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後陽成天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『後陽成天皇』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
後陽成天皇
ごようぜいてんのう
一五七一 - 一六一七
一五八六―一六一一在位。元亀二年(一五七一)十二月十五日正親町天皇の皇子誠仁親王(陽光太上天皇)の第一王子として誕生。母は贈左大臣勧修寺晴右の女晴子(新上東門院)。初名和仁(かずひと)、慶長三年(一五九八)十二月周仁(かたひと)と改名。父親王が皇位を継承しないうちに没したため、代わって皇儲に定められ、天正十四年(一五八六)九月十七日立親王の後、十一月七日祖父天皇の譲りを受けて践祚し、同月二十五日即位礼を挙げた。在位二十六年を数え、慶長十六年三月二十七日政仁親王(後水尾天皇)に譲位。元和三年(一六一七)八月二十六日、四十七歳をもって崩御。後陽成院と追号し、京都深草の深草北陵に葬った。天皇の在位は、豊臣秀吉の全国平定から徳川家康の政権確立に至る年代で、公家社会が多年の衰微を脱して安定を得たときであり、天正十六年の聚楽第行幸は朝廷の回復を眼のあたりに示す威儀であった。このような時世にあって、天皇は朝儀の故実に精しく、公事儀式の復興に意を用いたが、また深く学問を好み、しばしば『伊勢物語』『源氏物語』などの古典を侍臣に講じ、述作も少なくない。和歌・書道・絵画も堪能で、古今集秘説の湮滅を惜しみ、勅使を派して細川幽斎を田辺城から退陣せしめたことは、歌道尊重の事蹟として著名である。また木製活字を作らせて、『古文孝経』『錦繍段』『勧学文』『日本書紀神代巻』『職原抄』その他和漢の古典数種を印行せしめた。すなわち慶長勅版で、その文化史上の意義はすこぶる大きい。天皇の崩御に際し、廷臣中院通村は特に和漢の才を称え、炬火の滅した思いがすると痛嘆の意を日記に書き留めている。御撰には『伊勢物語愚案抄』『百人一首抄』『詠歌之大概抄』『名所方輿勝覧』その他、御製には『後陽成院製詠五十首』その他があり、日記は慶長六年正月叙位記、同七年正月四方拝・小朝拝・叙位の記などが伝えられる。→深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
[参考文献]
『大日本史料』一二ノ二七 元和三年八月二十六日条、帝国学士院編『宸翰英華』一、辻善之助『御歴代の聖徳に就いて』
(武部 敏夫)


世界大百科事典
後陽成天皇
ごようぜいてんのう
1571-1617(元亀2-元和3)

第107代に数えられる天皇。在位1586-1611年。諱(いみな)は和仁,のち周仁(かたひと)。正親町(おおぎまち)天皇の皇子誠仁(さねひと)親王の第1子。母は新上東門院勧修寺晴子。正親町天皇のあとをうけて即位し,第3皇子政仁親王(後水尾天皇)に譲位。在位中は,豊臣秀吉の皇室奉戴の政策により朝廷の尊厳が一応回復をみる一方,近世封建制のなかに組み込まれていく過程でもあった。秀吉の奏請により1588年(天正16)4月聚楽第に行幸。そのとき,秀吉より京中の銀地子5500両余が御料として献じられた。これらの禁裏御料の献納によりようやく皇室経済が安定するに至り,1601年(慶長6)徳川家康は1万石の御料所を献じた。学問を好み,舟橋秀賢をして四書を進講させ,また廷臣に《伊勢物語》《源氏物語》などを講義。能書家であり,和歌をよくしたが,文化史上の不朽の業績は勅版の刊行で,《勧学文》《錦繡段》《日本書紀神代巻》《古文孝経》《大学》《職原抄》など広範囲に及び,慶長勅版として近世の文芸復興に大きく貢献した。皇弟智仁親王に譲位の意向があったが,家康の反対でならず,さらに09年の猪熊事件に対する家康の処置が天皇の意にかなわず,しだいに幕府との関係に円滑を欠き,憤慨のあまりついに11年譲位。日記に《後陽成天皇宸記》(慶長6年1月)がある。
[橋本 政宣]

[索引語]
禁裏御料 慶長勅版
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検索ヒット数 459
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本殿は慶長九年(一六〇四)徳川家康の造営にして、重層五間四面の四注造の、いわゆる浅間造である。社宝には後陽成天皇宸翰・武田信玄願文・太刀(備前国長船住景光)・脇 ...
26. 排蘆小船(近世随想集) 268ページ
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32. 有栖川宮
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34. 有栖川宮家 系図[図版]画像
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後陽成天皇 後水尾天皇 好仁親王 良仁親王 (後西天皇) 幸仁親王 正仁親王 音仁親王 霊元天皇 職仁親王 織仁親王 韶仁親王 幟仁親王 熾仁親王 威仁親王 栽 ...
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路島の三条村とが何らかのつながりを持って始まったと思われる。元亀元年(一五七〇)京に上り、後陽成天皇の天覧に供し、淡路大掾を受領した上村源之丞の家を中心に、江戸 ...
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を持っている。(2)長く続いた内乱を制し日本を統一した家康は、学問を奨励した。当時の朝廷(後陽成天皇)も学を好み、家康にあわせて勅版の史書を刊行した。この学問復 ...
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で類焼したが、九谷焼の祖後藤才次郎作と伝える陶製金剛童子立像(国指定重要文化財)のほか、伝後陽成天皇宸筆掛軸・伝兆殿司筆十六羅漢像・伝弘仁期大日如来像などを寺宝 ...
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45. 伊勢物語御講釈聞書(著作ID:93367)
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46. いちじょうあきよし【一条昭良】
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一六〇五―七二 江戸時代前期の公家。慶長十年(一六〇五)四月二十六日後陽成天皇第九皇子として誕生。母は中和門院前子。幼称を九宮という。同十四年正月、前関白一条 ...
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48. いちじょういん【一乗院】 : 興福寺
国史大辞典
物として千四百九十二石を充行われて近世朱印領主寺院として確立した。慶長十五年(一六一〇)、後陽成天皇皇子十宮が近衛家猶子として入室して、のち尊覚法親王となり、以 ...
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日本大百科全書
兼良の子で興福寺大乗院門跡(もんぜき)に入った尋尊(じんそん)も有名である。近世初めには、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の皇子兼遐(かねとお)(昭良(あきよし ...
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継ぎ,江戸時代末まで他の五摂家と並んで摂関の任に就き,明治に入って華族に列し,公爵を授けられた。その間,後陽成天皇の皇子昭良(初名兼遐)が内基の嗣に迎えられ,忠 ...
「後陽成天皇」の情報だけではなく、「後陽成天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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