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土御門天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『土御門天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
土御門天皇
つちみかどてんのう
一一九五 - 一二三一
一一九八―一二一〇在位。諱は為仁。後鳥羽天皇の第一皇子。母は内大臣源通親女の在子(のち承明門院)、実は法印能円の女ともいう。建久六年(一一九五)十一月一日(または十二月二日)生まれる。同九年正月十一日、四歳で践祚、三月三日即位礼。承元四年(一二一〇)十一月二十五日、後鳥羽上皇の命令により、皇弟の順徳天皇に譲位した。父後鳥羽上皇の討幕計画には関与しなかったので、承久の乱後、鎌倉幕府が後鳥羽・順徳両上皇を配流した際にも罪は問われなかった。しかし、ひとり京都にとどまるのを潔しとせず、みずから幕府へ申し出て、承久三年(一二二一)閏十月、土佐国に遷った。その際、右近衛少将源雅具らが供奉した。土佐国は封米が不足したようで、一年半ほどのちの貞応二年(一二二三)五月、隣国の阿波国に遷った。その間、嘉禄元年(一二二五)ころ、土御門上皇還京の風説が京都に流れたり、安貞元年(一二二七)二月、幕府が阿波守護小笠原長経をして上皇の御所を造営させたり、また同年閏三月には、熊野の衆徒が上皇を迎えようとして兵船で阿波に攻め寄せたりしている。やがて寛喜三年(一二三一)十月六日、不予により出家、法名は行源。続いて同月十一日、阿波国板野郡池谷で崩御、近くの里浦で火葬された。三十七歳。天福元年(一二三三)十二月、母の承明門院が、山城国金原に法華堂を建立、土御門天皇の遺骨を移葬している。配流地に因んで、土佐院・阿波院などとよばれる。詩歌にもすぐれ、『土御門院御百首』『土御門院御集』をはじめ、その作品は『和漢兼作集』や勅撰集(『続後撰和歌集』など)にも散見される。
[参考文献]
『大日本史料』五ノ七 寛喜三年十月十一日条
(山口 隼正)

金原陵(かねがはらのみささぎ)

京都府長岡京市金ヶ原金原寺にある。阿波国の行宮で崩御、その地で火葬され、遺骨は崩御から二年を経た天福元年(一二三三)十二月十二日に金原の御堂に納められた。御堂は天皇の生母承明門院源在子が、遺詔に従って京都の西南にあたる西山山麓の金原に営建したもので、金原御堂とも、金原法華堂ともいわれる。こののち、天皇の即位や元服などの際には告陵使が発遣され、蒙古襲来の時には当陵に国土の安泰を祈請している。いつのころからか御堂は亡び、嵯峨二尊院の後山にある石塔が陵所に擬されたこともあったが、『歴代廟陵考補遺』は大石の顕われた石塚と称する小丘を御堂の跡地と考定、幕末の修陵の際には御堂の八角形の跡地を陵所として修治を加えた。火葬塚は徳島県鳴門市大麻町池谷字大石にあるが、同市里浦町にもその伝承地がある。
[参考文献]
『大日本史料』五ノ七 寛喜三年十月十一日条、同五ノ九 天福元年十二月十二日条、上野竹次郎『山陵』下
(戸原 純一)

所領

後院領を父後鳥羽上皇から伝領したが、なお出雲国杵築社(出雲大社)領も譲られたであろう。承元二年(一二〇八)十一月、鎌倉幕府は北島孝元を杵築社権検校・祝師および御供所別当職に補任するよう、同社の領家坊城家に要望した(『吾妻鏡』)。孝元の父資忠は、源頼朝に対し大功があったので、上の職に補せられたが、その先例によって推挙したという。すでに杵築社領は、後白河上皇領であり、後鳥羽上皇に伝わり、土御門天皇領に移ったものであろう。建保二年(一二一四)八月に土御門院庁は、中原孝高の乱妨を停め、出雲国造孝綱を杵築大社神主ならびに惣検校職に補任している(『北島文書』)。承久の乱ののち本社領は没収されるが、後鳥羽上皇後宮の承明門院源在子(土御門天皇母)の所領となり、のち室町院に譲られ、さらに北朝方に移り、山科氏が代官となった。杵築社領は除田を除き、二百九十町余から、土御門院庁に千百石余を納めている。土御門天皇所領は現存の史料だけでは僅少すぎるようである。
[参考文献]
奥野高広『皇室御経済史の研究』、網野善彦「荘園公領制の形成と構造」(『体系日本史叢書』六所収)、永原慶二「荘園制の性格について」(『日本封建制成立過程の研究』所収)
(奥野 高広)


日本大百科全書(ニッポニカ)
土御門天皇
つちみかどてんのう
[1195―1231]

第83代の天皇(在位1198~1210)。名は為仁(ためひと)。後鳥羽(ごとば)天皇の第一皇子。母は源通親(みちちか)の女(むすめ)在子(ざいし)(承明門院(しょうめいもんいん))。建久(けんきゅう)6年12月2日誕生。後鳥羽天皇の譲位を受けて4歳で即位。16歳のとき弟の守成(もりなり)親王(順徳(じゅんとく)天皇)に譲位。1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱では、討幕計画に積極的に参画はしていなかったが、乱後、後鳥羽・順徳両上皇が配流されると、土御門上皇も自ら望んで土佐(高知県)に配流され、ついで阿波(あわ)(徳島)に移り、寛喜(かんぎ)3年10月11日配所に没した。優れた歌人でもあった。御陵は京都府長岡京市の金原(かねがはら)陵。
[山本博也]



世界大百科事典
土御門天皇
つちみかどてんのう
1195-1231(建久6-寛喜3)

第83代に数えられる天皇。在位1198-1210年。名は為仁(ためひと)。後鳥羽天皇の第1皇子。母は源通親の娘在子(承明門院)。1198年(建久9)後鳥羽天皇の皇太子となり,即日受禅。1210年(承元4)後鳥羽上皇の命により順徳天皇に譲位。父上皇の討幕計画には加わらなかったが,承久の乱後,みずから進んで土佐に流され,のち阿波に移って同所で没した。阿波国板野郡里浦で火葬に付し,遺骨は現京都府長岡京市の金原(かねがはら)陵に葬する。土佐院・阿波院とも称する。
[杉橋 隆夫]

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国史大辞典
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