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継体天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『継体天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
継体天皇
けいたいてんのう
『日本書紀』によれば、生没年は四五〇―五三一、五〇七―三一在位。諱は男大迹(おおど)、袁本杼・乎富等とも書く。応神天皇の五世の孫と伝えられる。父の彦主人(ひこうし)王は近江国にいたが、越前坂井郡の三国にいた振媛を妃とし、継体天皇を生んだ。『釈日本紀』所引の『上宮記』逸文には、凡牟都和希王―若野毛二俣王―大郎子―乎非王―〓斯王―乎富等大公王の系譜を掲げる。彦主人王の死後、振媛は越前に帰って天皇を養った。天皇が五十七歳のとき、武烈天皇が死に、継嗣がないので、大伴金村が中心となり、物部麁鹿火らとともに天皇を越前から迎え、河内の樟葉で即位した。そののち、樟葉から山背の筒木および弟国を経て、即位の年より二十年目に大和国に入り、磐余玉穂に都を定めた。天皇は武烈天皇の妹、手白香(たしらか)皇女を皇后に立て、欽明天皇を生んだが、そのほかに近江・尾張・河内方面の皇族・豪族の女を妃とした。そのうち尾張連草香の女目子媛(めのこひめ)は、手白香皇女よりさきに安閑・宣化両天皇を生んだ。以上は『日本書紀』の伝えであるが、即位記事は応神五世の孫という伝えをふくめて、継体天皇の即位を正当化するための潤色が多いのではないかとする説がある。その説では、越前・近江地方に勢力のあった豪族が、武烈天皇の死後、朝廷の乱れに乗じて応神天皇の子孫と称し、約二十年の対立・抗争ののち、大和の勢力を圧倒して大和に入り、皇位を継承するとともに、手白髪(香)皇女を皇后として地位を確立したとする。継体天皇の時代は、新羅をはじめ朝鮮諸国の国力がたかまり、日本はしばしば軍隊を派遣したが、朝鮮での勢力は次第に衰えた。任那の四県を百済の請いによって与えたことは、そのあらわれである。司馬達等による仏教の伝来(『扶桑略記』)や、百済からの五経博士の貢上などもあり、文化の発展もみられたが、国内では継体天皇二十一年から翌年にかけて、筑紫国造磐井の反乱があり、政治の動揺がつづいた。天皇の死についても疑問がある。『日本書紀』は『百済本記』により辛亥年(五三一)の死とするが、甲寅年(五三四)とする説もあった。また『百済本記』には「日本天皇及太子皇子倶崩薨」とある。これらから、辛亥の年に政変がおこり、天皇はまきこまれて死に、甲寅の年に至って平穏に復したのではないかとし、これを辛亥の変と称する説がある。
[参考文献]
水野祐『増訂日本古代王朝史論序説』、林屋辰三郎「継体・欽明朝内乱の史的分析」(『古代国家の解体』所収)、直木孝次郎「継体朝の動乱と神武伝説」(『日本古代国家の構造』所収)
(直木 孝次郎)

三島藍野陵(みしまのあいののみささぎ)

大阪府茨木市太田三丁目にある前方後円墳。江戸時代には「池ノ山」といい、「茶臼山」ともいう。墳丘は南東に面し、長さ二二六メートル、前方部幅一四七メートル、後円部径一三六メートル、高さ前方部一九・八メートル、後円部一九・二メートル。前方部三段、後円部四段の段築で、造出しが両側にあり、周濠がめぐる。周辺の小塚九基は陪塚に指定。『日本書紀』には藍野陵、『古事記』には三島之藍陵、正治二年(一二〇〇)『諸陵雑事注文』には「摂津島上郡継体天皇」とあり、『延喜式』は現陵号で、「在〓摂津国島上郡〓、兆域東西三町、南北三町、守戸五烟」とし遠陵にする。元禄修陵には現陵を調べたが、『徳川実紀』は所在不明とし、享保陵改めで決定した。大正から昭和初めごろ、現陵は江戸時代後期旧島下郡にあり、南北朝時代の条里も同じで、『延喜式』の所在と異なるとし、現陵の東北約一・五キロの旧島上郡今城塚古墳(大阪府高槻市)を当陵とする説が出され、この説をとる研究者も多い。しかし、現陵は享保陵改めには島上・島下の郡界の山にあり、『中川氏御年譜』(永禄から天正の茨木領主家譜)の「摂州図抄」では阿威川が郡界で、旧島上郡にあるので、『延喜式』の所在と現陵の所在が異なると断定はできない。
[参考文献]
『大阪府史』一、上野竹次郎『山陵』上、末永雅雄『古墳の航空大観』
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
継体天皇
けいたいてんのう
[?―531]

記紀に第26代と伝える天皇。没年は527年、534年の説もある。応神(おうじん)(誉田(こんだ))天皇の5世孫とされ、名は男大迹(おおど)(『古事記』では袁本杼命(おおどのみこと))、またの名を彦太尊(ひこふとのみこと)という。6世紀初頭に越前(えちぜん)(福井県)あるいは近江(おうみ)国(滋賀県)から大和(やまと)(奈良県)の磐余宮(いわれのみや)に入って新しい王統(王朝)を築いた天皇として有名。『日本書紀』によれば、武烈(ぶれつ)(小泊瀬(おはつせ))天皇に継嗣(あとつぎ)がなかったので、大伴金村大連(おおとものかなむらのおおむらじ)が中心となって越前の三国(みくに)(福井県坂井(さかい)市。『古事記』では近淡海国(ちかつおうみのくに))から迎え入れたとある。この天皇の出自については、遠く越前から入ってきたこと、大和に入るまで20年を経ていること、応神5世孫とされているがその間の系譜が明示されていないことから、地方の一豪族で、武烈亡きあとの大和王権の混乱に乗じて皇位を簒奪(さんだつ)した新王朝の始祖とする見解が有力である。
しかし、記紀編纂(へんさん)よりも古くさかのぼる『上宮記(じょうぐうき)』には、天皇の父系・母系の詳細な系譜が明示されていること、仁賢(にんけん)天皇の女(むすめ)手白香(たしらか)皇女を皇后としていること、継体を受け入れた大和王権自体はなんら機構的にも政策的にも質的転換をみせていないことから、継体を大和王権内部に位置した王族と考える見解もある。
[小林敏男]



世界大百科事典
継体天皇
けいたいてんのう

6世紀初めころの第26代に数えられる天皇。名はヲホドで,《古事記》に袁本杼命,《日本書紀》に男大迹王,《上宮記》の逸文に乎富等大公王などと書かれているが,隅田(すだ)八幡人物画像鏡の銘文にみえる男弟王を天皇の名に当てることには,音韻の上で難がある。上の諸書によれば,天皇は応神天皇5世の孫で父は彦大人(ひこうし)王,母は父の異母妹で垂仁天皇7世の孫に当たる振媛(ふりひめ)。近江の高島にいた父が越前の三国にいた母を召し納れて天皇を生んだが,父が早く死んだため,母は天皇を伴って越前の生家に帰った。その後,《日本書紀》によれば天皇57歳のとき,武烈天皇が死んで後継者がなかったので,大連の大伴金村が主唱して天皇を越前から迎えて皇位に即け,仁賢天皇の女の手白香(たしらか)皇女を皇后とした。そこで天皇は河媛内の樟葉(くすは)宮から山背の筒城(つつき)宮,同じく山背の弟国宮などを経て,20年後に初めて大和に入って磐余(いわれ)の玉穂宮に都したという。天皇の治世は朝廷は終始朝鮮対策に追われ,任那4県の割譲,北九州の筑紫国造磐井の乱などもあって,朝鮮の形勢はますます非となっていったが,天皇は531年ころに世を去り,摂津の三嶋の藍野陵に葬られた。記紀では天皇の死後,天皇の即位以前の子である安閑,宣化両天皇が順次即位し,そのあとに手白香皇后が生んだ欽明天皇が即位したことになっているが,実は天皇の死後直ちに欽明天皇も一方で即位し,宣化天皇の死までの約8年間は両朝分立の状態だったとする見方が今日では有力となっており,その場合には天皇の死はなんらかの重大な事変によるものだったとする推測説もある。また天皇の即位については,天皇が応神天皇の5世の孫という遠い皇親であること,大和に入るまで長年月を要していることなど,きわめて異例の点が多いので,天皇が別系から出て実力によって旧権力を倒し,新王朝を開いたとする王朝交替説も一部に出されている。
→王朝交替論 →継体・欽明朝の内乱
[関 晃]

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1. 継体天皇
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3. けいたい‐てんのう[‥テンワウ]【継体天皇】
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第二六代天皇。応神天皇の五世の孫彦主人王(ひこうしのおおきみ)の子。母は振媛(ふるひめ)。名は男大迹尊(おほどのみこと)、彦太尊(ひこふとのみこと)。五〇七年、 ...
4. けいたいてんのう【継体天皇】
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応神天皇の五世の孫と伝えられる。父の彦主人(ひこうし)王は近江国にいたが、越前坂井郡の三国にいた振媛を妃とし、継体天皇を生んだ。『釈日本紀』所引の『上宮記』逸文 ...
5. 継体天皇
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507年〈継体元 丁亥〉 2・4 男大迹王( 継体天皇 )、河内の樟葉宮で即位(紀)。 531年〈継体25 辛亥〉 2・7 没。  ...
6. 繼體天皇(けいたいてんのう)
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7. けいたいてんのう【継体天皇】
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8. 継体天皇[文献目録]
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11. あいごう【安威郷】大阪府:摂津国/島下郡
日本歴史地名大系
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13. あいむら【安威村】大阪府:茨木市地図
日本歴史地名大系
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14. あしきたぐん【葦北郡】熊本県
日本歴史地名大系
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15. あじまの【味真野】福井県:武生市/旧今立郡地区
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16. 飛鳥時代画像
日本大百科全書
仁徳(にんとく)系の皇統が断絶し、そのあとに、前王朝とはまったく血縁関係がないか、あったとしてもきわめて疎遠な継体天皇(けいたいてんのう)が、6世紀の初めに擁立 ...
17. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
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18. 飛鳥時代(年表)
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19. 足羽
世界大百科事典
大領生江東人や同少領阿須波束麻呂など,生江氏,足羽氏一族の墓と比定される。同山上の足羽神社は継体天皇をはじめ九神を合祀する。また足羽神明社は伊勢神宮の分社で,足 ...
20. あすわぐん【足羽郡】画像
国史大辞典
える。足羽山古墳群はこれらの豪族関係のものであろう。足羽山上には式内社の足羽神社がある。古来継体天皇関係の神社とも伝承されている。本郡一帯は戦国時代には朝倉氏の ...
21. あすわじんじゃ【足羽神社】
国史大辞典
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22. あすわじんじゃ【足羽神社】福井県:福井市/福井城下/足羽山
日本歴史地名大系
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23. あどがわちょう【安曇川町】滋賀県:高島郡
日本歴史地名大系
鴨川に沿った三尾里周辺は、対岸の高島町鴨周辺とともに、古代の三尾の地といわれ、継体天皇の出生地とされる。田中王塚古墳は継体天皇の父彦主人王の墓と伝え、胞衣塚も同 ...
24. あひた【阿比多】
日本人名大辞典
?−? 百済(くだら)(朝鮮)の使節。継体天皇10年(516)百済の灼莫古(やくまくこ)将軍,高句麗(こうくり)(朝鮮)の使者安定(あんてい)とともに来日し,日 ...
25. ありしと【阿利斯等】
日本人名大辞典
?−? 加羅(から)(朝鮮)の国王。継体天皇23年(529)天皇の朝鮮政策に反発して新羅(しらぎ)(朝鮮)の王女と結婚。のち新羅と対立し,大伴金村に救援をもとめ ...
26. あるしたり【下〓〓
国史大辞典
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27. あわたべむら【粟田部村】福井県:今立郡/今立町
日本歴史地名大系
谷の村々および池田郷(現池田町)の物資の集散地として発達した。江戸時代には福井藩領。地名は、継体天皇(男大迹王)が住したとの伝承により「男大迹辺の里」の訛ったも ...
28. 安閑天皇
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国風諡号(しごう)は広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)。『日本書紀』安閑即位前紀に継体天皇25年(531)即位、元年紀には甲寅(きのえとら)年(5 ...
29. あんかん‐てんのう[‥テンワウ]【安閑天皇】
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第二七代天皇。継体天皇の第一皇子。名は、勾大兄(まがりのおおえ)。おくり名、広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)。五三四年即位し、大和の勾金橋宮(ま ...
30. あんかんてんのう【安閑天皇】
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五三四―三五在位。名は勾大兄(まがりのおおえ)、おくり名を広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)天皇という。継体天皇の第一子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこ ...
31. あんかんてんのう【安閑天皇】
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32. いかぐん【伊香郡】滋賀県
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係である。近江の場合はその実態が明らかでないが、神祇支配とのかかわりでいえば近江出身とされる継体天皇の時代に強いつながりができたかと思われる。当郡に近い高島郡、 ...
33. いしばまち【石場町】福井県:福井市/福井城下
日本歴史地名大系
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34. いしふ【異斯夫】
国史大辞典
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36. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
伊勢神宮の現在地への奉祀時期が推定できる。雄略朝期以後、清寧天皇―天智天皇の間について書紀には、(一)継体天皇元年に荳角皇女が「伊勢大神の祠に侍り」、(二)欽明 ...
37. いちのやまこふん【市野山古墳】大阪府:藤井寺市/国府村地図
日本歴史地名大系
同じ古市古墳群中にある羽曳野市の墓山古墳(応神天皇陵陪冢に治定)、さらに茨木市の茶臼山古墳(継体天皇陵に治定)とほとんど同規模であり、同一設計により築造されたと ...
38. いなりやまこふん【稲荷山古墳】滋賀県:高島郡/高島町/鴨村
日本歴史地名大系
のうち、金製耳飾や冠・魚佩・環頭大刀などは朝鮮半島からの輸入品といわれている。被葬者は一説に継体天皇の父彦主人王といわれるが、現在は安曇川以南に君臨した豪族三尾 ...
39. 茨木(市)画像
日本大百科全書
)が南部を通る。山麓一帯は早くから開け、弥生(やよい)時代の耳原遺跡、三島藍野(あいの)陵(継体天皇陵(けいたいてんのうりょう))や、海北塚古墳(かいほうづかこ ...
40. 茨木[市]
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北部は北摂山地に属する低い山地,中・南部は千里丘陵を除けば安威川,淀川のつくった平野である。山麓一帯には継体天皇陵,紫金山古墳,将軍山古墳などの三島古墳群があり ...
41. いばらきし【茨木市】大阪府地図
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42. いましろづかこふん【今城〓古墳】
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があったと伝えられており、石棺の一部かも知れない。かつて喜田貞吉・天坊幸彦はこの古墳をもって継体天皇陵と考定した。同天皇陵は『延喜式』によると旧島上(しまのかみ ...
43. いましろづかこふん【今城塚古墳】大阪府:高槻市/郡家村地図
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六世紀代に求められる。「延喜式」諸陵寮の記載と三島地方の条里制の研究をもとに論じた説をはじめ、当墳を継体天皇陵とする説が有力である(茨木市の→茶臼山古墳)。当墳 ...
44. いまだてぐん【今立郡】福井県
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古墳時代には武生盆地の開発が進み、古墳としては今立町東庄境の松明山古墳群が注目される。〔古代〕継体天皇(男大迹王)は「日本書紀」に越前出身と記され、各地にその伝 ...
45. いわい[いはゐ]【磐井】
日本国語大辞典
〔一〕大和時代の筑紫国造(くにのみやつこ)。継体天皇二一年任那(みまな)救援に向かう近江毛野(けぬ)の軍を妨害。翌年物部麁鹿火(もののべのあらかび)に討たれた。 ...
46. いわい【磐井】
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47. いわい の 乱(らん)
日本国語大辞典
継体天皇二一年、筑紫国造(くにのみやつこ)、磐井が起こした反乱。大和政権による朝鮮半島経営の失敗に基づき、経済的な負担の大きかった北九州地方住民の不満が爆発した ...
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恐れて、糟屋屯倉(かすやのみやけ)を献上して死罪を贖(あがな)ったとある。 一方、『古事記』では、継体天皇の御世、筑紫君石井(いわい)が天皇の命に従わなかったの ...
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六世紀初めに起った筑紫国造の反乱。『日本書紀』によると、継体天皇二十一年六月、近江毛野臣が六万の軍を率い、任那に赴き、新羅にやぶられた南加羅と ...
50. 岩戸山古墳画像
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をもつことで、ほかに例をみないものである。石人山古墳とともに江戸時代から注目され、527年(継体天皇21)に乱を起こした筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)磐井( ...
「継体天皇」の情報だけではなく、「継体天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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