年二十二。時に儲君英仁親王(後桃園天皇)が幼少のため、代わって皇姉智子内親王(後桜町天皇)の践祚を治定の上、同月二十一日発喪あり、桃園院と追号し、京都泉涌寺山内に葬る。陵名を月輪陵と称する。なお追号の典拠は明らかでない。宝暦事件は宝暦七年一部廷臣の垂加流神道説進講に端を発するが、時に天皇は十七歳、すこぶるこの神道説に傾倒し、関白などの進講中止の諫奏を聞きいれず、その継続を求めてやまなかった。この事件は王政復古の暁鐘と評せられるが、一面天皇の旺盛な向学心と国体に対する自覚を示すものである。なお柳原紀光の随筆『閑窓自語』には、天皇の漢学の造詣の深いことは後光明天皇以来のことであるとの儒臣伏原宣条の追憶を載せ、また蹴鞠の作法のすぐれて優美であったことも伝えている。なお天皇の日記は、宝暦八年・九年・十一年・十二年の四ヵ年が伝存し、その宝暦八年七月二十四日条には、宝暦事件の処置に関する記載があり、天皇の憤懣を窺い知ることができる。→月輪陵(つきのわのみささぎ),→宝暦・明和事件(ほうりゃく・めいわじけん)
[参考文献]
帝国学士院編『宸翰英華』二、徳富猪一郎『近世日本国民史』
(武部 敏夫)


世界大百科事典
桃園天皇
ももぞのてんのう
1741-62(寛保1-宝暦12)

第116代に数えられる天皇。在位1747-62年。名は遐仁(とおひと)。桜町天皇の第1皇子で,1747年(延享4)3月立太子,同年5月践祚。好学の聞えが高く,漢学の造詣も後光明天皇以来と,侍読の臣が感嘆したという。在位の間に起きた宝暦事件は王政復古運動の暁鐘といわれるが,一面天皇の旺盛な向学心をうかがわせるものであった。この事件は57年(宝暦7)垂加流の神道家竹内式部に師事した徳大寺公城らの少壮公家がその神道説を天皇に進講したのが発端である。その説は尊王排幕に通じるものがあったので,事態を憂慮した関白らは天皇を強くいさめて進講を停止したが,天皇は翌年関白らを説得してこれを再開させた。しかし公城らは関白らと対立して策動したため,同年7月厳罰に処され,天皇の垂加流神道講習の素志も挫折することになった。
[武部 敏夫]

[索引語]
宝暦事件
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検索コンテンツ
1. 桃園天皇
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江戸中期の天皇(在位1747~62)。名は遐仁(とおひと)。幼時、八穂宮、のち茶地(さち)宮。桜町(さくらまち)天皇の第1皇子。生母は開明門院(姉小路実武の女( ...
2. 桃園天皇
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1741-62(寛保1-宝暦12) 第116代に数えられる天皇。在位1747-62年。名は遐仁(とおひと)。桜町天皇の第1皇子で,1747年(延享4)3月立太子 ...
3. ももぞの‐てんのう[‥テンワウ]【桃園天皇】
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第一一六代天皇。桜町天皇第一皇子。名は遐仁(とおひと)。母は藤原定子。延享四年(一七四七)六歳で即位。在位一六年。在位中、垂加神道を学んだ竹内式部から奥義を伝授 ...
4. ももぞのてんのう【桃園天皇】
国史大辞典
これより在位十六年にして、宝暦十二年(一七六二)七月十二日崩御。享年二十二。時に儲君英仁親王(後桃園天皇)が幼少のため、代わって皇姉智子内親王(後桜町天皇)の践 ...
5. 桃園天皇(ももぞのてんのう)
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6. ももぞのてんのう【桃園天皇】
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1741−1762 江戸時代中期,第116代天皇。在位1747-62。寛保(かんぽう)元年2月29日生まれ。桜町天皇の第1皇子。母は藤原定子(開明門院)。父の譲 ...
7. 桃園天皇[文献目録]
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8. 桃園天皇善蹴鞠 (見出し語:桃園天皇)
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9. 桃園天皇山陵 (見出し語:桃園天皇)
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10. 桃園天皇御製留(著作ID:4411155)
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11. 後桃園天皇
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12. ごももぞの‐てんのう[‥テンワウ]【後桃園天皇】
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13. ごももぞのてんのう【後桃園天皇】
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14. ごももぞのてんのう【後桃園天皇】
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1758−1779 江戸時代中期,第118代天皇。在位1771*-79。宝暦8年7月2日生まれ。桃園天皇の第1皇子。母は藤原富子(恭礼門院)。伯母の後桜町天皇の ...
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16. 後桃園天皇(ごももやまてんのう)
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17. 後桃園天皇御不例御祈伊勢一社奉幣(著作ID:2685430)
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18. 後桃園天皇即位御祈文書(著作ID:2685441)
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19. 後桃園天皇大喪記(著作ID:4396577)
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20. あきばでら【秋葉寺】
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21. いんげんりゅうき【隠元隆〓
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22. うえまつまさひさ【植松雅久】
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23. えいじょじょおう【栄恕女王】
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寛延2年4月2日生まれ。宝暦4年大和(奈良県)の真言宗中宮寺の門跡(もんぜき)をつぐ。10年桃園天皇の養女となり,翌年高野山北室院の法覚のもとで得度。明和6年灌 ...
24. えいにんにゅうどうしんのう【盈仁入道親王】
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1764−1831* 江戸時代中期-後期,閑院宮典仁(すけひと)親王の第7王子。明和元年10月8日生まれ。後桃園天皇の養子で,天台宗聖護院門跡(もんぜき)の忠誉 ...
25. えっちゅうしりょう【越中史料】
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天皇(天正十四年)まで。第二巻は後陽成天皇(同十五年)より桜町天皇(延享三年)まで、第三巻は桃園天皇(同四年)より明治天皇(明治四年)まで。第四巻は明治天皇(同 ...
26. 江戸参府随行記 252ページ
東洋文庫
桜町院〔桜町天皇〕:…二七三六-四六年。 桃園院〔桃園天皇〕……一七四七-六一年。 仙洞御所〔後桜町天皇〕……一七六二-六九年。 東山院〔後桃園天皇〕…… ...
27. えどじだい【江戸時代】 : 朝幕関係
国史大辞典
制していた秩序は弛緩した。宝暦事件は、徳大寺公城の家来竹内式部に学んだ天皇側近の公家たちが、桃園天皇に『日本書紀』などを進講したのに対し、式部門下の公家たちを関 ...
28. おおぎまちさんじょうきんつむ【正親町三条公積】
国史大辞典
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29. おおぎまちさんじょう-きんつむ【正親町三条公積】
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30. 御点取(著作ID:121073)
新日本古典籍データベース
おてんとり 桃園天皇(ももぞのてんのう) 等 作 桜町天皇(さくらまちてんのう) 等 点 和歌  ...
31. おりひとしんのう【織仁親王】
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32. かいめいもんいん【開明門院】
国史大辞典
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33. かいめいもんいん【開明門院】
日本人名大辞典
江戸時代中期,桃園天皇の生母。享保(きょうほう)2年7月18日生まれ。姉小路実武(さねたけ)の娘。桜町天皇につかえて典侍(ないしのすけ)となり,寛保(かんぽう) ...
34. かきもとじんじゃ【柿本神社】島根県:益田市/高津村
日本歴史地名大系
古今伝授にあたり当社に祈祷を命ぜられた。のちに宸筆の御製を奉納された。御製は霊元上皇・桜町天皇・桃園天皇・後桜町天皇・光格天皇・仁孝天皇まで、各時代の御製五〇枚 ...
35. かでのこうじ-すけもち【勘解由小路資望】
日本人名大辞典
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36. からすまるみつたね【烏丸光胤】
国史大辞典
六十歳。法名を竜泉院宗亀卜山といい、京都太秦の菩提寺法雲院に葬る。和歌を善くして古今伝授を受け、桃園天皇の歌書御習学に参仕し、また蟄居赦免ののちは後桜町上皇の御 ...
37. 寛延四年九月九日重陽御会(著作ID:4375355)
新日本古典籍データベース
かんえいよねんくがつここのかちょうようぎょかい 桃園天皇(ももぞのてんのう) 近衛内前(このえうちさき) 二条宗基(にじょうむねもと) 等 和歌 寛延四 ...
38. かんえん[クヮンエン]【寛延】
日本国語大辞典
江戸時代中期、桃園天皇の代の年号。延享五年(一七四八)七月一二日、代始により改元。寛延四年(一七五一)一〇月二七日、宝暦(ほうれき)と改元。九代将軍徳川家重の時 ...
39. かんえん【寛延】
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桃園天皇の時の年号(一七四八―五一)。延享五年七月十二日改元。即位による。式部大輔菅原為範の勘申。出典は『文選』「開〓寛裕之路 ...
40. 寛延三年正月二十四日御会始(著作ID:315504)
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41. 寛政二年正月二十四日和歌御会始(著作ID:4370875)
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かんせいにねんしょうがつにじゅうよっかわかぎょかいはじめ 光格天皇(こうかくてんのう) 後桃園天皇(ごももぞのてんのう) 鷹司輔平(たかつかさすけひら) 等 詠 ...
42. きょうほうねんかんさんりょうし【享保年間山陵誌】
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43. きょうらいもんいん【恭礼門院】
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月二十六日桃園天皇の女御として入内、翌日女御宣下あり、同九年三月二十一日准三宮宣下を受ける。天皇との間には後桃園天皇および貞行親王の二皇子あり、同十二年七月天皇 ...
44. きょうらいもんいん【恭礼門院】
日本人名大辞典
1743−1796* 江戸時代中期,桃園天皇の女御。寛保(かんぽう)3年2月4日生まれ。一条兼香(かねか)の娘。宝暦5年入内(じゅだい)し,英仁親王,貞行親王を ...
45. 御会始和歌/宝暦十一年(著作ID:883772)
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ぎょかいはじめわか/ほうりゃくじゅういちねん 桃園天皇(ももぞのてんのう) 近衛内前(このえうちさき) 九条尚実(くじょうなおざね) 等 詠  ...
46. 御会和歌(著作ID:4378972)
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ぎょかいわか 桜町天皇(さくらまちてんのう) 桃園天皇(ももぞのてんのう) 詠 和歌 寛延二 ...
47. 御製百首留(著作ID:4388226)
新日本古典籍データベース
ぎょせいひゃくしゅとめ 桃園天皇(ももぞのてんのう) 和歌  ...
48. けいざんじょうきん【瑩山紹瑾】画像
国史大辞典
も占拠するに至り、一万数千ヵ寺に及ぶ曹洞宗全教団発展の基本的な体制をかためるに至った。江戸時代になって後桃園天皇から弘徳円明国師、さらに明治天皇から常済大師と諡 ...
49. 公宴御会和歌(著作ID:4378784)
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こうえんぎょかいわか 桃園天皇(ももぞのてんのう) 職仁親王(よりひとしんのう) 飛鳥井雅香(あすかいまさか) 等 詠 和歌 寛延四 ...
50. こうえんにゅうどうしんのう【公延入道親王】
日本人名大辞典
1762−1803 江戸時代中期-後期,典仁(すけひと)親王の第4王子。宝暦12年11月4日生まれ。後桃園天皇の養子。安永6年公遵(こうじゅん)入道親王の弟子と ...
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