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後水尾天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『後水尾天皇』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
後水尾天皇
ごみずのおてんのう
一五九六 - 一六八〇
一六一一―二九在位。慶長元年(一五九六)六月四日後陽成天皇の第三皇子として誕生。母は関白近衛前久の女前子(中和門院)。諱は政仁(ことひと、初訓「ただひと」)。同五年十二月二十一日親王宣下、同十六年三月二十七日父天皇の譲りを受けて践祚し、四月十二日即位礼を挙げた。この後、元和六年(一六二〇)六月将軍徳川秀忠の女和子を納れて女御とし、ついで寛永元年(一六二四)十一月久しく絶えていた立后の儀が行われた。在位十九年にして、同六年十一月八日俄かに皇后所生の女一宮興子内親王(明正天皇)に譲位し、爾来院にあること五十二年、その間慶安四年(一六五一)五月落飾して法名を円浄と称したが、延宝八年(一六八〇)八月十九日八十五歳をもって崩御。追号は遺詔によって後水尾院といい、陵は京都泉涌寺山内にあって、月輪陵と称する。天皇の在位時は、徳川幕府の創業期にあたり、時に新しい朝幕関係の確立を目指した徳川幕府は、元和元年七月『禁中并公家諸法度』を定めて朝廷抑制の方針を制度化したが、さらに四辻季継らの配流や紫衣事件のごとき朝廷の内政・特権に対する露骨な干渉も相ついで行われた。このため天皇は憤懣抑えがたく、あえて幕府に諮ることなく譲位を決行したのであった。いま東山御文庫に伝存する天皇宸筆の御教訓書に、特に武家専権の世であることに言及して、この時世にあっては〓心をつつしむことが肝要であると説いているのは、体験にもとづく訓戒として意義深いものがある。天皇の在世時はまた文芸復興の機運にみちた時代で、朝廷にあっても文学・芸術にすぐれた公家衆が輩出した。天皇も深く文芸を好み、みずから『源氏物語』その他の古典を侍臣に講ずるとともに、宮中に学問講と称する学芸稽古の式日を設けて、廷臣の講習を奨励した。また和歌・連歌・漢詩・書道をはじめ、茶道・華道・香道あるいは絵画などにも長じ、ことに和歌・書道については、戯れに「手も少しは書く、歌も相応にはよむ」(『槐記』)と自讃している。勅版『皇朝類苑』の刊行もまた天皇の好学の一端を示すものである。さらに朝儀の復興にも意を用い、踏歌節会・殿上淵酔などの儀を復する一方、『当時年中行事』のごとき朝儀公事に関する著作も遺している。天皇は譲位の後、幕府に対する憤懣を仏道の研鑽に転じ、特に心を禅宗に留め、一絲文守・沢庵宗彭・愚堂東寔・竜渓性潜などに帰依して大いに参究の功を積んだ。竜渓の語録『宗統録』の出版に際して勅序を賜わったことをはじめ、修道に関する逸事も少なくない。なお、修学院離宮が天皇の計画・設計になることは著名である。御製は千数百首の多数に及び、御集を『鴎巣集』という。また御撰の著作は四十余をかぞえる。→紫衣事件(しえじけん),→月輪陵(つきのわのみささぎ)
[参考文献]
和田英松『皇室御撰之研究』、帝国学士院編『宸翰英華』二、熊倉功夫『後水尾院』(『朝日評伝選』二六)、辻善之助「後水尾天皇の御信仰」(『日本仏教史之研究』続編所収)
(武部 敏夫)


世界大百科事典
後水尾天皇
ごみずのおてんのう
1596-1680(慶長1-延宝8)

第108代に数えられる天皇。在位1611-29年。諱(いみな)は政仁(ことひと)。後陽成天皇の第3皇子。母は中和門院近衛前子。1611年(慶長16)後陽成天皇のあとをうけて即位。20年(元和6)将軍徳川秀忠の女和子(まさこ)を女御とし,24年(寛永1)中宮とした。のちの東福門院がこれで,外戚となった徳川氏は皇居を造営し,1623年には新たに1万石の御料を進める(〈新御料〉)など尊崇の意を表しながらも,禁中並公家諸法度(1615制定)や所司代,付武家などを通して種々の干渉を加えた。ことに27年の紫衣(しえ)事件は朝廷の面目を完全につぶすものであったのみならず,29年には将軍家光の乳母福(春日局)が無位無官の身で拝謁するという前例のないことが敢行され,積年の幕府に対する天皇の不満を爆発させる契機となり,同年11月8日,突如,和子所生の興子内親王(明正天皇)に譲位。在位18年,明正・後光明・後西・霊元の4天皇,51年にわたり院政をしいた。51年(慶安4)剃髪。法名は円浄。学問を好み,智仁親王,烏丸光広,中院通村らに《伊勢物語》《源氏物語》《古今和歌集》《詠歌大概》などを進講させ,ときにみずからも廷臣に講義し,《伊勢物語御抄》などを著作。1621年には勅して《皇宗(こうそう)事宝類苑》を刊行させ廷臣や学者らに与えた。和歌,連歌を好み,古今伝授を智仁親王より受け,歌集を《鷗巣(おうそう)集》といい,俳名を玉露と称する。修学院離宮の造営でも知られる。
[橋本 政宣]

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26. あきこじょおう【明子女王】
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34. あすかいまさあき【飛鳥井雅章】
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同十年まで武家伝奏の職にあり、延宝五年(一六七七)従一位に叙せらる。家学の和歌を能くして、後水尾天皇より古今伝授を受け、同家では雅親以来の名手と評せられている。 ...
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に任ぜらる。家業の和歌・蹴鞠二道を受けついで世に著われ、昭高院准后道澄より古今伝授を受け、後水尾天皇の蹴鞠師範を奉仕した。また書道を能くし、藤木成定より入木道伝 ...
36. 阿茶局
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下ろさなかった。1620年、秀忠の五女和子(かずこ・まさこ)(東福門院(とうふくもんいん))が後水尾天皇(ごみずのおてんのう)のもとに入内したときは、和子の母代 ...
37. 阿茶局
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りや23年の皇女(明正天皇)誕生のおりの生母和子への近侍,また家光時代の26年(寛永3)の後水尾天皇二条城行幸に際して,送迎・饗応の万般に関与した。北原 章男  ...
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庫ほか 解説 赤堀良亮は徳島藩の鷹匠。内容は阿波国中の神社の由緒(巻一・巻二)、神代から後水尾天皇までの歴代天皇の事歴に阿波の国司・守護の補任、大名の事歴を加 ...
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その称は親王の養母新上東門院の居所高松殿に由来する。世襲親王家の一つ。好仁親王には嗣子がなく,後水尾天皇の皇子良仁親王が第2代を相続して花町宮と称したが,のち皇 ...
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二年(一六二五)十月、高松宮の称号を賜わって一家を創立したのに始まる。親王には王子がなく、後水尾天皇の皇子良仁親王(のちの後西天皇)が相続して花町宮・桃園宮とも ...
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44. 井伊靱負へ下さるゝ硯の銘(著作ID:4358170)
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寛永6年七夕(たなばた)に催された「紫宸殿御立華(ししんでんごりっか)」会はとくに名高く、後水尾天皇以下諸公卿(くぎょう)の出瓶(しゅっぺい)があり、前者の会は ...
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たという。しかし、一般に専好といえば二代目専好のことで、立花の大成者である。江戸時代初期、後水尾天皇を中心とした立花を愛好する機運にのって専好はすぐれた立花の技 ...
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49. いけばな
国史大辞典
自然のままにいけることを強調した。江戸時代初期、不世出の名人といわれる池坊専好の出現と相まって、後水尾天皇を中心にした人々の立花を愛好する機運が立花の画期的な発 ...
50. いけ花画像
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『土御門泰重卿記(つちみかどやすしげきょうき)』にもみられるとおり、あまりにできばえがすばらしかったので、後水尾天皇から見にくるように招請があったほど、当時評判 ...
「後水尾天皇」の情報だけではなく、「後水尾天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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