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武烈天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『武烈天皇』の国史大辞典・日本大百科全書のサンプルページ

国史大辞典
武烈天皇
ぶれつてんのう
『日本書紀』によれば、生没年は?―五〇六で、四九八―五〇六在位。名は稚鷦鷯(わかさざき、『古事記』は若雀)。仁賢天皇の皇子で、母は雄略天皇の皇女の春日大娘皇后。仁賢のあとをついで即位。泊瀬列城(奈良県桜井市初瀬の周辺)を都とし、春日娘子を皇后にたて、大伴金村を大連とした。即位前に、大伴金村と謀って、大臣の平群真鳥を殺害した。継嗣がなく、御子代として小長谷部を定めた。継嗣が絶えたため、『日本書紀』には暴虐記事が多く、「頻造〓諸悪〓、不〓〓一善〓」、「国内居人、咸皆震怖」とある。泊瀬列城宮で没す。大和の傍丘磐杯丘陵に葬ると伝える。
(吉村 武彦)

傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)

奈良県北葛城郡香芝(かしば)町大字今泉、旧字ダイゴにある。『日本書紀』の陵号は、顕宗天皇陵と同じ「傍丘磐杯丘陵」。『延喜式』諸陵寮は現陵号で、「在〓大和国葛下郡〓、兆域東西二町、南北三町、守戸五烟」とあり、遠陵とする。『扶桑略記』も現陵号であるが、「高二丈、方二町」と陵域が縮小する。以後記録を欠くが、元禄の諸陵探索時に、奈良奉行所は葛下郡片岡平野村北東の字片岡山石ノ北の古墳を武烈天皇の分明陵と報告、以後幕末までここが当陵として保護された。『山陵志』は、葛下郡築山(つきやま)村の古墳(大和高田市大字築山、磐園(いわぞの)陵墓参考地)を当陵、この南方の陵家村の古墳(大和高田市大字池田、陵西(おかにし)陵墓参考地二児山)を南陵としたが、安政の陵改めではこれを否定した。しかし幕末修陵時には諸説分かれて修陵できず、ようやく明治二十二年(一八八九)六月三日、傍丘磐坏丘南陵などの考定とともに、葛下郡今泉村字ダイゴ、志都美神社森の北に現陵を考定し、兆域を定めて修陵し、同二十六年三月勅使が参向し、修陵竣工奉告祭を行なった。北東に面し南西に延びる長さ二五〇メートル、高さ前部約一〇メートル、後部約二〇メートルの山形墳で、前面に凹字形空濠があり、その前に拝所がある。
[参考文献]
『法規分類大全』二編宮廷門、『武烈天皇傍丘磐坏丘北陵之図』(宮内庁書陵部保管『陵墓地形図』二六〇〔L五八〕)、上野竹次郎『山陵』上、宮内省編『明治天皇紀』七・八
(石田 茂輔)


国史大辞典
武烈天皇
ぶれつてんのう

生没年不詳。記紀によれば第25代の天皇。在位は5世紀末から6世紀初めころ。小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかささぎ)天皇ともいう。仁賢(にんけん)天皇の皇子。母は春日大娘(かすがのおおいらつめ)。泊瀬列城(はつせなみき)宮(奈良県桜井市初瀬)に都した。春日娘子(いらつめ)を皇后としたが太子がなかったので、御子代(みこしろ)として小長谷部(おはせべ)を定めた。『日本書紀』には、この天皇はもろもろの悪いことをして、一つも善いことをしなかったので人民は皆恐れたとして、その凶暴ぶりを記している。はらんだ女の腹を割いて胎児を見たり、人の生爪(なまづめ)を抜いて山いもを掘らせた。人の頭髪を抜いて樹(き)に登らせ、樹を切り倒して殺したり、弓で射落とした。人を池の樋(とい)に入れて流し、矛(ほこ)をもって刺し殺すのを楽しみとしたという。こうした行為の記述は、武烈天皇を国を滅ぼした暴君とするため、百済(くだら)の末多(まつた)王や中国の暴君の桀(けつ)王、紂(ちゅう)王の記事から造作したという説があり、王朝交替論の有力な根拠となっている。治世8年で没し、傍丘磐杯丘(かたおかのいわつきのおか)陵(奈良県香芝(かしば)市)に葬る。
[志田諄一]

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検索ヒット数 165
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検索コンテンツ
1. 武烈天皇
日本大百科全書
池の樋(とい)に入れて流し、矛(ほこ)をもって刺し殺すのを楽しみとしたという。こうした行為の記述は、武烈天皇を国を滅ぼした暴君とするため、百済(くだら)の末多( ...
2. 武烈天皇
世界大百科事典
か)の桀王(けつおう),殷(いん)の紂王(ちゆうおう)の悪王伝説を粉本としたものと思われる。武烈天皇は系譜上,応神(15代),仁徳(16代)天皇の血をひく最後の ...
3. ぶれつ‐てんのう[‥テンワウ]【武烈天皇】
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4. ぶれつてんのう【武烈天皇】
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以後記録を欠くが、元禄の諸陵探索時に、奈良奉行所は葛下郡片岡平野村北東の字片岡山石ノ北の古墳を武烈天皇の分明陵と報告、以後幕末までここが当陵として保護された。『 ...
5. 武烈天皇(ぶれつてんのう)
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6. ぶれつてんのう【武烈天皇】
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7. 武烈天皇[文献目録]
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8. 武烈天皇即位 (見出し語:武烈天皇)
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9. 武烈天皇山陵 (見出し語:武烈天皇)
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10. いこまぐん【生駒郡】奈良県
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13. 越前国
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16. おおうお【大魚】
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17. 大伴氏
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18. おおともうじ【大伴氏】画像
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19. 大伴金村
日本大百科全書
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20. おおとも‐の‐かなむら【大伴金村】
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21. おおとものかなむら【大伴金村】
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22. おおともの-かなむら【大伴金村】
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?−? 5世紀末-6世紀前半の豪族。大伴談(かたり)の子。武烈天皇・継体天皇の即位実現に功があり,宣化(せんか)天皇にいたる4朝の大連(おおむらじ)となり,政権 ...
23. 大伴室屋
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藤原部(ふじわらべ)を定めたとあるのが初見。雄略天皇の即位時に大連(おおむらじ)となり、以後武烈天皇まで5代にわたり大連を歴任。雄略の遺詔により、その死後に生じ ...
24. おおとものむろや【大伴室屋】
国史大辞典
(そとおりのいらつめ)のために藤原部を定めたとあるのが『日本書紀』の初見。以後、雄略天皇より武烈天皇までの五代に大連として仕え、雄略朝には来目部(くめべ)を率い ...
25. おおともの-むろや【大伴室屋】
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百済(くだら)(朝鮮)からの技術者集団の移住に尽力した。雄略天皇の死後も星川皇子の反乱をおさえるなど,武烈天皇までの5代に大連としてつかえたといわれる。 ...
26. おおのはちまんぐう【大野八幡宮】山口県:熊毛郡/平生町/大野村
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27. おおやけごう【大宅郷】奈良県:大和国/添上郡
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「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。「日本書紀」武烈天皇即位前紀に石の上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ 春日 春日を過ぎ 妻隠る 小佐保を ...
28. おはつせのわかさざきのみこと【小泊瀬稚鷦鷯尊】
国史大辞典
武烈天皇(ぶれつてんのう)  ...
29. おはつせべ【小長谷部】
国史大辞典
小泊瀬部とも書く。『古事記』武烈天皇段に武烈天皇(小長谷若雀命)の御子代として定めたとあり、『日本書紀』武烈天皇六年九月条には天皇に継嗣がないので小泊瀬舎人を置 ...
30. かすが【春日】
国史大辞典
同書開化天皇元年条には春日の地に遷都し、率川宮と称した。同六十年、天皇は春日率川坂本陵に葬られた。また、武烈天皇即位前紀の影媛の送葬歌から、南は大宅、北西は佐保 ...
31. かすがの【春日野】奈良県:奈良市/奈良公園地区
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わゆる春日郷の地で、古市には聖武天皇の春日離宮から発展した東大寺春日庄があった。「日本書紀」武烈天皇即位前紀に石の上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅 ...
32. かすがの-いらつこ【春日娘子】
日本人名大辞典
「日本書紀」にみえる武烈天皇の皇后。武烈天皇元年に皇后となった。 ...
33. かすがのおおいらつめのおうじょ【春日大娘皇女】
日本人名大辞典
樟氷(くすひの)皇女,橘(たちばなの)皇女,小泊瀬稚鷦鷯命(おはつせのわかさざきのみこと)(武烈天皇),真稚(まわかの)皇女の1男6女を生む。「古事記」では春日 ...
34. かずらきのしもぐん【〓下郡】
国史大辞典
この丘陵地帯はその東北部の一角からナウマン象の牙が発見され(北葛城郡河合町穴闇)、なお孝霊・顕宗・武烈天皇などの片岡の諸陵墓が知られるが、これに先んじて二上山麓 ...
35. かたおか【片岡】奈良県:北葛城郡
日本歴史地名大系
」の中で殺されたとみえ、「延喜式」(諸陵寮)には孝霊天皇片丘馬坂陵・顕宗天皇傍丘磐杯丘南陵・武烈天皇傍丘磐杯丘北陵・茅渟皇女片岡葦田墓の陵墓がある。また「日本書 ...
36. かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ【傍丘磐坏丘北陵】
国史大辞典
武烈天皇(ぶれつてんのう)  ...
37. かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ【傍丘磐坏丘北陵】 : 武烈天皇
国史大辞典
以後記録を欠くが、元禄の諸陵探索時に、奈良奉行所は葛下郡片岡平野村北東の字片岡山石ノ北の古墳を武烈天皇の分明陵と報告、以後幕末までここが当陵として保護された。『 ...
38. かたおかのいわつきのおかのきたりょう【傍丘磐杯丘北陵】奈良県:北葛城郡/香芝町/今泉村
日本歴史地名大系
傍丘磐杯丘陵に葬りまつる」、「古事記」武烈天皇段に「御陵は片岡の石坏の岡に在り」、「延喜式」(諸陵寮)に「傍丘磐杯丘北陵泊瀬列城宮御宇武烈天皇、在大和国葛下郡」 ...
39. 甲子夜話続篇 1 95ページ
東洋文庫
仁徳天皇五十四年丙寅仁徳天皇七十三年乙酉 履仲天皇五年甲辰允恭天皇三十一年壬午 雄略天皇五年辛丑武烈天皇元年己卯 継体天皇十二年戊戌宣化天皇二年丁巳  ...
40. かみつみち【上ツ道】
国史大辞典
箸墓(桜井市箸中)の東を通り、柳本・佐保庄を通って天理市街に至る。天理市から北は『日本書紀』武烈天皇即位前紀の影媛の葬送歌にみえる、布留・高橋・大宅・春日・佐保 ...
41. きたざわむら【北沢村】宮城県:栗原郡/一迫町
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42. きのへごう【城戸郷】奈良県:大和国/広瀬郡
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43. くすはのみやあと【樟葉宮跡】大阪府:枚方市/楠葉村
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「日本書紀」継体天皇元年二月四日条によると、男大迹王がこの宮で即位して継体天皇となったという。すなわち武烈天皇の死後、男子がなかったため、応神天皇五世の孫にあた ...
44. くだらしんせん【百済新〓
国史大辞典
するので、『百済新撰』の年紀は、『百済記』とは別の系統のものである。このほか雄略天皇五年条・武烈天皇四年条の分注にもこの書の引用があるが、そこでも日本のことを「 ...
45. くわたぐん【桑田郡】
国史大辞典
雄略天皇十六年条に、諸国県に桑を植えられた記事があり、これが郡名の由来と考えられる。継体天皇即位前紀によると、武烈天皇に皇嗣がなかったので、丹波国桑田郡より倭彦 ...
46. けいたい・きんめいちょうのないらん【継体・欽明朝の内乱】
国史大辞典
の推戴により平和裏に行われたようにみえるが、(一)継体が応神天皇の五代の孫と伝えられ、前代の武烈天皇と疎遠な関係にあること、(二)継体は近江に生まれ、越前に育っ ...
47. 継体天皇
世界大百科事典
んだため,母は天皇を伴って越前の生家に帰った。その後,《日本書紀》によれば天皇57歳のとき,武烈天皇が死んで後継者がなかったので,大連の大伴金村が主唱して天皇を ...
48. けいたいてんのう【継体天皇】
国史大辞典
斯王―乎富等大公王の系譜を掲げる。彦主人王の死後、振媛は越前に帰って天皇を養った。天皇が五十七歳のとき、武烈天皇が死に、継嗣がないので、大伴金村が中心となり、物 ...
49. けいたいてんのう【継体天皇】
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父は彦主人(ひこうしの)王。母は振媛(ふるひめ)。「日本書紀」によると,応神天皇の5世の孫。武烈天皇に子がなく,その死後越前(えちぜん)三国から大伴金村らにむか ...
50. 広益俗説弁 96ページ
東洋文庫
継体天皇いまだ即位ましまさ父るさき、大跡辺皇子と申せしが、越前国床間野といふところにおはしませしを、武烈天皇、御代をゆづらるべきよしにて、御むかひの人くだり、供 ...
「武烈天皇」の情報だけではなく、「武烈天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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