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  11. 垂仁天皇

垂仁天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『垂仁天皇』の国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
垂仁天皇
すいにんてんのう
『古事記』『日本書紀』に第十一代と伝える天皇。活目入彦五十狭茅天皇(記は伊久米伊理〓古伊佐知命)・伊久米天皇などという。父は崇神天皇、母は大彦命の娘、皇后御間城姫。崇神天皇二十九年誕生、四十八年立太子、六十八年崇神天皇が亡くなると翌年纒向珠城宮に即位したという。先の皇后狭穂姫との間に誉津別皇子、後の皇后、丹波道主命の娘、日葉酢媛命との間に景行天皇ら三男二女、その他に十人前後の皇子女があった。記紀の所伝では誉津別の出生にまつわる狭穂彦・狭穂姫兄妹の謀叛事件が大きな比重を占めるほか、埴輪の起源、田道間守(たじまもり)の説話が有名。在位九十九年で崩じ、菅原伏見陵に葬られたという。
(黛 弘道)

菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)

奈良市尼辻(あまがつじ)町にある。『日本書紀』は安康天皇陵と同名の「菅原伏見陵」とし、『古事記』は「御陵在〓菅原之御立野中〓也」とする。『続日本紀』霊亀元年(七一五)四月庚申条は「櫛見山陵」とし「充〓守陵三戸〓」と記す。『延喜式』諸陵寮は現陵名で「在〓大和国添下郡〓、兆域東西二町、南北二町、陵戸二烟、守戸三烟」とし、遠陵に列する。『東大寺要録』雑事章は「菅原伏見野山陵」とする。江戸時代には蓬莱山と呼ばれた。元禄の諸陵探索時には、奈良奉行所は、蓬莱山を新田部親王墓の一説もあるが、地元では古来垂仁天皇陵と所伝の旨を記し、分明陵として報告している。墳丘は南面する三段段築の前方後円墳で、長軸の長さ二二四メートル、前方部幅一一九メートル、後円部径一二三メートル、高さ前方部一二・五メートル、後円部一八・五メートル、周濠がある。平地に築造されたように見えるが、外堤の基盤は東側が西側より四メートル余高く、台地先端の残丘を修形し築造されたものと考えられる。昭和四十年(一九六五)墳丘裾が崩壊し、裾廻りに護岸擁壁が設置された。崩壊は墳丘裾の葺石と段築の段の上に、濠を浚渫した泥土を、中世以後に盛土したことに起因する。陵前右側の濠内にある小円墳は、『文化山陵図』に「堀中南之方に橘諸兄公之塚有之候由、水中にて見へ不申」とあるが、幕末以来、「田道間守(たじまもり)の墓」と称されて製菓業者の信仰を得、陵域外の濠側にその拝所が設けられている。当陵周辺に散在する兵庫山ほか五基の小墳は陪冢(ばいちょう)に指定されている。当陵出土品には、宮内庁書陵部所蔵の盾・朝顔形円筒などの埴輪片がある。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』上、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館編『(特別展)大和の埴輪』(『特別展図録』二二)、末永雅雄『古墳の航空大観』
(石田 茂輔)


新版 日本架空伝承人名事典
垂仁天皇
すいにんてんのう
第一一代に数えられる天皇。活目入彦五十狭茅いくめいりひこいさち命という。父の崇神すじん天皇(御間城入彦五十瓊殖みまきいりひこいにえ命)とともにイリヒコの名を持ち、実在を認められる四世紀の天皇である。記紀には皇后狭穂姫さほびめを巻きこんだ兄狭穂彦さほびこ反乱の物語、誉津別ほむつわけ命の物語、加羅から国皇子の都怒我阿羅斯等つぬがあらしと渡来の物語、新羅皇子の天日槍あめのひぼこの渡来とその神宝をめぐる物語、田道間守たじまもりの物語、殉死の禁止と埴輪の起源伝承、石上いそのかみ神宮の神宝管理伝承などをこの天皇の代のこととして語っている。また倭姫やまとひめ命の伊勢神宮創始、大倭直やまとのあたいの大倭大神祭祀、兵器を神幣とする祭祀記事、屯倉みやけの創設、多くの池溝の掘削なども崇神朝の治政を継承展開するものとして盛りこまれたものであろうが、史実性には疑問がある。皇子のなかで、ホムツワケには継体天皇系譜との関連、造剣・造池伝承を持つ五十瓊敷入彦いにしきいりひこにはイリヒコ皇統のなごりがあり、景行天皇は記紀形成時に置かれた天皇として、それぞれ皇統系譜の研究上注目される存在である。
[吉井 巌]


世界大百科事典
垂仁天皇
すいにんてんのう

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  • 垂仁天皇

第11代に数えられる天皇。活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命という。父の崇神(すじん)天皇(御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命)とともにイリヒコの名を持ち,実在を認められる4世紀の天皇である。記紀には皇后狭穂姫(さほびめ)を巻きこんだ兄狭穂彦(さほびこ)反乱の物語,誉津別(ほむつわけ)命の物語,加羅(から)国皇子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)渡来の物語,新羅皇子の天日槍(あめのひぼこ)の渡来とその神宝をめぐる物語,田道間守(たじまもり)の物語,殉死の禁止と埴輪の起源伝承,石上(いそのかみ)神宮の神宝管理伝承などをこの天皇の代のこととして語っている。また倭姫(やまとひめ)命の伊勢神宮創始,大倭直(やまとのあたい)の大倭大神祭祀,兵器を神幣とする祭祀記事,屯倉(みやけ)の創設,多くの池溝の掘削なども崇神朝の治政を継承展開するものとして盛りこまれたものであろうが,史実性には疑問がある。皇子のなかで,ホムツワケには継体天皇系譜との関連,造剣・造池伝承を持つ五十瓊敷入彦(いにしきいりひこ)にはイリヒコ皇統のなごりがあり,景行天皇は記紀形成時に置かれた天皇として,それぞれ皇統系譜の研究上注目される存在である。
[吉井 巌]

[索引語]
活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命
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垂仁天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 672
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検索コンテンツ
1. 垂仁天皇
日本大百科全書
皇室系譜に第11代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)。崇神(すじん)天皇の第3子で、母は ...
2. 垂仁天皇
世界大百科事典
第11代に数えられる天皇。活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命という。父の崇神(すじん)天皇(御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命)とともにイリヒ ...
3. すいにん‐てんのう【垂仁天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第11代天皇。崇神天皇の第3皇子。名は活目入彦五十狭茅(いくめいりびこいさち)。野見宿禰(のみのすくね)の進言により殉死の風習をやめさせ、埴輪(はにわ) ...
4. すいにん‐てんのう[‥テンワウ]【垂仁天皇】
日本国語大辞典
第一一代天皇。崇神(すじん)天皇の第三皇子。名は活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)。母は御間城姫(みまきひめ)。「日本書紀」によれば、纏 ...
5. すいにんてんのう【垂仁天皇】
国史大辞典
ばれた。元禄の諸陵探索時には、奈良奉行所は、蓬莱山を新田部親王墓の一説もあるが、地元では古来垂仁天皇陵と所伝の旨を記し、分明陵として報告している。墳丘は南面する ...
6. 垂仁天皇(すいにんてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 3ページ ...
7. すいにんてんのう【垂仁天皇】
日本人名大辞典
田道間守(たじまもり)に不老長寿の非時(ときじく)の香菓(かぐのみ)(橘)をもとめさせたという。垂仁天皇99年7月1日死去。140歳。墓所は菅原伏見東陵(すがわ ...
8. すいにんてんのう【垂仁天皇】
日本架空伝承人名事典
第一一代に数えられる天皇。活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命という。父の崇神(すじん)天皇(御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命)とともにイリヒ ...
9. 垂仁天皇山陵 (見出し語:垂仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 976ページ ...
10. 垂仁天皇立爲皇太子 (見出し語:垂仁天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1342ページ ...
11. あおむら【阿保村】三重県:名賀郡/青山町
日本歴史地名大系
居焉」とあり、「新撰姓氏録」も「阿保朝臣、垂仁天皇々子息速別命之後也、息速別命幼弱之時、天皇為 ...
12. あきじんじゃ【阿紀神社】奈良県:宇陀郡/大宇陀町/迫間村
日本歴史地名大系
旧県社。往時は天照大神・瓊瓊杵命・高皇産霊尊を祀っていたと伝える。「皇太神宮儀式帳」に、天照大神は垂仁天皇の時代に倭姫命を御杖代として美和の諸宮を発し、宇太の阿 ...
13. あさまじんじゃ【浅間神社】
国史大辞典
夫神の瓊瓊杵(ににぎ)尊を配祀。富士登山道の南口にあり、諸国の浅間神社の根本社で、その創建は垂仁天皇三年と伝える。しかし、その起源は富士の山神の祭場に発したらし ...
14. あさまじんじゃ【浅間神社】 : 浅間神社/(一)
国史大辞典
夫神の瓊瓊杵(ににぎ)尊を配祀。富士登山道の南口にあり、諸国の浅間神社の根本社で、その創建は垂仁天皇三年と伝える。しかし、その起源は富士の山神の祭場に発したらし ...
15. あさまじんじゃ【浅間神社】山梨県:東八代郡/一宮町/一ノ宮村
日本歴史地名大系
「延喜式」神名帳の八代郡に「浅間神社名神大社」とあるのが、当社にあたると伝える(社記)。社伝によれば、垂仁天皇八年正月に神山の麓に祭神を祀ったことに始まり、同地 ...
16. 浅間(あさま)神社
デジタル大辞泉プラス
山梨県笛吹市にある神社。第11代垂仁天皇の御代の創祀とされる。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。甲斐国一之宮。 2015年06月 ...
17. あざかじんじゃ【阿射加神社】
国史大辞典
奉斎したのが起源ともいい、『延喜式』神名帳、伊勢国壱志郡の条でも三座とするが、『倭姫命世記』では垂仁天皇十八年倭姫命が天照大神を奉じてよい宮処を求めて巡幸中、阿 ...
18. あざかじんじゃ【阿射加神社】三重県:松阪市/大阿坂村
日本歴史地名大系
田毘古神が「阿邪訶」にいたとき比良夫貝に手を挟まれて溺れた話がみえる。「倭姫命世記」は垂仁天皇一八年に「阿佐加乃弥子」に荒神「伊豆速布留神」が座したこと、そして ...
19. あざみにいりひめ【薊瓊入媛】
日本人名大辞典
記・紀にみえる垂仁(すいにん)天皇の妃。垂仁天皇15年に妃となり,池速別命(いけはやわけのみこと)と稚浅津姫命(わかあさつひめのみこと)を生んだ。「古事記」では ...
20. 遊部
世界大百科事典
釈書)に遊部の由来について,詳細な記事がみえている。それによると,遊部は大和国高市郡にいて,垂仁天皇の庶子であった円目王とその妻の伊賀比自支和気の女が生んだ苗裔 ...
21. あなごう【阿那郷】滋賀県:近江国/坂田郡
日本歴史地名大系
とっていることから八世紀初頭のものである。ただ地名としてのアナの成立はかなり早いらしく、「日本書紀」垂仁天皇三年三月条に新羅から渡来した王子天日槍が瀬戸内海・宇 ...
22. あなしにいますひょうずじんじゃ【穴師坐兵主神社】奈良県:桜井市/三輪・纏向地区/穴師村
日本歴史地名大系
(「神祇志料」ほか)などがある。〈大和・紀伊寺院神社大事典〉〔古代・中世〕社伝によると当社は垂仁天皇二年の鎮座という。天平二年(七三〇)穴師の神戸に租穀一千四三 ...
23. あなしにますひょうす‐じんじゃ[あなしにますヒャウス‥]【穴師坐兵主神社】
日本国語大辞典
奈良県桜井市穴師にある神社。旧県社。祭神は兵主神、若御魂(わかみたま)神、大兵主神。垂仁天皇二年の創祀と伝える。大和五社の一つ。大兵主神社。穴瀬明神。 ...
24. あなしべ【穴磯部】
国史大辞典
古代の部民の一つ。『日本書紀』垂仁天皇三十九年十月条に、五十瓊敷(いにしき)命に賜わる十個の品部の一つに大穴磯部(おおあなしべ)とみえるほかには所見はない。こ ...
25. あなしむら【穴師村】奈良県:桜井市/三輪・纏向地区
日本歴史地名大系
[現]桜井市大字穴師 巻向(穴師)川北方、備後村東方の渓谷集落。「日本書紀」垂仁天皇三九年条に「大穴磯部」の名がみえる。大穴磯部の性格については明らかではないが ...
26. あなのむら【吾名邑】滋賀県:坂田郡
日本歴史地名大系
坂田郡内にあったとみられる古代村落。「日本書紀」垂仁天皇三年春三月条の一云に、この年渡来した新羅の皇子天日槍が当初播磨国にとどまっていたが、願出て諸国を巡歴して ...
27. あなほべ【穴穂部】
国史大辞典
特に下総には孔王部が多く置かれたらしい。近江国滋賀郡の穴太村も、穴穂部の置かれた地であろう。『古事記』垂仁天皇段に沙本穴太部(さほのあなほべ)がみえる。中央では ...
28. あなみずのえき【穴水駅】石川県:鳳至郡/穴水町
日本歴史地名大系
越蘇駅と穴水駅の距離は約三五キロもあるので、中間にもう一駅存在したとする説もある。なお「古事記」垂仁天皇段に、高志国の地名として「和那美之水門」がみえ、穴水駅の ...
29. あなむら【穴村】滋賀県:草津市
日本歴史地名大系
[現]草津市穴村町 新堂村の西に位置。蘆浦道が南北に抜け、その西側に集落が立地。「日本書紀」垂仁天皇三年三月条に「天日槍(中略)菟道河より泝りて、北近江国の吾名 ...
30. あべぐん【阿拝郡】画像
国史大辞典
阿盃・阿倍・阿閉(あべ)・阿辨とも書き、『正保国絵図』では綾郡としている。延暦の『皇太神宮儀式帳』には、垂仁天皇の時、伊賀の阿閇柘殖宮に坐したとあり、『倭姫命世 ...
31. あまつじんじゃ【天津神社】兵庫県:美嚢郡/吉川町/宮村
日本歴史地名大系
はじめ一三ヵ村を氏子とする。旧郷社。祭神は天津彦根命・活津彦根命・天之穂日命・天之忍穂耳命・熊野久須日命。垂仁天皇二五年四月、小神野(現富岡字神谷)に明神が天降 ...
32. あまてらすおおみかみ【天照大神】
国史大辞典
安からずとして、豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)に祭り、さらに垂仁天皇二十五年三月条には天照大神を倭姫命に託して鎮祭の地 ...
33. あみのむら【網野村】京都府:竹野郡/網野町
日本歴史地名大系
寛文六―九年(一六六六―六九)、延宝八―九年、享保二年―宝暦九年(一七一七―五九)は幕府領。垂仁天皇の時代、天湯河板挙命が但馬国から当地水江に来て、白鳥を取ろう ...
34. あめ‐の‐ひぼこ【天日槍】
日本国語大辞典
記紀、「播磨風土記」などに見える、新羅(しらぎ)国王の子。来朝時は、「日本書紀」によれば垂仁天皇三年とされる。「播磨風土記」では葦原志挙乎命(あしはらしこおのみ ...
35. あめのひぼこ【天日槍】
国史大辞典
記紀などにみえる帰化人伝説の中の人名で、新羅の王子とされている。記では応神天皇段に、また『日本書紀』では垂仁天皇三年条に記されているが、本来は帰化人の始祖伝説と ...
36. あめのむらくものつるぎ【天叢雲剣】
国史大辞典
以来皇居に安置された。崇神天皇のとき、神威をおそれて剣を神鏡とともに皇居から遷して大和の笠縫邑に祭り、さらに垂仁天皇のとき、伊勢の五十鈴川のほとりに遷した。これ ...
37. アメリカ彦蔵自伝 1 13ページ
東洋文庫
された、ということである。また日本の国で最古の神社のひとつとしても有名である。西暦五八七年に垂仁天皇によって、私の国の七人の福の神の一人なる弁天の女神をまつるた ...
38. あやどむら【綾戸村】滋賀県:蒲生郡/竜王町
日本歴史地名大系
るが、古く当地は那牟羅と称し、帰来した新羅の王の子天日槍がしばらく住したという、「日本書紀」垂仁天皇三年三月条にみえる「近江国の吾名邑」を当地のこととする説もあ ...
39. アラビアン・ナイト 11 347ページ
東洋文庫
の伝説は、アレクサンドロスの求めた生命の泉と似かよったところがある。また『古事記』にある如く垂仁天皇が、多遅間毛理を常世の国に遣わして求めさせられた「ときじくの ...
40. あらまつりのみや【荒祭宮】
国史大辞典
五月と十月(明治十二年以前四月・九月)の神御衣祭は皇大神宮と当宮に限って執行される。創立は本宮と同時の垂仁天皇二十六年九月とされている。造営遷宮も本宮とともに式 ...
41. あわがじんじゃ【粟鹿神社】
国史大辞典
祀ると明記され神名帳の一座に合致する。この注進にはさらに神社の創立を大彦速(おおひこはや)命により垂仁天皇の御代に祀られたとしている。奈良時代神封二戸、仁明天皇 ...
42. あわがじんじゃ【粟鹿神社】兵庫県:朝来郡/山東町/粟鹿村
日本歴史地名大系
旧県社。現祭神は彦火火出見尊。和銅元年(七〇八)八月一三日勘注と記される「粟鹿大神元記」によれば、垂仁天皇の時代に大国主神の子天美佐利命が荒振る大神であるので、 ...
43. あんこうてんのう【安康天皇】
国史大辞典
(平野 邦雄) 菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ) 奈良市宝来町字古城にあり、垂仁天皇陵の西北に位置する。墳丘は不整形で四周に小溝と土塁を設け、 ...
44. いいたかかんべ【飯高神戸】三重県:松阪市
日本歴史地名大系
古代・中世に飯高郡に置かれた伊勢神宮の神戸。「太神宮諸雑事記」垂仁天皇二五年条に「倭姫内親王(中略)次伊勢国安濃郡藤方宮御坐三年之間、国造奉寄神戸六箇処也、所謂 ...
45. いいたかぐん【飯高郡】三重県:伊勢国
日本歴史地名大系
「延喜式」(民部省)には「イヒタカ」の傍訓を付す。「皇太神宮儀式帳」に「忍飯高国」、「倭姫命世記」垂仁天皇二二年条に「意須比飯高国」と記す。「続日本紀」天平一〇 ...
46. いいなんぐん【飯南郡】三重県
日本歴史地名大系
加豆知乎、汝国名何問賜只、白久、忍飯高国止白支、即神御田并神戸進支」とあり、「倭姫命世記」の垂仁天皇二二年「十二月廿八日、遷于飯野高宮、四箇年奉斎、于時飯高県造 ...
47. いいのぐん【飯野郡】三重県:伊勢国
日本歴史地名大系
「伊比乃」と訓じ、「延喜式」(民部省)には「イヒノ」と傍訓を付す。飯野の名称は「倭姫命世記」垂仁天皇二二年条に「飯野高宮」がみえ、「皇太神宮儀式帳」天智天皇三年 ...
48. いかほ‐おんせん【伊香保温泉】地図
デジタル大辞泉
渋川市の温泉。急な石段の両側に旅館が並ぶ。垂仁(すいにん)天皇のころの発見といわれる。泉質は単純温泉・硫酸塩泉など。  ...
49. いかほ‐おんせん[‥ヲンセン]【伊香保温泉】
日本国語大辞典
群馬県北群馬郡伊香保町にある温泉。垂仁天皇の頃発見されたという。含塩炭酸鉄泉。皮膚病、貧血症、婦人病に効く。いかお温泉。 ...
50. いかほおんせん【伊香保温泉】群馬県:北群馬郡/伊香保町/伊香保村
日本歴史地名大系
[現]伊香保町伊香保 二ッ岳の北東急斜面にあり、石段の温泉として知られる。口碑によれば垂仁天皇の頃に二ッ岳より湧出し、行基により発見されたという。赤木文庫本「神 ...
「垂仁天皇」の情報だけではなく、「垂仁天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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