オランダのグラフィック・デザイナー、絵本作家。本名はHendrik Magdalenus Brunaで愛称はHenkであったが、ぽっちゃりした赤ん坊だったため母親が「Dik、Dikkie(太っちょ坊や)」とよんでいたことが名前の由来である。ユトレヒトで、曾祖父の代から小さな出版社を経営していた家庭に長男として生まれた。
第二次世界大戦時に、疎開先の景色をスケッチしたことが絵を描くきっかけになる。その後、家業を継ぐためにロンドンやパリで修業した。自由な文化の中心地であったパリでは、パブロ・ピカソやフェルナン・レジェに加え、「色彩の魔術師」ともよばれるアンリ・マチスに強い衝撃を受け、またウォルト・ディズニーなどのアメリカ文化にも触れた。帰国後は、対象の形や色を徹底的に単純化することで、対象の本質である抽象性を追求するオランダの芸術運動デ・ステイルからも大きな影響を受けた。
マチス自らが最高傑作と評したドミニコ修道会ロゼール(ロザリオ)礼拝堂を訪問したときに、極限まで「研ぎ澄まされたシンプル」なさまにインスピレーションを受け、それがグラフィック・デザイナーとしてのスタートを切る大きな後押しとなった。父親の会社で出版する本の表紙のデザインを次々に成功させ、そのほかに、ぺーパーバックのシリーズを宣伝するポスターに描いて人気を博したキャラクター「ブラック・ベア」も生み出した。作品の内容の雰囲気をモチーフや、主人公を連想させるシルエットなどでシンプルに描き、「表紙は読者の想像力を邪魔しない」というルールを貫いたため、著作者から称賛されたといわれる。このルールは、後の絵本にも貫かれていると考えられる。また、医療や福祉関係のためのポスターやステッカーなどのデザインも手がけた。
最初の絵本は『de appel(りんごぼうや)』と『toto in volendam(フォーレンダムのトト)』である。うさぎを主人公にした絵本『Nijntje』(以下ナインチェ、ちいさなうさこちゃん)は、1955年に刊行された。この絵本は、ブルーナ一家が休暇を楽しんでいた海辺で走り回る野うさぎを見て、幼い長男に語って聞かせた話が基になっている。子ども向けの絵本であっても、文字に挿絵程度の本が一般的であった当時の社会では、このような絵が主体の絵本は商品価値がないと思われていたが、やがて子どもたちから広く支持されていくようになる。この改訂版が1963年にイギリスで翻訳されたとき、主人公はMiffy(ミッフィー)と名づけられ、その後、多くの国でこの呼び名が定着した。日本では翌1964年(昭和39)に翻訳・出版され、オランダ語のニュアンスを生かして「うさこちゃん」と命名されたが、その17年後には別の出版社からミッフィーとしての翻訳もなされ現在に至っている。
2011年に引退するまでに絵本を124タイトル、ナインチェシリーズは32タイトルを書き上げた。50以上の言語に翻訳され、8500万部以上を売り上げた絵本は、単に色や形、文章のシンプルさだけが特徴ではない。その内容は、いつも自分の子どもに向けて、自分自身の子ども時代を振り返りながら書かれており、オランダの一市民として生きてきた彼の日常を切り取ったものであった。すなわち彼の絵本は、時代ごとのオランダ社会を投影したものだといえる。たとえば、『うさこちゃん びじゅつかんへいく』のなかで、お母さんが家族みんなに「びじゅつかんへいこうとおもうの。いっしょにいきたいひといる?」と聞く場面がある。文章としてはおかしくないが、日本人の感覚では、「みんなでびじゅつかんにいかない?」などと尋ねることが多いと考えられる。家族であっても、みんなで同じ行動をすることが前提ではなく、美術館に行きたい自分がいて、それに同意するかどうかはそれぞれの考えや判断にまかせるというスタンスが、個人をたいせつにするオランダらしい価値観といえる。さらに、転校生の紹介で先生がほかの子どもと異なる部分をわざわざクラスに知らせることで、一人一人の個性を認めたり(『うさこちゃんとたれみみくん』)、子ども向けの絵本であっても、子どもが思わずやってしまいそうな犯罪である万引きを題材にしたり(『うさこちゃんときゃらめる』)と、ていねいに読めば、オランダ社会の価値観や子育て観が反映されていることがわかる。オランダで生まれたナインチェは、今や世界中で知られるミッフィーとして映画や切手、キャラクター商品にもなり、さらに日本発祥のハローキティのモデルにもなった。
これら数々の功績が認められ、1993年にはオランダ王室からオラニエナッソー勲章の騎士(ナイト)の称号を、2001年には王室から市民に授与されるもっとも栄誉ある勲章であるオランダ獅子勲章の司令官章を与えられた。また、絵本のイラストについては「金の絵筆賞」(『くまのぼりす』に対して)、「銀の絵筆賞」(『うさこちゃんのてんと』に対して)、文章については「銀の石筆賞」(『うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん』に対して)、さらにオランダの優れたイラストレーターに贈られる「マックス・ベルジュイス賞」、一般書籍の表紙やポスターのデザインに対する「H・N・ウェルクマン賞」などを受賞している。
日本では2025年1月時点で福音館(ふくいんかん)書店から78タイトル、講談社から36タイトルが出版されている。