NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 政治
  8. >
  9. 天皇
  10. >
  11. 敏達天皇

敏達天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『敏達天皇』の日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
敏達天皇
びだつてんのう
[?―585]

6世紀中葉の天皇で、記紀では第30代に数えられる。『日本書紀』によれば在位は14年間とする。渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと))、譯語田(おさた)天皇ともいう。息長真手(おきながまて)王の娘広姫(ひろひめ)を后(きさき)としたが薨(こう)じ、ついで豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)(後の推古(すいこ)天皇)を后とする。『日本書紀』には朝鮮三国(高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ))との交渉、造仏関係、あるいは吉備白猪(きびしろい)の屯倉(みやけ)に関する「田部の名籍」の伝えなどを、その治世におけるできごととして記している。墓は河内(かわち)の磯長(しなが)中尾陵(大阪府太子(たいし)町)とする。
[上田正昭]

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


敏達天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 509
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. びたつ‐てんのう[‥テンワウ]【敏達天皇】
日本国語大辞典
第三〇代の天皇(在位五七二~五八五年)。名は訳語田渟中倉太珠敷尊(おさだのぬなくらふとたましきのみこと)。欽明天皇の第二皇子。母は石姫皇女。皇后は豊御食炊屋姫尊 ...
2. 敏達天皇(びたつてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 8ページ ...
3. 敏達天皇
日本大百科全書
6世紀中葉の天皇で、記紀では第30代に数えられる。『日本書紀』によれば在位は14年間とする。渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと ...
4. びだつてんのう【敏達天皇】
国史大辞典
葬之陵也」と二陵の陵号を磯長陵とするが、『延喜式』諸陵寮は陵号と墓号に分記し、現陵号の項は「訳語田宮御宇敏達天皇、在〓河内国石川郡 ...
5. びだつてんのう【敏達天皇】
日本人名大辞典
はかるがみのらず,また疫病流行がおさまらないのは,蘇我(そが)氏が仏法をひろめたためとして,排仏を実行した。敏達天皇14年8月15日死去。墓所は河内磯長中尾陵( ...
6. あがたのいぬかいのみちよ【県犬養三千代】
国史大辞典
―七三三 奈良時代の女性。藤原不比等の妻、光明皇后の母。従四位下県犬養宿禰東人の女で、はじめ敏達天皇の曾孫にあたる美努王に嫁し、葛城王(橘諸兄)・佐為王(橘佐為 ...
7. あしきたぐん【葦北郡】
国史大辞典
南部は水俣市域となっている。郡名の初見は『続日本紀』天平十六年(七四四)五月条であるが、『日本書紀』敏達天皇十二年条には「火葦北国造刑部靫部阿利斯登之子、臣達率 ...
8. あしきたぐん【葦北郡】熊本県
日本歴史地名大系
任那日本府の滅亡後、百済にあって外交折衝をしていた葦北出身の高官達率日羅が呼返されている。「日本書紀」敏達天皇一二年条に「火葦北国造刑部靫部阿利斯登の子、臣、達 ...
9. あしきたのくにのみやつこ【葦北国造】
国史大辞典
したが朝鮮半島経営にも参画していて、『日本書紀』敏達天皇十二年条によれば、葦北国造阿利斯登の子の日羅(にちら)は百済でその賢勇を謳われ、敏達天皇は任那恢復につい ...
10. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
想定する見解による)555(欽明16)白猪屯倉を設置562(欽明23)新羅、任那日本府を滅ぼす572(敏達1)敏達天皇即位587(用明2)蘇我馬子、物部守屋を滅 ...
11. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
国史大辞典
母は欽明妃の蘇我堅塩媛(きたしひめ)の同母弟小姉君(おあねのきみ)。敏達天皇の崩後、天下を取らんとし、物部守屋とむすんで、皇子に反対する敏達天皇の寵臣三輪君逆( ...
12. 穴穂部皇子
世界大百科事典
?-587 欽明天皇の皇子で,母は欽明妃で大臣蘇我稲目の女小姉君(おあねのきみ)。敏達天皇の没後大連(おおむらじ)の物部守屋と結んで天下をとろうとし,これに反対 ...
13. あま【尼】画像
日本国語大辞典
仏門に入った女性。具足戒を受け、中古ごろは頭髪を肩のあたりでそぎ、のちには剃るようになった。敏達天皇一三年に善信尼らが出家したのが日本での始まりとされる。尼僧。 ...
14. あま【尼】
仏教語大辞典
尼はṇīの音写だから、意味はない 出家して仏門に入った女性。本来は比丘尼の具足戒を受けたもので、敏達天皇の十三年に出家した善信尼らは朝鮮にわたって具足戒を受け ...
15. あまぐん【海部郡】愛知県
日本歴史地名大系
た(新撰姓氏録)。記紀の所伝によれば、允恭天皇二年二月に尾張地方最古の名代である刑部、次いで敏達天皇六年二月に私部が本郡に設置されている。県主制に代わって大和政 ...
16. いけだごう【池田郷】大阪府:和泉国/和泉郡
日本歴史地名大系
茅渟海中から梵音が聞こえたため天皇の命で海中から樟の霊木を引上げたとある溝辺直は、おそらく同書敏達天皇一三年是歳条の池辺直氷田と同一人で、溝は池の誤りであろう。 ...
17. いけのべのなみつきのみや【池辺双槻宮】
国史大辞典
用明天皇の皇居。『日本書紀』用明天皇即位前紀敏達天皇十四年九月戊午条に「天皇即〓天皇位 ...
18. いけのべのひだ【池辺氷田】
国史大辞典
ほぼ同じ内容の説話を載せ、池辺氷田がこの楠で阿弥陀仏と菩薩の三像を彫刻したと伝える。『日本書紀』敏達天皇十三年条によれば、蘇我馬子の命により、池辺氷田と司馬達等 ...
19. いしかわぐん【石川郡】大阪府:河内国
日本歴史地名大系
一四年条に「大溝を感玖に掘る。乃ち石河の水を引きて」とあって古くから存したことが知られ、同書敏達天皇一二年条に、百済から渡来した日羅の妻子らを「石川に居らしむ」 ...
20. いしかわしょうじゃ【石川精舎】
国史大辞典
『日本書紀』敏達天皇十三年条に蘇我馬子が百済伝来の弥勒石像を安置するため自宅の東に仏殿を造り、また石川の宅にも仏殿を造ったと記す。しかしこの記事の二つの宅の位 ...
21. いしかわ‐の‐しょうじゃ[いしかはのシャウジャ]【石川精舎】
日本国語大辞典
敏達天皇一三年(五八四)蘇我馬子が石川の自宅に仏像を安置したというわが国最初の寺。現在の奈良県橿原市石川町の浄土宗本明寺の地とされる。イシカワノショージャ ...
22. いしかわのしょうじゃ【石川精舎】奈良県:橿原市/畝傍地区/石川村
日本歴史地名大系
「日本書紀」敏達天皇一三年条に「馬子宿禰、亦、石川の宅にして、仏殿を修治る。仏法の初、〓より作れり」とある。所在について「大和志」に「石川廃精舎 ...
23. いしかわむら【石川村】奈良県:橿原市/畝傍地区
日本歴史地名大系
[現]橿原市石川町 畝傍山東南、下ツ道東側、大軽村の北に位置する。「日本書紀」敏達天皇一三年の条に、蘇我馬子らが石川の宅に仏殿を造営するという記事があり、当村に ...
24. いしひめのおうじょ【石姫皇女】
国史大辞典
宣化天皇の皇女で、母は仁賢天皇皇女橘仲皇女。欽明天皇元年正月立后。箭田珠勝大兄皇子・敏達天皇・笠縫皇女の二男一女を生み、敏達天皇元年四月、皇太后の尊号をうけたと ...
25. いしひめのおうじょ【石姫皇女】
日本人名大辞典
箭田珠勝大兄(やたのたまかつのおおえの)皇子,敏達(びだつ)天皇,笠縫(かさぬいの)皇女を生む。敏達天皇元年(572)皇太后となる。石比売命ともいう。 ...
26. いずみし【和泉市】大阪府地図
日本歴史地名大系
上に散見する。このこととも関連し、彼らによる先進文化導入(仏教受容)も早かった。「日本書紀」敏達天皇一三年条にみえる池辺直永田は仏教受容期の貢献者であった。飛鳥 ...
27. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
後に皇子茨城に〓されたるに坐りて解けぬ」、(三)敏達天皇七年菟道皇女が「伊勢の祠に侍らしむ。即ち池辺皇子に ...
28. いせのおおかの-うなこ【伊勢大鹿菟名子】
日本人名大辞典
?−? 6世紀後半,敏達(びだつ)天皇の夫人(ぶにん)。敏達天皇4年(575)夫人となり,太姫(ふとひめの)皇女,糖手姫(ぬかてひめの)皇女を生んだ。 ...
29. い‐そう[‥サウ]【異相】
日本国語大辞典
すぐれてよい場合にも悪い場合にもいう。(イ)人、動物の場合。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・敏達天皇一二年「太子聞〓日羅有 ...
30. いちじょういんあと【一乗院跡】鹿児島県:川辺郡/坊津町/坊村
日本歴史地名大系
寺名は西海金剛峯如意珠山龍巌寺一乗院。真言宗に属し、本尊は虚空蔵菩薩、開基は百済国の日羅、中興開山は成円。敏達天皇一二年日羅が来朝して創建。上ノ坊・中ノ坊・下ノ ...
31. いっ‐ぺん【一遍・一反】
日本国語大辞典
ん)なな」(2)物事の始めから終わりまで。ひとわたり。一部始終。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕敏達天皇七年「太子焼〓香披見。日別一二巻 ...
32. 逸文参考(風土記) 567ページ
日本古典文学全集
百済村 百済ノ人来レハ多ク河内国久多羅郡ニ住居セシム。此郡ハ別テ其内ニクタラ村アリ。是卅一代敏達天皇ノ御時、阿ノクタラ三藐三菩提寺ナト云ヲ建玉フ。故地名トスル事 ...
33. いわきのじんじゃ【石城神社】山口県:熊毛郡/大和町/塩田村
日本歴史地名大系
を形成した。旧県社。「延喜式」神名帳の周防国十座のうちに「熊毛郡並小石城神」とみえる。鎮座は敏達天皇三年と伝える(神祇志料)。「三代実録」貞観九年(八六七)八月 ...
34. いわやじあと【岩屋寺跡】大分県:大分市/旧大分市地区/古国府村
日本歴史地名大系
たという。大友貞宗と直翁智侃が巌屋寺の故事について談じた際に直翁が話した民間の伝説によれば、敏達天皇一二年七月天皇の命によって来朝した百済国の日羅が上洛する途中 ...
35. いん‐ざ【隠坐】
日本国語大辞典
〔名〕(「隠」は「穏」に同じ)おだやかにすわること。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・敏達天皇一二年「太子隠坐易〓衣而出」*北史‐薛 ...
36. いん‐ぴ【隠避】
日本国語大辞典
〔名〕(1)隠れ避けること。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・敏達天皇四年「兄弟不和。諸少児等輙以口闘。今欲〓笞誨 ...
37. う‐さく【烏冊】
日本国語大辞典
〔名〕カラスの羽に文字を書いた文書。敏達天皇の御代に、高麗がカラスの羽に書いた上表文を奉ったという。*懐風藻〔751〕序「高麗上表、図 ...
38. うじのかいだこのおうじょ【菟道貝鮹皇女】
日本人名大辞典
母は推古天皇。聖徳太子と結婚したが,子はなかった。「古事記」に静貝王,またの名は貝鮹王とあるが,敏達天皇の前の皇后広姫が生んだ子との混同があるらしい。 ...
39. うすきまがいぶつ【臼杵磨崖仏】大分県:臼杵市/深田村
日本歴史地名大系
深田の石仏は真名長者が隋国の天台山に黄金を寄進したことを契機に、百済の蓮城が仏像を持って来朝、敏達天皇のとき祇陀・療病・施薬・安養・戯楽(快楽)の五院を建立して ...
40. うちつみやけ【内官家】
国史大辞典
九年)十月条で、ついで(二)同摂政前紀十二月条、(三)同継体天皇二十三年四月戊子条、(四)同敏達天皇十二年七月朔条、(五)同推古天皇三十一年(六二三)是歳条、( ...
41. うみ‐じんじゃ【宇美神社】
日本国語大辞典
こと)ほか四柱。新羅から凱旋した神功皇后が、誉田別命(応神天皇)を出産した霊地と伝えられる。敏達天皇三年の創建と伝えられ、古くから安産の神として信仰された。産宮 ...
42. うみはちまんぐう【宇美八幡宮】福岡県:糟屋郡/宇美町/宇美村
日本歴史地名大系
産の神として知られている。創建年代について、近世に当宮別当が記した「留守良勝伝子孫書」には「敏達天皇三年甲午筑紫蚊田邑始宮柱太敷建給う」とある。天喜三年(一〇五 ...
43. えき‐しつ【疫疾】
日本国語大辞典
〔名〕流行病。疫。また、それを病むこと。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・敏達天皇一四年「於〓是、国有 ...
44. えちぜんのくに【越前国】福井県
日本歴史地名大系
史実においても欽明天皇三一年に「高麗の使人」が「越の岸」に漂着したことを江沼臣裙代が報告しているし、敏達天皇二年にも同様記事がみられる(日本書紀)。江沼臣はのち ...
45. 江戸繁昌記 3 252ページ
東洋文庫
(二)振古 むかしから。振は、自りの意。『茅窓漫録』(茅原定著)に、「鎗来由。雑々拾遺に、敏達天皇の後胤和田賢秀、暦応元年、手鉾の中より鎗を工夫し、始て作り出 ...
46. えびなし【海老名氏】画像
国史大辞典
東国武士の一族。出自は村上源氏、敏達天皇より出た小野氏、清和源氏など系図によりまちまちである。海老名という地名は相模・遠江などにあり、海老名を苗字とするものの ...
47. えん‐きゅう[ヱンキウ]【冤仇】
日本国語大辞典
〔名〕うらみ。また、かたき。仇敵。*聖徳太子伝暦〔917頃か〕上・敏達天皇一二年「冤仇不〓離。断 ...
48. 王辰爾
日本大百科全書
欽明朝に船賦(船税)を数え録した功により、船長(ふねのつかさ)に任ぜられ、船史の氏姓を賜わった。572年(敏達天皇1)には誰も読むことのできなかった高句麗の国書 ...
49. おうしんに【王辰爾】
国史大辞典
船賦(ふねのみつき)を数え録させ、辰爾を船長(ふねのつかさ)とし、船史の姓(かばね)を与えたといい、敏達天皇元年五月に東西の諸史がみな読みえなかった高句麗の表疏 ...
50. おおいたもとまちせきぶつ【大分元町石仏】大分県:大分市/府内城下/元町
日本歴史地名大系
三尊仏は、風化損傷のため痕跡をとどめるのみで像名は不明。「雉城雑誌」によると薬師堂の石仏群は敏達天皇一二年百済国から来朝した僧日羅の作と伝え、同僧開基の岩屋寺の ...
「敏達天皇」の情報だけではなく、「敏達天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

敏達天皇と同じ天皇カテゴリの記事
舎人親王(日本大百科全書(ニッポニカ))
天武天皇の第三皇子。母は天智天皇の娘新田部皇女。知太政官事穂積親王の亡きあとは皇親の長老として重んぜられ、新田部親王とともに皇太子首親王(聖武天皇)を輔翼する責務を負った
天皇(改訂新版・世界大百科事典)
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。天皇の歴史前近代の天皇オオキミとスメラミコト〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが
皇位継承(改訂新版・世界大百科事典)
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で
摂政(国史大辞典)
天皇に代わって万機を摂り行う者、または摂り行うことをいう。関白に類する職として関白とともに摂関といい、関白と同じく、摂ろく・執柄・博陸などの唐名があり、その地位に因んで一の人・一の所などと称され、殿下ともいわれた
関白(国史大辞典)
万機に関与する重職で摂政に類似する。したがって摂政と合わせて摂関・摂ろく・一の人・一の所などと称し、執柄・博陸・殿下などの唐名がある。関白の語は『漢書』霍公伝に、宣帝が諸事まず霍光に関白してから奏上せしめたとみえているが
天皇と同じカテゴリの記事をもっと見る


「敏達天皇」は天皇に関連のある記事です。
その他の天皇に関連する記事
豊明節会(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新嘗祭の翌日の辰日、および大嘗祭においては午日に、天皇が出御して行われる公儀の宴会。荷田在満『大嘗会儀式具釈』に「豊明トハ宴会ヲ云、古クハ宴会豊楽等ノ字ヲ直ニトヨノアカリト訓ズ、大嘗新嘗ノ後ニハ必宴会アリ、仍テ大嘗ノ豊明、新嘗ノ豊明ナドトハイヘド
文官分限令・文官懲戒令(日本大百科全書)
1899年(明治32)3月に第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣の手で公布された、一般文官の身分および職分の保障に関する規定と、懲戒に関する規定。前者では、官吏の身分保障、免官、休職、降任、休職中の俸給、復職などについての原則が規定され、官吏の身分
太上天皇(国史大辞典・日本国語大辞典)
譲位した天皇の称。「だいじょうてんのう」とも訓む。略して上皇あるいは太皇ともいい、また御在所を意味する院の称も用いられ、さらにその御在所を神仙の居所に擬して仙院・仙洞・藐姑射山(はこやのやま)・茨山(しざん)などとも称された。
上皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
譲位した天皇の尊称。正式には太上(だいじょう)天皇と称する。中国の太上皇(たいじょうこう)、太上皇帝の称に始まり、太上は最上または至上の意。日本では697年(文武天皇1)譲位した持統(じとう)天皇が初めて太上天皇と称し、大宝令(たいほうりょう)
昭和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一九〇一 - 八九 一九二六―八九在位。明治三十四年(一九〇一)四月二十九日午後十時十分、東宮御所に生誕。皇太子明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)と皇太子妃節子(のちの貞明皇后)の第一皇子。五月五日明治天皇より裕仁(ひろひと)と命名され
天皇に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶