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堀河天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『堀河天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
堀河天皇
ほりかわてんのう
一〇七九 - 一一〇七
一〇八六―一一〇七在位。白河天皇の第二皇子。母は関白藤原師実の養女、皇后賢子(実父は右大臣源顕房)。承暦三年(一〇七九)七月九日誕生。同年十一月親王宣下あり、善仁と命名。応徳三年(一〇八六)十一月二十六日立太子、即日父帝の禅りを受けて践祚した。同年十二月十九日大極殿に即位の礼を挙げ、在位二十二年に及んだが、嘉承二年(一一〇七)七月十九日、二十九歳をもって貴賤男女哀悼のうちに堀河殿に崩じた。同月二十四日、堀河院と追号、火葬して香隆寺に納骨したが、永久元年(一一一三)三月、仁和寺中に改葬した。天皇は温厚仁慈、「末代ノ賢王」(『続古事談』)とたたえられ、和歌管絃の道に長じ、特に笙・笛を能くして、それにまつわる逸話を多く遺している。なお、天皇の践祚後も白河上皇が院中に政を聴いたので、それをもって院政の開始とするのが普通であり、また村上源氏が外戚の縁により朝廷に強固な勢威を築いたのも、その治世の特色の一つである。
[参考文献]
『大日本史料』三ノ九 嘉承二年七月十九日条
(橋本 義彦)

後円教寺陵(のちのえんきょうじのみささぎ)

京都市右京区竜安寺朱山の竜安寺内北東部にあり、一条天皇陵の西に並ぶ。堀河天皇遺骸は、嘉承二年(一一〇七)七月二十四日香隆寺南西の野で火葬、翌朝拾骨。遺骨は円融院内に埋納の予定であったが、同所が三年間凶方にあたるため、仮に香隆寺僧房に安置し、火葬所には塚を築き、上に石卒都婆を建てた。永久元年(一一一三)三月二十二日遺骨を香隆寺より仁和寺円融院内に移して埋葬し、塚を築いて三重石塔を建て、塔中に『法華経』、陀羅尼などを納めた。当所は、『本朝世紀』久安五年(一一四九)十二月二十五日条に、「後円教寺」と号すとある。のち所伝を失い、元禄の諸陵探索報告書は陵場所相知れずとする。こののち陵・火葬塚の所在について種々の説が出、幕末の修陵にあたり、一条天皇陵とともに現陵を考定、火葬塚は衣笠村等持院の四角塚(京都市北区等持院東町)に考定した。元治元年(一八六四)当陵と一条天皇陵に各拝所を設けたが、大正元年(一九一二)二陵を中央にして土塁をめぐらし、南面の二陵共用の一拝所に改造した。墳丘は径約二〇メートル、高さ四メートル余の円墳で、一条天皇陵墳丘西側に接し、樹木が覆う。三重石塔はない。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ一五 寛仁四年六月十六日条、同三ノ九 嘉承二年七月二十四日条、同三ノ一四 永久元年三月二十二日条、上野竹次郎編『山陵』下
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
堀河天皇
ほりかわてんのう
[1079―1107]

平安後期の天皇(在位1086~1107)。名は善仁(たるひと)。承暦(じょうりゃく)3年7月9日生まれ。白河(しらかわ)天皇の第2皇子、母は源顕房(あきふさ)の娘賢子(けんし)(藤原師実(もろざね)の養女となる)。1085年(応徳2)に、後三条(ごさんじょう)天皇の遺子で皇太子であった実仁(さねひと)親王が病死した。白河天皇は、自分の皇子を皇位につける絶好の機会とみて、翌年8歳の善仁親王を皇太子とし、続いて皇位につけた。幼帝のため外祖父(がいそふ)である関白(かんぱく)師実が摂政(せっしょう)となったが、政治的実権は上皇となった白河が握り、院政を行った。大江匡房(まさふさ)は「今の世のことは上皇の御気色を仰ぐべきか」とその日記で評したが、天皇は成人するにつれて上皇と対立するようになっていった。嘉承(かしょう)2年7月19日死去。墓は京都市右京区龍安寺朱山(りょうあんじしゅやま)の円教寺後陵(えんきょうじのちのりょう)。
[川島茂裕]



世界大百科事典
堀河天皇
ほりかわてんのう
1079-1107(承暦3-嘉承2)

第73代に数えられる天皇。在位1086-1107年。白河天皇第2皇子,母は中宮賢子(源顕房女,藤原師実養女)。諱(いみな)は善仁(たるひと)。白河天皇の次の東宮には父後三条院の意志で白河天皇の弟実仁親王が立ったが,後三条院は実仁の次にはその弟輔仁をという意向であったと伝えられる。1085年(応徳2)実仁親王が病没すると白河天皇は輔仁親王を東宮に立てず,翌年8歳の善仁親王を東宮とし即日譲位して院政を開始した。89年(寛治3)元服。天皇は資性すぐれ,音楽や和歌に造詣深く,政務にも熱心で,摂関家や貴族の支持もあり,白河院政には批判的で,その治世中は白河院の専制体制は確立しなかった。陵は後円教寺陵(京都市右京区)。
[黒板 伸夫]

[索引語]
白河天皇(院)
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国史大辞典
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35. あさのしょう【厚狭庄】山口県:厚狭郡/山陽町/厚狭村
日本歴史地名大系
御祖神社(現京都市左京区の下鴨神社)の社領。「百錬抄」の寛治四年(一〇九〇)七月一三日条に、堀河天皇が御供田として賀茂上下両社に六〇〇余町の不輸租田を寄付したと ...
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38. 排蘆小船(近世随想集) 373ページ
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平時範に荘務を執行させる旨の中宮職庁下文(朝野群載)に「味岡荘」とあるのを初見とする。当時の堀河天皇中宮は後三条皇女篤子で、白河天皇の妹である。後に室町院(後堀 ...
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日本国語大辞典
堀河天皇の皇后。藤原公房の娘。名は有子。貞応二年(一二二三)皇后に立ち、三年後院号を定められる。承元元~弘安九年(一二〇七~八六) ...
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46. あんてい【安貞】
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